十島村のなかで2番目に大きな島。島中央に活火山の「御岳」(799m)があり、今なお活発に噴煙をあげている。
御岳は文化10年(1813年)の大噴火で島の東西にあった50あまりの人家は消滅し、全島民が避難のため、隣の悪石島、中之島に島を捨てて、移住した。その後、70年間無人島となったが、明治になり、奄美大島出身の「藤井富伝」らが入植し、開拓が始まった。
現在の住民は奄美大島と県外からの出身者で構成されている。元の諏訪之瀬島住民はほとんど島には戻って来なかったのである。
1960年代にはヒッピーが大挙押し寄せ島民とトラブルを起こしたこともあったが、彼らも島の生活に溶け込み、今では島に欠かせない働き手となっている。
北西部の溶岩台地には手付かずの自然のままの「マルバサツキ」が日本でも有数の規模で群生しており、5月初旬から中旬にかけての満開の頃には、一面がピンクの絨毯を敷いたようになる。
塩見岬の海水浴場では、干潮時に潮干狩りができる。豊富な量と種類の多さが自慢である。南の島にしかないものもあり、自分で採集した貝殻でペンダントやブローチを作る女性観光客も多い。
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