遺族年金の損害算入

最高裁平成一二年一一月一四日第三小法廷判決(平成一一年(受)第二五七号損害賠償請求事件)

【要旨】
 他人の不法行為により死亡した者が生存していたならば将来受給し得たであろう遺族年金は、右不法行為による損害としての逸失利益には当たらない。

【事実】
 Aは厚生年金保険法による遺族厚生年金及び市議会議員共済会の共済給付金としての遺族年金を受給していた。このAが自動車事故で死亡した。そこで、被害者の遺族Xが、被害者Aが生存していればその平均余命期間に受給することができた右各年金の額が被害者の逸失利益に当たるとして、加害者Yらに対しその賠償等を求めた。
 第一審は、各遺族年金の受給見込額が損害賠償額の算定において算入されると判断したが、原審である第二審は、各遺族年金の受給見込額は損害賠償額の算定において算入されないと判断した。
 これを不服として、Xが上告したのが本件である。

【判旨】 上告棄却
 「遺族厚生年金は、厚生年金保険の被保険者又は被保険者であった者が死亡した場合に、その遺族のうち一定の者に支給される(厚生年金保険法五八条以下)ものであるところ、その受給権者が被保険者又は被保険者であった者の死亡当時その者によって生計を維持した者に限られており、妻以外の受給権者については一定の年齢や障害の状態にあることなどが必要とされていること、受給権者の婚姻、養子縁組といった一般的に生活状況の変更を生ずることが予想される事由の発生により受給権が消滅するとされていることなどからすると、これは、専ら受給権者自身の生計の維持を目的とした給付という性格を有するものと解される。また、右年金は、受給権者自身が保険料を拠出しておらず、給付と保険料とのけん連性が間接的であるところからして、社会保障的性格の強い給付ということができる。加えて、右年金は、受給権者の婚姻、養子縁組など本人の意思により決定し得る事由により受給権が消滅するとされていて、その存続が必ずしも確実なものということもできない。これらの点にかんがみると、遺族厚生年金は、受給権者自身の生存中その生活を安定させる必要を考慮して支給するものであるから、他人の不法行為により死亡した者が生存していたならば将来受給し得たであろう右年金は、右不法行為による損害としての逸失利益には当たらないと解するのが相当である。」
 「また、市議会議員共済会の共済給付金としての遺族年金は、市議会議員又は市議会議員であった者が死亡した場合に、その遺族のうち一定の者に支給される(地方公務員等共済組合法一六三条以下、市議会議員共済会定款二五条以下)ものであるが、受給権者の範囲、失権事由等の定めにおいて、遺族厚生年金と類似しており、受給権者自身は掛金及び特別掛金を拠出していないことからすると、遺族厚生年金とその目的、性格を同じくするものと解される。したがって、遺族厚生年金について述べた理は、共済給付金たる遺族年金においても異なるところはない」。

