アカゲラ。.... 佐久間學

(18/4/24-18/5/17)

Blog Version

5月17日

WESTERHOFF
Viola and Flute Concertos
Barbara Buntrock(Va)
Gaby Pas-Van Riet(Fl)
Andreas Hotz/
Symphonieorchester Osnabrück
CPO/777 844-2


クリスティアン・ヴェスターホフという、おそらく誰も聴いたことのない名前の作曲家のアルバムです。この方は1763年に北ドイツのオスナブリュックという街の音楽家の家に生まれました。今回のCDで演奏しているのが、そのオスナブリュックのオーケストラ、さらに、これを制作したレーベルもオスナブリュック(Classic Produktion Osnabrück)という、「オスナブリュックづくし」のアルバムということになります。大体女性ですが(「オスのブリッコ」はあまりいない?)。
ということで、ヴェスターホフは、最初は父親から音楽の手ほどきを受け、1786年頃にはブルクシュタインフルトの宮廷楽団にトゥッティのヴァイオリン奏者とソロ・コントラバス奏者として加わります。しかし、1790年にはそこを辞め、ソリスト、作曲家として活躍、1790年代後半にはビュッケブルクの宮廷楽団に、コンサートマスター、ヴァイオリン奏者、ヴィオラ奏者として雇われ、1806年にその地で亡くなります。
彼が作ったヴィオラ協奏曲は全部で4曲残されていますが、それらはいずれも出版はされていません。おそらく、それは彼自身がソリストを務めて演奏されたものなのでしょうが、その楽譜にはヴィオラ奏者ならではの「企業秘密」みたいなものが書き込まれてあったので、あえて公表はせずに自分だけにものにしていたのかもしれません。あるいは、その楽譜にはおおざっぱなプランしか書かれてはおらず、本当の超絶技巧のようなものは彼の頭の中にしかなかったのかもしれませんね。このアルバムに収録されている「第1番」と「第3番」のヴィオラ協奏曲では、カデンツァが一切演奏されていないことからも、そのような事情が覗えます。
とは言っても、ここで聴かれる彼のヴィオラ協奏曲には、技巧的なフレーズが充分に盛り込まれていました。「第3番」の最後の楽章などは民謡調のとてもシンプル(「幼稚」と言ってもいいかも)なテーマが堂々とした変奏曲に仕上がっています。
これらは、どちらも弦楽合奏に2本のフルートと2本のホルンが加わったというあっさりとしたオーケストラがバックに用いられています。おそらく弦楽器の人数もそれほど多くはないのでしょう。ここでのソリストは一時ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席ヴィオラ奏者を務めたこともあるバルバラ・ブントロック、彼女の音は適度の存在感を持って聴こえてきます。
音楽としては、もろに同時代のモーツァルトの様式を反映したものですが、長調の曲の中にさりげなく短調のフレーズを忍ばせるなど、なかなかのセンスも見られます。
そして、もう1曲、フルートのための協奏曲も入っていました(というか、これがお目当てでした)。こちらはしっかり出版もされて、「作品6」という作品番号も与えられていますから、間違いなく他人が演奏することを想定して作られたものなのでしょう。ただ、これはヴィオラ協奏曲と比べるとずいぶん力が入っているのだなと感じてしまいますね。オーケストラの編成にティンパニとトランペットが入っていて、これが第1楽章と第3楽章でとても華々しく活躍しているんですよね。例えばモーツァルトの協奏曲では、たまにピアノ協奏曲でこの二つの楽器が入っているものはありますが、管楽器やヴァイオリンの協奏曲ではまずこんな派手な楽器は使われてはいませんから。
驚くべきことに、そんなありえない編成なのに、フルート・ソロにはそれに十分に応えられるほどの華やかさとスケールの大きさが備わっているのです。もちろん、そのように感じられるのはここでのソリスト、リエトの卓越したテクニックと輝かしい音色によるところが大きいはずです。
彼女は1983年からSWRシュトゥットガルト放送交響楽団の首席奏者を務めていましたが、どうやら現在では引退しているようですね。でも、彼女のここでの存在感は、共演しているこの田舎オケの現役のフルート奏者とは雲泥の差です。

CD Artwork © Classic Produktion Osnabrück


5月15日

HÄNDEL
Johannes-Passion
Roland Wilson/
La Capella Ducale
Musica Fiata
CPO/555 173-2


