パブリカ。 佐久間學

(21/2/20-21/3/13)

Blog Version

3月13日

MAHLER
Symphony No. 2
Tünde Szabóki(Sop), Nadine Weissmann(Alt)
Adam Fischer/
Choir of the Städtischer Musikverein zu Düsseldorf(by Marieddy Rossetto)
Düsseldorfer Symphoniker
AVI/8553485


アダム・フィッシャーという指揮者を最初に体験したのは、かなり前のことでした。まだ若いころ、テレビでNHK交響楽団と共演(確か、1991年)していたのを見て、そのキレの良い指揮ぶりがとても魅力的だった印象があります。これは楽しみな指揮者が現れたな、とその時は思ったのですが、そのあとこのオーケストラと指揮をする姿は見かけなくなっていました。その理由は、最近こちらの本を読んで分かりました。どうも、このオーケストラとは相性が悪かったようですね。彼らはとんでもなく陰湿な「いじめ」をこの指揮者に対して行っていたようで、それ以降共演することはなくなっていたのでしょう。
それでも彼は世界を舞台に着々とそのキャリアを築き上げ、自ら、ウィーン・フィルのメンバーなどを集めて結成した「オーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団」とともに1987年から2001年にかけて録音した、最初のデジタル録音によるハイドンの交響曲全集(NIMBUS→BRILLIANT)は、世界中から注目されました。さらに、2001年から2007年にかけてはバイロイト音楽祭にも登場して、「指輪」や「パルジファル」を指揮するようになっていました。
現在は、オーケストラとしてはデンマーク室内管弦楽団と、デュッセルドルフ交響楽団の首席指揮者のポストにあるようです。デンマーク室内管弦楽団とはすでに2013年にモーツァルトの交響曲全集をDACAPOレーベルに完成させました。そして、現在はデュッセルドルフ交響楽団とのマーラー・ツィクルスが完成間近という状況です。彼はN響の「いじめ」でのみじめな体験をバネに、着実に世界的な大指揮者への道を切り拓いてきたのですね。というか、今となってはN響はまさに笑いもの、そういえば、このオーケストラに「ボイコット」されても世界的な指揮者となった人がもう一人いましたね。
その、AVIレーベルへのマーラーの交響曲は、これまでに「大地の歌」を含めて8曲がリリースされています。今回の「2番」の後には「6番」しか残っていませんから、こちらも完成間近ですね。それらの録音は、すべてこのオーケストラの本拠地、デュッセルドルフのトーンハレというホールで行われたコンサートでのライブです。このホールの写真がこちらです。
なんというか、恐ろしく大きな円天井が印象的な建物ですね。実は、ここは最初はプラネタリウムとして作られた建物だったのだそうです。この円天井は、そのスクリーンだったのですね。そんな広大な空間を、そのまま音楽ホールとして使っているのですから、さぞや素晴らしい音響なのでしょう。
ただ、おそらく実際にその場で味わえば、感動を呼ぶ体験になったのでしょうが、残念ながらこの録音からは、到底それが再現されているとは思えませんでした。なによりも、そのダイナミック・レンジを忠実に伝えようとするあまり、最強音に比べて最弱音のレベルを思い切り下げていますから、かなりボリュームを上げないことには、その最弱音がほとんど聞こえないほどのものになってしまっているのですよ。逆に、そこをきちんと聴こうとすると、最強音でのあまりの音圧にちょっと耐えられない思いをすることになります。
そんな悲劇を招いているのが、第4楽章の「Urlicht」です。アルトのヴァイスマンは素晴らしい音色で、表現力も豊か、まさにこの曲のこの場にふさわしい声なのですが、このレベル設定のおかげでそれがストレートには伝わってはこないのですよ。
それにしても、この曲の最後の楽章の多彩さ、言い換えればハチャメチャさは、群を抜いています。これまでさんざんこの曲は聴いてきたはずなのに、今回のフィッシャーの演奏では、本当にこの先はどうなるのか予想できないような期待感が満載です。まさにドラマです。
それを支える演奏家の力にも驚かされます。合唱が出てくる直前のシーンでのピッコロ・ソロは、どう聴いてもフルートの高音にしか思えないような、安定した音色とピッチ。これは奇跡です。

CD Artwork © Avi-Service for music


3月11日

BIBER
Requiem
Lionel Meunier/
Vox Luminis Freiburger Barockconsort
ALPHA/ALPHA 665


