日本の歴史認識南京事件第5章 事件のあと / 5.3 太平洋戦争への道 / 5.3.4 日米開戦に関する異説

5.3.4 日米開戦に関する異説

これまで述べてきたことは、多くの歴史学者が支持する通説をベースにしているが、以下はこの戦争を「大東亜戦争」と呼ぶ人たちが主張する説の一部である。

(1) ハル・ノートはソ連のスパイが作った!?

{ … ハル国務長官とは全く関係のないところから別案を持ってきた人物が現われます。米財務長官次官補のハリー・ホワイトという男です。… 当時アメリカ国務省関係のところで、300人ものアメリカ人がソ連のスパイとして活動しており、その一人がスターリンの命を受けたハリー・ホワイトという共産党員であったということです。そのハリー・ホワイトが書いた案は、満州およびシナからの即時全面撤兵、シナ政府は蒋介石政権以外に認めない、など日本が絶対に呑めるわけもない内容でした。これを通称「ハル・ノート」と言っているわけですが … }(渡部昇一,田母神俊雄:「誇りある日本の歴史を取り戻せ」,P141-P142)

秦郁彦氏は次のように反論する。

{ アメリカ政府はホワイトがスパイだったとは断定していない。しかもホワイトは日本語を読めないんです。対日専門家になり得ないですよ。}(秦郁彦:「田母神現象と昭和史論争」,WILL2009年8月号,P323)

{ ハル・ノートとモーゲンソー案が別なものであることは両者を比べてみれば明らかで、ハル・ノートは間違いなく国務省極東部で作られたものなのである。}(秦郁彦:「陰謀史観」,P193)

※ "モーゲンソー"はハリーの上司で財務長官。ハリーが書いたといわれているものはモーゲンソー案としてハルに提示された。

→ハル・ノートについての詳細は、このサイトのトップページ左下にある「小論報」というコーナーにある「ハル・ノートの謎」というレポートを参照ください。

(2) アメリカは先制攻撃を仕掛けようとした!?

{ 1945年9月の段階で、ルーズベルトは … 日本に先制攻撃を仕掛けようとしていました。当時アメリカの統合参謀本部が出したいくつかの案の中にシナ大陸に数百機の飛行機を持っていき、そこから日本を爆撃するという一案がありましたが、それにルーズベルトはゴーサインを出していたのです。もしこれが実行されていれば、日米開戦は9月何日かにアメリカから仕掛けたことになっていたはずですが、そうはなりませんでした。シナに持っていくつもりの飛行機がヨーロッパで必要になったからです。…}(「誇りある日本の歴史を取り戻せ」,P143)

秦郁彦氏は次のように反論する。

{ 蒋介石に依頼されて … 武器貸与法の枠で数百機の戦闘機や爆撃機を … 中国へ送り込み、11月1日以後に東京や大阪空襲が可能な体制を整備する … 大統領の署名ももらった。だが、… 爆撃機は優先度の高い対英援助に転用されてしまい、届いたのはフライング・タイガースと命名された約100機のP40戦闘機だけ、それもビルマで訓練中に日米開戦を迎え、… 私には最初から「絵に描いた」餅も同然としか見えない。なぜなら、供与予定のロッキード・ハドソン軽爆撃機の航続距離は3400キロ、発進予定基地の珠州から東京まで2660キロ、往復爆撃は不可能と言ってよいからである。}(秦郁彦:「陰謀史観」,P189)

(3) 「大東亜戦争」は東南アジアを解放した!?

{ 大東亜戦争という言い方は、大東亜共栄圏、すなわち欧米から切り離した形でのアジア経済圏をつくる目的の戦争を意味しています。つまり、石油まで止められた以上、日本という国は黙っていては死を選ぶしかない。もはや生きていくためには、自衛手段としての戦いを挑むしかないのだという意味合いを、この言葉に込めたのです。
不戦条約の発案者のアメリカの国務長官自身、侵略戦争を定義して「国境を越えて攻め込むのみならず、重大な経済的不利を与える行為」と言っています。… 日本を経済封鎖したのは、アメリカの日本に対する侵略戦争でした。
実際、日米開戦が始まると日本は、大東亜戦争の名前通りタイを除き白人国家の植民地となっていた東南アジアの国々に次々に乗り込んで白人と戦い、白人を追い払います。… 日本は東南アジアを白人の手から解放したのです。}(「誇りある日本の歴史を取り戻せ」,P153-P154)

以下は、大杉一雄氏の主張である。

{ 侵略か、自衛かの国際法上の定義は不明確であり、不戦条約ではそれを決定するのは当事国(自己解釈権)という前提にたっていたから、すべての戦争は自衛戦争となり得るので、この角度からみることは適切ではない。 … むしろ実態に即した判断、すなわち武力をもって外国における権益の獲得あるいは既得権益の拡大を謀ったものを侵略とする方がわかりやすい。…
日本にアジア解放の思想があったことは事実だが、開戦経緯をみれば、資源確保以外に他国のことを顧みる余裕などはまったくない状況に追い込まれていたことが判然としよう。開戦の詔勅にもアジア解放などの文言はまったくない。…
かりに日本による民族解放が実現したとしても、アジア諸民族は日本に従属しその支配下にとどまるだけであり、真の独立から遠いものだったであろう。… 一方、この戦争が契機となり、結果として、アジア諸民族の独立が促進されたことも事実なのである。}(「日米開戦への道(下)」,P347-P349)