バッハとヘンデルは同じ年に生まれ、同じ眼科医のへたくそな手術のせいで亡くなったという共通点があるので、とかく並べて語りやすいところがあります。
ただ、バッハはカンタータを「量産」し、そのジャンルでの最高峰と言える「受難曲」も作りました。ヘンデルの場合は、それに近い人気を誇るのが「メサイア」というオラトリオだけなのでしょう。ですから、こんな「ヘンデルのヨハネ受難曲」などという作品が残されていたなんて、全然知りませんでしたよ。
ただ、同じ「受難曲」でも、1716年に作られ「ブロッケス受難曲」は割と有名ですね。ヘンデルだけではなくカイザー、テレマン、マッテゾンといった人たちがバルトルト・ハインリヒ・ブロッケスという人のテキストを使って競って作った、当時の大ヒット受難曲群ですね。妖怪ではありません(それは「ブロッケン)」。
今回の「ヨハネ受難曲」はそれより前、1704年に作られたとされています。もちろん、これは伝統的な福音書をテキストに用いています。
しかし、実際にこの曲を演奏している指揮者のローランド・ウィルソンが書いたライナーノーツを読んでみると、どうもこれはヘンデルの作品ではないようですね。そもそも、この楽譜が発見された時には、そこには作曲家の名前は記されていませんでした。その時に、発見者がヘンデルの作品だとして出版してしまったため、この「ヨハネ受難曲」は1960年代の後半ごろまでヘンデルの作品とされていただけなのです。
しかし、その後の多くのヘンデル研究家たちの調査によってそれが怪しくなってきました。これがヘンデルの作品ではないという最大の理由は、同じ時期に作られたとされる彼の最初のオペラ「アルミーラ」との様式上の一致を見出すことが出来ないということのようですね。ですから、今ではこれはゲオルク・ベームあたりの作品なのではないか、と言われています。
おそらく、実際に教会の礼拝で演奏されたと思われるこの受難曲は、バッハの作品のように間に説教を挟むために2つの部分に分かれています。ただ、演奏時間は全部で1時間足らずという短さです。それは、テキストが始まるポイントが、バッハよりかなり後の部分、もうイエスは捕えられてピラトの前に連れて行かれ、そこで民衆が「バラバ!」と叫ぶすぐ後からになっているからです。
さらに、この受難曲はこの時代の様式、福音書のテキストに音楽を付けて歌うというだけではなく、その間に自由詩のテキストによるアリアやデュエットが入るという形をとっていますが、それらの曲がとてもコンパクトだということもあります。ほとんどが1分前後のシンプルな曲、メロディも素朴です(1曲だけ、しっかりとしたダ・カーポ・アリアの形を取った「立派な」ものもあります)。面白いのは、バッハの場合ではイエスの言葉もレシタテイーヴォで歌われていますが、この「伝ヘンデル版」では限りなく「アリア」に近く、旋律もメロディアスで、同じテキストを何度も繰り返す形になっていることです。
ただ、この曲では「コラール」が歌われることはありません。その代り、ということでしょうか、おそらく指揮者のウィルソンの裁量で、ヨハン・クリューガーのコラールが、第1部と第2部の頭に演奏されています。
その、第2部に使われているコラールは、バッハが「マタイ」の中で3回使っている有名な曲でした。そして、それを用いて作られているのが、このアルバムのカップリング、やはりヘンデルの作品とは言われていても今ではほぼ偽作とされているコラールカンタータ「Ach Herr, mich armen Sünder(ああ主よ、哀れなる罪人のわれを)」です。
いずれも、ここで演奏している、それぞれがソリストの8人のメンバーが集まった「カペラ・ドゥカーレ」というアンサンブルは、とても澄み切った声とハーモニーで、これらの愛らしい作品に確かな命を吹き込んでいます。作曲家がだれであろうと、作品が美しければそれでいいんです。

CD Artwork © Classic Produktion Osnabrück


5月12日

The Hour of Dreaming
Lorna McGhee(Fl)
Piers Lane(Pf)
BEEP/BP41


前回のアルバムでベネットと共演していたローナ・マギーのソロ・アルバムです。レーベルは前回と同じベネットのプライベート・レーベルBEEPで、品番も1番違いです。どうやら、このレーベルは代理店がそれほど熱心ではないようで、2014年あたりにリリースされたものが、今頃やっとまとめて何枚かリリースされています。
ローナ・マギーはスコットランド生まれ。スコットランド王立音楽院でデイヴィッド・ニコルソンに師事したのち、ロンドンの王立音楽院でベネットの弟子となります。さらにアメリカのミシガン大学と、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学でも研鑽をつみ、現在ピッツバーグ交響楽団の首席奏者を務めています。
これまでも多くのレーベルから室内楽のアルバムは多数リリースしているようですが、ピアノ伴奏によるソロ・アルバムはこれが最初なのかもしれません。とは言っても、ここで彼女が選んだレパートリーは、ほとんどが元々はフルート以外の楽器のために作られた作品や歌曲などだというところに、彼女のユニークなところがあります。こういうところは、師ベネット譲り?
そもそも「The Hour of Dreaming」というタイトルからして、なんだかおしゃれです。これは、彼女がここで演奏しているレイナルド・アーンの歌曲「L'heure exquise」のタイトルの英訳、日本語の定訳はフランス語の意味をそのまま伝える「いみじき時」ですが、英語ではなぜか「Dreaming」という単語が使われています。
ですから、これだけ見ると、いかにもなそれこそ夢見るようなうっとりする曲が集められているように思ってしまいますが、そんな先入観は実際に彼女のメリハリのあるアグレッシブな演奏を聴くと吹っ飛んでしまいます。
彼女がこのアルバムで中心に据えていたのは、このアーンではなくドビュッシーのヴァイオリン・ソナタでした。このドビュッシー最晩年の傑作を、彼女は1929年に録音されたジャック・ティボーとアルフレッド・コルトーの演奏を聴いて、衝撃を受けたのだそうです。ティボーのヴァイオリンからは、まさにフルートで演奏しているかのようなサウンドが感じられ、実際にフルートのために編曲したくなったのだとか。
それはまさに「フルート・ソナタ」以外にはありえない、と思えるほどの完成度を見せていました。なによりも、時間とともに移りゆく音色の変化の素晴らしいこと。それは、その瞬間の和声の変化までもしっかり感じることのできるとてもカラフルなものでした。
ドビュッシーではもう一つ、オリジナルはピアノ曲でゴールウェイなどにも演奏されていて馴染みのある「La plus que Lent(レントより遅く)」があります。しかし、彼女の演奏は、そのゴールウェイとは全く異なるアプローチでした。ゴールウェイは何よりも流れを重視した包み込むような音楽を提供していたものが、マギーはこの曲のリズミカルな側面に着目していたのです。冒頭のアウフタクトから音にアクセントを付けて3拍子のリズムを強調、そんなまるで「ダンス」のような魅力をこの曲から引き出していましたよ。
そんなことを可能にしたのは、彼女の低音がとてもエネルギッシュなものだったからなのでしょう。その鋭角的なタンギングは、それこそピアノの左手のベースすらもきっちりと表現できるほどの力を持っていました。
そんなタンギングは、ヴァイオリンの超絶技巧を駆使した名曲でも冴え渡っていました。ヤッシャ・ハイフェッツなどの名人が「よっしゃ」と好んで演奏したヴィニアフスキの「スケルツォ」などでは、まさに「舌を巻く」ほどの切れの良いフレーズを満喫できます。
彼女はこの手の曲を本当に楽しんで演奏しているようで、これ以外にもメンデルスゾーン、カゼッラ、マルティヌーなどの作品でも、単なる曲芸技には終わらない、真に愉悦感を伴った名人芸を聴かせてくれています。
それでいて、レガートやロングトーンの美しいこと。こんな無理なく響いてくる高音には、脱帽です。

