秋山二十六夜山より高畑山(右)と朝日山に続く山並み

高畑山から朝日山

中央本線の藤野駅から大月駅までの南側に1000メートルに満たない山々がある。前道志とも秋山山稜とも言われるところだが、首都圏からの日帰りハイキングでとくに秋から春にかけて賑わっている。ルートの取りようによっては長短のアレンジが可能な山域だが、さすがに標高差が少ないのでガイドマップに載っているルートでは足応えが不足気味だ。初冬の夜、そんなことを思いつつ地図を見ていると、この山域の一峰である高畑山(たかはたやま)から南に延びる稜線を行けば、東京近郊にありながら日帰りが難しいと言われている道志の山につなげられることに気付いた。
丹沢側から登られることの多い道志の山に中央本線側から登るというのはなかなか面白い。道志の山は御正体山(みしょうたいさん)を除いて未訪のため、偵察の意味も含めて行ってみることにしよう。しかし低山とはいえ長いコースになりそうなので、朝は自宅を早出、駅から登山口までの車道は歩くのをカットしてタクシーを使い、帰りのバス便が少ないため道志の山では稜線縦走はせずに終点の朝日山を踏んで明るいうちに下ることにした。冬至目前の日はすぐに夕方になることだろう。暗くて寒い中でバスを長時間待つのは敬遠ものだ。


登山口最寄りの中央本線鳥沢駅から乗ったタクシーの車窓からあたりを見回すと、すでに開いている駅前の店の上にはもやが一面に漂い、すぐそのあたりの山からして見えない。今日の天気は大丈夫だろうか?と心配する間もなく、10分足らずで倉岳山および高畑山二山の登山口に着く。
車を降りると、低山とはいえ12月初旬の空気は冷たい。フリースのキャップと手袋を身につける。寝不足のせいで頭の左側がはっきりしないまま、足取りも重く沢沿いの道を行く。右手、高畑山へ別れる石仏のある分岐を入る。高畑山に登るのはこれで三度目になるが、いままでは倉岳山のついでの訪問だった。この山そのものを目指すのはこれが初めてだ。ジグザグの登りを繰り返して高度を上げるにつれ徐々に見晴らしがよくなり、朝靄も晴れていって、まるで見えなかった扇山も彼方に見えるようになっている。あの山にはこことは比較にならないほど人が登っているだろう。こちらはなんと密やかなことか。目にしたのは、軽装で追い越していったひとが一人きりだ。
斜面をからむ登りが終わって前方右手上方に端正な山を仰ぎつつ山腹を横切る道を行くようになる。あれが高畑山だろうか?だとすると距離がかなりある、たぶんあれは隣の大桑山だろう。暗い植林のなかに入り、斜面を上がるために左へ直角に曲がるところに、錆びたトタン板が散乱している。ここが高畑仙人と呼ばれるひとがかつて住んでいた場所のようだ。仙人がブランコをかけたらしい大木はあるものの、下がっていたはずのロープはもうない。かつては乗って揺らせば空に向かって飛び出すようだったそうだが、いまでは木々がじゃまして空を眺めることさえできない。
稜線に乗り、左にときおり垣間見える倉岳山に挨拶しながら雑木林のなかを上がっていけば山頂だ。一と月前に来たときと同じに道志の山々の眺望がいい。今日は加えて富士山がよりきれいに見えている。ここで腹ごしらえ第一段としよう。
高畑山から富士山
高畑山から富士山を望む
高畑山だが、戦後の第一次登山ブームとされた頃、この山は高畑倉山と呼ばれていたそうだ。いまでも山中の古い道標にはこの名称が読みとれるが、これはそのころ出ていたガイドブックがこの山を表すのに隣の倉岳山といっしょにしてしまったせいらしい。山名は、なにが由緒正しい名前なのか曖昧な場合がままある。このあと向かった朝日山にも、山頂には「赤鞍ヶ岳」という標識が立っていた。「昭文社の地図に朝日山が正しい旨が書いてあるから朝日山だ」としていたが、ガイドブックを読んで「高畑倉山」が正しい名称だと考えた人も同じ思考様式だったはずなのに思い当たる。いや、「高畑倉山」が本当に正しいのかもしれないが、これ以上は堂々巡りになりそうだからやめておこう。


