立野峠から秋山二十六夜山梁川駅から秋山二十六夜山

今でもあるかどうかは知らないが、中世から近世にかけて「月待ち」と呼ばれる行事があったらしい。平凡社の『世界大百科事典』によると、これは定まった月齢の夜に月の出を待つもので、当初は月の神を祀る厳かなものだった。意外と種類が多く、三日月待、十六夜待、十七夜待、十九夜待、二十二夜待、二十三夜待、二十六夜待などがあるとか。このうち、江戸時代では二十六夜待が広く行われ、「とくに正月と7月の二十六夜は,高台で海を臨む場所から月の出を待って,徹夜したという」。後世にになるにしたがい、「月待ち」は宴会や遊びの要素が強くなって、農村の休養を兼ねた娯楽になったそうだ。
ここ秋山村でもかつて二十六夜待ちが行われていたそうで、その集合場所の山がそのままの名で呼ばれるようになったのも自然な流れだろう。ハイカーからはすぐ近くにある道志の今倉山に連なる同じ名の山と区別するために、地名の「秋山」を冠して秋山二十六夜山と呼ばれる。
この山は上野原からバスで麓まで来て登り出せば標高差も少なくなって簡単だが、これだけでは歩きごたえがないので、帰りに寺下峠を越えて中央本線に出るコースがガイドブックで紹介されている。だがそれでも物足りない。以前から越えてみたかった秋山山稜の立野峠の下り着く先がちょうどこの山の登り口となっているので、ここは中央本線梁川駅から立野峠を越えてこの山に登り、帰りは寺下峠を越えて梁川駅に戻ることにした。峠越え二つに民俗のいわれを持つ山に登るとあれば、日帰りの山旅としては十分な内容のものになるだろう。


一 梁川駅から立野(たちの)峠越え
月夜根沢の主
梁川駅は土曜の朝だというのにハイカーが少ない。駅からの交通機関もないし、ここから行く場所と言ったら自分が向かおうとしている立野峠くらいだからわからなくもないが、そこへのコースは決して悪くないのでもう少し人がいてもいいと思える。とはいえ人が多ければ多いでうるさくなるだろうし、要するに自分の価値観を人があまり認めてないように思えるのが癪なだけだ。朝から何を考えていることやら、こんな自分は相手にしないで先を急ごう。
一ヶ月前の倉岳山のときに来たので勝手は分かっている。車道を10分ほどで山道に入り、わりと平坦な道を歩いていく。ここは山稜の北側の谷で、この前は昼過ぎに登りだしたので明るかったが、今日はまだ日が回らず沈んだ雰囲気だ。
沢を右に左に見ながら小さなナメと釜を見下ろすようになると、谷間が少し開ける。斜面は淡く輝く落ち葉で一面に覆われており、空いた天辺の真下に進んで周囲を見回せば、沢の両側に何の木だかわからないが堂々たる老木が何本か、沈思する賢者達が集っているようにも見える。とくに沢の向こう側に立つ節くれ立った木の重々しさには目を惹かれる。これからここを密かに「長老の谷」と呼ぶことにした。
植林のなかを行くと、再び谷が開けて沢が二手に分かれている。左手の沢に沿う道に入れば、すぐに涸れ沢となり、いままであった水音が消えて足音だけが聞こえるようになる。植林の暗い斜面をジグザグにからんでいくのがこのコース初めての登りらしい登りだ。小さな尾根を乗り越すところで左手に視界が開け、明るい扇山が望まれる。すぐまた日の当たらない尾根沿いの道を詰めていくと、行く手の梢の合間に空を透かし見るようになる。
立野峠はいつ来ても明るい峠だ。一ヶ月前は風が騒がしく吹き渡って盛りの紅葉を散らしていたし、本日は風はないものの辺りはすっかり冬の様相となっているが、目の前に大きく鎮座する秋山二十六夜山は日差しが回って穏やかそうな表情で、彼方には逆光になっている道志の主稜線が望まれ、すぐ近くには清澄な光を身にまとう自然林がひっそりと広がっている。予定通りここで腰を下ろしておにぎりの包みを開けることにしよう。
食事を終え、二十六夜山を眺めながら下っていく。こちらは南面なので日差しがあふれて暖かく、紅葉の名残もそこここの梢に残っている。落ち葉で土が見えない道を気持ちよく辿っていくと、15分ほどでこちら側の主とも言えるようなケヤキが2本、山道のそばに立っているのに出会う。
しかしこのケヤキを見送ってすぐ植林のなかに入ってしまい、あんなにたくさんあった落ち葉も足下から消えた。ようやく里近くの林道に飛び出してすぐ右手に下る分かれ道を行くと、学校の校庭に出てしまった。今日は休みのようで、子供達の手書きの絵が貼られた鶏小屋の前を通って門から車道に出る。ここは秋山村の浜坂というところだ。目の前に食料品店があり、自動販売機で清涼飲料水を買って一休みした。


