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※オススメ度:(最低)〜★★★(十分オススメ)〜★★★★★(最高) / 難易度:(易しい)〜●●●●●(難しい)

 
表紙 ★★★  
「サンデイ ドライブ」
塚本晋也製作・主演/斎藤久志監督・脚本/唯野未歩子主演/1998年・日本/86分

 先日友人に誘われて観に行くも、単館上映系で久々のヒットでした(東京渋谷・ユーロスペース)。面白かったです。
 ストーリーは、街のレンタルビデオ屋の店長がアルバイターを誘ってバーベキューを企画。同棲している2人のアルバイター…面倒なので、パンフレットより以下引用。(おどろおどろしい映画のように読めるけど、それ系ではなく、一部設定が非現実的なだけです。)

レンタルビデオ屋の店長岡村とアルバイトの結衣は、ふとした偶然から結衣の同棲相手、真二の浮気を知ってしまう。店内で立ちすくむ二人の前に血を流して横たわる真二。ほんの一瞬の出来事が、店長と結衣を仕事仲間から共犯者へとすり替えてしまった。「ずっと結衣ちゃんのことが好きだった」という店長の言葉も、真二を置き去りにした事実も、うまく受け止めることのできない結衣。二人は真二の兄のワゴン車で、行くあてもなく逃亡する。追跡者のいない逃避行は、時折ピクニックとさえ感じられてしまうほどの曖昧さで、ふたりの前を通り過ぎていく…。

 この映画は何と言っても「ショボい」。レンタルビデオ屋の「てんちょー」も冴えない男であり、アルバイトの結衣も「そこら辺にいそうな女の子」である。そして、何よりも演技がスゴイ。これは演技かと思わせるような、ショボくて、リアルな演技なのだ。それは、独特の長回し(何て言うのかな? 超長いカット)のせいもあるのかもしれない。最初、観ていてヒヤヒヤするが、慣れてくると、まるでドキュメンタリー映画を観ているような気分になってくる。実写のような気分にさせられるのだ。
 この映画を観ると、メディアで通常描かれる物語がいかに演出されたものであるかという当たり前のことに、改めて気付かされる。
 映画とか、ドラマとか、漫画とか、それらはどれも「ショボさ」とは無縁である。(縁があったとしても、洗練された「ショボさ」、いかにも演じられた「ショボさ」、分かり易い「ショボさ」のハズだ。)そして、いろいろな事柄が、くっきりとした輪郭をもって描かれる。セリフもはっきりと誤解なく吐かれる。誤解があるとするならば、誤解の生じる場面として分かり易く誤解させるし、また必ずどこかで誤解は解ける。喜怒哀楽もハッキリしているし、イベント性もあり、物事は象徴的に運ばれる。曖昧さは排除されているのだ。もちろん、それら「デフォルメ」は、限られた時間やページ数の中で分かり易く表現するためには必要になってくることではある。
 しかしながら、メディア漬けにされている私たちはいつの間にか、「何と私の日常には、ドラマ性がないんだろう」と感じてしまう。ところが、本当は「ショボさ」こそがリアルなのであり、実際には「ショボさ」という日常の中にちょっとしたドラマがあるのである。時には大したドラマもあるのであるが、それらは「描かれる・語られる」ことによって初めてドラマであると認識されることが多いのではないかと思う。実際にドラマはあっても、認識しづらいのである。
 また、マスコミの番組で目にする対話形態─ボケ・突っ込み、会話の盛り上げ、リアクション─それらを私たちは、「身に付けなきゃ」と思ってしまいがちだけれども、実際にはそれらこそが不自然なオーバーなものなのではないだろうか。
 私たちは自分自身の「ショボい」日常から別段逃げ出す必要もなければ、それこそが本当はリアルなのであり、安心して過ごせば良いのだということに気付かされる(思い返させてくれた)一本でした(私にとっては)。
 えっ? それと、モテ問がどう関係あるかって? そりゃ、モテ問は「ショボさ」の再発見であり、「ショボさ」からの再出発であるからですよ!

(2000/04 名木太「モテ問通信」2号より) ←一覧に戻る ↑先頭に戻る


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