初春はワルツに乗って

小野田 学

新玉の歳は明けた。 平成22年。
 平凡な生活に明け暮れている僕には、昨日の大晦日から1夜明ければ今日の元日。 そんな流れの中に「歳が改まった」と言う実感はあまり無い。
 それでも、会う他人ごとに「明けましておめでとう」の挨拶を交わし、雑煮を祝い、正月らしいご馳走の2、3の美味を味わうことで漸く「我が家にも正月がやってきたのだ」ヲ思うひと時である。

昨夜は、紅白も終わり近い頃になって(紅白などここ10数年来ほとんど見聞きしないが)家族一同近くの檀那寺と氏神に詣でる。 「家内安全、長寿息災」を祈願する。
 神様仏様もこの時ばかりはむやみやたらな忙しさに追われるときであろうなどとつまらぬことがふと思われる。
 寒風吹き荒び、小雪さえ舞い落ちて震えあがるほどの寒さ。 寺や氏神での振る舞いのぜんざいや豚汁をゆっくり味わうほどの落ち着きも無く、盛大に焚かれている篝火に近づいても暖を取り、隣人と談笑を交えるような落ち着きさえ得られないほどの寒さ。 小雪に追われながら帰宅を急いだのだった。

元日の昼近くなって、外孫3人が尋ねてきて、孫5人が揃う。
 この爺さんからもささやかながら お年玉を手渡す。
 これが目的で外孫もやって来たに違いあるまい。 僕にもそんな頃があっただろうか。

数多賀状の整理。 そして、8、9通の返信。 これらも例年の倣い。 後は点字本の読書三昧。

早めの夕食を鱈腹馳走になった後、離れに篭ってウイーンフィルの「ニューイアーコンサート」の実況中継を心行くばかり楽しむ。 これも、ここ20数年間も欠かさず続けている正月の習い。

愛聴の大型ステレオセットをがんがん鳴らして(隣家への気遣いは無用とは真にありがたい)、ウインナワルツの6拍子やポルカマズルカのあの軽快な3拍子のリズムにすっかり酔いしれたのだった。
そして、2時間近い中継の終わり近くなって、これもニューイアーコンサートの恒例のアンコール曲3曲。
 2曲目はオーストリアの第2の国歌と言われるほどの「美しく青きドナウ」のワルツに酔いしれる。
 そして、最後はこれも恒例のラデツキー行進曲の勇壮なリズム。
 今年のコンサートがどのような演出だったかはテレビでないため分かりようはないが(否テレビであっても僕には分からない)、大方は指揮者が観客に向かって挨拶をしている間に、太鼓などリズム楽器が行進曲のリズムを刻み始めてしまう。
 指揮者がストップをかけようがそれを無視して太鼓がリズムを刻み続ける。
 指揮者が「仕方ない」と言う様子の内に楽団がかってに行進曲を奏し始める。
 指揮者は楽団に背を向けて ーー ホールの観客のほうを向いて ーー 観客の拍手の指揮を取るという演出ではなかっただろうか。

この有名な行進曲が観客の手拍子の内に終わったとたんに、観客が一斉に立ち上がって雄叫びにも似感激の声を上げる。
 「これで今年も漸く歳が明けた」喜びをあのウイーン学友協会の大ホールを埋め尽くした観客がともどもに感激をかみ締めてあげた雄叫びであろう。

わが国からもこの「ニューイアーコンサート」観照のためのツアーが毎年企画・実施されて居るとか。
 その入場券がよういに入手が叶わず、1枚20万円くらいには跳ね上がっているとは数年前に聞いた話である。

その余韻と雰囲気をかみ締めながら、母屋に戻ったのは夜10時近い頃だったか。

かくて、正月の1日が暮れてゆく。 明日の宵は初夢とのこと。 吉夢に恵まれることを期待したいのだが、宝船とか回文とか言うものにとんと興味もない僕などには吉夢など期待するほうがどだい無理と言う者だろう。
 戦前の文人の某の「春は馬車に乗って」の広言に倣って、僕は「初春はワルツに乗って」と言う心境だろう。

かくて、僕の平凡きわまる元日は暮れていったのである。