21世紀の大惨事のちょうど10年後、弔旗がはためくこの日に「レクイエム」を聴いて過ごす、というのは、もしかしたら長期の習慣になっている人もいるのかもしれません。ただ、そんな時に選ぶ「レクイエム」は、ヴェルディのような押し寄せるエネルギーに圧倒されるものではなく、もっとしっとりとしたフォーレあたりがふさわしいのではないでしょうか。もちろん、実際に毎年コンサートも行われるモーツァルトだってかまいません。
そのモーツァルトが生まれるより1世紀以上前の1644年に生まれた、ヴァイオリンの大家ハインリヒ・ビーバー(フルネームはハインリヒ・イグナーツ・フランツ・フォン・ビーバー)も、「レクイエム」を2曲作っています。1687年に作られた15声部のレクイエム(イ長調)は編成も大きく演奏時間は40分以上かかりますが、もう一つの、作曲年代不明の5声部のレクイエム(ヘ短調)は、編成はよりコンパクトで演奏時間は30分もかかりません。
ということで、今のところ録音も多いそのヘ短調の「レクイエム」が新しくリリースされたばかりなので、それを聴いてみましょう。ただ、それ1曲ではアルバムとしては短すぎるので、ここではその前後に活躍していた他の作曲家の作品もカップリングされています。
それらの作曲家は、1628年生まれのクリストフ・ベルンハルト、1629年生まれのヨハン・ミヒャエル・ニコライ、そして1660年生まれのヨハン・ヨーゼフ・フックスです。おおざっぱに言って、バッハ(1685年生まれ)より前、シュッツ(1585年生まれ)より後の作曲家たちですね。その時代ですから、一応バロック期ではありますが、まだルネサンスの名残もあるあたりでしょう。たとえば、使われている楽器でも、コルネット(ツィンク)やドゥルシアンといった、バロックにはもう廃れてしまった楽器なども加わっています。
いちおう、ここで演奏しているアンサンブルは「フライブルク・バロックコンソート」という名前なんですけどね。今回のメンバーには、ヴィオラ・ダ・ガンバの女王ヒレ・パールが、そのパートナーのリー・サンタナ(リュート)と一緒に参加しています。
そして、合唱は多くのピリオド系の合唱団のメンバー、あるいはソリストとして活躍していた1981年生まれのフランスのバス歌手リオネル・ムニエが2004年に創設した「ヴォクス・ルミニス」です。この録音にはムニエ自身も含めた12人のメンバーが参加しています。全体の指揮もムニエが行っています。
まずは、ベルンハルトのモテットが2曲演奏されています。なんでも、これらの曲はビーバーのこのヘ短調の「レクイエム」と、楽器編成や構成などで類似点が多く見つかるのだそうです。確かに、ソロや重唱、合唱などが程よくちりばめられています。
次は、ニコライの弦楽器だけによる「6声のソナタ」です。それぞれの楽器がかわるがわ技巧的なソロを披露する、楽しい曲です。ここまでの演奏で、このアンサンブルたちの確かな音楽性がはっきり伝わってきていました。そこには、時代様式を超えた、メンバーそれぞれのとても自由な表現が前面に出てきていましたね。
そして、「レクイエム」が始まります。テキストは典礼文が全て使われています。全体的に短調ならではの重苦しい雰囲気が漂っています。「Introitus」では、ホモフォニーの部分に挟まれてポリフォニーの部分があるというシンメトリカルな構成、さらに「Kyrie」と「Agnus Dei」とでは、使われているテーマがともに短調の音階をそのまま使うというシンプルさで、全体的な統一が図られているのでしょう。そこに劇的な「Died irae」、メロディアスな「Benedictus」などが加わります。
そして、その後に、少し時代が経ったフックスのモテットとソナタが演奏されます。これが、それまでの重苦しさを振り払うような明るさ、ソナタでは多くの管楽器が加わって、色彩感豊かな音楽が繰り広げられています。これは、「レクイエム」に対する「救い」の音楽として聴こえてきます。

CD Artwork © Alpha Classics / Outhere Music


3月9日

BEETHOVEN
Symphony no. 7, Die Geschöpfe des Prometheus
Gottfried von der Goltz/
Freiburger Barockorchester
HARMONIA MUNDI/HMM 902446.47