【評釈】
 私見は判示に反対である。
 最高裁は平成五年判決(最高裁平成五年三月二四日大法廷判決民集四七巻四号三〇三九頁)で退職年金(すなわち老齢年金)について損害算入を認め、平成一〇年判決(最高裁平成一一年一〇月二二日第二小法廷判決民集五三巻七号一二一一頁)で障害年金について損害算入を認めたが、本件平成一二年判決で遺族年金については損害算入を否定した。これで、老齢年金、障害年金、遺族年金について最高裁の判断が出そろったことになる。以下では、それぞれの判決の理由づけについて確認し、検討することにしよう。
 平成五年判決では、多数意見は、退職年金の損害算入についてなんら理由を述べていないといってよい。園部・佐藤・木崎意見は、退職年金は退職後死亡までの期間において退職者の有する全稼働能力を平均して金額的に表彰するものである述べている。しかし、むしろ、退職年金は退職前の稼働能力を表彰するものである。退職者には稼働能力がないからこそ、退職年金が支給されるのである。このことは園部・佐藤・木崎意見自身が指摘するように、寝たきりの状態にあるものにも退職年金が支給されることを考えれば明らかなように思われる。したがって、退職年金を損害賠償の対象とする積極的な理由はなんら示されていないというべきであろう。これに対し、藤島意見は、退職年金は本人の退職後における一定の生活水準を維持するために給付される生活保障であり、本人の稼働能力と結び付ける余地はなく、退職年金は本人の逸失利益として算定すべきではないとして、退職年金が損害に算入されない理由を示している。
 平成一〇年判決では、障害年金は「保険料を納付している被保険者が所定の障害等級に該当する障害の状態になったときに支給されるものであって」、「程度の差はあるものの、いずれも保険料が拠出されたことに基づく給付としての性格を有している」と述べている。
 他方、本件平成一一年判決では、遺族年金は「専ら受給権者自身の生計の維持を目的とした給付という性格を有する」。そして、「受給権者自身が保険料を拠出しておらず、給付と保険料とのけん連性が間接的である」。加えて、「その存続が必ずしも確実なものということもできない」。これらの点にかんがみると、「遺族厚生年金は、受給権者自身の生存中その生活を安定させる必要を考慮して支給するものである」と述べている。
 しかしながら、障害年金も遺族年金も「専ら受給権者自身の生計の維持を目的とした給付という性格を有する」ことに違いはない。また、遺族年金は「その存続が必ずしも確実なものということもできない」というが、そもそも受給権者が死亡すれば障害年金も遺族年金も存続しないものであるから、障害年金も遺族年金もその存続が必ずしも確実なものということはできないのである。明確な違いは、遺族年金は受給権者自身が保険料を拠出していないが、障害年金は受給権者自身が保険料を拠出することがあるということであるが、障害年金であってもいわゆる「サラリーマンの配偶者たる専業主婦(夫)」など保険料を拠出していない受給権者もある。私保険を考えると、遺族年金に近い生命保険であっても障害年金に近い障害保険であっても、保険料負担者と保険金受取人とが異なる場合もあるし、同じ場合もある。保険料負担者が誰かということが、給付を損害賠償において算入するか否かという問題に結びつく理由はない。いずれにしても、障害年金も遺族年金も「受給権者自身の生存中その生活を安定させる必要を考慮して支給するものである」といえるであろう。
 したがって、最高裁判例の理由づけになんら一貫性はないのであり、次に述べるように、結論も理由づけも誤っているのである。
 続いて、本件の論点についての筆者の見解を説明しよう。
 本件で論点となっている生存給付の損害算入については、平成五年判決がリーディングケースであって、筆者の結論は、この平成五年判決の判例研究等で示したとおりであり(文末参照)、要するに、遺族年金のような生存給付は損害の算定において算入されないというものである。その概要を示すと次のとおりである。
 まず、人身損害の算定について考えるために、「逸失賃金」について検討しよう。人身損害賠償について、逸失賃金自体を損害と考える立場では、被害者と被害者の雇用者との契約関係にもとづく賃金(請求権)の損失を損害としているのであり、加害者とは無関係の契約関係を損害賠償の基準とするのは当然であるということになる。しかし、人身損害も物損と基本的には同一であり、物損の場合の損害賠償額がその物の市場価格によって決定されるように、人身損害についても損害は労働市場における市場価格で決定される。その意味で、賃金を損害賠償額算定の基礎にしているにすぎないのである。
 たとえば、ある物が毀損された場合、その物が市場で売買されているときは、市場におけるその物の価格が損害額と算定されることになる。その物がほとんど市場で売買されていないが、市場において賃貸されている場合、市場における賃料等から、例えば次のように損害額が算定されることになる。その物が市場において年六万円で賃貸されており、その物の維持費が年一万円とすると、その物は年五万円の利益を生むことになる。そして、その物を今後二〇年の期間にわたって賃貸できる場合には、その物は五万円×二〇年=一〇〇万円の価値があることになる(このほか、その物が年五万円の利益を生む場合、市場金利を年利五%とみて、その物には一〇〇万円の価値があるという算定方法もありえるであろう)。その物が毀損された場合、その物を金銭に換算した場合の損害額は一〇〇万円であり、被害者は一〇〇万円の損害賠償請求をしうることになる。決して、毎年五万円の損害が発生するわけではない。物が毀損された瞬間にその物という損害が発生するのであり、その損害の算定額が一〇〇万円なのである。
