水燿通信とは
目次

171号

山頭火の〈健康さ〉

 山頭火(の作品)を好む人は大変多い。そういった人のある部分は放哉をも好む。しかし山頭火はいいが放哉はどうもという人も少なくない。一方、放哉はいいが山頭火は好きではない、という人間はあまり居ない。私はこの最後の少数派に属する。
 なぜそうなのか。一つには山頭火があまりにも人気があるので、別に私まで好きにならなくていいだろうといういささかへそまがりの心情がある。
 さらに、山頭火の作品の中に助詞の使い方の気に入らないものがあることだ。文を途中で終わらせる表現の中によく見られる。
いつまで旅すること爪をきる
草の実の露、おちつかうとする
庵主はお留守木魚をたたく
あかあか燃える火、ふと泊る
あすは元日爪でもきらうか
蚊帳の中まで夕焼一人寝てゐる
 こういった助詞の使い方に、私は自己肯定と甘えを感じ不快感を覚える。1960年代、学生運動の盛んだった時期に大学生活を送った私は、学生運動の当事者ではなかったもののあの当時盛んに叫ばれた“自己否定”という言葉が知らず識らず身にしみついていて、いまだに自己肯定的な人間には馴染めないものを感じるのである。
 だが、それだけだろうか。もっと本質的な理由はないのだろうか。自分のことながら、そんな疑問をずっと抱いていた。
 ところで先日、私は山頭火の句を好んで書くある女性の墨作品展に行った。その日、私は彼女と少し話がしたかったのでしばらく会場に居たのだが、その間幾人もの人が会場を訪れては出て行くのを見た。彼女に挨拶したり、作品の感想やお互いの近況を語り合ったりしている人々を見ながら、私はそれらの人たちにある共通性を感じた。彼女たち(女性が多かった)はみんなとても元気だ。健康で、現実にしっかり足をつけて生活している、といった印象を与える人が多い。そうか、山頭火はこういった人たちに支持されているのか……。
 私はそういった女性たちが山頭火に惹かれるさまを想像してみる。
 健康で現実にしっかり足をつけて生活している人たち。もちろん、その人たちとて、日々の生活の中では心屈することもあろう、時に現実のしがらみから解き放たれたいと思うこともあろう。そんな時、現実から逃れるようにして旅を続けた山頭火の生きざまやその様子を描いた俳句は、大きな慰めをもたらしてくれるのではないだろうか。
 山頭火は、酒に溺れる自分、他人の懐をあてにして生きるだらしない自分を恥じ、“だめだ、だめだ”と言いつつも、同じ駄目さを繰り返し、いっこうに変わりも悟りもしていない。その代り、その分読者にも厳しくなく、決して彼らを追いつめたり苦しめたりしない。それどころか、彼らが甘い感傷に浸るのを許してくれる。読者は山頭火のつらさ、かなしさ、さびしさを想い、駄目な彼の人間くささに共感する。そして放浪する山頭火の孤影を描き、自分には決して出来ないその生きざまに憧れを伴ったロマンを感じる。
分け入つても分け入つても青い山
まつすぐな道でさみしい
酔へばあさましく酔はねばさびしく
また見ることもない山が遠ざかる
酒飲めば涙ながる おろかな秋ぞ
どうしようもないわたしが歩いてゐる
年とれば故郷こひしいつくつくぼうし
ほととぎすあすはあの山こえて行かう
 こうして山頭火の作品は一服の清涼剤にも似た効果を読者にもたらす。現実の生活に多少疲れた人々も、元気を回復してまた元の生活に戻っていける。
 だが、これと違った反応もあるだろう。げんに私などは、放浪、漂泊などといったものにロマンや憧れを持つ心性からは遠い。日々のごく平凡にみえる生活の中にこそ人生の真の苦悩はあるのではないかと思っているから、放浪という形をとらざるをえなかった心の動きには関心があっても、そういった生き方そのものに対する憧れなどない。
 それに山頭火の作品が清涼剤的な効果をもたらすというのも、健康な肉体を持った人にして成り立つのではないかという気がする。そういう反応は理解できるのだけれども、病身の私などにはやや違和感があるのを否定できない。
 墨作品展を訪れた人たちの健康な印象を反芻しながら、そんなことを色々考えた。そしてこれまで代表的な作品に接する程度だった山頭火の世界を、この機会にきちんと検証してみる気になった。
こんなにうまい水があふれている
水音といつしよに里に下りて来た
月かげのまんなかをもどる
うごいてみのむしだつたよ
ふるさとの水を飲み水を浴び
日ざかりのお地蔵さまの顔がにこにこ
よい宿でどちらも山で前は酒屋で
ころり寝ころべば青空