二 秋山二十六夜山
山頂近くの二十六夜待ちの広場
浜坂から二十六夜山の登り口である林道入り口まではすぐだった。背後には明るく日を受けた前道志の稜線が穏やかにこちらを見下ろしている。管理棟が少々荒れた感じのするキャンプ場のバンガローを見送り、なぜかその上にある別荘地らしき建物を左右に見ながら舗装道を上がっていくと、ようやく土の道となり、山の雰囲気となる。
見通しの利かない植林の林のなかを行くと道を塞ぐようにあずま屋が立てられている。以前はここからの眺めがよかったのだろうが、いまではただ腰を下ろして休むだけだ。そのさき、右手は雑木林となっていくらか眺めはよくなり、かなり急な登りを強いられたかと思うと平坦な場所が続いたりと短いながらも変化がある。
あずま屋から半時も登ると大きな岩が現れ、ここに乗ると展望が一気に開ける。つい最近歩いた倉岳山から高畑山、そこから大ダビ山、高岩、日向舟からサンショ平までの稜線がきれいに見え、感慨に浸りながら山名の特定に時を過ごした。倉岳山と高畑山のあいだには小金沢連嶺、高岩と日向舟のあいだには三ツ峠山が望まれる。けっきょくここが本日いちばんの展望だった。
ここのすぐうえに2、3人が休むのにいい平坦なコブがあり、もう昼時なので山頂は人が何人かいるだろうからここで大休止することにする。道志の赤鞍岳を見上げながら食事をし、コーヒーを飲む。出発するとすぐに20人ばかりの団体が賑やかに下りてくるのに出くわした。「こんな道、下るのはいいけど登れないよ」とか言っている人もいたが、それを登ってきた当方はどう見えたことやら。先頭のリーダーらしき人は山の説明をするのに大忙しで、目の前ですれ違おうとしている当方が目に入らない様子だ。グループの中程の人に注意されてようやく脇にどいた。
ここから少々急な道を上がると頂稜となり、おそらくミズナラだろう、実に気持ちよい雑木林のなかの散歩道となって、そぞろ歩きをすることができる。その途中から山頂へ分岐する道が分かれており、雑木林のなかをゆるやかに曲がっていく。小広く切り開かれた頂に着いてみると誰もおらず、静かなものだ。ここは西面が開けているとガイドにあったが、すでに植林が生育して見通しはわるい。反対側は自然林で、こちらも遠望が利かないが、気分は落ち着く。木の幹を眺め、空を仰いで、山頂を味わう。
分岐まで戻り、そのまま進んで尾崎側へ下山にかかる。少し歩くと、左手に小広く開けた場所があった。おや、と立ち止まってすぐ、ここがかつて二十六夜待ちで人々の集まった場所と気づく。隅に記念の石碑も立っている。つるっとした丸石で、ハイカーの手によるものだろう、薄茶色のホコリタケのようなキノコが一つ、お供えのように置かれていた。
下っていく道は落ち葉で靴が埋まるほどだったが、そのうち植林のなかに入って、車道脇の集落に出る。ここは立て替えが盛んに行われたのか新しい家と庭が多いが、掘り起こされた地面が多く見られたせいで、どことなく空虚な感じもした。


三 寺下峠を越えて梁川駅へ
寺下峠
尾崎の集落から橋を渡って舗装された林道を行く。左手から流入してくる沢を見て、そこから山に入る。のっけから日の射さない杉林だ。左下から水音が聞こえ、山道から覗き込んでみると急斜面の下に岩盤の上の流れが見えるが、水際まで迫る植林のせいで沢が間伐された倒木の捨て場になっていて、おそろしく荒れた感じがする。林そのものは枝打ちもきれいに施され、整然としたものではある。
沢沿いにしばらくなだらかに上がっていき、これを離れてジグザグを切るように斜面を登っていくと峠に着く。単調な人工林に終始した山道で、ときおり明るくなっても、暗緑色の針葉樹が鈍く日を照り返しているだけでは気が晴れないのだった。
右手の矢平山側は自然林だが、倉岳山へと通じる反対側は尾根の両側とも植林で暗鬱としている。ここは十字路なので往来があるだろうと思っていたが、もう15時だからか誰もいない。無人の交差点が寂しいのは、町中も山の中も同じである。すぐそこの木の枝に周囲とは不釣り合いな赤い色があるのがいやでも目に留まる。誰かがくくりつけていった古びたぬいぐるみだ。梁川方面から夕刻を知らせるチャイムが聞こえてくる。他には何も音がしない。
そろそろ寒くなってきた。登り着いたらお茶でも入れようかと思っていたものの、腰を下ろして休む気がせず、小憩だけで下りにかかる。
右手に谷間を見下ろしながら山腹を横切る道を行く。前方には扇山、背後には秋山山稜の矢平山が陰り始めている。しっかりとした過去の峠道は、なぜか崩れやすい斜面を急に下り、ふたたび緩やかになって今度は左手に谷間を見るようになる。延々と平坦な道が続き、さすがに厭きたころ、造成中の林道に出る。
ここから左に行くとだんだん上り坂になり、梁川駅周辺の建物がはるか彼方になっていく。誤りに気付いて元に戻り、右手に進む。この辺りは宅地造成やら橋梁架設やらでかなり変わっているらしい。かなりの距離を歩き下ってコンクリの板が敷かれた狭い吊り橋を渡る。対岸に出て少し登り、車の往来の激しい国道20号を歩くのがいやなので河岸段丘のへりを行く生活道路を拾って駅方面に向かった。その道路が行き止まりとなり、国道に出ざるを得なくなると、今朝出発した駅は目の前だった。
2000/12/9

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