(原審:東京高判平成9年9月10日(平成6年(ネ)第3790号))
<事案の概要>
Y(被告,控訴人,上告人)は,発明の名称を「半導体装置」とする特許権(特許第320275号。以下,「本件特許権」といい,その発明を「本件発明」という。)の特許権者である。
Yはは,名称を「半導体装置」とする発明(以下,「原々発明」という。)についての特許出願(特願昭35-003745号(以下,「原々出願」という。))をした。その後,名称を「半導体装置」とする発明(以下,「原発明」という。)について分割出願(特願昭39-004689号(以下,「原出願」という。))をした。さらに,本件発明について分割出願をした。その経緯は,以下のとおりである。
昭和35年2月6日 | 原々発明について特許出願(1959年2月6日,1959年2月12日の各米国特許出願に基づく優先権を主張) |
昭和39年1月30日 | 原発明について特許出願(上記各米国特許出願に基づく優先権を主張) |
昭和40年6月26日 | 原々発明について出願公告(特公昭40-013217号) |
昭和42年6月21日 | 原発明について拒絶査定 |
昭和42年10月17日 | 原発明について抗告審判請求(昭和42年審判第7571号) |
昭和43年3月29日 | 原発明について「本件抗告審判の請求は成り立たない。」との審決 |
昭和43年9月4日 | 原発明について審決取消訴訟の提起(昭和43年(行ケ)第116号) |
昭和46年12月21日 | 本件発明について特許出願(特願昭46-103280号。以下,「本件出願」という。 上記各米国特許出願に基づく優先権を主張。その後,1959年2月12日の米国特許出願に基づく優先権主張失効。) |
昭和47年4月26日 | 本件発明について上申書提出 |
昭和51年2月5日 | 原発明についての上記審決を取り消す旨の判決(その後,確定) |
昭和52年6月13日 | 原々発明について設定登録 |
昭和52年9月28日 | 原々発明について,特許異議申立による補正に基づく公報の訂正 |
昭和54年10月11日 | 原発明について「本件抗告審判の請求は成り立たない」との再度の審決 |
昭和54年10月15日 | 本件発明について訂正書提出を命じる通知 |
昭和55年6月12日 | 本件発明について訂正書提出 |
昭和55年6月26日 | 原々発明の存続期間満了 |
昭和55年 | 原発明について審決取消訴訟の提起(昭和55年(行ケ)第54号) |
昭和57年3月31日 | 本件発明について拒絶理由通知 |
昭和57年8月27日 | 本件発明について意見書および訂正書提出 |
昭和58年8月11日 | 本件発明について拒絶査定 |
昭和58年 | 本件発明について抗告審判請求(昭和58年審判第95001号) |
昭和59年4月26日 | 原発明についてYの請求を棄却する旨の判決(その後,確定) |
昭和60年1月11日 | 本件発明について回答書提出 |
昭和61年11月27日 | 本件発明について出願公告 |
昭和62年1月26日 | 本件発明についてX(原告,被控訴人,被上告人)による特許異議申立 |
昭和62年1月27日 | 本件発明について訴外日本電気株式会社による特許異議申立 |
平成元年6月30日 | 本件発明について上記各異議申立につき「本件特許異議の申立は理由がないものとする。」との決定及び特許すべき旨の審決 |
平成元年10月30日 | 本件発明について設定登録 |
Xは2つの半導体装置(以下,それぞれを「イ号物件」,「ロ号物件」という。)を製造し,使用し,販売している。
X,Y間には,従来半導体装置に関する特許について期限を平成2年12月末日までとする相互実施許諾契約が存していたが,Yが日本において本件特許権を取得したのに伴い,Yは,右契約の更新に際し,本件特許権が半導体集積回路についての基本特許であってXを含む日本の業者が製造販売する右装置のほとんど全てが本件発明の技術的範囲に属すると主張し,このことを理由としてXに対してもイ号物件及びロ号物件を含む種々の半導体装置につき,Xの売上額に対する実施料相当額の金銭支払を要求した。
そこで,Xは,Xのイ号物件及びロ号物件の製造及び販売について,YのXに対する本件特許権の侵害を理由とする損害賠償請求権を有しないことの確認を求めた。
第一審(東京地判平成6年8月31日(平成3年(ワ)第9782号))は,Xの請求を認容した。
Y控訴。
控訴審(東京高判平成9年9月10日(平成6年(ネ)第3790号))は,Yの控訴を棄却した。
Y上告。
<判決>
上告棄却。
「二 原判決は,・・・事実関係の下において,次のとおり判断した。
1 本件出願は,これが原出願の適法な分割出願であるとすれば,旧特許法(昭和34年法律第122号による廃止前のもの)9条1項の規定により,原出願の時にされたものとみなされる。しかし,本件出願は,分割出願として不適法であるから,原発明と同一の発明につき原発明に後れて出願したものであり,本件特許は,特許法39条1項の規定により拒絶されるべき出願に基づくものとして,無効とされる蓋然性が極めて高いものである。
2 また,本件発明は,公知の発明に基づいて容易に発明することができることを理由として拒絶査定が確定している原出願に係る原発明と実質的に同一であるから,本件特許には,この点においても無効理由が内在するものといわなければならない。