 ここに掲げられた作品は、いずれも精神の屈折などの感じられない、まことに健康な感性から生みだされたものといった印象が強い。山頭火の現実は決して生易しいものではなかったかもしれないが、彼の感性はその肉体と同様、意外に健康なものだったようだ。前の5句は山頭火の作品のなかでは質の高い部類に入ると思うが、〈ふるさとの〉の句などに接すると、故郷を徹底的に嫌った放哉の世界に馴染んだ私などには、そのかげりのなさに呆気にとられてしまう程である。また後の3句などは、たわいなさや能天気さに思わず苦笑してしまう。
 更にこの健康さから必然的に導き出される山頭火の特質、それは描かれているのが今であり現実だけだということである。
しぐるるや死なないでゐる
ここを死場所として草のしげりにしげり
おちついて死ねそうな草萌ゆる
昼寝さめてどちらを見ても山
ほつかり覚めてまうへの月を感じてゐる
 たとえ死を詠んでも、山頭火の意識のなかに死後のことや人間の存在そのものに対する想念が浮かぶことはない(少なくとも作品の上では)。描かれているのは、相変わらず現実そのものだけである。
 金子兜太は、「山頭火の自然」(山頭火文庫 二 春陽堂書店刊)の中で、〈この旅死の旅であらうほほけたんぽぽ〉の句に触れ、“「死の旅」という言い方に深刻味がなく、むしろ、毎度のことで、の感じがある”と述べているが、同様のことがここにあげた前の3句についてもいえると思う。
 〈昼寝さめて〉〈ほつかり覚めて〉の2句、後者は病中吟。いずれも山頭火の作品のなかでは出来のいいものと思うが、寝覚め、月といった現実から飛翔しやすい題材を用いていながら、やはりここにあるのは現実だけだ。これと似たような題材を扱った放哉の〈あけがたとろりとした時の夢であつたよ〉という作品には、一瞬自分の居る場所を喪失したような感覚──句のひろがり──と深い悲哀感がある。また同じ放哉の〈酔のさめかけの星が出てゐる〉〈白々あけて来る生きてゐた〉などにも、同様に現実の世界をつきぬける深み、広がりがある。しかし山頭火の作品にはこのような時空のひろがりや奥行きはみられない。雪を詠んだ作品や死の直前の句の中にいくらかの例外があるだけである。
 中村草田男は「山頭火は放哉の模倣だ」と語ったという(註1)。この言葉はもちろん題材や用語だけに関していわれた訳ではないと思うが、山頭火の作品の中には、放哉の句がすぐに浮かんでくるようなものがかなりある。
山頭火放哉
月がうらへまはれば藪かげ墓のうらに廻る
閉めて一人の障子を虫が来てたたく障子しめきつて淋しさをみたす
お堂しめて居る雀がたんともどつて来る
枯枝ぽきぽきおもふことなく枯枝ほきほき折るによし
咳がやまない背中をたたく手もない咳をしても一人
水に沿うていちにちだまつてゆく流れに沿うて歩いてとまる
いちにち物いはず波音一日物云はず蝶の影さす
砂にあしあとのどこまでつづくなぎさふりかへる我が足跡も無く
 こうして、類似の題材を扱った二人の作品を比べてみると、両者の資質の違いがよくわかるように思う。たまたま山頭火のさして出来の良くない作品と放哉の代表作を比較するような形になり山頭火には気の毒に思うが、好き嫌いはともかく、作品の結晶度は放哉のほうがはるかに高いという印象は免れない。そしてここに掲げた山頭火の句も、やはり描かれているのは現実だけだ。
 ところで、私は俳句に関心をもっているが、俳句全体に興味があるというよりは、ごく少数の俳人──例えば中村苑子、松本たかしといった──の作品に惹かれているというのが事実にちかい。苑子はこの世かあの世か定かでない不思議な美しい俳句を作る俳人である。また、たかしは能楽に深く親しんだ経歴を持つせいか、とぎすまされた美意識の感じられる句や、現実ではない別の世界の存在をリアルに感じさせる作品を多く作っている。
放蕩や水の上ゆく風の音中村苑子
桃の世へ洞窟(ほこら)を出でて水奔る
前世(さきしゃう)の桔梗に朝に立ち昏らむ
枯野光わが往く先をわれ歩く
満月のいまを往きたき岬あり
とつぷりと後暮れゐし焚火かな松本たかし
ふと静か歩き来たりて稲架(はざ)のかげ
金魚大鱗夕焼(ゆやけ)の空の如きあり
花散るや鼓あつかふ膝の上
我庭の良夜の薄沸くごとし
 つまり私は、現実の世界だけではなく、それをつきぬけた世界──未生以前や死後の世界──や、現実のすぐ隣りに存在しているかもしれない異次元の世界などを描いた作品に惹かれる傾向が強い。美意識のまさった句に対する嗜好も強い。
 尾崎放哉の句にしても、一見現実を描いただけのようにみえながら、深い哲学的思索にも至るようなひろがりのある作品が多い。私には、放哉の境涯よりも、このような時空のひろがりのある作品の方が、はるかに魅力的なものに感じられる。(註2)。
 そんな私にとって、山頭火の現実そのものしか描いていない作品はいささかあきたりなく、魅力のないものにうつる。さらに健康な感性の作品にも、一種のいとわしさを伴った居心地の悪さを感じてしまう。
