労災特別支給金と損害賠償の調整

最高裁平成八年二月二三日第二小法廷判決(平成六年(オ)第九九二号損害賠償事件)

【要旨】
 被害者が受給した労災特別支給金は損害賠償額から控除することはできない。

【事実】
 Y会社に勤務するXは、労働災害によって負傷した。Xは労災保険給付として休業補償給付、障害補償給付を受給し、また、労災保険法第二三条に定める福祉事業の一環として、休業特別支給金と障害特別支給金を受けていた。他方、Xは、この負傷にかかる損害について、Y会社に対して、民事損害賠償請求訴訟を提起した。第一審、第二審(原審)ともに、休業補償給付と障害補償給付については損害賠償額から控除したが、休業特別支給金と障害特別支給金については損害賠償額から控除しなかった。これを不服としてY会社が上告したのが本件である。

【判示】上告棄却
「労働者災害補償保険法(以下「法」という。)による保険給付は、使用者の労働基準法上の災害補償義務を政府が労働者災害補償保険(以下「労災保険」という。)によって保険給付の形式で行うものであり、業務災害又は通勤災害による労働者の損害をてん補する性質を有するから、保険給付の原因となる事故が使用者の行為によって生じた場合につき、政府が保険給付をしたときは、労働基準法八四条二項の類推適用により、使用者はその給付の価額の限度で労働者に対する損害賠償の責めを免れると解され(最高裁昭和五〇年(オ)第六二一号同五二年一〇月二五日第三小法廷判決・民集三一巻六号八三六頁参照)、使用者の損害賠償義務の履行と年金給付との調整に関する規定(法六四条、平成二年法律第四〇号による改正前の法六七条)も設けられている。また、保険給付の原因となる事故が第三者の行為によって生じた場合につき、政府が保険給付をしたときは、その給付の価額の限度で、保険給付を受けた者の第三者に対する損害賠償請求権を取得し、保険給付を受けるべき者が当該第三者から同一の事由について損害賠償を受けたときは、政府はその価額の限度で保険給付をしないことができる旨定められている(法一二条の四)。他方、政府は、労災保険により、被災労働者に対し、休業特別支給金、障害特別支給金等の特別支給金を支給する(労働者災害補償保険特別支給金支給規則(昭和四九年労働省令第三〇号))が、右特別支給金の支給は、労働福祉事業の一環として、被災労働者の療養生活の援護等によりその福祉の増進を図るために行われるものであり(平成七年法律第三五号による改正前の法二三条一項二号、同規則一条)、使用者又は第三者の損害賠償義務の履行と特別支給金の支給との関係について、保険給付の場合における前記各規定と同趣旨の定めはない。このような保険給付と特別支給金との差異を考慮すると、特別支給金が被災労働者の損害をてん補する性質を有するということはできず、したがって、被災労働者が労災保険から受領した特別支給金をその損害額から控除することはできない」。

