空中窒素固定技術の完成は第1次世界大戦の勃発の原因とはならない。 |
(しかし、第1次世界大戦を長期化させた要因の一つには挙げられるであろう)
アンモニアや硝酸塩などの窒素化合物は、現在、化学肥料や染料など我々の生活に必要な物の原料となっている。それは19世紀当時も同様であった。ただし、当時はチリから産出されるチリ硝石から窒素化合物を製造するのが主流となっていた。
いっぽう、空気のおよそ8割は窒素でできている。そこで、限りあるチリ硝石のかわりに大量にある空気から窒素を取り出して窒素化合物を作る方法、すなわち空中窒素固定技術の方法を、19世紀末期の人々が模索し始めた。やがてドイツのフリッツ・ハーバーが、実験室レベルでの空中窒素固定に成功し、さらに1913年9月に同じくドイツのカール・ボッシュが、空中窒素固定技術を用いた日産10トンのアンモニア合成プラントの運転を開始させる。
それから、およそ1年後の1914年にあの有名な第1次世界大戦が始まる。なお、窒素化合物は近代戦に必要な火薬の原料にもなる。
以上の話からこんなエピソードが生まれたようだ。
”ドイツ皇帝ウィルヘルム2世は、空中窒素の固定が成功したのを知って、第1次世界大戦を決意した。”
このエピソードは今でも一部の人に信じられているらしい。
なにを隠そうこの私も実はまだ今ほど第1次世界大戦に興味がなかった(興味の芽生えはあったが・・・)高校生の頃、このようなエピソードが書いてある参考書を読み、それをそのまま受け入れて、ほかの人にその話を伝え、優越感に浸っていたのだ。(^_^;)あははは・・・
しかし、しばらくして第一次世界大戦に関していろいろ調べていくうちに、どうもこのエピソードが疑わしく感じるようになってきた。
疑わしく感じる主な理由として
”ドイツ参謀本部は当時、短期決戦を想定して作戦を立てていたのに、なぜ火薬の原料の確保を心配しなければならなかったのか”
ということである。
計画ではイギリスが参戦する前に約40日注でフランスと決着をつけてしまう予定になっていた。ロシアとの決戦も含めても短期間で終わるだろうと予想していたため、イギリスがたとえ海上封鎖に踏み切ったとしても大した影響は受けずに戦争は終わってしまうだろう、と考えていたと思う。
(注 20世紀の歴史13 第1次世界大戦(上)では(平凡社)42日、 八月の砲声 バーバラ・W・タックマン著 筑摩書房では39日(これは、小モルトケの修正計画みたい)となっているようです。)
実際、ある化学者が空中窒素の固定化技術を戦争に利用することをドイツ参謀本部に提言したがドイツ参謀本部は相手にしなかったらしい。
(毒ガスと科学者 宮田新平 著 文集文庫 による。)
どうして、このようなエピソードが今でも信られているのだろうか。
これについては、私は思うに、空中窒素の固定化技術の工業化の完成の時期と、第一次世界大戦勃発の時期が、近いため、空中窒素固定技術の必要性→工業化への発展→第一次世界大戦勃発と述べてしまうと、それだけの情報ではふと、「ドイツは空中窒素固定技術が完成したので第一次世界大戦に踏み切った」と連想してしまうためではないかと考える。
実際、つい最近たまたま空中窒素固定に関することを解説していた某テレビ番組があって、淡々と出来事を語っている教授がいつこのエピソードを語るかひやひやしながらみていた事があった。その教授は決してこのエピソードを語らなかったけれども、きっとあの番組をみた人の何人かは「ドイツは空中窒素固定化技術が完成したから戦争に踏み切ったのか」と思った人がいるのだろうなあ、と感じたことがあった。
この連想パターンは、
当時は遠い海からチリ硝石を使って苦労して窒素化合物を得る |
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海に弱いドイツ軍
(これはちょっと、
マニアックな発想かな?)
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ドイツはナチス、悪いやつ(こっちの人のほうが、結構多そうだな。) |
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戦争が始まって海上封鎖されたら、このままだとドイツは火薬が手に入らない |
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そうか、ドイツは空中窒素固定技術が完成したから第一次世界大戦に踏み切ったのか! |
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というようなもんだろう。
狭い視野で物事を考える事は、愚かなことである。(私も愚かでした。(^_^;) )
なお、第一次世界大戦はご存知のとおりドイツ軍が思い描いたように短期間で決着がつかなかった。ドイツはイギリスから海上封鎖されチリ硝石が思うように手が入らなくなったがなかなか屈服しなかった。もし空中窒素固定化技術が生まれてなければもしかしたら戦争はもっと早く終わっていたのかもしれない。
さて、このエピソードに関する考えは以上ですが、これについてはもっと立派にまとめられた論文を発見しました。1975年の大昔の論文であり、紙のままだときっと忘れさられてしまうのではないかと思い、下記でほぼその原文をWEB上で掲載します。よろしければご参考にしてください。(この論文は化学雑誌に掲載されていたので人によってはわかりづらいところもあると思われるため、浅はかながら私なりに要約した文書も掲載しときます。)
・ アンモニア合成法の成功と第1次世界大戦の勃発(要約+注釈)
・ アンモニア合成法の成功と第1次世界大戦の勃発(ほぼ原文+注釈)
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