このレーベルでの「ベートーヴェン・イヤー」は2027年まで続くことになっているので、まだまだ新しいアルバムが目白押しです。今回は「交響曲第7番」と「プロメテウスの創造物」全曲というラインナップですから、当然2枚組になります。演奏はフライブルク・バロックオーケストラ、このシリーズではこれまでヤーコブスやヘラス=カサドが指揮をしていたものが出ていましたが、今回はこのオーケストラの創設者、コンサートマスターのゴットフリート・フォン・デア・ゴルツが「弾き振り」をしています。
まずは、1枚目の「交響曲第7番」です。第1楽章の序奏で、いきなりオーボエがとんでもない音程で歌い出したのでびっくりしてしまいましたが、これがピリオド・オーケストラの普通の姿だったのでしょうね。最近は、奏者のレベルが上がっているのでこういうところでもモダン・オケと変わらない正確さを期待してしまいますが、それはあくまで「例外」なのでしょう。
それに比べて、フルートはかなり正確なピッチ、表現力もあって、楽しめそうです。ただ、その後の提示部が始まったところのソロでは、他の木管が加わるとそのアンサンブルに溶け込み過ぎていて、ほとんど聴こえなくなってしまいます。なかなか難しいところですね。
この楽章では、おそらくゴルツは演奏しながら大きなゼスチャーで全体を統率しているのでしょうが、なにか、小節の頭を揃えることに一生懸命になるあまり、そこでゴツゴツと音楽の流れが止まってしまうようなところがありました。
しかし、先に進むとそんな不自然さは次第になくなり、全体が一緒になったグルーヴが生まれるようになっていったでしょうか。フィナーレなどは、アゴーギグも自由自在にこなしていて、オーケストラ全体の盛り上がりもすごいものになっていましたね。まさに「生き物」といった感じ、このオーケストラは、へたに指揮者がいない方が、このような自発的な流れが出てくるのかもしれませんね。
2枚目の「プロメテウスの創造物」は、序曲だけは有名ですが全曲を聴くのは初めてです。1時間もかかるんですね。これは、1801年に、ルイジ・ボッケリーニのいとこでもあるダンサーで振付師のサルヴァトーレ・ヴィガーノの依頼によって作られたバレエ音楽で、その年の3月28日からウィーンのホーフブルク劇場でロングラン公演が行われました。なんでも、合せて30回ほどの公演があったといいますから、結構ヒットしていたようですね。
重厚な序曲に比べて、その後に続く16のダンス音楽は、軽やかなメヌエットあり、勇壮なマーチありと、とてもヴァラエティに富んでいます。それぞれの音楽もとてもキャッチーなメロディが素直に使われていて、ベートーヴェンと言って想像する堅苦しさは全くありません。
中でも、第5曲では、なんとハープが登場して、それこそチャイコフスキーのバレエにでも登場しそうな華やかなシーンが繰り広げられます。ベートーヴェンの作品でハープが使われているものなど、他にあったでしょうかね?そのハープに乗って、最初にフルートが聴こえてきた時には、まるでビゼーの「アルルの女」か、と思ってしまいましたよ。ここでは、フルート以外の木管も加わって、極上の音楽が繰り広げられます。
もう1曲、ユニークなのは最後から3番目の第14曲。ここでは、モーツァルトが好んで使った「バセット・ホルン」のソロを聴くことができます。これを演奏しているのはロレンツォ・コッポラでしょうね。彼のソロはとても歌心があって素晴らしい演奏です。時折ソロをオーボエがとる時には、そのバックに回って伴奏のアルペジオを演奏したりしているのですが、それはまさにモーツァルトがこの楽器でやっていたことを彷彿とさせてくれます。
そして、最後の第16曲が、後に「交響曲第3番」のフィナーレの変奏曲に使われることになるテーマですね。ここでは、それがかなりシンプルに扱われています。

CD Artwork © harmonia mundi musique s.a.s.


3月6日

BACH
Sonate e Partite per il Flauto Traversiere
Frank Theuns(Fl.tr)
Bertrand Cuiller(Cem)
RAMÉE/RAM 1908


1989年からベルギーの音楽大学でバロック・フルートを教えているトラヴェルソ奏者、フランク・トゥーンスは、これまでにACCENTレーベルから多くのアルバムをリリースしてきました。その他にもインマゼールの「アニマ・エテルナ」のメンバーとしてZIG-ZAGレーベルからも何枚かリリースしています。そのレパートリーはフランスやイタリアの作曲家やモーツァルトなどですが、今回はZIG-ZAGと同じくOUTHEREの傘下にあるRAMÉEレーベルからの、バッハの作品集です。
最初は、ホ短調のソナタ(BWV1034)と、無伴奏パルティータ(BWV1013)という、間違いのないバッハのフルートのための作品が演奏されています。
ホ短調のソナタは、フルートにしては低い音域で始まりますから、特にトラヴェルソの場合だとスカスカの音で演奏されているものにもよく出会うのですが、トゥーンスの低音は一味違います。それはとても芯のある、くっきりとした輪郭を持った音だったのです。正直、トラヴェルソでこれほどまでに強靭な低音を出せる人は、ほとんどいないのではないか、と思わせられるほどの音です。ピッチも正確、ですから、トラヴェルソの演奏でいつも感じる物足りなさは全くありません。
ベルトラン・キュイエが弾くチェンバロも、録音のせいかもしれませんがかなりパワフルな味わいがあって、このトラヴェルソとの相性はぴったりです。そんな中で、この二人は心地よいテンポで堅実な演奏を繰り広げていました。
無伴奏パルティータでも、この低音が大活躍、この曲での「バス」の役割を的確に演出しています。1曲目の「アルマンド」のエンディングで、聴きなれない三連符の音型が出てきましたが、これは装飾だったのか、あるいは何か根拠があって行ったのかは、ブックレットを見てもわかりません。
そして、その次に演奏されたのは、タイトルが「ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ ト長調」(BWV1027)というものでした。そんな曲は今まで聴いたことがありませんでしたが、演奏が始まるとそれはかなりなじみのある音楽でした。それは、一応フルートとヴァイオリンと通奏低音のためのトリオ・ソナタとして知られているト長調の曲(BWV1039)だったのです。このBWV1039は、バッハのケーテン時代の作品ですが、後のライプツィヒ時代に、おそらく「カフェ・ツィンマーマン」あたりで演奏するために、それをヴィオラ・ダ・ガンバとオブリガート・チェンバロのために書き直していたのです。それがBWV1027です。それを、このCDではソロのパートを1オクターブ高くして演奏しているのですが、結果的には元のトリオ・ソナタをフルートとオブリガート・チェンバロで演奏しただけのものになっています。ですから、チェンバロのパートがかなり聴きごたえがあります。
次に、先ほどの無伴奏パルティータは元は鍵盤楽器か何かの曲だったものを編曲したものだ、と言われているそうですが、それを実践するために、鍵盤楽器のためのフランス組曲第6番(BWV817)の第1曲目を、トラヴェルソだけで演奏しているのです。確かに、そこからは紛れもないフルート・ソロの味が感じられます。
そして、最後には、バッハのフルート・ソナタの中では最も完成度が高いとされているロ短調のソナタ(BWV1030)が演奏されているのですが、ここではそれが「BWV1030b」と、余計なものが付いています。この曲は1736年ごろに作られたといわれていますが、実はそれ以前にト短調で作られていたものがあって、それを移調したものなのだそうです。ここでは、その元の形を復元して演奏しています。もっともその楽譜はもう失われているので、ここではロ短調の楽譜をそのままト短調に直しただけです。その結果、とたんに音域は長三度低くなり、シャープ2つという、トラヴェルソでは何もしなくても演奏できる調から、フラット2つという、クロス・フィンガリングを多用しなければいけない調に変わります。その効果は絶大。聴きなれたこの曲が、とても陰りのある、なんとも凄みのあるものになっていました。

