退職年金の逸失利益算定と遺族年金の控除

最判平成五年三月二四日民集四七巻四号三〇三九頁

【事実】

 Aは、Yの運転する自動車にはねられて死亡した。Yは自賠法三条により損害賠償義務を負う。XはAの相続人である。Aは死亡前に月額五万円の労働収入があった。また、Aは地方公務員等共済組合法の退職年金を受給していたが、Aの死亡によってこの退職年金は支給されなくなった。Aの死亡後Xは地方公務員等共済組合法の遺族共済年金をうけており、支給は継続中である。以上の事実については当時者間に争いはない。XはYに対して、Aの死亡について損害賠償を求めて訴訟を提起した。Xは、Aの労働収入、Aが死亡しなければ受給できたはずの退職年金、慰謝料を損害として、Yに対しこの損害の賠償を求めた。Xは、遺族共済年金のうち現実に支給された部分のみが損害賠償額から控除されることを前提として損害賠償額を算定し、請求をおこなった。これに対しYは、将来受給することになる遺族共済年金も損益相殺すべきであると主張した。第一審は、将来分についての控除を否定した(なお、Aに二割の過失を認め、相殺後控除説によって調整をしている。)。原審も、口頭弁論終結時までに現実に支給を受けた遺族年金に限って損害額から控除すれば足りるとした。これに対してYが上告したのが本件である。

【判旨】

 「一・・2 被害者が不法行為によって損害を被ると同時に、同一原因によって利益を受ける場合には、損害と利益との間に同質性がある限り、公平の見地から、その利益の額を被害者が加害者に対して賠償を求める損害額から控除することによって損益相殺的な調整を図る必要があり、また、被害者が不法行為によって死亡し、その損害賠償請求権を取得した相続人が不法行為と同一の原因によって利益を受ける場合にも、右の損益相殺的な調整を図ることが必要なときがあり得る。このような調整は、前記の不法行為に基づく損害賠償制度の目的から考えると、被害者又はその相続人の受ける利益によって被害者に生じた損害が現実に補てんされたということができる範囲に限られるべきである。」
  「3 ところで、不法行為と同一の原因によって被害者又はその相続人が第三者に対する債権を取得した場合には、当該債権を取得したということだけから右の損益相殺的な調整をすることは、原則として許されないものといわなければならない。けだし、債権には、程度の差こそあれ、履行の不確実性を伴うことが避けられず、現実に履行されることが常に確実であるということはできない上、特に当該債権が将来にわたって継続的に履行されることを内容とするもので、その存続自体についても不確実性を伴うものであるような場合には、当該債権を取得したということだけでは、これによって被害者に生じた損害が現実に補てんされたものということができないからである。」
  「4 したがって、被害者又はその相続人が取得した債権につき、損益相殺的な調整を図ることが許されるのは、当該債権が現実に履行された場合又はこれと同視し得る程度にその存続及び履行が確実であるということができる場合に限られるものというべきである。」
 「二1 退職年金及び遺族年金は、本人及びその退職又は死亡の当時その者が直接扶養する者のその後における適当な生活の維持を図ることを目的とする地方公務員法所定の退職年金に関する制度に基づく給付であって、その目的及び機能において、両者が同質性を有することは明らかである。そして、給付義務を負う者が共済組合であることに照らせば、遺族年金については、その履行の不確実性を問題とすべき余地がないということができる。しかし、法の規定によれば・・婚姻あるいは死亡などによって遺族年金の受給権の喪失が予定されているのであるから・・支給を受けることがいまだ確定していない遺族年金については、右の程度にその存続が確実であるということはできない。」
  「2 退職年金を受給していた者が不法行為によって死亡した場合には、相続人は、加害者に対し、退職年金の受給者が生存していればその平均余命期間に受給することができた退職年金の現在額を同人の損害としてその賠償を求めることができる。この場合において、右の相続人のうちに、退職年金の受給権者の死亡を原因として、遺族年金の受給権を取得した者があるときは、遺族年金の額の限度で、その者が加害者に対して賠償を求め得る損害額からこれを控除すべきものであるが、いまだ支給を受けることが確定していない遺族年金の額についてまで損害額から控除することを要しないと解するのが相当である。」
 多数意見は以上のような理由により、口頭弁論終結時にすでに受給権が発生している口頭弁論終結月(支給月は翌月)までの遺族年金を控除するとした(判旨三2)。
 本判決には三つの反対意見がある。
 藤島昭裁判官反対意見の要旨は次のとおりである。(判旨二2前半部分について)生前支給されていた退職年金は、本人の退職後における一定の生活水準を維持するために給付される生活保障である。したがって、本人の稼働能力と結び付ける余地はない。よって、退職年金は本人の逸失利益として算定すべきではない。被害者の遺族の保護に欠けるようであるが、退職年金にかわって遺族には遺族年金が支給されることが前提とされているのであるから、遺族の保護に欠けることはない。多数意見のような処理によると、遺族年金がすでに支払われた部分では加害者の責任が理由なく減額されることになる。また、将来分については遺族が退職年金分と遺族年金とを二重取りすることになる(報告者補足:退職年金と遺族年金など、複数の社会保障給付が併給されることはなく、双方の支給要件に該当する場合には受給権者が一方を選択する)。公平の見地からして是認しがたい結果になる。他方、退職年金を損害賠償の対象に含めないことを前提とすれば、すでに支給を受けた遺族年金の年金額も将来受給し得る年金額も損害額から控除することを要しない。
 園部逸夫、佐藤庄市郎、木崎良平裁判官反対意見の要旨は次のとおりである。退職年金は退職者の退職後死亡までの稼働能力を表象するものであり、退職年金受給権の喪失を損害として賠償請求できるというべきである。また、被害者が不法行為によって損害を被ると同時に、同一の原因によって利益を受ける場合には、公平の見地から、損益相殺的な処理を図る必要がある。(以上は多数意見の結論と同一である)しかし、退職年金受給者の死亡によって遺族が遺族年金の受給権を取得し、現に支給を受けたとしても、これについて損益相殺的な調整をすることは許されない。遺族年金は、死亡者によって生計を維持されていた遺族の生活水準の維持という目的で支給されるものである。したがって、退職年金受給権喪失と同一の原因による利益ということはできない。遺族年金制度が社会保険制度の一環であり、生活保障機能を果たしている現状にかんがみれば、損益相殺的な調整を否定しても被害者に不当な利益を与え、加害者に過当な責任を負わせることにはならない。
 味村治裁判官反対意見も、退職年金受給権喪失を損害として賠償できることを前提としている。その内容は次のとおりである。損害賠償額からの遺族年金の控除は、すでに支給された遺族年金だけでなく、将来の遺族年金についてもおこなうべきである。将来の遺族年金の受給権は消滅することがありえ、存続が確実であるとはいえないが、このことによりその財産的価値が否定されるものではない。不確実性は将来の遺族年金受給権の価値の算定にあたり勘案することを必要とするにとどまる。したがって、将来分の遺族年金を損益相殺的な調整の対象から除外することは、受給権が財産的な価値を有することを看過して、相続人を不当に利得させるものである。損害賠償の基礎となる退職年金も支給が確実なものではないが、死亡した被害者の平均余命までの将来分につき損害額として算定しているのであるから、遺族年金を利益として算定しないのは一貫しない。したがって、将来分の遺族年金も控除すべきであるが、退職年金と遺族年金とが重複するのは、逸失利益として退職年金額を算定する基礎とした被害者の平均余命の期間であるので、将来分の遺族年金の控除もこの範囲でおこなう。また、前述の不確実性も統計等により蓋然性の数値を求めて算定の一要素とすべきである。

【研究】

(一)はじめに

 本判決は、社会保障にかかわる判決であるということもあってか(共済組合は基礎年金を中心とする社会保険年金体系の一部分を形成している。通常の−−研究職にある方々にとっては「通常」ではないかもしれないが−−サラリーマンの厚生年金保険に該当すると考えていただければよい)、かなり注目されていたようである。各新聞も当日夕刊の社会面で本判決に触れている。三月二四日付中日新聞夕刊は、「遺族年金、損害賠償とは別」という見出しであった。同日朝日新聞夕刊は「遺族年金と相殺せよ」との見出しで報じている。この両見出しが示すように、本判決は、支給済分の遺族年金を損害賠償額から控除し、将来分は控除しないというまったく逆の取り扱いをしており、これが本判決のもっとも注目すべき点であるようであるが、本件にはさまざまな論点がある。おおむね、以下の三点に整理できるように思われる。第一に、まず退職年金受給権の喪失を遺族が賠償請求できる損害としていることである。藤島裁判官反対意見はこの点に反対している。第二に、遺族年金をどの範囲で損害賠償から控除するかということである。多数意見は受給権がすでに発生した部分のみを控除し、将来分の控除を否定した。園部・佐藤・木崎反対意見はすでに支給がなされた部分も控除すべきでないとした。味村反対意見は将来分も控除すべきであるとしているのである。第三は、些細な問題であるかもしれないが、すでに支給がなされた部分で控除をおこなっているのではなく、すでに受給権が発生した(現実の支給月は翌月)部分も控除をおこなっている点である(判旨三3)。このような判断はこれまでの裁判例にも学説にもみられないものである。まず第一点について(二)で検討し、第二点について(三)(四)(五)で検討する。(三)では過去の裁判例の結論を概観し、(四)では裁判例と学説の理由づけをみていき、(五)で結論を示すことにする。第一点と第二点は関連する部分もあるので、(五)では両方の論点のまとめもおこなう。第三点については(五)の最後に言及することにする。