食事を終えて朝日山に続く稜線を辿るべく倉岳山方面に進む。ルートは途中で右手に別れるはずなのだが、最初は分岐点がわからず、高畑山をかなり下ってしまう。これは違うな、と気がついて登り返すが、最初から迷っていてこの先どうなることやら、と早々に焦りも感じる。雛鶴峠への分岐点は頂稜の末端で、ここには指導標がなく、赤布が下がっているだけだった。(この直後に秋山村により分岐に立派な指導標が立てられ、迷うことはなくなった)。
いきなりとにかく急な下りが続く。道は落ち葉に覆われていてよく見ないと踏み跡もはっきりしない。赤布や赤テープを目印に下っていく。しかも滑りやすい。実際に滑って尻餅をつき、出発から着たままだった雨具の尻の部分を引き裂いてしまった。前道志主稜の歩き安さに慣れた身には「こんな近くにこんな場所が」と驚くことしきり。どことなく西上州の山歩きの感覚がしてくる。下降の途中で高畑山を振り返れば、一面自然林に覆われた高畑山上部の南面が日に当たって暖かそうだ。紅葉はほとんど終わってしまっているが、それでも落陽広葉樹の赤茶色が残って華やかに見える。倉岳山には植林が少々あるが、こちらもあちこちがいい色に染まっている。
ようやく急な下りを終え、小さく一コブ越えると地図上では楢峠という場所に出る。ここは右手にゴルフ場ができて立入禁止となり、左手の谷筋からの踏み跡も不明瞭で、峠としては事実上消滅してしまったようだ。さて今度は大ダビ山への急な登りとなる。踏み跡が薄く、しかも傾斜に加えて土壌のせいもあり足元は相変わらず滑りやすい。加えてヤブの枝が出ていて気を抜くと顔をひっぱたかれる。まだ高畑山から次のピークを登っているだけなのだが、前道志(秋山山稜)のメインルートと違って、気苦労も多いが、変化に富んでなかなか面白い。


大ダビ山からの展望は葉の落ちた自然林の合間から道志の山並み、三ツ峠山、高畑山などを透かし見る程度だった。まだ先は長いので足を止めないまま細長い山頂を辿り、少し下って登り返すと高岩というピークとなる。こちらもおだやかな山頂なのはいいのだが、見晴らしも同様によくない。ただ落ち着いた雰囲気ではある。
ここから雛鶴(ひなづる)峠への道は、右手に道志の山々が間近に大きい。どれが朝日か赤鞍か、と考えているうちに峠に着く。名前から想像するよりはやや暗く、可憐なところのない峠だが、左手を全て植林で覆われているせいだろう。ここから朝日山方面へは踏み跡がしっかりしており、よく人の行くコースかと思わせる。少し上がったところでは伐採された西面から三ツ峠がきれいに望める。その右手には南大菩薩の山々が見える。この先も少々ヤブがあり、通ろうとして抑えた枝が跳ね返ってきて頬や耳を打ち、何度も痛い目にあった。
日向舟付近から倉岳山
日向舟付近から倉岳山
「日向舟」と地図にある地点で道は右に直角に曲がる。地名標識がないが、標点があるのでそれとわかる。ここからいったん下って登り返したところで、昼食適地に着く。それまでは北方からの風が吹き越す地形になっていて、日当たりはいいが寒いという場所が多かったが、ここでようやく風が遮られるようになった。道ばたに適当な場所はないのだが、だれも来ないだろう、と道の真ん中に店を広げることとする。何から何まで揃った場所というのはなかなか無いものだ、と悟ったことを考えながら湯を沸かす。


