穴路峠・雛鶴峠・大桑山
秋山山稜を越える峠には立野峠とか寺下峠などのほかに、穴路峠というのがある。倉岳山高畑山に登ろうとすれば一度はたどる峠道だが、これを越えて秋山側に行く人は少ないようだ。先の二つの峠は越えてみたので、ではここも、と計画を立ててみた。それだけでは歩きでがないので、雛鶴峠まで出て高畑山をめざす行程を付け加え、時間が許せばさらに未踏の大桑山に足を延ばすという、やや欲張った予定とした。


一 穴路峠越え   
穴路峠から雪の秋山二十六夜山
今日は寒い。列車の窓から望めた青空はいつのまにか消え去り、雪催いの重たい曇り空となっている。倉岳山と高畑山の登山口でもある本日のスタート地点には小篠の貯水池というのがあり、堰堤の下から始まる山道はどこもかしこもクラストした雪で覆われていた。先週は干上がっていた池は少しばかり水が溜まっており、その半分には氷が張っている。
穴路峠へは、沢沿いに植林のなかを上がって行く。ほんの少し雪がちらつくが、ありがたいことにすぐ止んだ。一面雪に覆われた谷が浅くなる頃に左手の斜面をからむようになり、赤松を眺めるようになって周囲が明るくなると、いつ来ても風が吹き越している峠に着く。向こう側の山々は山肌がみな白く、単色刷の世界になっている。秋山二十六夜山にしても、ほんの一週間前は暖かそうな木々の肌が見えていたのに、すっかり冬景色だ。
秋山側に下る。南面で雪が少ないとはいえ、終始植林のなかで暗い。途中から沢が現れ、流れのすぐ脇を歩いたりするようになると、左右に立派な石積みの平坦地をいくつか見るようになる。もとは畑があったところだろうか、いまは杉の幼木が植えられている。下りで印象に残ったのはこの石積みだけだった。穴路峠は、今まで通り、稜線への入り口とのみしておいたほうがよさそうだ。


二 雛鶴峠から高畑山へ 
雛鶴峠
穴路峠から下り着く車道から雛鶴峠のバス停をめざす。ゆるやかに登る舗装道にはときどき車が通る。振り返ると矢平山や二十六夜山が日に当たって枯れ草色に光っている。雛鶴神社という由緒ある社が左手に見えてくるが、短い参道は雪に厚く覆われていて、賽銭箱にすら近づけないのだった。
この神社が祀るのは雛鶴姫と言い、鎌倉時代の人物である大塔宮護良親王(だいとうのみやもりながしんのう)の寵姫だったそうだ。この親王が鎌倉幕府倒壊後の翌年に暗殺され、悲嘆にくれた雛鶴姫は鎌倉を出てここ無生野の里にたどり着いた後、亡くなったそうである。(護良親王とはどういう人か....?興味のある方は『太平記』をお読み下さい。長そうです。わたしも読んでいません(笑))
さて、峠を越える車道は山の斜面をからんだ後にトンネルに吸い込まれていく。その手前に地名を冠したバス停があるものの、山道が越える雛鶴峠に向かうにはどこを上がればいいのだろう?えい、こうなったら、とばかりにバス停の裏の急斜面を無理矢理上がると、そこが旧峠道の車道で、その先に旧雛鶴トンネル(という名前かどうかは知らないが)があるのだった。ここは柵で閉鎖されており、車は通れないが、人間はその間をすりぬけられそうだ。向こう側の出口が奧に明るく見える。
トンネルの手前でハイキングコースが分岐し、あいかわらずの植林のなかをゆったりとジグザグに上がっていく。雛鶴峠は高岩から下って着いたときには荒れた峠だなと思ったものだが、こちらから上がると心地よい気がする。いままで植林のなかを歩いてきたものだから、天辺が開けて好印象を受けるのだろう。あたりは再び一面の雪となり、その上に残されていた明瞭な踏み跡は左のサンショ平の方に向かっている。反対側の高岩に向かう踏み跡はかすかなもので、しかも一人分しかない。これから行くのは歩かれていないコースのようだ。
高畑山方面へのルートに入ると、左手は雑木林で眺めがよく、道志の山々がきれいに見える。よく見るとそちら側の足元は切り立った崖になっており、ここを風が吹き上がってくる。それもかなり強い。風向きが逆だったらかなり緊張することだろう。雑木林が風通しのいいのはわかるが、葉が落ちていない杉の植林でもよく風が通っていた。
高岩に大ダビ山を越え、高畑山の登りにかかる。植林の大ダビ山では足元に雪が多かったが、高畑山のこちらは雑木林で日が差し込むため雪が消えてすべりやすい土壌が剥き出しになっている。一歩進んで二歩下がるのを何度か繰り返しながら登り着いた山頂には、例のごとく誰もいない。まだ2時半だが、今日は一段と寒いのでみな早々に下ったのだろう。南方に開けた山頂から眺めるのは、左奧に赤鞍ヶ岳から朝日山への稜線、その右後ろに今倉山、その背後には富士山、さらに右手には三ツ峠山だ。このあたりではもうお馴染みの面々が短い日の中で霞んでいる。


三 大桑山を経て朝日小沢バス停へ 
朝日小沢の集落にて
時間がありそうなので、大桑山への道へと踏み出す。すぐにヤブが始まってずっと続くのは、あまり歩かれていないせいだろうか。合間には短いものの岩稜のナイフリッジもあって「秋山山稜にこんなところが」と、ひとり楽しむ。
大桑本峰の登りはヤブのうえに急な登りで、かなり疲れた。丸く盛り上がっている山頂は、なんと植林のまっただなかだった。最高点を通る山道のすぐ両脇まで杉の木が植えられている山というのも珍しいだろう。とはいえ山頂は山頂だからひとまず休もうと5分も座っていると、芯から冷えてくる。これでは休憩にならない。動いている方がましだとばかり、すぐ下りにかかる。
下りもあいかわらずヤブ道が続く。途中から雪斜面の急降下になるが、夏道が消えている代わりに自分の歩きたいところを歩けるようになっている。先行者のトレースを参考に、好き勝手にルートを選びながら林道まで下り着く。ここから背後に大桑山を背負って、鈴ヶ音峠へと出る。
除雪されて道の両側に積み上げられた雪をストックでたたきながら猿橋側に下っていくと、集落が見え始める。最初に出てきたバス停の『朝日小沢上』には待合所さえなかった。バスが来るまであと30分近くある。これでは寒くてしかたない。歩いた方がましだ、と歩き出す。その次のバス停、『朝日小沢』の近くに神社があり、ここの境内にはいって社殿の階段に座ってバスを待つ。とにかく寒い。フリースの手袋をしているのに手の指が痛くなってくる。座っていられず、歩き回りながら暖を取るまでになった。少し遅れてきたバスの車内は、さすがに暖かかった。猿橋駅から中央本線に乗って帰宅した。
2001/1/14 大寒波襲来の日

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