立野峠から矢平山寺下峠付近から矢平山

前道志(秋山山稜)で最も人気のある倉岳山の頂は東方のみ開けている。ここから稜線伝いのすぐ先に丸い山が頭を出しているのが見えるが、これが矢平山(やだいらやま)だ。小さいわりにきれいな形の山で、まわりがさらに小さくそれほど端正でないせいか意外と目立ち、このあたりを歩くたびに目にして気になっていたのだった。前道志の大概の山と同じくガイドマップには直接登るルートの記載がないので、この山に行こうとするなら通常はまず近辺のいずれかの峠に上がることになる。矢平山と倉岳山のあいだにある立野峠(たちのとうげ)からは、舞い散る朴落葉の騒がしい音を聞きながら倉岳山に向かったことはあるものの、その反対側の稜線をたどったことはない。ではそのルートを歩いてみようと、年が改まったばかりの頃に出かけていった。


峠越えもしたことのある立野峠だが、今回はかなりの睡眠不足で登り着くことになってしまった。このあたりの山域は家から比較的近く、明日は山だ、とわかっていながら「出発は少々ゆとりがある」とばかりについつい前夜遅くまで起きていたからで、山に向かう朝の電車のなかで少しは寝たものの、まだまだ眠い。加えて本日は底冷えがして、1,000メートル未満の標高だというのに上着と帽子と手袋が脱げない。頭上は雲が重たく、雪催いと言うにふさわしい空模様だ(実際、翌日にこの一帯では雪が降ったらしい)。それでも峠からは明るい枯木立の続く平坦な道で、左の植林が赤松の林になると扇山や権現山の眺めが開け、快い。
だが残念ながら散策気分は長く続かず、急降下を皮切りにアップダウンを繰り返すようになる。天気はよくないとはいえガスはないので、左右の見通しのよい登りで振り返れば、倉岳山が寒空にすっきりと背を伸ばしているのが見える。道志側には秋山二十六夜山が大きい。その背後には道志の山が屏風を成す。左手に鋭く尖っているのは丹沢の蛭ヶ岳だろうか。谷間に視線を送れば、秋山の集落はすぐに下りていけるような近さだ。これに対して中央本線側の集落はかなり低く、そして遠い。バス網の発達する前、秋山の人々は峠を越えて桂川流域を往復していたのだろうが、彼我の距離と高低差に何度となく「遠いなぁ」と嘆息をついたものだろう。
倉岳山
倉岳山遠望
さらに進めば舟山で、標識がなければどこが山頂だかわからない長い頂稜は眺めもない。ゆるやかに暗い植林のなかを下っていくと、秋山二十六夜山の山行の帰りに越えた寺下峠となる。以前に来たときと同じ静けさにしばらく浸ろうかと思う間もなく、後ろから単独行のハイカーが上気した顔で追いついてきた。このひとは立野峠への登りでいったん追い越したものだが、そのとき別な登山者に「高柄山(たかつかやま)まで行くんです。でも行けるかどうか」と自己紹介していた。この季節にしては長距離を行くとわかっていたようで、寺下峠では休憩もそこそこに「いやー高柄山までなんでー先が長いですからー急がないとー」とか言いながら出発していった。
ガイドマップ上では矢平山に登る前に丸ツヅク山というのを越えなくてはならないが、うまい具合に山腹をトラバースする踏み跡があったのでこれを歩いて鞍部に出て、そこから20分少々の急な登りで矢平山の頂に着いた。土の出た小広い平坦な山頂だが、周囲は木々に囲まれて展望は梢越し。それでも雰囲気は好ましい。閉塞した空間が大きすぎる倉岳山の頂より「まとまった」感じで、遠目に見るのと同じ素直な山頂だった。
しかし寒い、暖かいものが食べたい。登りで体温が上昇したままのうちに急いで湯を沸かし、インスタントラーメンを作る。食べ始めると、律儀に丸ツヅク山を越えてきた高柄山おばさんが「あー失敗しましたぁー」と言いながら登ってきた。追い越したはずの相手が先に着いて食事までしているのだから、がっかりもするだろう。
この方に親近感がわくのは、身にまとうお茶目な雰囲気のせいばかりでなく、ガイドブックとは異なるコースをアレンジして自分なりの山にしようとする工夫が感じられるからだろう。聞けばこのあたりは縦横に歩いていて、高畑山から道志の朝日山までの縦走をしたこともあると言う。先月歩いたばかりのそのルートを同じくトレースしていた物好きに早々に出会うとは正直言って驚きだが、平静を装って「それはわたしもこの前やりました」とお返しをする。罪のない見栄の張り合いのあと、おばさんは再び「ではお先に」と言って先行していった。


ちょうど30分休憩して矢平山から下り、旧大地峠というところに着く。ここから道は二手に分かれ、左に行くのは新大地峠を経て高柄山に続くメインルートで、右のは甚之函山(じんのはこやま)という小さな山に向かう。予定では後者の山を往復し、それから新大地峠まで出て中央本線側に下るつもりでいたが、「どんなところかな」と計画に組み込んできたものの、目前の山を見ると植林が優勢で展望もなさそうだし、行くかどうかしばらく逡巡するのだった。
けっきょく、まだ時刻も早いしやっぱり寄っていくか、と行きかかると、驚いたことにまたまたさきほどのかたが現れるのだった。「道を間違えちゃったぁー」とか言いながらこちらが行こうとする方向から下ってくる。登るつもりのない山への道に入り込んでしまったらしい。追いつくのはこれで三度目で、「なにをしてるんですか....」と当方も思わず呆れ顔になる。あまり道草を食っていると日の短い季節だから下山時に暗くなってしまう。焦らず落ち着いて行きましょう。
甚之函山はどうにもはっきりしない山頂で、南側の植林が育ってしまって全く見通しがわるい。赤松の幹のあいまに道志の山が見えるくらいだ。早々に往路を戻る。旧大地峠から新大地峠に出ると、高柄山への道と四方津(しおつ)駅への道が分岐していて、右手を見上げれば先ほど立ち寄った甚之函山がすぐそこだ。昔のガイドでは「山頂にある一本松がこの山の目印だ」とか書いてあるが、今ではよく育った植林のなかに埋没してしまって全然わからない。もはや登る山でも眺める山でもなくなってしまったようだ。これも里近い低山にありがちな変遷の速さのせいだろう。
寺下峠から四方津に下る
寺下峠から四方津に下る
ここから大丸という山の斜面をショートカットし、昔ながらのしっかりとした峠道に出る。植林の道を15分ほどすると雑木林に変わり、そのまま麓まで続く。道ばたのあちこちに腰を下ろしてお茶にするに佳さげな場所があるが、あいかわらず寒くて立ち止まる気にならず、休みをとらないまま駅まで歩き通した。途中からは、昨夜の寝不足が本格的に効き目を発揮し始め、歩きながら眠気で何度も目が閉じそうになった。これは危ない、ひとのことを笑ってはいられない。山行前夜はよく眠るようにしなければ。
2001/1/7

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