CD Artwork © Beep Records


5月10日

Mel Bonis, Mendelssohn & Brahms
William Bennett(Fl)
Lorna McGhee, Emm Halnan(Fl,Alto Fl,Picc)
John Lenehan(Pf)
BEEP/BP42


1936年2月に生まれたイギリスのフルーティスト、ウィリアム・ベネットが、2014年の1月と3月に録音したアルバムです。ちょうど録音をしている間に78歳になっていたことになりますね。78歳!驚きますね。そもそも、そんな歳になってまともな演奏などできるものなのでしょうか。
ベネットの「78歳」は、しかし、信じられないことに、何の衰えも感じられないものでした。このアルバムからは、今まで聴いてきた彼の演奏と全く同質の、芯のある音と確かなテクニック、そして豊かな音楽性が伝わってきたのです。
たしかに、彼の特徴であった鋭角的なビブラートは、多少コントロールが利かなくなっているようなところは見られます。ディミヌエンドで音を小さくしていくと、ビブラートの谷間で音が完全になくなってしまって、ロングトーンが細かい音符のように聴こえたりすることがあるのですね。あるいは、完璧だったピッチに、ほんのわずかの狂いが見られるようなところもないわけではありません。でも、それらは彼の作り出す音楽の中では無視できるほどの瑕疵でしかありません。なによりも、年齢からは考えられないような長いブレスから繰り出される息の長いフレージングには心底驚かされます。
ここで取り上げられている曲目も、とてもユニークでした。まずは、メンデルスゾーンが14歳の時に作ったヴァイオリン・ソナタを、フルートで吹いています。
メンデルスゾーンは、フルートのためのソナタこそ作ってはいませんが、そのオーケストラ作品の中でのフルートの使い方は、例えば「真夏の夜の夢」の中の「スケルツォ」などはとても技巧的でソリスティックですから、この楽器の持ち味を存分に発揮させる術は心得ていたはずです。このヘ短調のヴァイオリン・ソナタも、彼がロンドンに行った時に、有名なフルーティストのチャールズ・ニコルソンからフルート・ソナタにしてもらえないかと頼まれたという逸話が残っているほどです。
すでに、これをフルート・ソナタに直して出版された楽譜はありますが、ここではベネット自身が編曲したものが演奏されています。堂々たる序奏に続く愁いをたたえた第1楽章、端正で、まるでシューベルトのような深みのある歌心が満載の第2楽章、そして、やはりロマン派ならではの愁いが込められた軽快な第3楽章と、ベネットはまさにフルートならではの語り口で、その魅力を伝えてくれていました。
ここにタイトルにはないフォーレの「小品」というかわいらしい曲が挟まって、最近になってその作品が見直されている女性作曲家、メル・ボニのフルート・ソナタです。彼女はデブではありません(それは「メタ・ボ」)。この曲はすでに何枚かのアルバムをここでも紹介していますが、今回のベネット盤の登場で、数少ないロマン派のフルート・ソナタとしての地位をライネッケの「ウンディーヌ」とともに確実にすることでしょう。第2楽章と第4楽章の忙しいパッセージも、ベネットは軽々と吹いています。
そして、やはりタイトルにはないドヴォルジャークの歌曲「わが母の教えたまいし歌」をフルートで演奏した後、ブラームスのコーナーになります。ここからフルートはソロではなく、まずはソプラノとアルトのための二重唱「海」が2本のフルート(とピアノ)で演奏された後に、2本か3本のフルート(とピアノ)で演奏されるピアノ連弾のための「ワルツ集」が続きます。
これも、ベネットの編曲ですが、たまにフルートだけではなくピッコロやアルトフルートが入るのが、バラエティに富んで聴きごたえがあります。それを2人の女子のお弟子さんと一緒に楽しんでいるベネットがすごくかわいいですね。このワルツ、全然知らない曲だと思っていたら、最後の変イ長調の曲が超有名なあの「ブラームスのワルツ」じゃないですか。アルトフルートの柔らかい低音が、とっても粋ですね。
こんなことが出来る78歳になりたいな、としみじみ思ってしまいましたよ。

