一、実定法解釈
死亡や傷害といった人身被害を被った場合、損害保険や社会保険から損害の填補を受けることがある。これらの保険給付があった場合、被害者の加害者に対する損害賠償額から保険給付の額を控除することがある。これは、保険代位が根拠である。保険代位とは、保険給付の根拠となる保険契約や法規に、保険給付のなされた範囲で損害賠償債権が被害者から保険者に移転することが定められており、この規定にしたがって損害賠償債権の移転があったのであるから、被害者の有する損害賠償債権はその範囲で縮減するというものである。損害保険では商法第六六二条に規定がある。また、多くの社会保険や労災保険にも損害保険と同様の代位の規定がある(厚生年金保険法第四〇条、国民年金法第二二条、健康保険法第六七条、国家公務員共済組合法第四八条、地方公務員等共済組合法第五〇条、労災保険法第一二条の四。労災保険法第一二条の四は第三者行為災害についての規定であり、使用者に対する損害賠償請求においては適用がないと一般には解されていた。しかし、労災保険法には第三者についての定義規定はなく、保険関係においては使用者は保険者でも被保険者でもないので、使用者も第三者であるという解釈も成立しえた。この点については昭和五五年新設第六四条によって解決されている)。これらの社会保険や労災保険の給付がなされた場合、給付のなされた範囲で損害賠償債権が被害者から保険者に移転するので、被害者から加害者に対する損害賠償請求においては、その給付額を損害賠償額から控除することになる。他方、労災保険特別支給金にはこのような代位の規定はない。また、生命保険は損害保険ではないので、やはり保険代位の規定の適用はない。したがって、特別支給金や生命保険については、その支給額を損害賠償額から控除することはできない(なお、この処理は結論としては過去の最高裁判例の傾向とおおむね一致している)。
また、多くの代位の規定は、支給を「行った」範囲で損害賠償債権が被害者から保険者に移転する、と規定されている。したがって、すでに支給が行われた範囲でのみこれらの給付額が損害賠償額から控除され、将来に給付されると予想される額については、いまだ損害賠償債権の移転はないのであるから、損害賠償額から控除しないことになる(なお、この処理も結論としては過去の最高裁判例の傾向とおおむね一致している)。
<最高裁判例一覧>
以下のとおり、調整規定がある制度については支給済分は控除され、調整規定がない制度については併行給付は控除されていない。また、将来分の控除は否定されている。
制度 | 年月日 | 判例集 | 支給済 | 将来分 | 調整規定 |
生命保険 | 昭和三九年九月二五日 | 民集一八巻七号一五二八頁 | 非控除 | なし | |
労災保険使用者行為災害 | 昭和四六年一二月二日 | 判時六五六号九〇頁 | 控除 | 非控除 | 労災保険法第一二条の四? |
火災保険 | 昭和五〇年一月三一日 | 民集二九巻一号六八頁 | 控除 | 商法第六六二条 | |
共済組合遺族年金 | 昭和五〇年一〇月二四日 | 民集二九巻九号一三七九頁 | 控除 | 国家公務員共済組合法第四八条 | |
労災保険第三者行為災害 | 昭和五二年五月二七日 | 民集三一巻三号四二七頁 | 控除 | 非控除 | 労災保険法第一二条の四 |
厚生年金 | 昭和五二年一〇月二五日 | 民集三一巻六号八三六頁 | 控除 | 非控除 | 厚生年金保険法第四〇条 |
労災保険使用者行為災害 | 昭和五二年一〇月二五日 | 民集三一巻六号八三六頁 | 控除 | 非控除 | 労災保険法第一二条の四 |
労災保険遺族補償 | 昭和五二年一二月二二日 | 集民一二二号五五九頁 | 控除 | 非控除 | 労災保険法第一二条の四 |
所得補償保険 | 平成元年一月一九日 | 判時一三〇二号一四四頁 | 控除 | 商法第六六二条 | |
共済組合退職年金 | 平成五年三月二四日 | 民集四七巻四号三〇三九頁 | 控除 | 非控除 | 地方公務員等共済組合法第五〇条 |
労災特別支給金 | 平成八年二月二三日 | 民集五〇巻二号二四九頁 | 非控除 | なし |
二、妥当性の検討
(一)代位の規定がある場合
