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Digital Photo Gallery  八ヶ岳の詩・御柱特集

氏子の皆様よ長の道中ご苦労様だ 無事に曳きつけ万々歳だ       (下社木遣り歌)         
御柱祭 [下社里曳き祭]   2004年 5月8・ 9・10日       

建方の皆様 お願いだ  建御柱 お願いだ=@      (下社木遣り歌)       

          
ヨイサ! ヨイサ! 木遣りにあわせて 下社で最初に立ち上がる春宮一の御柱 (8日)           


甲州街道と中山道が出会う国道20号は御柱はじめ催し物がパレードするため3日間通行止め
歩行者天国として賑わった 


春宮の境内を経て秋宮に向け曳行される秋宮一の御柱  沿道は鈴なりの見物人(8日

皆様ご無事で おめでとう  千秋楽だで おめでとう       (下社木遣り歌)


大勢の氏子を乗せ ほぼ垂直に建った秋宮一の御柱     (10日)


         土砂降りの雨、それでも御柱を曳く人たちに笑顔が絶えなかった    (9日)                       

 [ 祭りを盛り立てる ]  
          
   
江戸時代 御柱警護のため高島藩が仕立てたという騎馬行列  今は保存会の人たちが下諏訪町内を練り歩く







御柱を曳く人たちの弁当などを運んだのが始まりという長持が 町内保存会や企業から
約100竿出場 華やかな現代調から 江戸時代の伝統保持派までパフォーマンスはさまざま
 2階のお宿席からさかんに拍手を浴びた

    メモ 注連掛から春宮へ旧中山道を1.5`、8本の御柱を曳行した初日は好
天だった。一番初めに里に下りた春宮一の御柱はその日のうちに「建て御柱」
が行われ、木遣りに歌われるように神となった。しかし、秋宮へ2`弱、御柱が
市街地の曳行となり、町中が盛り上がる「神賑わう催物パレード」も最大規模に
なる2日目(日曜日)は雨、さらに、建て御柱の行事が一番多い3日目も降り続
いた。6年間、技の継承、用具の保存につとめてきた諏訪の氏子にとって、ザン
ザ降りのこの雨は大した障害ではなかったらしい。御柱の曳き手たちは合羽の
下に笑顔が絶えなかった。柱のてっぺん男も怯むどころか、終始直立して降り
注ぐ雨に向かって拳を突き上げた。ただ遠来の観光客には観覧席がない、傘
の波しか見えないと、地元の人がくつろぐ「お宿」を片目に浮かぬ顔つきだっ 
たのは、仕方ないのか。                                  
   下社の里曳き祭の人出は3日間で39万人、前回より7万人減。雨が降った2日  
間の減少が数字にでた。
  

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Ver.1.1    Nov.18,2004.

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