CD Artwork © Beep Records


5月8日

RAVEL
Ma mère l'Oye, Le Tombeau de Couperin, Schéhérazade
François-Xavier Roth/
Les Siècles
HARMONIA MUNDI/HMM 905281


ロトとレ・シエクルによるラヴェル・アルバムの第2弾です。前作「ダフニスとクロエ」は2016年の3月から6月にかけての各地でのコンサートのライブ録音を編集したものですが、今回は「マ・メール・ロワ」が同じ年の11月、序曲「シェエラザード」が2017年の5月と9月、「クープランの墓」が2017年の8月に、やはりコンサートでライブ録音されたものです。各地の異なるホールでの録音ですが、違いが全く分からないのがまずすごいですね。
ブックレットには、いつもの通りオーケストラ全員の名前が載っています。それを、この2枚のアルバムで比較してみると、首席奏者はほとんど変わっていませんが、その他のプレーヤーは半分ぐらい別の人になっていました。ということは、彼らはシーズンごとにメンバーが入れ替わっていることになりますね。おそらくこのオーケストラは、コア・メンバーは固定されていても、それ以外はその都度集めるという体制なのでしょう。実際、彼らの公式サイトでの2017/2018年のシーズンのメンバー表では、さらに別のメンバーに変わっていますから。
そのメンバー表(ブックレットの方ですが)では、弦楽器以外はきちんと使われている楽器の情報が分かるようになっています。それが、前回は打楽器でも全てメーカーなどがしっかり記されていたのに、今回は全くなくなっているのはなぜなのでしょう。つまり、打楽器奏者の名前だけが記されているだけで、彼らが使っている楽器については何の情報もないのです。
というのも、前回の「ダフニス」では、鍵盤で演奏するグロッケンの「ジュ・ド・タンブル」が、ちゃんと「ミュステル製」と書いてあったのですが、今回はそれが使われているのかどうかすらも分からないのですね。この楽器は、「マ・メール・ロワ」の最後に派手に出てきますから、ぜひその存在を明らかにしてほしかったものです。もしかしたら普通のグロッケンを使っていたのかもしれませんからね。
今回ロトが取り上げたラヴェルの作品は3曲ですが、その中の「シェエラザード」は初めて聴いた作品でした。いや、同じラヴェルの歌曲集にそういうタイトルの曲はありますが、これは歌が入らないオーケストラだけの作品です。確かに、この曲は録音もあまりありませんが、それもそのはず、作られたのはラヴェルの若いころ、1898年ですが、出版されたのは1975年ですからね。サブタイトルが「おとぎ話のための序曲」とある通り、「千夜一夜物語」を原作にしたオペラを作るつもりだったものが、結局序曲を作っただけで未完に終わったというものです。ラヴェルはこれを「なかったものにしたい」と思ったのでしょうが、後に楽譜が発見されてしまって、出版までされたといういわくつきの作品です。
でも、なんだか後の「ダフニスとクロエ」を髣髴とさせるオーケストレーションが面白いですね。ただ、いかにもなオリエンタル風のシンコペーションのテーマはちょっと陳腐かも。
聴きなれた「マ・メール・ロワ」と「クープランの墓」は、これまでラヴェルでは必要不可欠だと思われていた「フランスのエスプリ」がほとんど感じられないことにちょっと面喰います。それは、楽器全般がとてもくすんだ音色に聴こえてきたことによるのかもしれません(フランスのくすぶり)。
面白いのは、「美女と野獣」で出てくる野獣をあらわすコントラファゴットが、特に低音が全く迫力のない薄めの音色だったことです。これは、楽器リストでは「1920年に作られたビュッフェ・クランポンのコントラバソン」とあるので調べてみたら、まさにその年に作られた楽器の画像が見つかりました。
左が普通のコントラ、右が1920年のコントラです。今のコントラより背が高くなっていたようですね。この音だと、「野獣」という感じが全然しません。
もしかしたら、こういうものが本当の「エスプリ」なのかもしれません。今までのラヴェルに対するイメージを変える必要が出てくるかもしれませんね。

CD Artwork © harmonia mundi musique s.a.s.