 私が一般に人気の高い種田山頭火より、人気のない尾崎放哉のほうに関心がある理由として、作品の質が後者のほうがずっと高いということがあるのは動かせない事実である。だが、これまで述べてきたような山頭火のいわゆる〈健康さ〉が、私にとって放哉ほどには山頭火に関心をもてなくしている最も本質的な理由のような気がする。
*
 今回この稿をまとめるにあたって、私はこれまでざっと目を通す程度だった山頭火の作品になるべく丁寧にあたり、彼に関する評伝も何冊か読んだ。
 そこで最も強く感じたのは、山頭火の酒に対するどうしようもないだらしなさであり、他人の懐をあてにしててんとして恥じない(形としては恥じているのだが、実際にはいっこうに止まず何度も繰り返している)人間性であった。岩川隆著『どうしやうもない私』(講談社)は、山頭火のこのどうしようもない駄目さを容赦なく描いてみせた力作だが、私はこの本を読んでいて山頭火のだらしなさに苛々し、本を投げ出したくなり、読書をたびたび中断せざるを得なかった。同時に、たかられてもたかられても山頭火にお金を工面し続ける句友たちの態度に、あきれを伴った驚きをも感じた。
 句友に対する無心といえば、放哉も同じようなことをやっている。しかし彼の場合、金額はそれ程でもないし、それに放哉がもう長くは生きられないということは周囲の人々の暗黙の了解事項になっており、いわば期限付きの援助であった。だが山頭火の場合、句集刊行、結庵など多額の費用を要するものもあり、また、宿代未払い、無銭飲食の尻拭いから旅の費用など、いつ果てるとも知れないものばかりであった(註3)。
 国文学者斎藤清衛は、親友として山頭火に深い共感を抱きながらも、“かれの側に、かれを甘やかさない某の友がいたことを仮定しうるなら、山頭火の俳句、詩魂は、もっともっと確かなものに到達し”(『大耕』昭和39年9月)たのではないかと述べている。
 だが、果たしてそうだろうか。一面でこの言葉に共感しつつ、私は実生活とそこから生み出される作品とは、別の次元で論じられるべきものではないかと考えざるを得ない。この点に関して、前山光則は『山頭火を読む』(海鳥ブックス10 海鳥社刊)で、興味深い発言をしている。
(山頭火は)ただの乞食ではない。単なる呑んだくれではない。ひとたび端座し沈思すれば、生の矛盾や自身の苦悩をしみじみと語るし、苦吟してキラキラ光ることばの一列を並べてみせる。自由律という手法を身につけた、ことばの錬金術師なのであった。
 こういった異能を持ちあわせた放浪者が、たまに姿を見せる分には、平々凡々たる普通の生活を送る市井の人間にとってこの上ない精神的活性剤となる。…………各地で俳友を訪ねると、それまで埃にまみれノミ、シラミをたからせて歩いてきた乞食同然の行乞僧は、たちまち先輩俳人として大変身を遂げ、句会の上座にすわってもてなしを受けたのだった。……金銭的な迷惑を受けたって、ちっとも苦言を呈しないような支持者がいてくれたのである。……
 友人たちは、山頭火を援助したり接待することで俳句世界に遊べるだけでなく、も少し無頼な小宇宙をかいま見ることができていたのである。……山頭火には甘やかされて構わぬだけの「役割り」が生じていた。
 見事な分析であり、とくに末尾の「役割り」の視点はすぐれて説得力がある。
 おそらく山頭火は、酒に溺れ友人にたかり、無責任に旅を続けたがゆえに、高いレベルの作品を生み出したのだ。一念発起してまっとうな生活に入っていたら、今日多くの人々が愛してやまない作品の数々は存在していなかっただろうと思う。
(註1)20代の前半、詩誌「詩園」に属していて、風来居に住む前後の山頭火と関わりのあった山口市在住の詩人和田健は、『山頭火の話』のなかで、“かつて私は講演で来山した俳人中村草田男に宿で会ったが、「山頭火は尾崎放哉のまねだよ」と一笑に付され、頭にカッときたことがある”と述べている。
(註2)「水燿通信」でこれまで発行した尾崎放哉に関するものは次の通りです。
9号〈花火があがる空の方が町だよ〉尾崎放哉
97号放哉晩年の日々
107号放哉の鉦叩き
109号浪音淋しく
156号放哉再読
163号放哉終焉の地南郷庵
167号井泉水再見
169号『暮れ果つるまで 尾崎放哉と二人の女性』小山貴子著
(註3)大橋毅著『証言 風狂の俳人 種田山頭火』(ほるぷ出版)の中で、和田健は“(山頭火の死を知った時)ホッとしたというのは、つまり山頭火は我々のような貧しい者には、彼を接待するというのは大変なことだったんです。一部の人を除いては山頭火熱烈歓迎というわけにはいかなかったのではないかと思います”と証言している。山頭火の周辺にいた人間の偽らざる声のひとつであろう。
(1999年7月1日発行)

※無断転載・複製・引用お断りします。
発行人 根本啓子