孫の誕生に寄せて

永田敏男

我々障害者にとって、自分の娘や息子が結婚して身を固めるまでは、どんなに悩んだり、心配したりするかは、当事者でないと想像のつかない所だろうと思います。
私の息子も、長く付き合っていた彼女が、去っていき、元気のない彼を見ると、我々のような障害者は、子供を作ってはいけないのではないかと、後悔と苦悩に打ちひしがれたものでした。

物事は、ネガティブに考えていても始まらない。そして、否定の深みに入ってしまうと、そこには絶望と命の果てを見るだけである。
 私は、考えました。とにかく晴眼者と同じような構えを作ることだと。

そして、がむしゃらに土地を買い、家を新築したのです。
 経済的に安定しないこの業界の中で、それは、冒険に近い決意でした。しかし、息子たちの将来を考えると、その方向はやむをえない選択でした。
狭い土地しか買えないので、33坪という面積に延べ63坪強の3階建てを作り、現在生活しているというわけです。
 これは、自慢ということではなく、必死の選択の上に成し遂げたもので、これからの皆さんに、何か参考になればと恥を偲んで書いている訳です。

そんな紆余曲折を経て、長男夫婦にこの5月、女の子が誕生しました。そして、次男も、今年の11月には挙式の運びに、忙しそうに計画を練ったり、式場との交渉に頭を痛めているようです。

そんな我が家の背景において、孫が誕生したのです。その嬉しさで5月22日が、晴れていたのか、私がどんなことをしていたのか、全く記憶がないのです。

前の日に、陣痛が来たというので、入院したという連絡がありました。どうか無事に生まれてくれと、日ごろ神様にご無沙汰している私でも、つい祈りの言葉が出てしまいました。
そして、5体満足な子供が生まれるように、これ以上私どもをどん底へ落とさないようにと、本当に祈りました。

次の日、5月22日の午後2時ころに連絡があって、無事に生まれたということでした。
私は、飛んでいって耳や目や、体をくまなく調べたい衝動にかられたというのがその時の偽らざる気持ちでした。

もちろん、仕事があるので、女房とお婆さんを行かせて、私はやきもきしながら仕事をしたというわけです。

その週の日曜日、正確にいえば、次の週の日曜日というのが正しいのかもしれませんが、病院に向けて孫に会いに出かけました。我が家と嫁さんの実家と、当人である長男夫婦に、赤飯と鯛の塩焼きを携え、まず、行く途中にある嫁さんの実家へよって、それを届け、この1ヶ月間お世話になる旨、お願いと少し当面の生活費を渡し、挨拶をし、喜びをも共にしたということです。

病院というと、暗いイメージが強いのですが、産婦人科だけは、皆さんにこにこして明るい雰囲気で嬉しそうです。
そういう私も例外ではなく、嬉しさは隠すことができない思い出いっぱいでした。

生まれて4日目の対面です。目で対面する人たちは、父親に似ているとか、嫁さんの実家のお父さんに似ているとか、やはり視覚で対面するのは当然でしょうが、私は、触覚しかないのです。
かつて、私も二人も息子に恵まれ、二人とも抱いたはずなのに、今記憶を辿ってみても、どういう感動を受け、どんな感想を持ったのかを、総て思い出せないのです。
若くて、そういう感性がなかったのか、あるいは、生活のことで精一杯だったのか、どうしても思い出せないのです。
それに比べ、この孫の息遣い、柔らかい頭の毛髪、そして、なんといっても動きの止まらない手足の活発さ、あまりにも柔軟すぎる体は、抱いても軽くて重さが感じられない。
私のぎごちない抱き方にお婆さんが直してくれたのに、ついにたまらずに泣き出してしまった。慌てて嫁さんに渡して難を逃れた。ここが自分の子供と孫の違いかもしれない。
自分の子供なら、誰に返すことなく、なんとかしなければならないところだろうと思います。
しかし、 母親に抱かれれば、安心するのかご機嫌も良くなるのですから、ここで既に母親の重要性を感じたものです。

あまりにも来客が多いので、早々に帰ってしまいました。母子共に無事で元気だったので、そして何よりも、5体満足だったので安心して帰りました。

1週間たって、嫁さんの実家でお七夜を祝ってくれるというので、またでかけました。立派なお膳で、命名の経緯など、いろんな話題を話し合いながら食事を終え、再び、孫に面会です。小さなベッドに小さな布団で、すぐに私から握手を求め、本当にもみじくらいの大きさしかない手を握ったのです。この子が私と血のつながりを持っていることに、やはりどこかいいしれない可愛さと結びつきを感じたものです。

この文章を書いている時点では、3週間を超えています。今度の日曜日には、嫁さんも息子宅へ帰ってくる予定です。しかし、世の中が、犯罪は横行し、経済は極度に衰退して行くこのごろ、この子が幸せになれるかどうか、ここにも不安が付きまといます。

私の体験を、こんなに詳しく話すのは、有気がいりますし、読む人にとっても、あまり参考にはならないかもしれません。障害者の生活の一端が、どんなに不安と苦労の中に生活しているか、そして、四方から否定的な圧力の中で生活しているか、そんなことを実感していただければ、この文章のあからさまな姿が役立ったものとして筆者の満足とするところです。