5月4日

DOTZAUER
Flute and Oboe Quartets
Markus Brönnimann(Fl), Barbara Tillmann(Ob)
Ulrike Jacoby(Vn), Murial Schweizer(Va), Anta Jehli(Vc)
(Ensemble Pyramide)
TOCCATA/TOCC 0421


「ドッツァウアー」などというツッコミみたいなユニークな名前(それは「ドッチヤネン!」)は、普通に生活を送っている人々ではまず聞くことはないでしょうが、チェロを学ぶ人だったら誰でも知っているのでしょうね。フルートを学ぶ人にとっての「ケーラー」とか「フュルステナウ」みたいなものでしょうか。そう、このフリードリヒ・ドッツァウアーという人は、チェロのための練習曲を作ったことでのみ音楽史に名前を残しているドイツの作曲家なのです。
彼が生まれたのは1783年、あのベートーヴェンが生まれた13年後ですね。小さいころから多くの楽器を学びますが、最終的に彼が選んだのがチェロでした。1801年には、弱冠18歳でマイニンゲンの宮廷管弦楽団のチェリストになり、その4年後にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団に入団します。1808年には、このオーケストラによるベートーヴェンの「トリプル・コンチェルト」の初演に、チェリストとして登場していましたね。
1810年には、ドレスデンの宮廷管弦楽団(現在のシュターツカペレ・ドレスデン)に移籍、1852年に引退するまでこのオーケストラの団員を務めました。そのかたわら、ソリストとしてもヨーロッパ中で活躍、引退の8年後の1860年に亡くなります。
そして、彼は作曲家としてもチェロのための曲だけではなく、オペラや交響曲といった「普通の」作品も数多く残しています。そんな中には、今回初めて録音された「フルート四重奏曲(Fl,Vn,Va,Vc)」や「オーボエ四重奏曲(Ob, Vn,Va,Vc))」などもあったのでした。
もちろん、これらは全て出版されていたものなのですが、現在ではもはや絶版になっているようですね。ムラマツの楽譜検索サイトでもドッツァウアーのフルートのための作品は全くありません。
1815年に作られた「オーボエ四重奏曲ヘ長調Op.37」は、ドレスデンのオーケストラの同僚、カール・クンマー(ワーグナーに「今まで会った中で最高のオーボエ奏者」と言われたそうです)の影響によって作られました。アレグロ、アンダンティーノ、メヌエット、ロンドという、古典派の型通りの4つの楽章から出来ていますが、第1楽章では最初のテーマが出てきてすぐに転調するという、もはやロマン派の作風が現れています。技巧的にも高いものが求められていて、オーボエには難しそうはハイ・ノートが頻繁に使われているのもスリリングです。第2楽章では、短調のテーマがオーボエによって奏でられますが、長調に変わった中間部ではオーボエは休みで弦楽器だけ、そのあとまた長調になって最初のテーマがやはりオーボエで変奏されます。第3楽章は、ベートーヴェンの「七重奏曲」とよく似たテーマが聴こえますし、最後のロンドはウェーバーのようなロマンティックな楽想です。
そして、ドッツァウアーはフルート四重奏曲を3曲作っていました。そのうちの最初の「イ短調Op.38」(1816年)と最後の「ホ長調Op.57」(1822年)がここでは演奏されています。この2曲を比べると、この6年間の隔たりでフルート・パートの技巧が桁外れに難しくなっていることがはっきり分かります。それは、この間の1820年にドッツァウアーが冒頭に書いた「フュルステナウ」と親友になったからです(アントン・ベルンハルト・フュルステナウは当時のドレスデンでフルートのソリストとして大活躍していて、彼の練習曲は最高難度を要求されるものです)。
Op.38はとてものびやかな感じで美しいメロディを歌い上げるようなタイプの曲だったものが、Op.57になると、大胆な跳躍や半音音階の進行など、華々しい技巧が全面に取り入れられるようになっています。楽譜が入手できれば、ぜひとも吹いてみたい曲です。
ここでフルートを演奏しているのは、ルクセンブルク・フィルの首席奏者のマルクス・ブレンニマンという人です。技巧の冴えは目覚ましく何の問題もないのですが、それだけに終わってしまっているもどかしさを感じないわけにはいきません。

CD Artwork © Toccata Classics


5月2日

TOUCHED BY THE STRINGS
Chorwerke mit Solovioline
Ida Bieler(Vn)
Michael Alber/
Orpheus Vokalensemble
CARUS/83.481


