雑感 2001/01 |
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マズイ。まともにHP小説連載をできる状態ではないです。眠い。更新履歴の第9章アップを便宜上1/28と書いてみたものの、それまでに本当にアップできるでしょうか……。 今、タワーのパソコンとディスプレイを、階下の事務所に運ぶことによって、ようやく電話回線にありついてます。それもFTPとメールをいじるほんの一瞬だけ(――デスクには書類が山積みなので、床にCRTディスプレイを置いて操作。これがけっこうサブイ)。もちろん、会社が忙しい時にはできません。しかしこの会社、24時間忙しい……(ので、チョイとお手伝いにきたんだけども)。 新聞もテレビも無し。うーむ。こりでは、旅に出ているのと、同じ次元だ〜。まーそれならいいか。早く『200X』の特集貯め録りが見たいぞよ。
今いる松戸は『真間手児奈』の伝承がある地(市川市)に近いです。昨日市川駅からだらだら歩いていて、偶然発見しました。 手児奈というのは伝説の美少女で、周囲の男性があまりに言い寄って、争いごとまで始まったので、自分の美しさが争いの原因になるのを憂い、身を投げて死んでしまったといいます。 『ヴィラ=テコナ』とか、現在も地名のように使われているのは面白いです。手児奈サン、まだ愛されまくり……。
今困ってます。広辞苑が手元に無いという状態では、文章を安心して書けないことがよく分かりました。何か書くとき(メール除く)には、傍らに広辞苑を置いておくのが習慣になっていた僕が、何の国語辞典も持たずに吹田を離れたのがそもそもの間違いだったかもしれません。このパソコンにもなさそう。図書館も周りに無い! な〜んてこった!
『Cho'son』呼称問題は、僕が思ったよりも複雑でした。かの半島出身の方々は、まず(在日/現地)×(韓国/北朝鮮)という4種のカテゴリーに分類され(←僕は少し不本意ですが)、それぞれの方々の中にも、『断固許さない』人もいれば『まあいいでしょ』という人もいるそうです。 とにかく戦前の日本人は『チョーセンジン』を蔑称として用いたので(しかしこの呼称しか日本語には無かったような気も……尊敬すべき人のことはどう呼んでいたんだろう??)、我々は使わないに越したことはないようです。 スコティッシュを『イギリス人』と呼んではばからぬ島国意識のままでは、A社のように痛い目に合うこと間違いなし、です。統一の兆しが見えた今、どの呼称が一番ふさわしいか、悩みどころでしょう。 しかし、いざ統一の暁には、そんな些細なことはどうでもいいような気もします。僕は一にも二にも、隣国の栄誉を称えたいですから。
1/12の『じゃあホンネ』以降の数行について反省しています。いくらホンネとは言え、双方の『民族の誇り』などを考慮した上では、大変失礼な文章であったと思います。 しかしやはり――ホンネはホンネです。旅行者ならば、色々な土地を訪ね歩いて親交を温めたいものなのです。その現地に住んでいる、平和を愛する人々の願いと、同じなのです。 僕は武器商人が大キライです。300円かそこらの地雷で人の足を奪い、それで飯を食っている人がいるなんて、食人趣味じゃないかと思います。そういう下賎な私利私欲に、崇高な理想が利用されている状態は、見るに耐えません。 PKOというものは、本来一人ひとりの人間が、各自持つべき機構だと考えます。『敵』と思われる人達を自分の憎しみや恨みから解放させるということは、とても難しいことなのですが、素晴らしいことです。反対に軽侮・憎悪を倍加させるのは簡単で、情けないことです。 もっともその狭隘で、人間社会は色んなバリエーションを見せつづけていることも確かなのですが……。 ところで、遂に東京進出か? 今松戸です。一々デスクトップのパソコン一式を1階の事務所に持ち込むのは辛いのだが……、ちゃんと入るんかな、これ……。ふにゃふにゃ。
クローン最近すごいなぁ。不妊夫婦のために人間のクローンを作るって発表した宗教団体がバックボーンの遺伝子工学会社(だったか?)とか、絶滅危険種の野生ウシのクローン誕生とか、ペースが、なんか早い〜っ!!!! 下に書いていることなんか、来年になる前に各自・各国が本気で考えなきゃならんかも。 そうだコクヨさんかどこかが、ホワイトボード用のスキャナー??を発売していた。『大禍時』第2章、すでに危うし(だってあれ、単に昔のオモチャの『せんせい』がフルカラーだったらカッコイイかなって発想だし……)。 それでもSF作家(←別に僕のコトじゃないよ〜)って、パラダイムや既成概念の転換点をどんどん発見し続けなきゃいけないんだろうなぁ。 大変だ〜。
