中央コースから栗駒山
栗駒山(一)
栗駒山は岩手・宮城・秋田の三県にまたがる膨大な山である。その大きさは各々での呼称が異なるところにも現れている。すなわち、宮城県側からは栗駒山、岩手県側からは須川岳、秋田県からは大日岳。(以下はより一般的と思われる栗駒山の名で呼ぶ。)標高はさほど高くないが、東北地方中央部に位置する独立峰のため好天であれば大展望が得られ、周囲の主立った高山を指呼できる。かつて初夏の日に岩手県の一ノ関駅前から日に二度出る須川温泉行きバスを使って日帰りしたことがあったが、これは山頂部を周遊するだけのようなもので山そのものの実感はつかめず、物足りないまま終わってしまった。


この須川温泉からばかりでなく、南側のいわかがみ平から中央コースと呼ばれるものを取れば、短時間で山頂を往復できるが、それだけでは栗駒山を実感することはできない。山麓の低きにある湯浜温泉や湯ノ倉温泉と山頂とをつなぐ広大なブナ林のなかに身を置き、稜線近くで夏遅くまで残る雪渓の一つも踏まなければ、山を歩いたとは言えても栗駒を歩いたとは言えない。そのうち再訪しようと以前から思っていたところ、仲間内で夏に栗駒行きの話がもちあがり、そのなかで「栗駒山の魅力がすべて詰まっている」と言われる御沢コースを辿るという。
グループの予定は一泊二日で、初日はいわかがみ平から東栗駒山を経て山頂に達し、中央コースを降りて来て「いこいの村くりこま」という施設に泊まる。二日目、これがこの山行のハイライトなのだが、宿から山腹に付けられた森の中を歩き、御沢という沢に出てこれを稜線近くまで辿り、御室という岩壁の下に出て雪渓を上がり、須川温泉に出て帰京する。森と沢、雪あり岩稜ありのこれぞ栗駒山というコースだが、須川温泉側の行程をたどったことのあるわたしは初日のみ行動を共にし、二日目はひとり早く出て、御室の手前で須川温泉に行かずに低所にある湯ノ倉温泉に下ることにした。山の大きさを感じるにはできるだけ長く歩いてみるに限る。


東北新幹線くりこま高原駅からイワカガミ平に向かうバスは一日二本しか走らず、しかも八月最初の土曜日だというのに乗客は我々四人しかいない。昨日までの好天が嘘のように小雨模様なので、山行きを中止したパーティーが多かったのか、花の季節には少々遅いということだろうか。車内ではテープが流れて周囲の山の解説をしてくれるが、地表近くまでを覆うガスのせいで何一つ見えないため間が抜けて聞こえてしまう。
終点のイワカガミ平には自家用車で来ている人たちが少なからずいる。普段着に革靴で傘を手に中央コースを登っていく人もいる。ちょっと無謀ではないか、と思う自分からしてザックカバーを持ってくるのを忘れてきているのだった。バス停上にあるレストハウスで安物のレインコートを手に入れ、これでザックを覆う。応急処置としては上出来だ。しばらくは保つだろう。
以前にそちらを登ったことがあるメンバーによれば中央コースは面白くない道だとのこと、われわれは雨具を着込んで東栗駒山コースに入る。出だしから赤土がえぐれた掘り割り状の道で、天気のせいかいつもそうなのか足下には水が流れている。加えて滑りやすい。
最初はひどい道だと思ったものの、慣れてくると岩を乗り越したり小滝やら小カマやらを右に左にさばきながら進むのが楽しくなってくる。小雨は降り続き眺めもないが、そんな天気でも木々の合間で鳥たちがさえずり、探検気分は濃厚で単調さとは無縁だ。「たいへんだけど面白いぞ」。裾まわりを泥だらけにして灌木帯のなかを行くと、前方に滝のような音が聞こえてくる。「なにがあるんだー」「滝かー?」と後方から声をかければ、「滝だー」との返事。小さな尾根筋を右手に越えると、視界が開け、ほぼナメ状の新湯沢が雨中に滔々と水を流しているのだった。
新湯沢に出る
新湯沢に出る
沢沿いの花
沢沿いの花
ほんの少しとはいえ沢のなかを歩くところもあるが、これがまた楽しい。メンバーの観察によれば、増水しているところと違って、もともと流れがあるところにはコケが生えていて滑りやすいという。やや上流で渡渉し、ザックを下ろして休憩した。ここまで耳にした音といえば自分たちと鳥の声だけで、騒がしい水音がいっそう山の静けさを際だたせる。沢沿いからほんの少し上がればそこはすでに東栗駒山の南西に落ちる広い尾根筋で、瀬音が遠ざかるころには両側にハイマツがあるのに気づく。その背が低くなると草原がそこここに広がり始める。雨も止んできた。
東栗駒は標識がなければ気づかず通り過ぎてしまうような山頂だった。ゆるやかな斜面を登り切り、さらに斜度が緩んだ草原のなか、大岩が一つ二つ重なるだけの場所である。本峰に相対すれば、草原のなかに火口の跡と思われる窪みが二つ、底に雪を湛えて鎮まっている。この山が火山であることを思い起こさせて、穏やかななかにも不気味な光景だ。
東栗駒山頂から本峰を仰ぐ
東栗駒山頂から本峰を仰ぐ
あの上にある山頂はうるさいだろうし、もう昼、ガスで展望はないがここで食事休憩とした。バーナーで湯を沸かして茶を入れ、ゆで卵などをもらって食べる。このゆで卵だが賞味期限ぎりぎりだそうだ。うちの仲間にはこういうのを山に持ってくるのがどうも多いようである。自分にしても非常食に期限切れのアルファ米を持っていったりするので人のことは言えないが。