今回のアーティスト、オルフェウス・ヴォーカルアンサンブルはこのレーベルにはよく登場していますが、実際に聴くのは今回が初めてです。でも、彼らがこのレーベルにふさわしい最高の合唱団だということには再考の余地はありません。それは最初の音を聴いただけで分かりました。なんたって、合唱として必要なものがごく当たり前のようにそこにはあるのですからね。
この合唱団は、オクセンハウゼンにある国立音楽アカデミーの中のプロフェッショナルな室内合唱団として2005年に設立されました。メンバーは世界中から集まっているのだそうです。それぞれがソリストとしても活躍できるほどの力を持った人たちばかりなのでしょう。
それ以来、この合唱団は多くの著名な合唱指揮者と共演し、さらには多くの作曲家の作品の初演も行ってきました。このアルバムの中の曲も、これが世界初録音となるものが多く含まれています。
そして、このアルバムがユニークなのは、その合唱にアメリカ生まれのヴァイオリニスト、イダ・ビーラーが加わっていることです。ここで演奏されているのは、全てヴァイオリンと合唱が共演する形で作られた作品ばかりだったのです。確かに、サブタイトルは「ソロ・ヴァイオリンが加わった合唱作品集」となっていますね。
実際、合唱とヴァイオリンという組み合わせの作品は、すぐには思い浮かばないほど珍しいものなのではないでしょうか。普通のパートナーであるピアノのようにきちんと伴奏をするのはちょっと無理がありますから、ヴァイオリンが入ったとしてもそれはせいぜい単なるオブリガートのような使い方が無難なところでしょうね。
しかし、ここで演奏されているものでは、もっと踏み込んだところでの合唱とソロ・ヴァイオリンとのコラボレーションが行われていました。全曲聴き終わってみると、それがかなり刺激的な体験だったことが分かります。
演奏順に聴いていくことにしましょう。最初は、有名なノルウェー出身のアメリカの作曲家でピアニストのオラ・イェイロの「O Magnum Mysterium」です。まるで中世やルネッサンスのような美しいハーモニーの静かな曲ですが、ここにヴァイオリンがさりげなくからみます。時には、多重録音でまるで弦楽合奏のような味わいも出しています。誰が聴いても間違いなく癒されることでしょう。
それとは対照的に、初録音のドイツの作曲家、ヴォルフラム・ブーヘンベルクの「Splendor paterne glorie」では、合唱とヴァイオリンがまさに対決の様相を呈しています。無調のテイストもあって、かなり激しい音楽です。
この中では唯一の物故者、ノルウェーの有名な合唱音楽の作曲者クヌート・ニューステッドの「Ave Maria」は、ヴァイオリニストのピーラーが2004年に初めて合唱と共演した作品。これで、彼女はこの形態の魅力を知ったのでした。ここでは、合唱もヴァイオリンもそれぞれ独自に音楽を展開していながらも、一つのクライマックスを形作っています。
それ以降はすべて初録音、まずリトアニアのヴィタウタス・ミシュキニスのソロモンの雅歌による「In lectulo meo」は合唱のとてもメロディアスなテーマにヴァイオリンが寄り添うといったシーンとともに、ヴァイオリンのささやきを受けて合唱が同じテイストで歌い出すといった、お互いの相互作用がうれしいですね。
ドイツ生まれのヴァイオリニスト、グレガー・ヒューブナーが詩篇77のテキストで作った「Ich rufe zu Gott」は、前半はとても攻撃的な音楽ですが、後半はコラール風の穏やかなものに変わります。ヴァイオリンの長いカデンツァの後合唱が入ってくるところが、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲に似ているのが面白いですね。
最後のヨン・ホイビュはデンマークの合唱音楽界の重鎮。やはり詩篇の151の英訳をテキストにした「What a great blast」は、まさにジャズ・コーラスのテンション・コードやシンコペーションの中に、バロック風のパッセージがいきなり現れるという楽しい作品です。

CD Artwork © Carus-Verlag


4月28日

HORIZON 8
MacMillan/Trombone Concerto, Knussen/Horn Concerto,
Ali-Zadeh/Nasimi-Passion
Jörgen van Rijen(Tb), Félix Dervaux(Hr)
Evez Abdulla(Bar)
Iván Fischer, Ryan Wigglesworth, Martyn Brabbins/
Netherlands Radio Choir(by Klaas Stok)
Royal Concertgebouw Orchestra Amsterdam
RCO/RCO 17004(hybrid SACD)


ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による現代音楽のシリーズ「HORIZON」の最新アルバムです。2017年に行われた3つのコンサートから、ジェイムズ・マクミランの「トロンボーン協奏曲」とフランギス・アリ=ザデーの「ナシミ受難曲」のそれぞれの世界初演、そして、1994年に作られていたオリヴァー・ナッセンの「ホルン協奏曲」が収録されています。
マクミランの「トロンボーン協奏曲」は、このレーベルとしては初めて出会ったDXDによる録音でした。正確なデータは記載されてはいませんが、最低でも24biti/352.8MHzという、この間の2Lレーベルでお馴染みのものすごいPCMです。
この協奏曲は、コンセルトヘボウ管弦楽団の首席トロンボーン奏者のヨルゲン・ファン・ライエンからの要請に応えて作られたものです。それは、単なる協奏曲というよりは、ほとんど「オケコン」のような、オーケストラの個々の楽器やセクションがソリスティックに大活躍するという作り方になっています。なにしろ、曲の最後近くに入っているカデンツァでは、もちろんソリストが即興的なフレーズを演奏するのですが、それに呼応してこのオーケストラのトロンボーン・パートの人たちも参加してバトルを繰り広げる、といったスリリングな場面まで用意されていますからね。この時は、ソリストのファン・ライエンは客席に背を向けて、トロンボーン・セクションと一緒にインプロヴィゼーションのやり取りを行っていたんだそうです。
それ以外に印象的なのは、曲が始まってすぐに登場してトロンボーンにとてつもないハイテクで迫るフルートです。おそらくこれを吹いているのはエミリー・バイノンでしょう。
まるで映画音楽のように山あり谷ありのスペクタクルな音楽(サイレンまで入っています)は、どこを取ってもとても魅力的でした。こういうものこそ、しっかりサラウンドで聴きたいものです。金管のコラールで安らかに迎えるエンディングも感動的です。
これらの複雑に入り組んだオーケストラのテクスチャーが、まさにDXDならではの精緻な音で迫ってきます。正直、BD-Aならいざ知らず、SACDでここまでのものが聴けるとは思っていませんでした。
もう一つの世界初演は、アゼルバイジャンの作曲家アリ=ザデーがこの年のイースターのために作った「ナシミ受難曲」です。
このオーケストラには、初代指揮者のメンゲルベルクの時代から、この時期にバッハの受難曲を演奏するという伝統がありました。それは代々の指揮者に受け継がれ、一時アーノンクールが「HIP(=historically informed performance)」で演奏していたこともありました。最近では、バッハの受難曲だけではなく、何年かに一度は現代に作られた受難曲を演奏するようになっていて、2009年にはジェイムズ・マクミランの「ヨハネ受難曲」、2013年には、フランク・マルタンが1949年に作ったオラトリオ「ゴルゴタ」が演奏されていました。そして、2017年に演奏されたのが、この「ナシミ受難曲」です。
「ナシミ」という馴染みのない言葉は、この受難曲で通常の新約聖書からの福音書の代わりにテキストとして使われている、14世紀のアゼルバイジャンの詩人イマードゥッディーン・ナシミに由来しています。もちろん、それはアゼルバイジャン語で書かれたものでした。
彼女の作品は、伝統的な西洋のクラシック音楽と、中東の民族音楽とを融合したものと言われていますが、それはとても高い次元でのクロスオーバーがなされていて、決して安直なオリエンタリズムに陥ることはありません。バリトンのソリストとして起用されている、アゼルバイジャン生まれで世界中のオペラハウスで活躍しているイヴズ・アブドゥーラが、テキストに命を吹き込んでいます。
この曲と、ナッセンの「ホルン協奏曲」は、96kHzPCMによる録音だからなのでしょうか、DXDによるマクミランとは明らかにワンランク下がった音に聴こえます。その違いがここまではっきり分かるとは。

SACD Artwork © Koninklijk Concertgebouworkest


4月26日

PASSION
Fritz Wunderlich(Ten)
Various Artists
PROFIL/PH17015


1930年に生まれて、1966年にまだ30代の若さで亡くなってしまったのが、ドイツのテノール、フリッツ・ヴンダーリヒです。幸い、その「晩年」にはDGなどのレーベルに多くの録音を残したので、今でもその伸びのある美しい声は、素晴らしい録音で聴くことが出来ます。ベームの指揮による「魔笛」全曲盤などは、ハイレゾのSACDもリリースされていますから、彼のタミーノを極上の音で味わえます。
そのような正規のレコード録音だけではなく、コンサートを放送用に録音したものなども、かなりの数のものが残っているのではないでしょうか。それらは、すでに海賊盤っぽいものでは出回っているはずです。もちろん、きちんとライセンスを取って正規盤としてリリースされているものも有ります。
今回は、ふつうヴンダーリヒと言って思い浮かべるオペラやリートではなく、主にバッハの受難曲などという珍しいレパートリーをそのような音源から集めて作った12枚入りのボックスです。何しろ、このジャンルのスタジオ録音盤は、1964年にカール・ミュンヒンガーの指揮するシュトゥットガルト室内管弦楽団とDECCAに録音した「マタイ」ぐらいしかありませんからこれは貴重です。
ここに収録されているのは、「マタイ」と「ヨハネ」がそれぞれ2種類、ヘンデルの「メサイア」と、宗教曲ではありませんが、1955年に録音されたベートーヴェンの「第9」全曲です。これはすでにLPでリリースされていて、そのジャケットのライナー(ジャケットの裏側のこと)がこれです。
右下に「STEREO」と書いてありますから、リリースされたのは録音されてからかなり経ってからなのではないでしょうか。1955年にはまだステレオはありませんでしたからね。ですからこれはLPを作る時に電気的にモノラル録音をステレオにしたものです。たしかに、よく見ると「ELEKTRONISCHES STEREO」となってますね。
いわゆる「疑似ステレオ」というやつで、「ブライトクランク」というのもありました(もはやだれも知らないでしょうね)。
これは、このボックスの中では最も古い録音、ヴンダーリヒはまだ24歳の時なのですが、例のピッコロが入るマーチに乗って出てくる彼のソロには驚いてしまいました。それは、例えば今超売れっ子のテノール、某フォークトのように、とても甘く美しい声なのにそこからは何のパワーも感じられないものだったのです。「第9」のこの部分はなんたって勇壮なマーチをバックに歌うのですから、そこにパワーがなければ何にもなりませんね(そういうこと)。
余談ですが、この録音でピッコロはこの部分派手にヘクってます。しかも、ど頭とオクターブ上がったところの2か所も。ということは、これもやはりライブ録音だったのでしょうか。
こんな「貴重」な声は、そんなに長くは続かなかったようで、その2年後1957年の「マタイ」と「ヨハネ」では、あのお馴染みの張りのある声が聴けるようになります。この2曲は、その年のアンスバッハ・バッハ音楽週間に聖グンベルトゥス教会で「マタイ」が7月24日、「ヨハネ」が7月31日に演奏されたもので、あのカール・リヒターがミュンヘン・バッハ合唱団&管弦楽団を指揮していました。フルート・ソロはオーレル・ニコレという豪華版です。ヴンダーリヒはここではアリアを担当、エヴァンゲリストは彼より20歳年上のピーター・ピアーズでした。
もう一つの1958年の「ヨハネ」は、テオドール・エーゲル指揮の南西ドイツ放送管弦楽団のフライブルクでのコンサートのライブで、ここではヴンダーリヒがエヴァンゲリスト、アリアはハンス=ヨアヒム・ロッチュでした。
そして、1962年の「マタイ」は、カール・ベーム指揮のウィーン交響楽団がムジークフェライン・ザールで行ったコンサートです。ここではヴンダーリヒはついにエヴァンゲリストとアリアを全部一人で歌っています。
いずれも、録音はあまりにひどいものですが、その混沌の中でもヴンダーリヒの声だけは豊かに響き渡っています。