ついにおサルまできました、クローン。『アンディ』君、なかなかカワイイじゃないか。ヒトだと人権問題とかどうするんだろう?? 予備臓器のためのクローンなんて、すごくやだな。おいらそんなのいらないや。もう一人のおいらを犠牲にするくらいなら、『古きよき価値観』のまま死なせてくれぃ。 そのうちイラク政府がアメリカに強い『遺伝子組み換えフセ○ン』さんを大量にデビューさせたりして……、なんかちょっとコワイんでこの辺でやめます。 最近思うんですが。『歴史を見るときに、当時の世界観を外して考えることはできない』というところで逡巡してしまいます。僕は間違いなく21世紀に生きていて、現在の世界観から視野の限られた望遠鏡で過去を見ているに過ぎないのですが、当時の世界観というものは僕の持っている世界観とずいぶん違うはずです。 現在の世界観をもってすれば、ネイティヴ虐殺も原爆投下もアメリカは行わなかっただろうし、秀吉も大日本帝国も侵略行動を行わなかったと思います(アマイかな。南北問題では依然として人権蹂躙が続いているし)※1。 ただ、『当時は、こーゆー考え方がまかりとーってたの!』と言い捨てるのは、なんか言い訳がましいような気もします。確かに、個々のドイツ人を『ナチスの末裔』というような見方もできないし、今でもイギリス人が『中国人には、アヘン吸わせてりゃいーんだ』と思っているわけがないでしょう(←これは当時の国会でも過半数ぎりぎりで可決)。もちろん日本人も、です。しかしながら、各々の――加害者の!――国では慙愧の歴史として振り返らざるを得ないはずなのです。さらに、性悪説的に考えるなら、ひとたび恨みや偏見をつのらせれば、容易に前時代の価値観に戻るかもしれません。さらにさらに、人々の願いとは裏腹のパワー=ポリティクスは、現在も続いています。 ただし――。複雑な歴史や感情の交錯を経つつも、その上に『現在』が組み立てられていることも間違いありません。朝鮮半島を地獄にした文禄・慶長の役――壬申・丁酉倭乱でもたらされた唐辛子によって成立したキムチ、ネイティヴ虐殺によって開拓された大地で収穫された小麦や大豆で作られたパン・豆腐、かつて東ヨーロッパを血の海にしたモンゴル人がもたらしたひき肉で成立したハンバーグ、味付けに、古くは十字軍を動かして最終的には大航海時代でアジア=アフリカを西欧の植民地にしてしまったコショウ。今日も僕等の食卓をにぎわせます、アヘン窟を代償にした紅茶文化で花開いたボーン=チャイナに盛られて……。きりが無いんでやめます。これらを全部否定できるでしょうか?(……といって、これからの歴史でもこのようなことが容認できるでしょうか??) 一方、現在に目を移せば、カシミールでカシミール=ビリヤーニが安心して食えないというのは、まことに残念です。多宗教の聖地が血みどろなのも。 チベット人は凍傷にかかりながらもヒマラヤを越え、離散した家族は鴨緑江で対岸を見つめ、フィリピンではスーダンでは……もういいか。 ニュートラルな視点、自分の位置への愛情、それ故の他者の位置への敬意……。これらの狭間で僕は『行ったり来たり』なのです。 ん? キレイすぎる? 分かった。じゃあホンネ(?)。 旅行者が戦争や紛争で行く手を阻まれるのはとってもつまんない。ちゅーか、そこに住む人にとっても全然合理的じゃないから、やめよーぜホンマに(『北斗の拳』でハート様が部下と農業始めたら、多分イイ金になると思うぞ。みんな力持ちだし。――略奪は長期的戦略ではない。『我が事足れり』では人間社会のポテンシャルが全く引き出せない)。オレは日本に生まれてよかったよ。銃を買うロスも無いし。地雷もないし。搾取も別にないし。あーよかった。……ホンマかいな。just gotta get right out of here... ※1 不思議なのは、『赤穂浪士の討ち入り』。これ、現在の世界観ではテロだと思う。隠居ジジイを47人で虐殺。赤穂浪士に感情移入できなくもないんだケド……数年前NHKが赤穂浪士を掛け値なしに絶賛した番組を放送した時は(どうも『カッコイイ』らしい)、なんだかイヤ〜な感じがしました。吉良サイド、完全無視状態。