(二)退職年金の逸失利益算定

1・過去の裁判例

 過去の裁判例をみてみると、最高裁は退職年金受給権が逸失利益として損害賠償の対象となり、遺族がこの損害賠償請求権を相続することを前提としている(1)。しかし、この点について直接争われた事件はこれまでなかった(本件判決後、平成一〇年に障害年金について、平成一一年に厚生年金について、最高裁の判決があった。最判平成一一年一〇月二二日民集五三巻七号一二一一頁、最判平成一二年一一月一四日民集五四巻九号二六八三頁)。下級審では、退職年金については損害賠償の対象とするものが多い(2)。ほとんど理由は述べられていないが、退職年金は給与の後払い的性格をもつと述べるものもある(3)。しかし、国民年金や厚生年金保険の老齢年金についての下級審裁判例までみてみると、おおきく状況はことなる(4)。老齢年金受給権喪失を損害賠償の対象とするものはむしろ少ない。老齢年金受給権喪失を損害に算入する立場の理由づけは、老齢厚生年金にも損失補償的性格がないとはいえないとするものと(5)、老齢厚生年金受給権は被保険者の掛け金の負担により生じたもので、これを喪失した場合には損害賠償請求を認めるべきであるとするものがある(6)。他方、老齢年金受給権喪失を損害賠償の対象としない裁判例の理由には、本判決藤島反対意見のように、稼働能力と無関係であることを理由とするものと(7)、老齢年金が一身専属的なものであることを強調するものとがある(8)。

2・損害算入を肯定する立場

 本判決は、最高裁としてはじめて退職年金を逸失利益として遺族の損害賠償の算定に算入することを明示したものであるが、この点について多数意見はなんら理由を述べていないといってよい。園部・佐藤・木崎反対意見は、「退職年金は、退職後死亡までの期間において退職者の有する全稼働能力を平均して金額的に表象するもの」であるとしているが、むしろ、退職年金は退職前の稼働能力を表象するものである。退職者には稼働能力がないからこそ、退職年金が支給されるのである。このことは園部・佐藤・木崎反対意見自身が指摘するように、寝たきりの状態にあるものにも退職年金が支給されることを考えれば明らかなように思われる。したがって、退職年金を損害賠償の対象とする積極的な理由はいまだ示されていないというべきであろう。

3・損害算入を否定する立場

3・1・一身専属性

 他方、退職年金を損害賠償の対象外とする考え方にも、批判や反論がなされている。恩給法上の恩給についての議論であるが、「一身専属性」を理由とする考え方に対しては(9)、(退職年金)受給権が一身専属権として相続の対象とならないからといって、受給権を喪失したことによる損害賠償請求権が相続の対象とならないとはいえないという主張がなされている(10)。

3・2・稼働能力

 損害賠償の算定から退職年金を排除する理由として、稼働能力と年金受給権は無関係であるということを論拠にする考え方がある。しかし、稼働能力と年金受給権が無関係であることによってなぜ年金受給権が損害賠償の算定から排除できるのか、簡単には説明できないであろう。すなわち、年金受給権を損失として賠償請求できるかどうかは稼働能力とは離れて独自に考慮しなければならないという考え方もありえるであろう(11)。結局、人身被害における損害と稼働能力との関係はどのようなものか、すなわち、人身被害における逸失利益とはなにかということを検討しなければならず、筆者は、そもそも逸失利益といわれるものは損害ではないという立場を支持するが、筆者の支持する立場は判例においても学界においても広範に認められるものではない。しかし、後で検討するように、生存給付と損害賠償の算定については、あえてこの問題に立ち入らなくても解決できると考える。

3・3・生活費費消

 このように、これまでの理由づけは退職年金を損害賠償の対象とする説も否定説も十分に説得的なものではなかった。そこで、近時は年金制度が生活保障的な性格を有することから議論をおこなうものがあらわれている。年金給付の生活保障的な性格を考えると、そもそも年金給付が生活費にあてられずに蓄積されることは予定されていないというものである(12)。すると、年金給付は本人が生存していた場合にはすべて生活費に費消されたと解すべきことになり、遺族がその賠償を請求することはできないことになる。しかし、この考え方を前提とするならば、年金給付と生活費とが相殺されることになるのであるから、さらに損害賠償額から生活費分を減殺することは論理的に矛盾することになる。しかし、本事件でも過去の裁判例でも生活費の減殺をおこなっているのであり、この点が問題として残るであろう。

3・4・年金制度の構造

 また、年金制度の構造を根拠とする考え方もある。岩村教授の本件評釈の見解である。年金は、「生計の維持」を基礎として、本人の死亡の場合の処理をすべて年金制度の枠内でおこない、完結しているのであるから、さらに相続人という地位にもとづいて死者の年金受給権の利益を享受させることは適当ではないというのである(13)。藤島反対意見が、遺族年金が退職年金の代替的な役割を果たすと述べているのも、このような考え方をもとにしているといえるであろう。

4・検討

 退職年金等の生存給付を損害賠償において損害に算入するか否かという問題は(14)、要するに、生存保険といった保険者(保険会社等)と被害者との関係が損害賠償額に影響を与えるか否かということである。保険の内容は保険者(保険会社等)と被保険者との間で、加害者とは無関係に、自由に決定することができる。被保険者の年収に関係なく高額の生命保険に加入することができるように、被保険者の年収に関係なく高額の生存(老齢・退職)保険に加入することができる。例えば、稼働能力が皆無であったとしても、一〇億円の生存(老齢・退職)保険契約を締結することも可能なのである。生存保険の損失を損害として算定すると、この場合には被害者を死亡させた加害者が一〇億円を支払わなければならないことになってしまう。加害者とは無関係に締結される契約内容が加害者の責任に影響を及ぼすはずがない(15)。
 さらに、損害賠償請求権の相続的構成の理論からは、退職年金を損害賠償の対象とすることを説明するのは困難であると思われる。相続的構成によると、人身被害の逸失利益の損害賠償請求権が相続するのは、損害賠償請求権が死亡の前に発生しており、それが死亡とともに相続すると構成される。しかし、退職年金の受給権が喪失するのは、「死亡によって」である。死亡直前の重傷状態の時点ですでに稼働能力も将来の所得の見込みも喪失しているかもしれないが、生きている限り退職年金の受給権は喪失しないのである。したがって、退職年金の受給権喪失が本人において生じることはないのである。よって、当然相続もしないということになる。
 ゆえに、実定法解釈としては、退職年金受給権喪失は損害賠償の対象とならない。
 なお、次の点を確認しておく必要がある。退職年金などの生存保険を損害として算定するとすれば、現在の社会保険制度では国民皆保険が実現しているのであるから、死亡時に三〇歳であっても二〇歳であっても、二歳であっても、胎児であっても、平均余命まで生存していたと仮定すれば、六五歳以降は少なくとも基礎年金が支給されていたはずである。つまり、被害者が死亡した場合には常に退職年金または遺族年金を損害として算定しなければならないのである。退職年金を損害賠償において損害額算定に算入するとすれば、それは人身損害算定方法の全面的な革新になるといってよいであろう。

(三)併行給付の控除−過去の裁判例

0・序

 共済組合遺族年金の控除について判示した下級審裁判例は四件ある。退職年金の逸失利益算定であげた裁判例と同一のものである。前に述べたように、いずれも退職年金を損害と算定することを前提にしている。そして、支給済分のみを控除したのが二件(16)、将来分も控除したのが二件である(17)。この点についてはいずれも理由を述べていない。
 本判決多数意見は、退職年金について述べる前に、一般論として損益相殺的な調整の範囲を述べている。そこで、各種保険給付と損害賠償の調整についての裁判例を検討することにする。しかし、保険給付の控除に関する判決は、下級審もあわせると膨大な数にのぼる。自衛保険や社会保険が発達した現在では、人身損害賠償事件ではなんらかの給付の控除が問題になるのがむしろ当然である。これらの裁判例をすべてとりあげるのは不可能なので、以下では保険給付等の控除が主な争点となった事件について、最高裁判例を中心にみていくことにする。
 裁判例全体の概要をみると、おおむね、生命保険、損害保険、社会保険、労災保険、所得補償保険という順序で最高裁の態度が決定されていった。ここでの検討もこの順序にそっておこなう。判決理由の紹介は(四)でおこなうので、ここでは判決の結論のみをとりあげることにする。