CD Artwork © Profil Media GmbH


4月24日

FOLKETONER
Anne Karin Sundal-Ask
Det Norske Jentekor
2L/2L-144-SACD(hybrid SACD)


アルバムタイトルの「FOLKETONER」というのが、ちょっと曲者でした。「Folkemusikk」が「民族音楽」という意味のノルウェー語なのは分かったのですが「Toner」が分かりません。でも、おそらく英語の「Tone」ではないかということで、勝手に「民族の音」とすることにしました。
それを、日本の代理店は「人々の心の調べ」と訳しました。これは、元の言葉の直訳ではなく、それこそその「心」までも含めて意味を伝えようとした気持ちのあらわれなのでしょう。半世紀前に「I Want to Hold Your Hand」というタイトルを「抱きしめたい」と訳した精神が、この業界には時代を超えて脈々と伝えられていることがよく分かる事例です。
実際は、ここではとても素晴らしい女声合唱団によって、ノルウェーのまさに「民族音楽」から、ロマン派の作曲家によるクラシックの「作品」、あるいは中世から伝わる聖歌など、様々な曲が歌われています。その女声合唱団は、初めて耳にした「ノルウェー少女合唱団」という名前の団体です。
この合唱団の起源は、1947年に作られた「ノルウェー放送局少女合唱団」まで遡れるのだそうです。やがて合唱団は放送局からは独立した団体となり、今に至っています。その間には、多くの音楽家、芸術家がここから巣立っていき、それぞれの分野で活躍しています。そもそも、ここは音楽だけではなく芸術全般に関するプロフェッショナルなスキルを身に付けるという目的を持った教育機関としての側面もあるのだそうです。さらに、そのような啓蒙はここで学ぶ少女たちだけではなく、その演奏を聴く聴衆に対しても行われているのだとか。
この合唱団のメンバーは6歳から24歳までの年齢層で成り立っています。そして、その中にはそれぞれのスキルに応じて4つの合唱団があります。それは、初心者のための「リクルート合唱団」、もう少し高いレベルの「アスピラント合唱団」、そしてメインの合唱団、さらに、おそらくそこから選抜されたメンバーによる「スタジオ合唱団」です。このSACDで演奏しているのは、その「スタジオ合唱団」です。
いつものように、DPAのマイクを使ってDXD(24bit/352.8kHz)で録音されたこのレーベルの音は、2.8MHzDSDというしょぼいフォーマットにダウンコンヴァートされたSACDであっても(今回はBD-Aは同梱されていません)、とびっきりのインパクトを与えてくれました。バランス・エンジニア、モーテン・リンドベリが選んだ録音会場の教会の豊かな残響に囲まれて、この合唱団の瑞々しいサウンドは、まるで乾ききった砂地に水がしみ込むようにたっぷりの潤いを届けてくれていたのです。彼女たちの声は、普通は「無垢」という言葉で表現される透明性を持ちつつも、そこにはほのかな「汚れ」すらも漂っていて、それがえも言えぬ味わいを出しているのですね。サラウンドで体験するこの音響空間は、まさに至福のひと時を与えてくれます。
歌われているのはさまざまなソースをア・カペラに編曲したものですが、ノルウェーの大作曲家、エドヴァルト・グリーグが作った曲も4曲歌われています。その中から、いきなり弦楽合奏のための「2つの悲しい旋律」からの「過ぎにし春」が聴こえてきたのには驚きました。おばあちゃんの名前(それは「杉西はる」)ではありません。これは、オリジナルは「ヴィニエの詩による12の旋律」という歌曲集を編曲したものですが、それがさらに合唱に編曲されていたのでした(ここでは同じ曲集からの「ロンダーネにて」も歌われています)。
弦楽合奏バージョンには、いかにもな濃厚な表現の正直うざったい曲のような印象があったのですが、このア・カペラ・バージョンはそれとは全然異なる爽やかさと明るさを持っていました。歌詞には、「これが私にとって最後の春だ」みたいな深刻な心情が現れているようですが、少女たちにとってはそこまで踏み込まずともこの音楽の神髄は伝えられるだろうという解釈なのでしょう。そう、明るさの中に込められた哀感の方が、時として鋭く伝わることもあるのです。

SACD Artwork © Lindberg Lyd AS


おとといのおやぢに会える、か。



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