3 このような無効とされる蓋然性が極めて高い本件特許権に基づき第三者に対し権利を行使することは,権利の濫用として許されるべきことではない。
三 所論は,右二1及び2記載の原審の各判断の違法をいうとともに,同3記載の判断について,特許権侵害訴訟においては,特許権を有効なものとみなして対象物件が技術的範囲に属するか否かを判断すべきであるにもかかわらず,本件特許権を実質上無効とする判断を行った原判決には,法令違反,審理不尽及び理由不備の違法がある旨主張する。
四 しかし,二1及び2記載の原審の各判断は,いずれも是認することができる。本件については,先願である原出願について拒絶査定が確定しているけれども,先願の特許出願につき拒絶査定が確定したとしても,その特許出願が先願としての地位を失うものではないから(平成10年法律第51号附則2条4項,右法律による改正前の特許法39条5項参照),本件出願は特許法39条1項により拒絶されるべきものである(最高裁平成3年(行ツ)第139号同7年2月24日第二小法廷判決・民集49巻2号460頁参照)。また,本件発明は,公知の発明に基づいて容易に発明することができることを理由として拒絶査定が確定した原出願に係る原発明と実質的に同一の発明であるから,本件特許は同法29条2項に違反してされたものである。したがって,本件特許に同法123条1項2号に規定する無効理由が存在することは明らかであり,訂正審判の請求がされているなど特段の事情を認めるに足りないから,無効とされることが確実に予見される(なお,記録によれば,本件特許については,原判決言渡し後の平成9年11月19日,無効審決がされ,審決取消訴訟が係属中である。)。
五 そこで,進んで二3記載の原審の判断について検討する。
なるほど,特許法は,特許に無効理由が存在する場合に,これを無効とするためには専門的知識経験を有する特許庁の審判官の審判によることとし(同法123条1項,178条6項),無効審決の確定により特許権が初めから存在しなかったものとみなすものとしている(同法125条)。したがって,特許権は無効審決の確定までは適法かつ有効に存続し,対世的に無効とされるわけではない。
しかし,本件特許のように,特許に無効理由が存在することが明らかで,無効審判請求がされた場合には無効審決の確定により当該特許が無効とされることが確実に予見される場合にも,その特許権に基づく差止め,損害賠償等の請求が許されると解することは,次の諸点にかんがみ,相当ではない。
(一)このような特許権に基づく当該発明の実施行為の差止め,これについての損害賠償等を請求することを容認することは,実質的に見て,特許権者に不当な利益を与え,右発明を実施する者に不当な不利益を与えるもので,衡平の理念に反する結果となる。また,(二)紛争はできる限り短期間に一つの手続で解決するのが望ましいものであるところ,右のような特許権に基づく侵害訴訟において,まず特許庁における無効審判を経由して無効審決が確定しなければ,当該特許に無効理由の存在することをもって特許権の行使に対する防御方法とすることが許されないとすることは,特許の対世的な無効までも求める意思のない当事者に無効審判の手続を強いることとなり,また,訴訟経済にも反する。さらに,(三)特許法168条2項は,特許に無効理由が存在することが明らかであって前記のとおり無効とされることが確実に予見される場合においてまで訴訟手続を中止すべき旨を規定したものと解することはできない。
したがって,特許の無効審決が確定する以前であっても,特許権侵害訴訟を審理する裁判所は,特許に無効理由が存在することが明らかであるか否かについて判断することができると解すべきであり,審理の結果,当該特許に無効理由が存在することが明らかであるときは,その特許権に基づく差止め,損害賠償等の請求は,特段の事情がない限り,権利の濫用に当たり許されないと解するのが相当である。このように解しても,特許制度の趣旨に反するものとはいえない。大審院明治36年(れ)第2662号同37年9月15日判決・刑録10輯1679頁,大審院大正5年(オ)第1033号同6年4月23日判決・民録23輯654頁その他右見解と異なる大審院判例は,以上と抵触する限度において,いずれもこれを変更すべきである。
六 以上によれば,本件特許には無効理由が存在することが明らかであり,訂正審判の請求がされているなど特段の事情を認めるに足りないから,本件特許権に基づく損害賠償請求が権利の濫用に当たり許されないとしてXの請求を認容すべきものとした原審の判断は,正当として是認することができる。右判断は所論引用の判例に抵触するものではなく,原判決に所論の違法はない。論旨は,原審の専権に属する証拠の取捨判断,事実の認定を非難するか,又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず,採用することができない。
その余の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断及び措置は,原判決挙示の証拠関係及び記録に照らして是認することができ,その過程に所論の違法はない。論旨は,原審の専権に属する証拠の取捨判断,事実の認定を非難し,独自の見解に立って原判決を論難するか,又は原審の裁量に属する審理上の措置の不当をいうものにすぎず,採用することができない。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。」