<判例一覧>

制度 裁判所 年月日 判例集 支給済 将来分
生命保険 東京高判 昭和一七年六月一二日 法律新聞四八〇〇号一二頁 非控除
生命保険 東京地判 昭和三二年一〇月二二日 訟務月報三巻一二号四七頁 控除
生命保険 函館地裁 昭和三七年四月一二日 民集一八巻七号一五二八頁 控除
生命保険 札幌高函館支判 昭和三八年一一月一九日 民集一八巻七号一五二八頁 非控除
生命保険 最判 昭和三九年九月二五日 民集一八巻七号一五二八頁 非控除
国民健康保険療養給付 東京高判 昭和四六年一〇月一九日 判時六五二号四四頁 控除 非控除
労災保険使用者行為災害 最判 昭和四六年一二月二日 判時六五六号九〇頁 控除 非控除
火災保険 最判 昭和五〇年一月三一日 民集二九巻一号六八頁 控除
厚生年金 神戸地判 昭和五〇年五月二〇日 判時七九九号七四頁 非控除
共済組合遺族年金 最判 昭和五〇年一〇月二四日 民集二九巻九号一三七九頁 控除 控除?
労災保険遺族補償 名古屋高判 昭和五二年一月三一日 判時八五八号七五頁 控除 控除
労災保険第三者行為災害 最判 昭和五二年五月二七日 民集三一巻三号四二七頁 控除 非控除
厚生年金 最判 昭和五二年一〇月二五日 民集三一巻六号八三六頁 控除 非控除
労災保険使用者行為災害 最判 昭和五二年一〇月二五日 民集三一巻六号八三六頁 控除 非控除
労災保険遺族補償 最判 昭和五二年一二月二二日 集民一二二号五五九頁 控除 非控除
労災保険特別支給金 岡山地判 昭和五三年二月二〇日 交民一一巻一号二三二頁 控除
所得補償保険 水戸地裁 昭和五四年三月二九日 判時九三五号八九頁 控除
労災保険特別支給金 東京高判 昭和五七年七月一五日 判時一〇五五号五一頁 非控除
労災保険特別支給金 東京高判 昭和五七年一〇月二七日 判時一〇五九号七一頁 非控除
労災保険特別支給金 京都地判 昭和五八年一〇月二四日 労判四二六号六四頁 非控除
所得補償保険 最判 平成元年一月一九日 判時一三〇二号一四四頁 控除
労災特別支給金 最判 平成八年二月二三日 民集五〇巻二号二四九頁 非控除

*本件判決後、平成八年に最高裁で労災特別支給金について控除を否定する判決があったので、加筆した。


1・生命保険

 最初に損害賠償からの保険給付の控除が問題となったのは生命保険である。生命保険は私保険であり、一時金で支払われるのが通常である。したがって、一般に、支給済の保険給付の控除のみが問題となる。昭和三〇年代の下級審裁判例は損害賠償から生命保険を控除を肯定するものと控除を否定するものとに分かれていた。しかし、最高裁が昭和三九年判決で控除しないことを言明し、以後は控除しないものとして定着している。

2・損害保険(その1)−火災保険

 損害保険については、昭和五〇年の最高裁判決が火災保険の支給済分を控除している。この最高裁判決により、損害保険については支給済分が控除され、将来分は控除されないという処理が確定したといえる。ただし、後に述べるように、所得補償保険についてはまだ争いが残っている。

3・社会保険

 厚生年金についての下級審裁判例では、支給済分の控除をも否定するものがあった。しかし最高裁は支給済分を控除し、将来分は控除しないという結論に立っている。最高裁は国民健康保険についてもやはり同様の結論を示しており、社会保険給付一般に、支給済控除、将来分非控除という扱いがなされているといってよいであろう。なお、国家公務員等共済年金について将来分を控除した原審判決を変更しない最高裁判決がある。しかし、この事件では将来分の控除が特に争われたわけではなく、上告理由にもあげられていない。したがって、この判決が社会保険給付については将来分を控除しないという判例傾向の例外にあたるかどうかは明らかではない。

4・1・労災保険給付

 労災保険については、昭和四六年最高裁判決で支給済分を控除し、将来分は控除しないことが言明された。しかし、下級審裁判例では、昭和四六年最高裁判決以後も遺族補償について将来分を控除するものがみられた(18)。昭和五二年五月に第三者行為災害について、同年一〇月に使用者行為災害について最高裁判決があり、支給済分は控除し、将来分は控除しないことが再度言明された。この両判決は下級審でしばしば問題となった遺族補償給付についてのものではなかったが、同じく昭和五二年の一二月に遺族補償給付についても最高裁判決があり、将来分については控除しないことが確認された。この昭和五二年の三判決で、労災保険給付については支給済分控除、将来分非控除という最高裁の態度が確定したといえるであろう。

4・2・労災保険特別支給金

 労災保険特別支給金は通常の労災保険給付に上乗せして支給されるものであり、支給基準は通常の労災保険給付を基礎にしている。しかし、特別支給金は労災福祉事業としてなされるものである。公的扶助に近い性質をもっており、国庫負担もあって、保険給付ではない考えることもできる(19)。特別支給金については最高裁判決はなかったが(本件判決後、平成八年に控除を否定する判決があった)、下級審裁判例では支給済分、将来分ともに控除を否定するものが多いようである。

5・損害保険(その2)−所得補償保険

 私保険は昭和三九年の生命保険についての最高裁判決と昭和五〇年の火災保険の判決でほぼ決着がついていたが、所得補償保険についてはまだ異論があった。所得補償保険を火災保険のような通常の損害保険と同じに扱ってよいか、所得補償保険の実務は控除しないことを前提としているのではないかという疑問が残されていたからである。しかし、平成元年の最高裁判決で、所得補償保険も火災保険のような通常の損害保険と同様に支給済分を損害賠償額から控除することが言明された。

<最高裁判例の結論>

保険等の種類 支給済分 将来分
私保険 定額保険 生命保険 非控除
損害保険 火災保険 控除
所得保険
公保険 社会保険 厚生年金 控除 非控除?
国民健康保険
共済年金
労災保険給付 控除 非控除
労災保険特別支給金 非控除 非控除

6・小括

以上の裁判例の動向をまとめると、保険給付のうちすでに支給された部分は損害賠償額から控除され、将来支給される予定の部分は控除されないというのが全体的な傾向である。しかし、生命保険と労災保険特別支給金については支給済部分も控除していない。本判決は若干疑問の残されていた社会保険給付の将来分について控除を否定することを明らかにしたものであり、将来分についてはすべて控除されないとして統一されたことになる。

(四)保険給付の控除−判決理由と学説の検討

 以下では、(三)であげた判決の理由づけと、学説とをあわせてみていくことにする。

1・重複填補

1・1・完全併給説(重複填補否定説)

 社会保障給付と損害賠償を併給しても重複填補にはならないとし、したがって、社会保険給付を一切、支給済部分をも含めて、損害賠償から控除すべきではないとする主張がある。労災保険給付についての松本克美教授の見解である(20)。松本教授の見解は労災保険給付についての主張であるが、本件のような社会保険給付の場合にはいっそう妥当することになる。松本教授の主張は次のとおりである。

1・1・1・完全併給説の根拠(その1)

 社会保障給付が被害者とその家族に生ずる生活困難を直接に、迅速、定型的に保障する制度であるのに対して、民事損害賠償は使用者ないし第三者の故意・過失を理由に生じた損害の回復を個々に目指す制度である。したがって、両者は別次元であり、相互独自におこなわれるべきものである。

1・1・2・完全併給説の根拠(その1)の検討

 しかし、これは制度の目的を根拠とした主張にすぎない。松本教授の主張は社会保障給付と損害賠償の併給が結果的にも重複填補にならないというものである。目的が異質であると主張しても結果的に重複填補にならないとはいえない。この点については松本教授自身も認めている。

<松本教授の主張する「誤った考え方」の図>

労災保険
重複
損害賠償


1・1・3・完全併給説の根拠(その2)

 そこで、松本教授は次のように主張し、損害賠償と社会保険給付との結果的機能的重複を否定しようとする。すなわち、社会保障給付は被害の一部をカバーするだけであるのだから、損害賠償と社会保険には機能的重複はなく、控除しなくとも重複填補にはならないという。

<松本教授の主張する「正しい考え方」の図>

労災保険 損害賠償

(重複はない)


1・1・4・完全併給説の根拠(その2)の検討

 たしかに社会保障給付は全損害をカバーするものではない。しかし、民事損害賠償は被害の全部をカバーするはずであり、そうだとすれば社会保険と損害賠償の機能的重複を否定することはやはりできないだろう。

<筆者の考える図式>

損害賠償
労災保険(重複)