CD Artwork © Outhere Music


3月4日

PENDERECKI
Utrenja
Delfina Ambroziak, Stefania Woytowicz(Sop), Krystyna Szczepanska(MS)
Kazimierz Pustelak(Ten), Boris Carmeli, Włodzimierz Denysenko,
Bernard Ladysz, Peter Lagger(Bas)
Andrzej Markowski/
Chór Harcerski, Warsaw Philharmonic Choir, Warsaw Philharmonic Orchestra
WARNER/190295231590


ペンデレツキが、有名な「ルカ受難曲」の5年後に完成させたやはり声楽を伴う大規模な作品「ウトレンニャ」は、「ルカ」とは対照的に録音には恵まれてはいません。どんなのがあるか、というと、現在入手できるのはヴィット盤(NAXOS)しかないのではないでしょうか。その他に全体で2部から成るこの作品の第1部だけを録音したオーマンディ盤(RCA)もありましたが、現在は入手できないはずです。
それがすべての録音だと思っていたのですが、実はこの曲の世界初演を行ったアンジェイ・マルコフスキが指揮をした全曲の世界初録音盤というのがあったのだそうです。それがサブスクのNMLで、ごく最近リリースされていました。
ペンデレツキがケルンの西ドイツ放送からの委嘱によってこの曲の第1部を作曲したのは1969年でした。それは翌年1970年4月8日にアルテンベルクの大聖堂でマルコフスキ指揮のケルン放送交響楽団と、ソリスト、合唱によって世界初演されました。
さらに、この第1部だけはユージン・オーマンディに献呈されていて、彼の指揮するフィラデルフィア管弦楽団によって1970年9月にアメリカ初演が行われ、その1週間後の9月28日から10月1日にかけてレコーディングが行われました。それが、先ほどのRCA盤で、2003年に初めて日本でCD化されています。ですから、第1部に関してはこれが世界初録音となります。
第2部は1970年から1971年にかけて作曲され、やはりマルコフスキ指揮のケルン放送交響楽団たちによって1971年5月28日に、ミュンスターの大聖堂で世界初演が行われました。ここは、1966年5月30日に「ルカ」が初演されたところですね。
そして、1972年には、初演の時のソリストの一部と、ポーランドのオーケストラ、合唱をマルコフスキが指揮をして、ポーランドのMUZAレーベルに全曲の録音が行われたのでした。さらに、1973年には同じ音源がインターナショナルなマーケットへ向けてPHILIPSレーベルからリリースされています。ヴィット盤が録音されたのは2008年ですから、それまでの間は、これが唯一の全曲盤だったのです。ですから、キューブリックが1980年に「シャイニング」を作った時にそのサントラに使われたのは、この録音しかありませんでした。今回のサブスク版では、なぜかレーベルはWARNERになっています。
「ルカ」の場合も、ポーランド初演のライブ録音がMUZAからリリースされていましたが、それは世界初演のDHMの録音に比べると、非常に音が悪かったという印象がありました。ですから、今回の「ウトレンニャ」も音に関しては全く期待していなかったのですが、それは良い意味で完全に裏切られてしまいました。オープニングの男声合唱からして、聴こえてくるのはとても粒立ちの良い存在感たっぷりの音だったのです。そのクオリティも、大人数の合唱にはありがちな歪み感など全くありません。各楽器の分離もよく、それぞれのパートがくっきりと浮かび上がって聴こえてきます。同じサブスクでヴィット盤もあったので比較してみましたが、音圧もはるかに高く、ダイナミック・レンジも広く感じられます。それは、今のデジタル録音ではなしえないような豊饒さあふれるサウンドでした。
さらに決定的にヴィット盤と異なるのが、楽器のバランスでした。こちらは特に打楽器は目いっぱい聴こえてくるようなバランスがとられていますから、そのパワーたるやすさまじいものがあります。それによって、音楽のテイストが全然変わっています。
そして、そのバランスは単に録音上のことではなく、演奏家自身のテンションがまるで違うところから生まれてくるのでは、とさえ思わされます。おそらく、これを録音した人たちは、演奏者から録音スタッフに至るまで、自分たちは今世界の最先端の音楽を作る現場にいるのだ、という気持ちにあふれていたのではないでしょうか。
これに比べるとヴィット盤がいまいちインパクトに欠けるのは、この「最先端の音楽」がすでに滅びてしまった頃に録音されたからなのでしょう。