A社のインドネシアでの失態、誠に遺憾です。一日本人としては、同地のムスリムの方々に本当に申し訳なく思っております。言ってみれば広島で核兵器を造るのと同じくらい『とんでもない』ことであると考えています。 同社の発祥となり、商品名がそのまま社名となっているグルタミン酸ナトリウムの精製は、わが国の近代科学の金字塔の一つであるだけに、残念でなりません。ニッポン地に墜ちたりって感が無きにしもあらずです。 現地の同社にも、当地での仕事に熱い想いを持つ人はたくさんいたはずです。彼らの心中、さぞや無念と思います。 近年のビジネスでは、(シンク+アクト)×(グローバル+ローカル)は、もはや言わずもがな、であり、個々人においても異文化理解への努力は必須だと思います。歴史を見ればセポイの反乱など、異文化の軽視が取り返しのつかぬ事態を招くことも多いのです。 しかし――はたして今の『日本』が他国の人々に理解可能かどうかは、僕にもサッパリ分かりません。近頃不可解な事が、多スギル……。
〔2001/05頃? 背景写真を削除しています。〕 トップページのコイン状のイラストの背景写真は、テキトーな合成です。 下の遺跡はナーランダ大学で、1996年(おおお5年も前の話か)に訪印したときに撮影したものです(選んだ理由:見下ろしたアングルの写真だったから)。 空の部分はカニャークマリの空で、これは1998年の時のものです。じっくり見るとなぜかナーランダ大学の森の向こうに、ちょろっと海が見えてます。 同じ画像をバックグラウンドにも流用してますが、こっちはほとんど手書きに近くなっちゃいました。 これから時々気の向いた時に背景を換えたりして、姑息なイメチェンを図りたいと思ってマス。
ふぃ〜、こんな感じにしてみよっかと。 正月、ちょいと雰囲気を変えてみました。 だんだんトップページが重くなってきたよん……。 数々のギモンに『日韓のギモン』を掲載しました。 韓国人の友達や親韓派の知人も何人か、います。いろんな文化や歴史を共有している頼もしい『お隣さん』だと、僕は思っています。 韓国第一のヒーローが世宗皇帝(←ハングルを作った人)であることも、平和と学問を愛する尊敬すべき国だと、いつも感じています。小さいけれども敵がいないので、パワーを貯めてはちょっかいを出してきた日本と、巨大な中国。この両国間に挟まれながらも、独自の文化を守り抜いて発展させてきた壮絶な歴史には、驚嘆と畏敬の念を欠かせません。 しかし、この『東方礼儀之国』に、無礼者扱いされてるのが今の日本の現状でしょう。 (2年前韓国を訪れた時のKBS放送では「2002 World Cup KOREA ("& JAPAN"無し)」とアピールされていた(→参考:【ワールドカップに国名なし??】)) なーんか悔しいじゃありませんか。『無視したらイイじゃん、忘れたらイイじゃん』なんて意見は論外でしょう(先日の『ここがヘンだよ日本人』のタレント某氏の意見は、頭が痛くなった。落胆していた韓国人の参加者と、僕も同意見……)。 歴史の中、そして現在において『どこを』反省すべきか、詫びるべきか、改めるべきか(←これらは別に日本側だけの話ではない)、そしてお互いに微笑みあうべきか。真の友情を培うには、(国家レベルに増して民間レベルでも)腹を割って話し合うべきだと思います――決して無意味ではないでしょう。 昨年、金大中大統領・金正日総書記両氏の勇気ある調和への行動、シドニー五輪でのONE KOREAの入場行進、在日朝鮮人ボクサーの活躍が同時期にあったことは、エポック=メイキングな出来事でした。そろそろ、東アジアの再起も、近づいてきたようです。 ――いつか、アジアのヒーローとして、僕等日本人が李舜臣を熱く語る時が来ることを願ってやみません。なにわのスーパーヒーロー、太閤さんはまだまだムリかも知れませんが……。 アジアのハーモニーは、僕のHope Against Hopeの一つです。 ……と言っても、全体主義的な汎アジア主義を唱える訳ではアリマセンよ。『数々のコタエ』に(題名とズレますが)、ちょっと小ネタを並べてみました〔※2001/04/、『数々のコネタ』に移動〕。皆さん、地元愛してますか〜? 自分が地元を愛する様に、人それぞれの地元を愛する気持ちを尊ぶ、という考え方ができたら、バラエティに富んだこの世界を、より楽しむことができるんじゃないかな〜と思っています。 画一的な社会なんて、つまらーん!
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