1・1・5・完全併給説の根拠(その3)

 さらに、松本教授は、次のようにも主張する。今日の社会では被害の完全な回復は困難であり、いくら金銭を注ぎ込んでも、失われた生命、身体、健康は元に戻らず、被害が完全に回復されることはない。したがって、損害賠償とは別に、更に社会保険給付がなされても、不当な利得どころか、利得それ自体が生じない。

1・1・6・完全併給説の根拠(その3)の検討

 しかし、これは金銭賠償主義そのものの否定であり、現行制度を前提とした議論では通用しないものといわざるを得ないであろう。併行給付を調整しないと、結果的に二重填補または過剰填補になることは否定できない。
 結局、保険給付と損害賠償を併給すると「結果的に」あるいは「機能的に」重複填補になる。これは以下にあげるさまざまな議論の前提になっている。

1・2・二重填補否定説

 保険給付の損害填補としての性格や機能を強調して、損害賠償から保険給付を控除すべきであるとする見解がある。裁判例では、支給済の社会保険給付を控除する根拠に給付の損害填補的性格用いられている(21)。保険給付を受けてさらに損害賠償も受けるのは二重の損害填補を受けることになり、許されないとするのである。

1・3・社会保障的性格

 他方、保険給付の社会保障的性格を強調する見解もある。この論者の多くは、将来分についての控除を社会保障的性格を根拠に否定する。支給済の給付については控除を否定するわけではない(22)。社会保障給付と損害賠償は目的と性格が異なっても損害填補の機能を果たすことは同一であり、労災保険と損害賠償との間に相互の機能的重複を認めざるをえないとする(23)。支給済部分は機能的結果的重複により控除を認め、将来部分は目的と性質の相違から調整を否定するのである。

2・「実質」を根拠とする議論

2・1・実質的同一

 支給済の保険給付の控除を肯定する裁判例には、損害賠償における逸失利益と保険給付が実質的に同質同一であると述べるものがある(24)。

2・2・「まったく別個の」保険契約

 他方、生命保険の控除を否定する裁判例では、生命保険金は不法行為とはまったく別個の保険契約にもとづくものであるという理由が示されている(25)。

3・保険料対価説

生命保険金の控除を否定する裁判例には、保険給付が保険料の対価であるという理由を述べているものがある(26)。厚生年金についても、被害者が保険料の一部を負担していることを根拠に、支払済の保険給付についても控除を否定すべきであるとして、判例の傾向を批判する学説がある(27)。

4・衡平説

 特に労災保険遺族補償についての裁判例では、損害賠償から支給済の保険給付を控除する根拠に「衡平」があげられている(28)。この点については後に検討する。

5・保険代位説(法定控除説、損益相殺否定説)

 私保険についての裁判例では、保険代位が控除の根拠としてあげられている(29)。保険法の学説でも、保険代位を根拠とするものが通説といってよいであろう(30)。保険代位とは、保険給付の根拠となる保険契約や法規に、保険給付のなされた範囲で損害賠償債権が被害者から保険者に移転することが定められており、この規定にしたがって損害賠償債権の移転があったのであるから、被害者の有する損害賠償債権はその範囲で縮減するというものである。つまり、法律や契約の規定によって控除が決定されるというものである。損害保険では商法六六二条に規定がある。社会保険給付についても保険代位説を主張するものが近時みられるようになっている(31)。本件第一審も代位の条文を根拠としており(地公共済法五〇条)、保険代位説によっているといえる。保険代位説によると、代位の条文がない場合には控除する根拠はないことになる。

(五)検討

 社会保険給付と損害賠償の調整については、(四)でみてきたように、保険給付の性格が社会保障か損害填補かといった議論や、「実質」がなにかといった議論がなされるのが通常である。しかし、このような議論では、うえで紹介したように、反対説とまったくかみわなない。このような議論は、科学的な検討をしたとしても得るものがあるとは思われないので、以下の検討ではそのような議論はおこなわない。

1・過去の裁判例の結論は保険代位構成に合致する

 (四)であげた裁判例や学説の理由づけの中では、唯一、保険代位構成のみが各種給付の裁判例の結論に合致するものとおもわれる。機能的重複説も保険料対価説も保険契約説も実質や公平に根拠をおいても、支給済分のみを控除し、将来分を控除しないことを説明することはできない。最高裁では、将来分についてはいまだ現実の損害填補がなく、将来分を控除しなくとも二重填補排除の趣旨に反しないという判示がなされており(32)、本判決多数意見の理由づけもこれを踏襲したものといってよいように思われるが、味村反対意見の述べるように、給付が不確実としてもその財産的価値が否定されるわけではないし、将来において給付を受け取ってしまえばその部分について二重填補になることは明らかである。保険代位の規定は、支給を「行った」範囲で損害賠償債権が被害者から保険者に移転する、と規定されており、素直に解すれば、将来分についてはいまだ損害賠償債権の移転はなく、損害賠償からの控除は不要であるということになる。これは、将来分は控除しないという裁判例の結論に合致する。また、社会保険や労災保険にも損害保険と同様の代位の規定がある(33)。社会保険や労災保険において控除がなされることも説明できる。他方、労災保険特別支給金にはこのような規定はない。また、生命保険は損害保険ではないので、やはり保険代位の規定の適用はない。したがって、特別支給金や生命保険の裁判例において支給済分の控除がなされていないのは代位規定がないからであるということができる。つまり、保険代位説は裁判例の結論と全面的に合致していることになる。

2・保険代位による処理は妥当な結論を導く

 まず、代位の規定がある場合の処理に限定して考えてみよう。保険代位構成によると将来分を控除しないことになり、将来分については損害の二重填補になるのではないかという懸念がありえる。しかし、代位の規定がある場合には、あわせて、損害賠償を受け取った部分については将来にわたって保険給付のほうが減額される規定が用意されている(商法六六二条、厚生年金保険法四〇条、国民年金法二二条、健康保険法六七条、国家公務員等共済保険法四八条、労災保険法一二条の四)。したがって、保険給付と損害賠償請求権の二重取りになることはない。一見、支給済分と将来分とで整合性のない解決をしているようにみえるが、実際は、先に支払うほうからは減額せず、後から支払うほうから減額するという、明快で一貫した取り扱いがなされているのである(34)。また、保険者に移転した損害賠償債権によって加害者に対して責任追求がなされるのであるから、加害者が理由なく賠償義務を減免されることもない。
 このように、保険代位構成は明文の根拠にもとづき、かつ実際の裁判例の結論にも合致し、二重填補や二重支払の心配もなく、加害者に対する責任追求も貫徹される優れた構成であるといえる。そのような法政策的判断はともかくとして、実定法解釈としては、代位・支給停止の条文がある場合にはそれにしたがい、支給済部分のみを控除し、将来分は控除しないという結論になることは明らかである。代位・支給停止の条文がある場合に最高裁の採用してきた処理は実定法解釈としてまったく正当であったと考える。厚生年金等について支給済部分も控除すべきでないとする主張は(35)、この代位の規定と整合しない。逆に、社会保険について将来分の保険給付も控除すべきとする見解もあるが(36)、支給停止の条文と整合しないことが問題であろう。
 本判決の対象となった地方公務員等共済組合法についてみてみると、地方公務員等共済組合法にもやはり保険代位と支給停止の規定がある。地方公務員等共済組合法五〇条第一項は「組合は、給付事由が第三者の行為によつて生じた場合には、当該給付事由に対して行つた給付の価額の限度で、受給権者(当該給付事由が当該組合員の被扶養者について生じた場合には、当該被扶養者を含む。)が第三者に対して有する損害賠償の請求権を取得する。」とし、同条第二項は「前項の場合において、受給権者(同項の給付事由が被扶養者について生じた場合には、当該被扶養者を含む。)が第三者から同一の事由について損害賠償を受けたときには、組合は、その価額の限度で、給付をしないことができる」としている。したがって、地方公務員等共済組合法の各種給付の処理も実定法解釈としては当然この地方公務員等共済組合法五〇条にしたがわなければならない。遺族給付についても、遺族が受給権者にあたることになるので、本条にしたがって処理をすれば、支給済分についてのみ控除することになるのは必然である。この結論に妥当性があることもすでに述べたとおりである。支給済部分のみを控除するという本判決多数意見の結論は、実定法解釈の立場からも法政策的価値判断の立場からも支持できる。