Album Artwork © Polskie Nagrania Muza


3月2日

SHOSTAKOVICH
Symphonies Nos. 9, 10
Gianandrea Noseda/
London Symphony Orchestra
LSO LIVE/LSO0828(hybrid SACD)


ノセダとロンドン交響楽団とのショスタコーヴィチの交響曲ツィクルスも、これが4枚目のアルバムとなりました。これまでの3枚では1番、4番、5番、8番が出ていましたが、今回は9番と10番、それでもまだ6曲ですから、半分も達成できてはいません。最初に録音されたのは2016年の5番でしたから、完成までにはあと5年ぐらいはかかるのでしょうね。
このレーベルのSACDでは、ダイナミック・レンジがかなり広く取られているようで、最弱音と最強音の幅がきっちり原寸に近く聴こえてきます。ショスタコーヴィチの交響曲というと、いかにもイケイケのバカ騒ぎだけが強調されて録音されていることが多いのですが、ここではそれと対比されるべきの小さな音での音楽もしっかり届けられるようになっているのではないでしょうか。
そういう意味では、ここで演奏されている「10番」などは、まさにうってつけのフォーマットです。これを聴くにあたってチェックしてみたら、なんと30年前に買ってあったスコア(全音版)が見つかりました。記憶をたどってみると、その前にNHK交響楽団がこの曲を演奏したものをテレビで見て、その時にフルート・パートがとても難しいフレーズを懸命に吹いているところがとても印象的でした。それは定期演奏会の1日目だったのですが、演奏が終わるとそのフルート奏者が、パート譜を持って退場しているのが見えました。本番の前には十分に練習して本番に臨んでいたのですから、さらに個人練習などは必要ないはずなのに、この人は次の日の演奏会のためにパート譜を持って帰って、自宅でさらおうとしていたのでしょう。そのぐらい大変な曲なのだ、ということなのでしょうね。ですから、それがどんな譜面なのか興味があって、スコアを買っていたのだと思います。
さらに、この曲は最近同じ市内のアマチュア・オーケストラが演奏するのを聴く機会がありました。それを聴く前には、N響のことも、スコアを買ったこともすっかり忘れていたのですが、その時に演奏されたのを聴いて、再度打ちのめされました。彼らは、N響でも手こずっていたこの曲を、とてつもない情熱でものにしていたのですよ。ここまでできるようになるまでの練習を思うと、頭が下がりました。
今回のロンドン交響楽団は、もちろんそんなところはやすやすとクリアしているだろうと思っていたのですが、意外と苦戦しているようにも感じられました。もしかしたら、ショスタコーヴィチは最初から、完璧に演奏できないものを書いて、それに苦労しているプレーヤーをあざ笑うために作っていたのだろうな、と思えてしまいます。
ダイナミック・レンジでは、弱音を本当に聴こえるか聴こえないほどにまで絞り込んでありました。第3楽章でテーマを演奏するフルートは、最低音のHなどはほとんど聴こえません(はあ?)。これも、そんな作曲家のブラックユーモアにつきあわされている思いです。それと、この曲の最後の最後は、なんだかチャイコフスキーの「交響曲第4番」の最後ととてもよく似ているように思えました。
そんな風に感じたのは、その前に「9番」を聴いていたからかもしれません。ショスタコーヴィチの交響曲の中では「5番」に次いで演奏頻度の高い曲で、普通は「9番」という、交響曲史上では記念碑的な番号を逆手にとった諧謔的な作品、という評価を受けていますね。
しかし、今回の演奏を聴いていると、全く別の側面を感じられるようになりました。それは、真面目に古典的なフォルムに回帰したものを作ろうとしたのではないか、という思いです。なにしろ、この曲は本当に分かりやすい形式で作られていて、第1楽章などはソナタ形式のお手本のような形、この時代にはあり得ない提示部の繰り返しなども堂々と行っているのですからね。楽章は5つありますが、4つ目と5つ目は続けて演奏されますから、これは序奏付きの「ロンド」ととらえれば、まさに古典そのものです。

SACD Artwork © London Symphony Orchestra


2月27日

HAYDN
The Complete Piano Concertos
Mélodie Zhao(Pf)
David Nebel(Vn)
Howard Griffiths/
Camerata Schweiz
CPO/555 400-2


