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Photo Gallery 八ヶ岳の詩・御柱特集
2010年 庚寅 諏訪大社御柱祭
上社 山出し祭(4月2,3日)
上社本宮四の御柱(茅野市北山・湖東・米沢地区担当)の記録
[準備 木づくり]
三月下旬 祭りのスタート地 八ヶ岳山麓1250m付近の「綱置き場」で八本の樅の大木に それぞれの担当地域の村人が総力あ
げて手作りした引き綱・めどてこ などを作りつける作業が始まった。
本宮四の御柱は長さ13b目通し2.4b重さ約6d。
(3月31日 午前)
[初日
雨の曵行開始]
4月2日午前9時前、大雨のなか木遣りの声やラッパ隊に鼓舞されて千人近い人たちの力で御柱は山を下り始めた。
[雨・どろ・汗・熱気]
約2km進むのに2時間、御柱の回りは雨に濡れた人の熱気で湯気が立ちこめる。
[環境保全]
御柱曵行で出たゴミを拾い集め持ち帰るのも担当地区の責任。各柱の最後尾には清掃隊が周囲に注意を払う。
[雲わき上がる御柱街道]
正午前、雨が上がり始め道路や農地から水蒸気がわき上がる。幻想的な風景の中を本宮四の御柱は進む。
[昼休み]
雨はすっかり上がり、曵行は昼食休憩となった。街道脇の空き地でグループ毎に弁当を広げる。
沿道の原村は地産のミルクにお酒、オデンなどを無料サービス、個人の家でも門前にテーブルを出してお茶
漬け物、おにぎりを振る舞うところも散見した。(原村柳沢で)
[雨具を脱いで]
八ヶ岳はまだ雲をかぶっているが、日差しが戻った山麓は曳き子の数はぐっと増え、楽し気な表情が浮かぶ
[2日目
難所を通る]
ほぼ直角に曲がる狭い道、電柱・電線、家の庇・塀・植木が障害物になる。茅野市玉川「穴山の大曲」で知られる
難所では一寸刻みの進行になる。梃子衆=写真上と元綱係りの奮闘で無事通過。下はカーブミラーに写る曳き子。
(4月3日午前9時過ぎ)
[八ヶ岳を背に]
2日目昼前になって、やっと八ヶ岳を背にした曵行の写真が撮れた。下界に入り人家が多く望遠レンズで引きつけた写真
(茅野市玉川の菊沢付近で)
[子の神でお清め]
御柱は清めを受ける間、曳き子は自分の位置で暫しお休み。2日目の行事はこれでおしまい。あとは長峰まで曳くだけ。
3度目の御柱祭を体験するに当たり、山荘のある茅野市北山地区が担当する御柱に付いてみることにした。前回の小宮祭で、
お祭りを理解し楽むには、地域密着が一番だと分かったから。今回、北山地区は抽選で本宮四の御柱に当たった。
よそものが、地域の人たちに溶け込むのは容易ではない。初日の大雨は、絶好のチャンスであったが、不測の事態は昔の
職業意識を呼び戻してしまった。客観的にこの異常事態を取材しよう・・と。綱から手を離し、大雨に難渋する御柱の曵行ぶり
を記録する事に熱中した。
2日目、反省して綱について曵行に専念してみた。全く、写真が撮れない。景気良く酒を飲みながら「よいさーっ、よいさーっ」
意気込む娘さんと、その保護者と見られる小父さん、腰が曲がってはいるが元気に引っ張るおばーさんらに挟まれ、この人達
のスナップも撮れなかった。お祭りに参加しようとすることと、お祭りの写真を撮ろうとすることは、二兎を追うことなのか。
本宮四の御柱曵行は「三友会」という北山・湖東・米沢の3地区若手でつくるグループが実権を握る。御柱祭に新しい制度を
取り入れ改革改善をめざす。今回の山出し祭でツアー客を受け入れたのも、他地域では見られないことだった。山出し初日
雨が上がった午後、曳き綱を延ばし観光バス5台の「御柱体験ツアー」客に綱先を曳かせた。一般の氏子には受けはあまり
良くなかったが、伝統のお祭りを事業化を目指した一手と見た。
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Ver.1 Apr.06、2010.
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