 人身被害の算定も物損の場合と同様に考えることができる。たとえば、交通事故で腕を失った場合、腕そのものが損害である。そして、次のように損害額の算定をするのである。腕を失わなかった場合、年六〇〇万円の収入を得られたが、腕を失ったことにより、年三〇〇万円の収入しか得られなくなったとする。そして、今後二〇年間働くことができたとする。この場合、右腕という損害は、(六〇〇万円−三〇〇万円)×二〇年=六〇〇〇万円と算定される。決して、毎年三〇〇万円の損害が発生するわけではなく、腕を失った瞬間に腕という損害が発生するのであり、その損害の算定額が六〇〇〇万円なのである。すなわち、逸失利益といわれてきたものは損害ではなく、損害額の算定における一つの指標にすぎない。
 被害者死亡の場合でも同様である。生存給付の内容は保険者(保険会社又は政府等)と被保険者との間で決定される。被保険者の年収に関係なく高額の生命保険に加入することができるように、被保険者の年収に関係なく高額の生存(老齢・退職)給付がなされることがある。たとえば、稼働能力が皆無であったとしても、一億円の生存(老齢・退職)給付がされることもありえる。要するに、生存給付は被害者の生命の価値とは無関係である。したがって、生存給付は、被害者の生命という損害の算定の基礎とはなりえない。結局、実定法解釈としては、生命という損害の算定において生存給付は算入されないのである。
 そして、稼働能力が皆無であったとしても、一億円の生存(老齢・退職)給付がされることもありえるとすれば、加害者とは無関係に給付される生存給付の内容が加害者の責任に影響を及ぼすはずがないし、及ぼすべきではないと筆者は判断する。
 具体例として、次のような場合を考えてみよう。七〇歳まで生存したときには二〇〇〇万円が給付されるが、七〇歳前に死亡した場合にはいっさい給付はなされないという生存給付があったとする。AはYの不法行為によって七〇歳直前に死亡した。Aの遺族XはYにこの生存保険給付を受給できなかったことを損害として賠償請求することができるだろうか。Yの不法行為がなかったらAは二〇〇〇万円受け取ることができた、というのは言葉のトリックにすぎない。さらに、次のような仮定のもとで考えをすすめてみよう。実は、この生存給付の対象は、AのほかにBだけであった。この生存給付の予算は二〇〇〇万円であり、この予算のために、AとBとがそれぞれ(保険料又は税というかたちで)一〇〇〇万円の負担していたとする。さて、この場合、二〇〇〇万円の給付額というのは、どちらかが七〇歳前に死亡することをみこして設定していたことになる。そして、Bは七〇歳まで生存して二〇〇〇万円受け取ったとする。このような状況においては、「Yの不法行為がなかったらAは二〇〇〇万円受け取ることができた」という主張は誤っている。もしもYの不法行為がないとはじめからわかっていたならば、二〇〇〇万円の給付をするような設定などしないのである。すなわち、当初から、不法行為死亡をも考慮に入れ、不法行為死亡の場合にはまったく給付が得られないということを前提としたうえで、一人あたり一〇〇〇万円の負担に見合う一〇〇〇万円の給付の期待値がAにはあったのである。それ以上の利益をA(の遺族)に認める必要はない。さらに、想定を追加しよう。XはAの死亡により二〇〇〇万円の生命保険金を得ていたとする。この場合において、Xが生存給付を損害として請求できるとすれば、Xは死亡給付である生命保険と、生存給付分の損害賠償との二重取りになってしまい、これは明らかに過分な利得である。
 結局、生存(保険)給付や死亡給付(生命保険)は、ある一定の事象の発生・不発生により配当の有無が決まるギャンブルであり、予想外の事態が発生したからといって、ギャンブルの損害の填補を他人に求めることはできないのである。要するに、死亡の原因を作出したものに生存給付額を要求するのは、競馬で落馬した騎手に勝馬配当額を請求するようなものなのである。
 最後に、次の点を確認しておく必要がある。老齢年金、障害年金、遺族年金などの生存給付を損害として算定するとすれば、現在の社会保険制度では国民皆保険が実現しているのであるから、死亡時に三〇歳であっても二〇歳であっても、二歳であっても、胎児であっても、平均余命まで生存していたと仮定すれば、六五歳以降は少なくとも老齢基礎年金が支給されていたはずである。つまり、被害者が死亡した場合には常に老齢基礎年金等を損害として算定しなければならないのである。生存給付を損害賠償において損害額算定に算入するとすれば、それは人身損害算定方法の全面的な革新になるといってよいであろう。

(参考)
本稿の判例は最高裁判所ホームページ http://www.courts.go.jp/ から参照しました。
本稿の評釈部分は、平成五年最高裁判決を対象とした判例研究「退職年金の逸失利益算定と遺族年金の控除」及び「損害の算定」「生存保険給付の損害算入」を再構成したものです。また、平成一一年最高裁判決については、判例紹介障害年金の損害算入(最判平成一一年一〇月二二日)参照。

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