ハイドンは、交響曲は100曲以上作っていますが、協奏曲の数はそれほど多くはありません。でも、中には「リラ・オルガニザータ」などという珍しい楽器のための協奏曲もあります。美味しそうですね(それは「ピザ・オレガノソース」)。
そんな協奏曲のリストは、1957年に刊行されたホーボーケンによるカタログに収録されていますが、そのカテゴリーが、弦楽器や管楽器、そしてリラ・オルガニザータなどは「VII(a-h)」に入っていますが、鍵盤楽器だけは「XVIII」という別のカテゴリーが設けられています。
その中では、一応正規の番号として、「Hob.XVIII:1(1番)」から「Hob.XVIII:11(11番)」までの11曲が挙げられており、その他にも偽作として6曲が加えられています。ただ、それらは全て「鍵盤楽器のための協奏曲」というタイトルになっていますから、具体的な楽器名は明らかにされていません。その時代だと、協奏曲に使える鍵盤楽器としてはチェンバロ、フォルテピアノ、そしてオルガンがありますね。
最近では研究も進み、それぞれの曲の作られた年代も、オリジナルはどの楽器のための協奏曲なのかもほぼ明らかになってきています。そのあたりのことは、実際にHENLE社で楽譜の校訂を行っているアルミン・ラープ(ベートーヴェンの交響曲第1番と第2番の原典版の校訂に関わっていました)によるライナーノーツに詳しく述べられています。なんでも、30年間ハイドン研究所の所長だったゲオルク・フェダーという人が、1970年に楽譜で使われている鍵盤の範囲から推測し、オルガンのための曲を抜き出したのだそうです。
それによると、1、2、5、6、8番が教会で演奏するためにオルガンのソロであることが分かりました。モーツァルトの「教会ソナタ」のような感じなのでしょうね。そして、この中の6番はコンサートマスターもソリストとして加わった二重協奏曲になっています。この5曲は、全て1756年から1767年までの間に作られていて、2020年に、ラープの校訂によって新しい楽譜がHENLEから出版されました。もちろん、この録音ではこの楽譜が使われています。
その他にも、10番が、やはり鍵盤のサイズからオルガン協奏曲だろうということが分かっていましたから、例えばトン・コープマンなどは、その10番も加えたオルガン協奏曲のアルバムを作っていましたね(1981年リリースのPHILIPS盤)。
さらに、現在では7番(コープマンが録音していました)と9番は偽作とされています。ですから、残りの3曲のうち、純粋にチェンバロのために作られたのは1770年ごろの作品である3番と4番、そして、1780年に作られた11番はおそらくフォルテピアノのために作られたのではないかと考えられています。
という話とは全く関係なく、ここではソリスト、メロディー・ツァオはモダン・ピアノ(コンサート・グランド)を使って全曲を演奏しています。バックのカメラータ・シュヴァイツもモダン楽器のアンサンブルですが、ビブラートはかけずに弾いています。
チューリッヒの教会で行われたレコーディング・セッションは、コロナ禍によるロックダウンの最中、2020年の7月と8月の2回に分けて行われました。その際に、7月にはチェンバロ(フォルテピアノ)協奏曲がオリジナルの作品、8月にはオルガン協奏曲がオリジナルの作品(10番も含む)が録音されました。アンサンブルはフリーランス奏者の集まりですから、それぞれのセッションの時にはほとんど別のメンバーが演奏していましたし、レコーディングのエンジニアも別の人でしたから、全く別の音が聴こえてきます。7月のセッションの方がクリアな音、ソロも弦楽器もとても生々しく聴こえますが、8月のセッションのものはもっとまろやかな音になっています。もしかしたら、オリジナルの協奏曲の形を考慮して、意図的に音を変えていたのでは、と思ったりします。
有名な「11番」以外は初めて聴いた曲ばかりでしたが、30年に渡る作曲家のスタイルの変遷がつぶさに感じられ、興味は尽きません。

CD Artwork © Classic Produktion Osnabrück


2月25日

BEETHOVEN
Missa Solemnis
Polina Pastirchak(Sop), Sophie Harmsen(MS)
Steve Davislimen), Johannes Weisser(Bas)
René Jacobs/
RIAS Kammerchor Berlin(by Denis Comtet)
Freiburger Barockorchester
HARMONIA MUNDI/HMM 902427


このページでは、ベートーヴェンの声楽曲、特に合唱曲に関しては、オーケストラ作品ほどの魅力が感じられないものですから完全にオミットしてきました。もちろん、「ミサ・ソレムニス」という超名曲も。
とは言っても、最近ではピリオド楽器による録音なども出てきて、もしかしたらこれまでのカビの生えたような演奏を凌駕するものも出ているのではないか、という興味で、その最新アルバムを聴いてみることにしました。「ベートーヴェン・イヤー」がらみで2019年の5月に録音された、ヤーコブス盤です。
ヤーコブスは、まずは演奏家の配置でユニークなことを行っていました。ライナーノーツでの彼のインタビューによると、この当時のオラトリオの合唱はオーケストラの横か、場合によっては前に置かれていたそうなので、そのような習慣に従って、合唱はオーケストラの左右に配置されています。そして、これは別に当時の習慣ではなく、ヤーコブスの独断によるものですが、4人のソリストたちは逆にオーケストラの後ろにいます。それによって、地上の人間たちの声としての合唱団と、天上の天使の声としてのソリストとの対比が際立つということなのだそうです。
確かに、彼はこれと同じようなアイディアで「マタイ受難曲」では、第1合唱と第2合唱には空間的な距離感をもたせることが必要だとして、それぞれフロントとリアに配置していましたね。それはSACDだったので、サラウンドで聴くとその効果は劇的に現れていることが分かりましたが、今回はノーマルCDによる2チャンネルステレオですからその効果はいまいちのような気がします。
なにしろ久しぶりに耳にする「ミサ・ソレムニス」です。まずは、冒頭の「Kyrie」で、ちょっと不思議な気持ちになりました。これは何かによく似ています。しばらくして、それは「交響曲第7番」の冒頭だと気づきました。オーケストラのトゥッティに続いてオーボエがソロを吹くというシーンなのですが、そのオーボエがテノールに置き換わるとこんな風になるのだな、と思ってしまいました。新鮮な発見です。
しかし、この曲の合唱はとても大変なことを強いられているな、という感じが、このあたりではまざまざと思われてしまいます。この合唱団は男声はそれに余裕で応じられているようですが、女声がちょっとついていけないようなところがあるようで、「Gloria」が終わるまでは、そんな悲痛な歌い方だけが伝わってきます。
「Credo」では、最初のテーマ(in B♭で「ド・ラ・レ・ソ」)がとてつもなくダサいというイメージが昔から刷り込まれていました。もう、ベートーヴェンにいかに美しいメロディを作る才能がないかを端的に物語っているように思えたものです。もちろん、今回の演奏でも、これが聴こえてきたらもう笑い出したくなってしまいましたね。
しかし後半、四重唱で歌われる「Et homo factus est」あたりになってくると、俄然音楽が説得力を持つようになってきます。4人はとてもテンションの高い歌い方、そして、「Crucifixus」に入るとただならぬ緊張感が漂います。さらに、「Et resurrexit tertia die」ではうって変わった明るさに変わります。これも今回初めて気が付いたのですが、最後の「Amen」の四重唱は「第9」の最後とよく似てますね。
「Sanctus」と「Benedictus」はあまり楽しめませんでした。特に「Benedictus」の間中演奏されているヴァイオリンのソロが、とても退屈に聴こえます。
「Agnus Dei」では、バスのソロの暗さに惹かれます。これは確実に心を打つ音楽になっています。しかし、「Dona nobis pacem」に入ると、またまた陳腐極まりないテーマに笑わされることになります。途中で軍隊ラッパや太鼓の連打などで見え透いた「平和への願い」を歌うのも、鼻につきますし。そういえば、その後でヘンデルの「ハレルヤ・コーラス」の「and He shall reign for ever and ever」と同じメロディが出てくるんですね。結局、ヤーコブスの演奏でも、この曲に対する嫌悪感が薄れることは、ありませんでした。それ、無理っす