食事を終えて先に進む。二度ばかり割とよい仕事道が見通しのわるい杉林のなかに分岐していく。道標などない。うっかりしてそのうちの一つに入り込み、山腹をからみつつ崩れやすい道になるにしたがって、いくら人が歩いていないにしてもこの荒れ方は変だ、と気がつく。目の前に伐採された木々が積み上がるのを見て疑念は更に増大し、見上げれば稜線はかなり上だ。御坂の鬼ヶ岳に登ろうとして道に迷ったことを思い出す。すぐに引き返し、稜線を登り出すはずのあたりまで戻ってみると、やはり道は分岐していた。稜線を外さないように上がっていくと、周囲は徐々に明るい雰囲気となってくる。
右手に松林が見える。その向こうには道志の主稜線。そのあいだには二重山稜のように流れる小さな稜線が手前に見える。松の木のせいもあって、山の中というよりは海辺近くのようだ。ササが被さっているものの、ひじょうに足の出しやすい道が山腹に沿ってゆったりとカーブしていく。左手遥かには倉岳山や高畑山が低くなってきている。
サンショ平の手前より道志の稜線
サンショ平の手前より道志の稜線

サンショ平という山道の四つ辻では左手下の方にガイドマップで棚の入山(たんのいりやま)とされるコブが見える。ここまで来ればあとは朝日山を越えて道志に下ればいいだけだ。時刻を確かめると、かなり余裕がある。休憩すら慌ただしくなる追われるような気分もようやく解消した。樹林のなかを見回したり、秋山の谷を見下ろしたりしてから、さて朝日山に行くか、と標識にしたがって進んだつもりが、なんとさっき登ってきた道に入り込んでいた。十数メートル進んで気がついたが、恐ろしいことである。
そこからすぐの朝日山北稜に乗れば、左手の谷を隔てて少し雪のついた道志主稜線がなかなかの迫力で見えてくる。とても1,200メートル程度の山とは思えないが、ひとつひとつのピークに特徴がないので、赤鞍ヶ岳とかを特定するにも地図を広げなければならない。朝日山へは登り一方となり、あのあたりがてっぺんか、というのを三回ばかり繰り返してようやく着いた。
山頂としては時刻が遅いせいだろう、思っていたとおり誰もいない。まばらな木々に囲まれた頂は縦走路とちゅうの広場といった風情で、視界は遮られているが風もなく、落ち葉が積み重なったうえに日が射しているのが心地よい。そのなかにグラウンドシートを広げて横になると、疲れていたので数分だがほんとうに眠ってしまい、雲のせいで薄日になりやや寒くなるまで覚めなかった。さすがにちょっと冷えた。


山頂から主稜線を赤鞍ヶ岳方面に辿ると、道志村への下山路の分岐になる。目の前に丹沢の大室山と加入道山が大きく見えている。ここからの下りは直滑降でもしている気になるほど急で、とても足だけでは下れず木の幹やササにつかまって下りた。できればもう下りたくない場所だ。斜度が緩まり、ふたたびやや急となって暫しで、林道に飛び出す。ショートカットもあるようだが、バスの時間まで余裕があったのでのんびり林道をたどる。バス停まで出てもさらに時間があったので、車道を駅のある方向とは逆に歩いていった。
和出村という停留所でちょうど来た富士急行バスに乗って終点の月夜野まで出た。ここからは神奈川中央(神奈中)バスに乗り換えて藤野駅に行くことになる。日が沈んで夜空が広がる中、ほんの少しの待ち合わせで来たバスの運転手席近くには、不採算路線での売り上げ向上策として小さな商品カウンターが設置されていて、飴とかキャラメルとかが置いてあった。この路線がなくなっては困るし、どことなく親しみも感じたので、百円均一の代金箱に硬貨を入れて久しぶりにボンタンアメを買った。走り出した車内で食べたこのお菓子は、子供の頃とはぜんぜん違って、とても美味しく思えた。
2000/12/2

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