【評釈】
 筆者の私見は判示にほぼ賛成である。
 本件は、被害者が受給した労災特別支給金は損害賠償額から控除することはできないことを示したものである。その理由として、本件判示は、@労災特別支給金については損害賠償と調整をする規定がないこと、A特別支給金の支給は労働福祉事業の一環として被災労働者の療養生活の援護等によりその福祉の増進を図るために行われるものであって損害をてん補する性質を有するということはできないということ、をあげていると思われる。
 筆者の私見によれば、被害者が受給した労災特別支給金は損害賠償額から控除することはできず、その理由は、@特別支給金については損害賠償からの控除を根拠づける規定がないことに尽きる。A特別支給金の支給は労働福祉事業の一環として被災労働者の療養生活の援護等によりその福祉の増進を図るために行われるものであるのは、そのとおりであると推測されるが、それは制度趣旨であり、実定法解釈の根拠とはなりえないし、特別支給金にも損害をてん補する性質がまったくないとはいえないであろう。大雑把な言い方をすれば、所得の六割が労災保険により填補され、二割が特別支給金により填補されるのである。Aに言及せず、@のみを理由としていれば、異論批判の余地のない判示であったと思われる。
 私見によれば、各種保険給付等の併行給付の調整は、保険代位が根拠である。保険代位とは、保険給付の根拠となる保険契約や法規に、保険給付のなされた範囲で損害賠償債権が被害者から保険者に移転することが定められており、この規定にしたがって損害賠償債権の移転があったのであるから、被害者の有する損害賠償債権はその範囲で縮減するというものである。損害保険では商法第六六二条に規定がある。また、多くの社会保険や労災保険にも損害保険と同様の代位の規定がある(厚生年金保険法第四〇条、国民年金法第二二条、健康保険法第六七条、国家公務員共済組合法第四八条、地方公務員等共済組合法第五〇条、労災保険法第一二条の四)。これらの社会保険や労災保険の給付がなされた場合、給付のなされた範囲で損害賠償債権が被害者から保険者に移転するので、被害者から加害者に対する損害賠償請求においては、その給付額を損害賠償額から控除することになる。
 また、多くの代位の規定は、支給を「行った」範囲で損害賠償債権が被害者から保険者に移転する、と規定されている。したがって、すでに支給が行われた範囲でのみこれらの給付額が損害賠償額から控除され、将来に給付されると予想される額については、いまだ損害賠償債権の移転はないのであるから、損害賠償額から控除しないことになる。
 そして、代位の規定がある場合には、あわせて、損害賠償を受け取った部分については将来にわたって保険給付のほうが減額される規定が用意されている(商法六六二条、厚生年金保険法四〇条、国民年金法二二条、健康保険法六七条、国家公務員等共済保険法四八条、労災保険法一二条の四)。したがって、保険給付と損害賠償請求権の二重取りになることはない。一見、支給済分と将来分とで整合性のない解決をしているようにみえるが、実際は、先に支払うほうからは減額せず、後から支払うほうから減額するという、明快で一貫した取り扱いがなされているのである。また、保険者に移転した損害賠償債権によって加害者に対して責任追求がなされるのであるから、加害者が理由なく賠償義務を減免されることもない。
 このように、保険代位構成は、明文の根拠にもとづき、かつ二重填補や二重支払の心配もなく、加害者に対する責任追求も貫徹される優れた構成である。
 他方、保険代位構成を突き詰めれば、代位の規定がない場合には、損害賠償額からの控除は否定されることになる。労災特別支給金にはこのような代位の規定はない。また、生命保険は損害保険ではないので、やはり保険代位の規定の適用はない。したがって、特別支給金や生命保険については、その支給額を損害賠償額から控除することはできない。ほとんどの給付に代位・支給停止の規定が用意されているのに、あえて代位・支給停止の規定のない給付があるということは、立法において控除する必要はないという政策的判断がなされているのである。
 社会保険給付と損害賠償との調整が争点となった事件においては、最高裁の結論は、この保険代位構成の結論とほぼ一致している。しかしながら、理由づけにおいては、最高裁は、この保険代位構成をほとんど採用してこなかったといってよい。本判決の意義は、最高裁が、その理由づけにおいて、保険代位構成を採用したとはいえないまでも、保険代位構成を類推させる判示をしたということにあると筆者は考える。
 ところで、本件判示において、労災保険法第一二条の四のいわゆる第三者行為災害の規定が言及されているが、この規定は本件のような使用者に対する損害賠償請求においては適用がないと一般には解されているようである。しかし、労災保険法には第三者についての定義規定はなく、保険関係においては政府が保険者であり、労働者が被保険者であって、この政府と労働者が当事者であるといえるのであるから、保険者でも被保険者でもない使用者も当事者ではなく第三者であるという解釈も成立しえたのである。

(参考)
本稿の判例は最高裁判所ホームページ http://www.courts.go.jp/ から参照しました。
本稿の評釈部分は、平成五年最高裁判決を対象とした判例研究「退職年金の逸失利益算定と遺族年金の控除」及び「併行給付の調整」を再構成したものです。また、「遺族給付と保険代位」も参照。

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