3・代位の規定がない場合の処理

3・0・序

 しかし、本判決少数意見はいずれも代位・支給停止の規定の適用がないことを前提としている。この点につき、岩村政彦教授は、本件評釈で、本件事例については代位・支給停止の規定の適用はないとしている(37)。本件被告の主張も同様である。本事件において代位・支給停止の規定の適用があるか否かは後に検討することにして、代位・支給停止の規定の適用がない場合の処理を一般的に考察しておこう。
 多数意見は、一般的に支給済部分控除、将来分非控除を述べており、損益相殺的な調整を根拠としている。この理由のみをみると、代位・支給停止の規定の適用がない場合にも同様の処理をおこなうように読める。しかし、さきにおこなった代位・支給停止の規定がある場合の処理についての検討を前提とすると、代位規定のある場合とない場合とを区別せずに議論すべきではない。代位規定のある場合にはそれにしたがって併行給付の処理をおこなうべきであり、代位規定のない場合にはこれとは区別して考察すべきである。このような立場から、代位・支給停止の規定の適用がない場合の処理を以下で検討することにする。

3・1・損益相殺を否定する見解、保険代位説等

 保険代位説によると、控除の根拠は代位の条文である。代位の条文がない場合には、控除を否定し、二重填補を認めることになる。つまり、損益相殺を否定するのである。二重填補は望ましくないが、保険契約は締結時においては二重填補を目的としたものではない。二重填補の余地のある契約であっても、公序良俗に反しない以上は、契約自体を無効とする余地はない。そして、結果的に二重填補になったとしても、一方当事者が利得することは通常の取引にもあることであり、必ず調整しなければならないわけではないと考えられる。
 藤島少数意見は損害賠償から遺族年金支給分を控除することについては、「控除の要否を論ずる前提を欠く」としている。この語句のみからその立場を明確にすることはできないが、退職年金分を損害賠償として取得したうえで遺族年金を受給するような場合には控除の要否を論ずる前提があるということになろう。ただし、藤島少数意見は退職年金分の損害賠償請求を否定するのであるから、そのような事態は生じないのである。結局、一般的に損益相殺を否定することになるように思われる。
 園部等少数意見も損益相殺を否定している。判決文からその立場を明確にすることはできないが、遺族給付と損害賠償が「同一の原因」によって発生したのではないことを根拠としている。問題はどのような場合に「同一の原因」があると認められるかということであるが、退職年金分を損害賠償として取得したうえで遺族年金を受給しても「同一の原因」によるものではないとしているのであるから、およそ「同一の原因」に該当する事態は考えられない。やはり結果的には全面的に損益相殺を否定することになるであろう。
 とにかく、藤島少数意見も園部等少数意見も、単に損害賠償請求と保険給付が併給されただけでは損益相殺的調整をおこなうことはできず、なんらかの特別の事情がある場合に限って調整の余地があるとしている。原則的には損益相殺否定説であるといえる。

3・2・損益相殺説

 他方、損益相殺(的な調整)によって、代位・支給停止の条文がない場合にも控除をおこなうという議論も成り立ちうる。代位・支給停止の条文がある場合にはそれにしたがうとしても、代位・支給停止の条文がない場合には独自に損益相殺をおこなってかまわないと解するのである。
 岩村政彦教授は一般的に損害賠償から保険給付を損益相殺すべきであるという立場にたっており、本件評釈においてもやはりこの立場であるようである(38)。
 味村少数意見は本件においては損益相殺的調整をおこなうべきであるとしているが、一般的に損害賠償から遺族年金を損益相殺すべきと述べているわけではない。本件で損益相殺的調整をおこなわないと、退職年金分を損害賠償として受け取り、さらに遺族年金を受け取ることになるからであろう。遺族年金の控除額を遺族の平均余命ではなく、死者の死亡時の平均余命を基礎に算定すべきであるとしているのは、特に退職年金分の損害賠償と遺族年金の調整を図ったものとみることができる。原則的には損益相殺否定説であるように思われる。

3・3・検討と私見

 私見は保険代位説を支持する。実定法解釈としては、代位の規定がない場合には控除は否定されることになる。代位の規定がある場合には、控除額は保険者が不法行為者に求償することになるため、不法行為者の最終的な負担額はかわらないことになる。しかし、代位の規定がない場合に裁判所が独自に控除すると、藤島少数意見の述べるように、不法行為者を根拠なく利することになる。例え二重填補が不当であるとしても、不法行為者が根拠なく賠償を減免されることも正当化できないであろう。さらに、ほとんどの給付に代位・支給停止の規定が用意されているのに、あえて代位・支給停止の規定のない給付があるということは、立法において控除する必要はないという政策的判断がなされているというべきであろう。結局、政策的価値判断の立場からも、裁判所が独自に損益相殺をすべきではない。当然のことではあるが、実定法解釈としては、保険代位を根拠として併行給付の処理がなされるのであるから、損益相殺的処理は否定されることに議論の余地はないであろう。
 なお、本件のように被害者が保険料を負担している場合には、被害者と加害者のどちらに利益を帰属させるかということになれば、被害者に利益を帰属させるほうがよいという価値判断もありえるであろう。後に述べるように、代位の規定がない場合には、被害者はその分高額の保険料を支払わなければならないからである。
 本判決多数意見は一般的に損益相殺的な調整をおこなうことを理由中で示しているが、損害と利益が「同一の原因」によって発生したことを要件としている。また、退職年金と遺族年金の同質性にも特に言及している。損害賠償と保険給付とを当然に損益相殺(的調整)をする趣旨であるかどうかは明らかではない。前述したように、これまでの判例は一貫して保険代位説を採用したのと同一の結果を示しており、代位の規定がない場合には控除はおこなわれていない。この判例の傾向が損益相殺説よりも代位説のほうに適合することは前に述べたとおりである。

3・4・生存保険と生命保険の一貫性

 ところで、第一の論点に戻ることになるが、損益相殺的処理を原則的に否定し、裁判例のように生命保険については損害賠償請求権から控除しないとするのであれば、退職年金や老齢年金などの生存保険も損害賠償請求権に影響を与えないと解するべきであろう。被害者が一〇〇〇万円の生命保険に加入しつつ、一〇〇〇万円の生存(老齢・退職)保険にも加入していた場合、生存(老齢・退職)保険を損害として算定すると、加害者は一〇〇〇万円の生存(老齢・退職)保険の喪失を損害として支払わなければならないことになる。しかし、他方では、生命保険については控除されないのであるから、保険関係は一方的に加害者に不利に働くことになり、一貫性をかくことになる。共済組合給付や厚生年金も、このように、生命保険と生存保険が組合わさったものとみることができる。味村少数意見の指摘するとおり、生存保険部分である老齢・退職給付と生命保険部分である遺族給付とで一貫した処理をおこなう必要がある。

3・5・代位説と損益相殺説の現状

 併行給付の処理に損益相殺法理の適用がないという点は、商法の保険法学者の間では通説である。また、社会保障法学者の間でも、すでに損益相殺否定説ですでに決着がついていると一般にいわれている(39)。しかし、前述したように、社会保障法でも岩村教授等は損益相殺的な調整をすべきであるとしている。また、裁判例では損益相殺として処理するものが非常に多い。さらに、民法学者等には損益相殺的な調整を当然の前提として議論をおこなうものも多くみられるようである。損益相殺否定説が実定法解釈として正しいことに議論の余地はなく、また、法政策的価値判断においてもおおむね妥当と思われるが、裁判例や学界においては、まだ決着はついていないというべきであろう。

4・遺族給付に代位・支給停止の条文の適用はあるか

4・1・序

 2では代位の規定の適用があること前提に検討をおこない、3では代位の規定の適用がない場合について一般的に検討してきた。問題は、本件について代位の規定の適用があるか否かということである。前述のように、地方公務員共済組合法には確かに代位と支給停止の条文がある(地公共済法五〇条)。しかし、前述のように、本件のような遺族給付の事案については代位や支給停止の規定の適用を否定すべきとする見解がある。

4・2・代位規定の適用を否定する見解

 代位の規定の適用を否定する見解の要旨は次のとおりである。本件のような遺族給付の事案においては、加害者の行為によって被保険者が死亡しなかったとしても、共済組合は退職年金を支払わなければならなかったはずである。したがって、共済組合が代位の規定によって損害賠償請求権を取得したり、支給を免れるいわれはない。また、代位規定を適用すると、年金受給分だけ損害賠償額が減額されることになるので、遺族の収入が大幅に減少することも理由としてあげられうる(40)。
 本事件を例にしてみると、Aの生前は退職年金が月額およそ二一万円、労働収入が五万円あった。Aの死亡により、退職年金は支給停止され、遺族年金が月額およそ一二万円支給されることになる。この場合には、AはYに対して月額で労働収入分五万円の損害賠償請求ができる(慰謝料、退職年金、過失相殺を考慮しない)。平均余命を一八年とすると、総額二四〇万円になる。しかしAはすでに遺族年金を三二〇万円強受け取っているので、ここで代位の規定の適用があるとすると、損害賠償請求権は全額共済組合に移転していることになる。Xはいっさい損害賠償請求できず、結局、すでに支払われた部分も将来においても遺族年金のみを受け取ることになる。月額一二万円の収入のみということになるのである。他方、共済組合はもともと月額二一万円の退職年金支給義務があったのであるが、Aの死亡によって月額一二万円の遺族年金支給義務に切り替わったことになる。共済組合の負担は軽くなったにもかかわらず、代位規定の適用があるとすると、共済組合はYに対して二四〇万円の損害賠償請求権をさらに取得することになる。したがって、代位規定の適用は共済組合に過分の利益を与えることになる、というのである(41)。