正しい実定法解釈として保険代理構成を説明したが、続いて、立法政策論的妥当性について検討しよう、代位の規定がある場合の処理に限定して考えてみよう。保険代位構成によると、将来分を控除しないことになり、将来分については損害の二重填補になるのではないかという懸念がありえる。しかし、代位の規定がある場合には、あわせて、損害賠償を受け取った部分については将来にわたって保険給付のほうが減額ないし支給停止される旨の規定が用意されている(商法第六六二条、厚生年金保険法第四〇条、国民年金法第二二条、健康保険法第六七条、国家公務員等共済保険法第四八条、地方公務員等共済組合法第五〇条、労災保険法第一二条の四)。したがって、保険給付と損害賠償請求権の二重填補になることはない。一見、支給済分と将来分とで整合性のない解決をしているようにみえるが、実際は、先に支払うほうからは減額せず、後から支払うほうから減額するという、明快で一貫した取り扱いがなされているのである。また、保険者に移転した損害賠償債権によって加害者に対して責任追求がなされるのであるから、加害者が理由なく賠償義務を減免されることもない。
このように、保険代位構成は明文の根拠にもとづき、かつ二重填補や二重支払の心配もなく、加害者に対する責任追求も貫徹される優れた構成であると筆者は判断する。
(二)代位の規定がない場合
次に代位の規定がない場合について検討しよう。前述したように、実定法解釈としては、代位の規定がない場合には控除は否定されることになる。
被害者の立場を考えると、控除を否定するということは、二重填補を認めることになる。二重填補は望ましくないかもしれないが、保険契約は締結時においては二重填補を目的としたものではない。二重填補の余地のある契約であっても、公序良俗に反しない以上は、契約自体を無効とする余地はない。そして、結果的に二重填補になったとしても、一方当事者が利得することは通常の取引にもあることであり、必ず調整しなければならないわけではないと筆者は考える。
他方、加害者の立場を考えると、代位の規定がある場合には、被害者から加害者に対する損害賠償請求において控除された額は、保険者が加害者に求償することになるため、加害者の最終的な負担額はかわらない。しかし、代位の規定がない場合に控除をすると、加害者を根拠なく利することになる。たとえ二重填補が正当化できないとしても、加害者が根拠なく賠償を減免されることも正当化できないと筆者は考える。
社会保険においても、損害保険においても、ほとんどの給付に代位や支給停止の規定が用意されている。それにもかかわらず、あえて代位や支給停止の規定のない給付があるということは、それらの給付においては損害賠償と調整する必要はないという政策的判断が立法あるいは契約においてなされているとみることができると筆者は考える。
三、議論の展開
本稿では保険に焦点をあわせたが、保険以外の併行給付も基本的には同様に考えればよい。例えば、被害者が死亡し、その勤務先から死亡退職金が支払われた場合、死亡退職金規程などによって加害者に対する請求権が被害者の勤務先に移転する場合には、被害者の遺族から加害者に対する請求額は死亡退職金の金額を控除したものになる。加害者に対する請求権が勤務先に移転しない場合には、遺族の加害者に対する請求額から死亡退職金の額を控除する理由はないことになる。
なお、併行給付の問題を検討するさいには、損害とはなにかということを前提として確認しておく必要があるかもしれない。例えば交通事故で腕を失った場合、腕そのものが損害であり、いわゆる逸失利益はその腕の価額の算定方法にすぎないというのが筆者の見解である。
*本稿は、筆者が名古屋大学大学院法学研究科在学時の平成五年に、同大学院において開催されていた民事判例研究会において発表した判例研究「退職年金の逸失利益算定と遺族年金の控除」をもとに執筆したものであり、本稿の要旨は、石原治『不法行為改革』(平成八年、勁草書房)二一六頁以下に発表済である。なお、当時判例研究会の担当教官であった伊藤高義先生が、このテーマについて「損益相殺」『新現代損害賠償法講座6損害と保険』(平成一〇年、日本評論社)の中で論じている。また、本稿に関連する判例として、判例紹介「労災特別支給金と損害賠償の調整(最判平成八年二月二三日)」参照。