そうこうしている合間にガスが晴れていき、膨大な山体がせり上がり始める。山頂も指呼できるようになった。左手奥には虚空蔵山に連なる岩がちな稜線も見えている。頭上に青空もかいま見え、好天はしばらく保ちそうだ。うまくいけば山頂で周囲の眺望も得られるかもしれない。食事を終え、草原の尾根筋を弧を描くように上がっていく。
東栗駒から山頂をめざす
東栗駒から山頂をめざす
登って行くにしたがい、山腹のゆるやかな起伏が周囲に広がる。振り返れば夏雲に浮かぶ稜線にかわいらしい避難小屋が建っている。十分な食料と水を持参してあのあたりで夜を過ごし、夜明け前に起き出して山頂に立つというのはどうだろう。晴れ渡った北本州を見渡すことができたらさぞかし素晴らしいだろう。次に来るなら避難小屋泊まりだな。近いとはいえ今回の山頂すらまだ踏んでいないのに、いつ実現するともわからない再訪再々訪のことなど考える。それだけの魅力がこの山にはあるのだった。
山頂では昼を少し過ぎたばかりという時間帯もあって、観光客めいた人々の姿も見かける。小雨混じりのガスは去ったものの夏雲が周囲に湧き、遠望は叶わない。では湯でも沸かしてお茶でも淹れようかと思ってみても、メンバーはほとんど水を飲みきってしまっており、各自のザックに残っている水分といったらサプリメント飲料やなぜか日本酒なのだった。そこでしかたなく(と言いながら幾分か喜んで)酒を分け合って呑み、登頂の記念とした。


東栗駒から栗駒本峰への山道では、斜度が強まったところでは表土が流出して赤土がむき出しになり、岩も出た涸れ沢状のものになっていた。おそらく踏み壊しによってこうなったのだろう。丸太の土留めを設置される予定のようで、真新しい資材が広がった山道の脇に準備されている。山頂では須川温泉側に向かってロープが張り渡されていたが、以前に来たときにはなかったものだ。おおぜいが来て植生を破壊し裸地化が進むのを食い止めるためだろう。放っておいたら丹沢の塔ノ岳のように更地になってしまうはずだ。
下りの中央コースは初めの頃こそ山頂の見晴らしもよく歩きやすいのだが、砂利舗装がコンクリ舗装に変わる頃から直線的な道に飽きが来始め、ぜんたいとしてわずか一時間の歩程なのにみなしてうんざりしてイワカガミ平にたどり着いた。そこから今晩の宿である「いこいの宿栗駒」に電話して車で迎えに来てもらい、夕食の前に一風呂浴びてさっぱりしたのだった。
(つづく)

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