4・3・検討と私見:代位の適用を肯定

 しかし、筆者は遺族給付についても代位規定の適用はあると考える。代位規定の適用の有無は、加害者の利害には無関係である。代位規定の適用がないとすれば、加害者は被害者に支払い、代位規定の適用があるとすれば、加害者は共済組合に支払うだけである。利害が対立するのは、被害者と共済組合(一般的には、保険者)である。したがって、私保険であれば、この点は被害者と保険者の保険契約の規定にゆだねてよい事項である。繰り返しになるが、共済組合給付は貯蓄ではない。貯蓄ではないのであるから、その契約にもとづいて支給内容が変化するのは当然である。減額されることもあってよいのである。それを、共済組合の不当な利益ということはできない。支給額が減少すれば、その分は保険料が安くなるという保険加入者一般の利益になるのである。代位の規定を否定したほうが被害者にとって有利になるが、その分保険料が高額になる。保険加入者である潜在的被害者に転嫁されることになり、保険加入者一般の負担は大きくなるのである。私保険であれば、低い保険料で制限的な給付にするか、高い保険料で気前のよい給付にするかは契約によって決める事項である。本件のような社会保険であれば、政策の問題である。どちらか一方のみが妥当だと一様に決定できるものではない。代位の規定を適用することにも妥当性はある。社会保険の給付内容は必要に応じた保障という観点から決定される。遺族給付は、本人によって生計を維持されている遺族が、本人の死亡によって生計を維持する収入がなくなる場合に支給されるものであり、本人の死亡によって莫大な損害賠償請求が可能な場合にはもはや遺族給付を残存させる必要はない。被害者が損害賠償請求をできるという保険者にとっては偶然的な事由によって保険給付が免除されることになるが、その利益は低い保険料として保険加入者全体のものになる。高い保険料を負担してでも代位の規定の適用のない気前のよい給付が欲しいというのであれば、本人が支払うつもりであった高い保険料と現実の低い保険料との差額でそのような私保険に独自に加入すればよいだけのことである。
 なお、実定法解釈としては、当然のことであるが、条文の規定にしたがうことになる。地公共済法五〇条は一般的に代位の規定の適用を定めており、災害見舞金と死亡弔慰金については特に代位の適用がないことを定めている。しかし、遺族年金についてはこのような適用除外の規定はない。したがって、代位の規定の適用はあることになる。
 代位規定の適用について本判決多数意見はまったく触れていないが、代位規定の適用がないとすると、藤島反対意見の指摘するように、すでに遺族年金が支払われた部分では加害者の責任が理由なく減額され、将来分については遺族が退職年金分と遺族年金を二重取りすることになり、是認しがたいものになるといえるであろう。多数意見は代位規定の適用を前提としていると理解しておくことにする。

5・まとめ

 ここで全体の論点と結論をまとめておこう。

5・1・代位の規定がある場合の処理

 まず、一般的に各種給付の控除について考える。まず、代位と支給停止の規定がある場合についてであるが、ほとんどの保険給付にこれらの規定が存在するのであるから、こちらを原則と考えるべきであろう。この場合、条文があるのだから、代位や支給停止が行われないと解することはできない。法政策的判断の立場からみると、どれだけの支給がすでになされたかということによって被害者の救済総額や加害者の責任がかわるべきでないとするならば、支給済分のみを控除し、将来分を控除しないとする過去の最高裁の見解が妥当である。

<代位・支給停止の条文がある場合の各説のまとめ>
(労働収入>年金総額 を前提とする)

代位条文の適用の有無 被害者のうけられる補償 加害者負担 保険・年金の負担
保険から 加害者から 総額
将来分控除・支給済非控除・最高裁・代位説 代位なし 年金全額 労働収入−支給済年金 労働収入+将来分年金 労働収入−支給済年金 年金全額
代位あり 支給済年金 労働収入−支給済年金 労働収入 労働収入 なし
全額控除・岩村 代位なし 年金全額 労働収入−年金全額 労働収入 労働収入−年金全額 年金全額
代位あり 支給済年金 労働収入−年金全額 労働収入−将来分年金 労働収入−将来分年金 なし
全額非控除・完全併給説・石田等 代位なし 年金全額 労働収入 労働収入+年金全額 労働収入 年金全額
代位あり 支給済年金 労働収入 労働収入+支給済年金 労働収入+支給済年金  なし

   *代位説は常に代位・支給停止の条文の適用あり
   *最高裁は代位の条文の適用については触れていない
   *完全併給説(松本説)は常に代位の条文の適用を否定する
   *岩村説、石田・西村説は代位・支給停止の処理については不明


5・2・代位の規定がない場合の処理

 次に、代位・支給停止の規定がない場合を考える。保険代位説等により、代位の規定がない場合には控除は必要ないと考えるか、代位の規定がない場合には独自に損益相殺を行うのかということが論点である。結局、代位・支給停止の規定がない場合に、保険給付支給分を被害者の利益とするか、加害者の利益とするかによって、二つの立場に分かれうるが、判例の傾向は、理由づけはともかく結論だけみれば、代位の規定がない場合には控除はしていない。また、少数意見も、本件についてはともかく、原則としては代位の規定がない場合には控除はしないという立場であるといえるであろう。筆者も代位の規定がない場合には控除は必要ないとの結論を支持する。ただし、学説には岩村説など代位の規定がない場合には独自に損益相殺を行うという立場を原則的に支持するものがある。
 味村少数意見は、本件の事案については、独自に損益相殺を行うという立場にたっている。後述5・4と関連する問題であろう。

<代位・支給停止の条文がない場合の各説のまとめ>
(労働収入>年金総額 を前提とする)

被害者のうけられる補償 加害者負担 保険・年金の負担
保険から 加害者から 総額
判例傾向・代位説・完全併給説・石田・西村等 給付全額 労働収入 労働収入+給付全額 労働収入 給付全額
損益相殺・岩村等 給付全額 労働収入−給付全額 労働収入 労働収入−給付全額 給付全額

   *代位説は代位の条文の有無で処理を変える
   *損益相殺説は論理的には代位の条文の有無で処理を変えないこととなる



5・3・代位の規定の適用の有無

 本件においては、さらに、控除の対象が遺族給付であるということから、代位・支給停止の規定の適用がないといえるかどうかが問題になる。少数意見はいずれも代位規定の適用を否定している。多数意見はこの点について述べていないが、代位規定の適用がないとすると是認しがたい結論になるため、適用があることを前提にしていると一応理解する。筆者は代位規定の適用があると考える。

5・4・退職年金の損害算入

 退職年金の逸失利益算定は、多数意見、園部等少数意見、味村少数意見は肯定する。しかし、藤島少数意見は否定する。ここで二つの考え方に分かれうる。
 結局、本件の結論は、遺族年金について三通り、退職年金について二通り、組み合わせで六通りに分かれうることになる。多数意見と三つの反対意見がこのうち四通りの考え方をとっており、本判決についての岩村教授の評釈がこの四つとはことなる考え方をとっている。筆者の私見はさらにこれとはことなる六番目の考え方である。

<本件における各説の結論>

被害者の得られる補償 加害者の負担 共済組合の負担
共済組合から 加害者から 合計
多数意見・代位なし 遺族年金全額 労働収入+退職年金−支給済遺族年金 労働収入+退職年金+将来分遺族年金 労働収入+退職年金−支給済遺族年金 遺族年金
多数意見・代位あり 支給済遺族年金 労働収入+退職年金−支給済遺族年金 労働収入+退職年金 労働収入+退職年金 なし
藤島・代位なし 遺族年金全額 労働収入 労働収入+遺族年金 労働収入 遺族年金
園部等・代位なし 遺族年金全額 労働収入+退職年金 労働収入+退職年金+遺族年金 労働収入+退職年金 遺族年金
味村・代位なし 遺族年金全額 労働収入+退職年金−遺族年金全額 労働収入+退職年金 労働収入+退職年金−遺族年金 遺族年金
筆者・代位あり:支給済遺族年金>労働収入の本事例 遺族年金全額 労働収入−労働収入=〇 遺族年金 労働収入 遺族年金-労働収入
(参考)筆者・代位あり:遺族年金額<労働収入の場合 支給済遺族年金 労働収入−支給済遺族年金 労働収入 労働収入 なし
岩村評釈・代位なし 遺族年金全額 労働収入−遺族年金全額 労働収入 労働収入−遺族年金 遺族年金