CD Artwork © harmonia mundi musique s.a.s.


2月23日

Stille Grender
Tord Gustavsen(Pf)
Anne Karin Sundal-Ask/
Det Norske Jentekor
2L/2L-164-SABD(BD-A, Hybrid SACD)


昨年の2月に録音され、その年のクリスマス用にと11月にリリースされたノルウェーのアルバムなのですが、コロナのせいでどこかで隔離されていたとみえて、手元に届いたのはクリスマスも、お正月も、節分も、そしてヴァレンタイン・デーも過ぎた今頃なのでした。
という、間の抜けたクリスマス・アルバムを作ったのは、このレーベルでは「Folketoner」「The Beauty That Still Remains」という2枚のアルバムをリリースしている、アンネ・カーリン・スンダール=アスク指揮のノルウェー・少女合唱団です。
今回のアルバムタイトルは「Stille Grener(静かな村)」です。前作ではアコーディオン奏者が共演していましたが、今回は、ジャズ・ピアニストのトルド・グスタフセンが参加しているというのが、目玉になっています。彼の役割は、様々なクリスマス・キャロルにイントロを付けたり、ジャズ風の和声で伴奏を弾いたり、あるいはかなり長いソロを披露したりと、様々な形で合唱と絡み、不思議な世界を形作る、ということだったのではないでしょうか。その変幻自在なピアノを聴いていると、かつて「コール青葉」という合唱団が、小原孝さんというピアニストと一緒にこれととてもよく似たことを行っていたことを思い出しました。
グスタフセンのピアノは、ジャズという範疇を超えてアヴァンン・ギャルドな面も備えているようです。最初の曲が、低音の弦をプリペアして(おそらく、フェルトか何かを乗せて)、まるでエレキ・ベースのようなエッジの効いた音のリフから始まることで、それが分かります。この技法はお気に入りのようで、以後の曲でも頻繁に使われます。
その最初の曲は、「Carol of the Bells」という、全世界で有名なキャロルです。それを、この少女合唱団はとても密度の高い音色とハーモニーで聴かせてくれますから、これまで聴いてきたものとは一味違った、作品としての高みが感じられます。それから続けてこの曲のテーマを使ってのピアノ・ソロが演奏されるというのも、粋なアレンジです。
もう一つ、誰でも知っている「Silent Night」も演奏されています。ここでは、合唱がユニゾンのハミングでそのメロディを歌う中で、ピアノがジャズ風のコードを交えるという構成、清らかな合唱とジャジーなピアノとの対比が味わえます。
何曲かで、成熟した女声合唱ではなく、もっと低年齢の少女による合唱も加わっています。この合唱団自体が、実際に録音で登場するのは選択されたメンバーで、それを支える「予備軍」や、幼児教育の一環としての児童合唱団などを含んだ団体ですから、そんな中から「お試し」で出演していたのでしょう。いかにもあどけない歌声は、その完成形である少女合唱の素晴らしさを際立たせることに一役買っています。5曲目の「Jul i Svingen(スヴィンゲンのクリスマス)」という、テレビドラマの主題歌での、児童合唱のバックで歌う少女合唱の美しいこと。
先ほどの2曲以外は知らない曲ばかりですが、ほとんどがシンプルな聖歌なのですぐに馴染めます。そんな中で、7曲目の「Joleklokker over jorda(世界中でクリルマスの鐘が鳴る)」は、1曲目のようなプリペアド・ピアノのフレーズも使われ、あの「アナ雪」のオープニングにも使われた「Vuelie」とよく似たテイストを持つ、民族色豊かなナンバーです。
ただ、合唱だけがア・カペラで歌うという曲が2曲しかないというのは、ちょっと物足りないような気がします。
このパッケージには、BD-AとSACDが両方入っているので、その音を聴き比べることができます。なんと言っても、24/192というハイレゾのPCM(HD MAにロスレス変換)で収録されているBD-Aの方が、合唱もピアノも細かい肌触りと存在感までがはっきり分かります。それに対してSACDでは、これだけ聴けば十分なクオリティなのでしょうが、BD-Aを聴いた後では、少し音圧を上げ、イコライジングも施して高音を多少補正していることが分かるので、そこにはちょっとした「偽物感」が漂います。