5・5・遺族年金と退職年金の処理の一貫性

 筆者の私見は、保険関係は加害者の負担額に影響を与えないという考え方をもとにしており、加害者の負担額は常に労働収入分のみであると考える。この点では、藤島少数意見と同一であり、退職年金・遺族年金の両方を加害者の負担額に反映させる味村少数意見とは対極になる。これ以外の見解は退職年金と遺族年金との一方のみを加害者の負担額に反映させており、一貫性に欠けるといえるであろう。

<各説の分析>

退職年金受給権喪失の算入 遺族年金受給額の加害者負担額からの減額 遺族年金について代位支給停止の適用
多数意見? 肯定:加害者不利 否定:加害者不利 あり
園部少数意見 肯定:加害者不利 否定:加害者不利 なし
筆者見解 否定:加害者有利 否定:加害者不利 あり
藤村少数意見 否定:加害者有利 否定:加害者不利 なし
味村少数意見 肯定:加害者不利 肯定:加害者有利 なし
岩村本件評釈 否定:加害者有利 肯定:加害者有利 なし


6・遺族給付の特徴

 支給済の遺族給付を控除するのは、保険代位構成からは簡単に説明できる。先ほども述べたように、条文にその旨が定められているからである。遺族は、結局、保険給付額と損害賠償額との多いほうの額を受け取ることになる。十分な補償がなされているといえるであろう。しかし、損益相殺法理では、遺族給付については併行給付の調整を説明することが困難になる。遺族給付は、遺族に対してなされるものである。これに対して、損害賠償請求権は、相続的構成を前提とするかぎり、本人に発生するのである。死亡の前に本人に完全な損害賠償請求権が発生し、確定していることになる。これを遺族が相続するさい、遺族が本人の死亡によって遺族年金を得ることになったとしても、すでに本人に発生し確定していた損害賠償債権から損益相殺することはできないはずである。過去の裁判例が遺族給付の控除において、一貫して「衡平」を根拠としてきたのは、損益相殺構成を念頭においており、かつ、損益相殺では説明できないからではないであろうか。本判決が損益相殺「的な調整」とするもの、損益相殺では説明できないことを意識しているように思われる。遺族給付の場合を考えても、損益相殺法理よりも保険代位説のほうが一貫性があり、説明にも優れているといえるであろう。
 なお、本件では問題とならなかったが、遺族給付は必ずしも相続人に支給されるわけではないため、遺族給付の受給権者と相続人とが異なる場合がある。この場合、相続人の損害賠償請求において退職年金を損害として算定してよいか、さらに損害賠償額から遺族給付を控除すべきかどうかが問題になりえる。筆者はは代位説を支持し、保険給付は損害賠償にいっさい影響を及ぼさないと考えるので、退職年金を損害として算定すべきでなく、遺族給付も控除すべきでないということになり、問題は生じないが、味村少数意見のように保険給付を損害算定において全面的に考慮するとした場合、損害賠償請求権者以外に支給されている遺族給付をどのように処理するのかということも問題になるであろう。下級審裁判例では退職年金を全面的に損害額に算入しつつ、損害賠償請求者以外に支給される遺族給付は損害賠償額から控除しないとするものがある(42)。このように処理すると、保険給付が一方的に加害者に不利に働くことになるといえるのではないだろうか。このような問題を回避するためにも、保険給付は加害者の責任に影響をあたえないと考えるべきである。逆に、これらの処理についてなんら規定が準備されていないことをみても、保険給付が加害者の責任に影響を与えることは予定されていないといえるであろう。

7・支給をおこなった範囲と受給権確定の範囲

 最後に、本判決が翌月に支給される給付を控除した点であるが、保険代位構成を前提とするならば、控除の範囲を過去の裁判例のように現実に支給を行った部分であるとしても、本判決のように受給権が確定した部分であるとしても、あまり問題とならない。損害賠償から控除された部分は将来分の支給停止の範囲外となるので、被害者または遺族が受け取る額の総和はかわらない。また、加害者の負担額も変わらない。被害者に対する支払のさいに控除された額が、そのまま共済組合(保険者)から請求されることになるからである。
 無用の混乱を避けるために、控除の範囲は条文にあるとおり「支給を行った」部分とすべきであり、支給確定や支給日到来では足りず、現実に支給が行われたことを必要とすべきであろう。


 (1) 最判昭和五〇年一〇月二一日判時七九九号三九頁、国家公務員等共済組合法につき、最判昭和五〇年一〇月二四日民集二九巻九号一三七九頁。
 (2) 仙台地判昭和五四年一月一七日判時九二六号九一頁、福岡地判昭和六〇年七月三〇日交通民集一八巻四号一〇三五頁、国家公務員等共済組合法につき、東京地裁八王子支判昭和五〇年二月二六日交通民集八巻一号二五九頁、大阪地判昭和五九年一月二四日交通民集一七巻一号六七頁。
 (3) 前掲仙台地判昭和五四年判決。
 (4) なぜ共済組合退職年金と老齢年金とでこのような違いが生じたのであろうか疑問が残る。退職年金はその名称から退職金を連想するからであろうか。しかし、厚生年金の老齢年金と共済組合退職年金はまったく同一であるといってよい。
 (5) 札幌地判昭和五五年七月二四日交通民集一三巻四号九六一頁。
 (6) 名古屋地判昭和五九年一一月二八日交通民集一七巻六号一六八三頁。
 (7) 東京地判昭和四六年一〇月三〇日判タ二七二号二五八頁、東京高判昭和四八年七月二三日判時七一八号五五頁、鳥取地判昭和五四年二月二六日交通民集一二巻一号二九三頁、浦和地判昭和五七年六月三日交通民集一五巻一号一〇八頁、岐阜地裁大垣支判昭和六〇年八月八日交通民集一八巻四号一〇五六頁。
 (8) 大阪地判昭和五三年一一月六日交通民集一一巻六号一六六一頁、山口地判昭和五五年二月二八日交通民集一三巻一号二七四頁、大阪地判昭和五七年六月三日交通民集一五巻一号一〇八頁、松山地判昭和六一年五月二六日交通民集一九巻三号六八八頁、神戸地判昭和六二年九月二九日判時一二六九号一一四頁。
 (9) 学説では、西島梅治・判タ二七八号六五頁がこの考え方を支持する。
 (10) 松浦以津子・判例評釈三五八号四六頁。
 (11) 水谷則雄・判タ七四四号四〇頁参照。
 (12) 松浦以津子・判例評釈三五八号四八頁、保原喜志夫・判例評釈三一八号三五頁。
 (13) 岩村政彦・ジュリスト一〇二七号七一頁。
 (14) この点は人身損害の本質論に結びつく問題である。人身損害賠償について、逸失賃金自体を損害と考える立場では、被害者と被害者の雇用者との契約関係にもとづく賃金(請求権)の損失を損害としているのであり、加害者とは無関係の契約関係を損害賠償の基準とするのは当然であるということになる。しかし、人身損害も物損と基本的には同一であり、物損の場合の損害賠償額がその物の市場価格によって決定されるように、人身損害についても損害は労働市場における市場価格で決定される。その意味で、賃金を損害賠償額算定の基礎にしているにすぎないと考えるべきではないだろうか。
 (15) 次の例を考えてみよう。次のような生存保険があった。保険料一〇〇〇万円で、七〇歳まで生存したときには保険給付二〇〇〇万円が支払われるが、七〇歳前に死亡した場合にはいっさい給付はなされない。Aはこの生存保険に加入していたが、Yの不法行為によって七〇歳直前に死亡した。Aの遺族XはYにこの生存保険給付を受給できなかったことを損害として賠償請求することができるだろうか。Yの不法行為がなかったらAは二〇〇〇万円受け取ることができた、というのは言葉のトリックにすぎない。さらに、次のような仮定のもとで考えをすすめてみよう。実は、この保険にはAのほかにBしか加入していなかった。そして、Bは七〇歳まで生存して二〇〇〇万円受け取っている。保険会社はどちらかが七〇歳前に死亡することをみこして保険料を設定していたわけである。さて、この場合、保険会社が支払った保険給付は二〇〇〇万円、保険加入者AとBとが支払った保険料も二〇〇〇万円でバランスがとれている。Xの遺族は「Yの不法行為がなかったらAは二〇〇〇万円受け取ることができた」と主張するかもしれないが、これは誤っている。もしもYの不法行為がないとはじめからわかっていたならば、保険者は、一〇〇〇万円の保険料によって二〇〇〇万円の保険給付をするような保険など提供しないのである。不法行為がない場合には、Aは一〇〇〇万円の保険料で二〇〇〇万円の保険給付を受け取ることはできなかったのである。保険契約締結時には、不法行為死亡を考慮に入れたうえで、一〇〇〇万円の投資に見合う一〇〇〇万円保険給付の期待値がAにはあったのである。それ以上の利益をA(の遺族)に認める必要はない。次に、物損で考えてみよう。ある場所であずきの大量栽培がおこなわれていた。ところが、Yの不法行為によってそのあずきは全滅してしまった。Xはあずきの大収穫安値をみこしてあずきの先物市場で空売りをしていたが、Yの不法行為によってあずきの収穫が大幅に減少したためにあずきの価格は高騰し、Xは大損害を被った。Xはあずき先物取引の損害をYに対して賠償請求することができるだろうか。さらに、次のような仮定をしてみよう。Yの不法行為はあずきだけでなく、その隣で大量栽培されていたもち米にも及んでいた。そのためにもち米価格は急騰した。Xは先物市場でもち米の先買いに走っていたため、あずきの空売りの損害以上の利益をもち米の先買いで得ていた。この場合でも、Xはあずきの空売りの損害の賠償を求めることができると考えられるだろうか。結局、保険は先物買いと同様ギャンブルであり、ギャンブルに手を出す場合にはあらゆる事態の発生を予測しておかなければならない。それがギャンブラーの自己責任である。予想外の事態が発生したからといって、ギャンブルの損害の填補を他人に求めることはできないのである。要するに、死亡の原因を作出したものに生存保険の保険給付額を要求するのは、競馬で落馬した騎手に勝馬配当額を請求するようなものなのである。
 (16) 仙台地判昭和五四年一月一七日判時九二六号九一頁、福岡地判昭和六〇年七月三〇日交通民集一八巻四号一〇三五頁。
 (17) 東京地裁八王子支判昭和五〇年二月二六日交通民集八巻一号二五九頁、大阪地判昭和五九年一月二四日交通民集一七巻一号六七頁。国家公務員等共済組合法についての裁判例である。
 (18) 遺族補償について他の給付と区別するという考え方を示すものとして、谷口知平「損害賠償と将来の労災保険金等の控除の要否」昭和五二年度重要判例解説(昭和五三年)。
 (19) 特別支給金の性格については、松本久「労災保険給付と損益相殺」裁判実務体系8(昭和六〇年)五五八頁参照。
 (20) 松本克美「労災保険と損害賠償の完全並存の実現−『重複控除』論を超えて−」季刊労働法一五八号(平成三年)四九頁以下、同「車の両輪−民賠と労災保険」労災があぶない(平成二年)二三〇頁以下。遺族補償のみについて完全並存の提言をするものとして、有泉亨「労災補償と労災保険」学会誌労働法三六号(昭和45年)二七頁。
 (21) 最判昭和五二年一〇月二五日民集三一巻六号八三六頁、東京高判昭和四六年一〇月一九日判時六五二号四四頁、学説では、保原喜志夫「損害賠償と社会保障給付」社会保障判例百選(第二版)(平成三年)一九頁参照。
 (22) 荒木誠之『労災補償法の研究』(昭和五六年)一八六頁、時岡泰「労働者災害補償保険法又は厚生年金保険法に基づく保険給付の確定と受給権者の使用者に対する損害賠償債権額から将来の給付額を控除することの要否」法曹時報三〇巻八号一三二七頁等。
 (23) 西村健一郎「労災補償の社会保障化」恒籐武二編・論争労働法(昭和五三年)三二二頁、同「損害賠償と労災保険給付の控除−年金給付の場合を中心として−」民商法雑誌七八巻臨時増刊号(四)(昭和五三年)四三四頁参照。
 (24) 最判昭和五〇年一〇月二四日民集二九巻九号一三七九頁、学説では、保原喜志夫「損害賠償と社会保障給付」社会保障判例百選(第二版)(平成三年)一九頁参照。
 (25) 東京高判昭和一七年六月一二日法律新聞四八〇〇号一二頁、最判昭和三九年九月二五日民集一八巻七号一五二八頁。
 (26) 最判昭和三九年九月二五日民集一八巻七号一五二八頁。学説では、谷口知平「損害賠償額の算定」総合判例研究双書(4)(昭和三二年)七五頁。
 (27) 石田喜久夫「労災保険給付の確定と使用者に対する賠償債権額からの控除」判例タイムズ三九〇号(昭和五五年)一五一頁、斎藤修「労働者災害補償法又は厚生年金保険法に基づく保険給付の確定と受給権者と使用者に対する損害賠償債権額から将来の給付額を控除することの要否」民商法雑誌七八巻六号(昭和五三年)八四二頁、西村健一郎「厚生年金保険法又は労働者災害補償保険法(昭和四八年法律第八五号による改正前のもの)に基づく保険給付の確定と受給権者の第三者に対する損害賠償債権額からの控除」民商法雑誌第七八巻三号(昭和五三年)三七五頁等。
 (28) 東京地判昭和四八年九月一四日判時七二五号六五頁、名古屋高判昭和五二年一二月一九日判時八九二号六九頁、旭川地判昭和五四年一二月一一日判時九六三号八四頁。
 (29) 函館地裁昭和三七年四月一二日訟務月報三巻一二号四七頁、最判昭和五〇年一月三一日民集二九巻一号六八頁、水戸地裁昭和五四年三月二九日判時九三五号八九頁。
 (30) 金沢理「火災保険金と損益相殺」判例タイムズ三二五号(昭和五二年)一二三頁、西島梅治「火災保険金と損益相殺」損害保険判例百選(昭和五五年)一五頁、同『保険法(新版)』(平成三年)二〇三頁、龍田節「保険金と損益相殺」商法(保険・海商)判例百選(第二版)平成五年一五頁等。なお、保険法では保険代位による構成を「非控除説」ということもある。損害賠償債権そのものが縮減するわけではないからであろう。
 (31) 社会保障給付については、西原道雄「療養給付と民法上の損害賠償請求」社会保障判例百選(第二版)(平成三年)四五頁、寳金敏明「各種保険・補償代位の問題点」牧山市治=山口和夫編・民事判例実務研究第三巻(昭和五八年)二一五頁が代位構成を支持している。なお、保険代位と損害賠償額の縮減について詳しく述べたものとして、西島梅治「各種保険と損害の填補」判例タイムズ二六八号(昭和四六年)二〇四頁以下参照。
 (32) 最判昭和四六年一二月二日判時六五六号九〇頁、最判昭和五二年一〇月二五日民集三一巻六号八三六頁。
 (33) 厚生年金保険法四〇条、国民年金法二二条、健康保険法六七条、国家公務員等共済保険法四八条、労災保険法一二条の四。労災保険法一二条の四は第三者行為災害についての規定であり、使用者に対する損害賠償請求においては適用がないと一般には解されている。しかし、労災保険法には第三者についての定義規定はないし、保険関係においては使用者は保険者でも被保険者でもないので、第三者であるということも可能であろう。この点については昭和五五年新設六七条によって解決されている。
 (34) 東京高判昭和四六年一〇月一九日判時六五二号四四頁は、保険給付と損害賠償が「別個独立のものとして併存する」ことを控除しないことの根拠としているが、「まず療養給付請求権を行使し、しかる後に右給付額の内容とていしょくしない範囲においてのみ加害者らに対する損害賠償の請求をすべきことを要求するわけにはいかない」とも判示している。これは先に支払うほうからは減額せずに、後から支払うほうが調整すべきことを示しており、代位構成に合致する判示であるといえるであろう。
 (35) 石田・西村等前掲。
 (36) 岩村政彦・ジュリスト八二八号一九一頁。
 (37) 岩村政彦・ジュリスト一〇二七号七二頁。
 (38) ジュリスト一〇二七号七三頁。
 (39) しかし、社会保障法学者には代位説を主張する者や、代位の規定に言及するものは少ない。これは、社会保障法学者には併行給付の調整そのものに反対するものが多く、代位説や代位の規定は調整を正当化することになるためであると思われる。
 (40) 藤島少数意見はこの点も考慮しているようである。
 (41) さらにこの立場をつきつめると、本人がまだ現役で職務に従事している場合に、第三者の行為によって本人が死亡したとしても、共済組合は将来の退職年金の支払を免れることになるので、遺族年金についてはいっさい代位規定の適用がないことになる。
 (42) 仙台地判昭和五四年一月一七日判時九二六号九一頁。

*本稿は、筆者が名古屋大学大学院法学研究科在学時の平成五年に、同大学院において開催されていた民事判例研究会において発表した原稿に、若干の修正をしたものである。また、本稿の要旨は、石原治『不法行為改革』(平成八年、勁草書房)二一六頁以下及び二一八頁注(10)以下に発表済である。「生存保険給付の損害算入」「併行給付の調整」「遺族給付と保険代位」は、この判例研究をもとに執筆した。関連する論稿として、「損害の算定」も参照。なお、当時判例研究会の担当教官であった伊藤高義先生が、このテーマについて「損益相殺」『新現代損害賠償法講座6損害と保険』(平成一〇年、日本評論社)で論じている。また、本件に関連する最高裁判例について、 判例紹介「労災特別支給金と損害賠償の調整(最判平成八年二月二三日)」障害年金の損害算入(最判平成一一年一〇月二二日)「遺族年金の損害算入(最判平成一二年一一月一四日)」参照。

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