BD & SACD Artwork © Lindberg Lyd AS


2月20日

BARTÓK
Bluebeard's Castle
Mika Kares(Duke Bluebeard/Bas), Szilvia Vörös(Judit/MS)
Géza Szilvay(Nar)
Susanna Mälkki/
Helsinki Philharmonic Orchestra
BIS/SACD-2388(hybrid ACD)


バルトークのオペラ「青ひげ公の城」の、SACDのサラウンドによる新録音(2020年)です。このフォーマットでは、これまでに2009年のゲルギエフ盤(LSO LIVE)と、2018年のガードナー盤(CHANDOS)がありましたね。ブーレーズはアナログ時代にCBSに他のバルトークの作品は4チャンネルで録音していましたが、この曲を録音したのは1976年だったので、すでに4チャンネルの時代は終わっており、SACDでの復刻はありません。ちょっと残念ですね。
バルトークはバラージュの台本を使って「オペラ」を作ったのですが、そこでは、オーケストラをバックに歌手が朗々とアリアを歌いまくる、といったことは決してありません。歌われるものはすべて「レシタティーヴォ・アッコンパニャータ」になっているのですよ。つまり、それは抑揚の乏しいほとんど「語り」に近いもので、それ自身でエスプレッシーヴォに迫るような「美しい」メロディをもっているわけではありません。
ですから、そこではオーケストラの奏でる情景描写が、メインになってくるのです。この「オペラ」の中では、歌手が「語った」言葉に呼応した感情や、言葉にはなっていない抽象的な概念が、全てオーケストラによって表現されている、と言ってもいいのではないでしょうか。
まずは、「前口上」が、歌手とは別のナレーターによって語られています。そのナレーターは、ハンガリーのヴァイオリニストで指揮者のゲーザ・シルヴァイが、その韻を踏んだ前口上を、とても渋い声で訥々と語っているのが、非常に印象的です。
それにかぶって、ヘルシンキ・フィルの登場、指揮はその首席指揮者のスサンナ・マルッキです。このレーベルによる北欧のオーケストラの録音ですから、そこからはまず底光りのするような弦楽器の極上のサウンドが味わえます。
登場人物は実質的に2人だけ、青ひげ役のミカ・カレスはフィンランド人、そしてユディット役のシルヴィア・ヴェレシュはハンガリー人、いずれも初めて聴く人たちですが、とてもコントロールのきいた、クレヴァーな歌い方に好感が持てます。
その舞台設定は、同じ場所で、7つの扉の前で一つずつ鍵を開けて中を覗いていくというとてもシンプルなものです。今回、それぞれの「扉」の世界のキャラクターを丹念に聴きなおしてみたのですが、そのオーケストレーションの幅広さにはちょっと驚かされました。
1つ目の「拷問部屋」では、不気味さを出すために木管楽器が細かいアルペジオを吹いています。これは、後に「オケコン」の第3楽章「エレジー」でも使っていますね。2つ目の「武器庫」では、戦闘の様子をあらわすためのマーチが奏でられています(バトルトーク)。ここで、おそらくこの作品の中で唯一、「美しい」メロディの歌が現れます。それは、青ひげによる「この城の土台が揺れている」と「では、あと3つの鍵をお前に渡そう」というセリフに付けられた音楽です。
3つ目の「宝物庫」では、チェレスタが大活躍、まさに煌めく宝石の描写です。4つ目の「庭園」では、ホルンによって広大な風景が描写された後、花壇で飛び回る蝶々の群れが、技巧駅なフルートのソロによって描かれます。
そして、5つ目は、この作品のクライマックス「青ひげ公の領地」です。壮大な三和音の連続が金管楽器で華々しく奏されますが、そこで一緒に弦楽器のトレモロがはっきり聴こえてきたのは、初めての体験でした。そのぐらい、この録音では弦楽器がしっかり音を出しています。この部分だけのために、オルガンが用意されています。
そして、そのあとはいよいよユディットが青ひげの「正体」を知ることになります。その6つ目の扉では、1つ目の時に聴こえてきたアルペジオとともに、フルートのフラッター・タンギングがさらに不気味さを演出しています。そして、また盛大に盛り上がった後、最後の悲劇に遭遇することになるのですね。
そんなシーンたちを、マルッキとこのオーケストラは克明に描写していました。

SACD Artwork © BIS Records AB


おとといのおやぢに会える、か。



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