ワールドカップ開催協議で、日本国内では『日本・韓国』あるいは『韓国・日本』の名称を使わないということで、日韓の開催者が合意した、らしい。
もう一度言うけど、『日本国内』での名称について、協議していたのだ。
韓国側は今年の1月になって、日本国内の名称も『韓国・日本』にするべきだと、強く主張し始めたという(国内名称に関しては自由にしていいと、FIFAや韓国から了承を得ていた、と日本側は主張している)。
確かに、名称を完全一致させたい気持ちも分かる。だけど、今回は異例の共同開催だし、韓国一国で開催するわけじゃない。二つの国が互恵平等に、より満足できるように、お互い誠意をもって取り計らうべきじゃないかと思う。
僕も、少し大人気ないことを言わせてもらおう。英語表記(正式名称)では"2002 FIFA Worldcup Korea/Japan"だけど、これだってアルファベット順で、逆なんですよ? そこを曲げて、すでに百歩譲っているはずなんだけどなぁ。
阪神ファンにとっては、『阪神−巨人戦』が当たり前。巨人ファンにはその反対で当たり前。巨人ファンが「『巨人−阪神戦』と言え!」と阪神ファンに強要するのは、筋違いのタワゴト。まあこれが、巨人ファン以外の日本人の率直な気持ちでしょう。
どうも旧態依然の儒教臭い上下関係(しかも手前勝手)が見え隠れしている気がして、鼻持ちならない。
かたや気にかかる僕の方も、儒教の影響を受けてなくはないのだけれど、序列を絶対視しすぎると、現代の外交では失敗しますよ。自分が上になりたくて仕方がないんじゃないかといった、あらぬ誤解(か?)まで招きかねませんよ。
皮肉にも韓国側の委員長が言うように、『こうした問題を話さないといけないのは悲しいことだ』。「ちゅーか、こっちが言いたいわ、ソレ」とツッコミを入れたくなってしまう。
韓国は、民族自決を旨とするお国柄だと信じてきたのに、こうしたローカリズムを無視した全体主義的意見を振りかざすというのは、僕としては驚きと落胆を禁じえない。
むしろ……これは、本当に言いにくいことなんだけれど……複雑な怨恨の発露とさえ、感じてしまう。もし中国との共同開催だったとしても、こんなことを言い出したのだろうか? こんな主張は、スポーツの祭典、共同開催の場に、果たしてふさわしいものなんだろうか?
もし、"Japan/Korea"だったとしたら――、日本人は誰も、「韓国国内でも『日本・韓国』順にしろ」なんて、言わなかっただろうな……。
もういい。
その分日本チームに大活躍してもらいましょー!
その分応援させていただきましょー!
にっぽんチャチャチャ、だーっ!!
もちろん、韓国側のチームにも、頑張ってほしいぞーっ! こんな下世話なこと、優秀な韓国の選手達には一切関係ないんだーっ!!
今まで韓国中心に考えていたが、ではもし"America/Japan"だったら僕はどう考えるか? といったギモンも生じてきた。
『日米韓親善野球大会』みたいなものもあるけど、これにアメリカは別に文句を言ってないと思う。韓国の文句も、聞いたことがない。これを『米韓日』とか『韓日米』とかは、まず日本では言わない。『日韓米』なら、あり得るかもしれない。
『2002年ワールドカップ 日米』ではさすがに締りが悪いので、当然『日本・韓国』のようにちゃんと分けて書くべきだ。
『2002年ワールドカップ 日本・アメリカ』
『2002年ワールドカップ アメリカ・日本』
――ありゃ?
別にどっちでもいいような気もしてきたぞ??
そう考えれば、『韓国・日本』もいいな。アメリカがよくて、韓国がダメなワケがないじゃないか。
たまには聞きなれた語順を、逆にしてみるのも面白いし。
(この『聞きなれた』というのは、意外とクセモノなのかもしれないぞ。)
しかし――
それは飽くまで、自分で決めた場合だろう。
もしもアメリカが、『日本・アメリカ』の国内表記に難癖をつけたなら、やっぱり僕は不当で失礼、驕慢じゃないかと思うだろう。
「かわいそうな国だ」とむしろ憐んでしまうかもしれない(おっと、『もしも』だよ、『もしも』の場合)。
お互いに(少し意味合いが違うかも知れないけど)、『悲しいことだ』としか言えないのかな、今は。
(2001/03/16-18)
〔補足2002/03/05:
最近、韓国の国定教科書「国史」を読んでて気づいたこと。
「英日同盟」「露日戦争」「中日戦争」
……とりあえず、日本は後ろ。この字面はかなり新鮮だった。
もしかして、メッチャ嫌ってる?(ピンポーン♪とか言わんといてネ。)
この感覚で現代まで進んじゃうと、「自国(韓国)が日本の後塵を拝する」なんて、まず考えられないだろうなぁ。
はたして、わが国ではどうだろうか?
その点で、テレビ朝日の試み(「韓日くん」)は、前衛的でかなりおもしろいと思う。韓国の固定観念ではまったく不可能(?)なコンセプトが、日本では柔軟に実現可能、という証拠になってしまっている。
ま、そんなこんなで、細かい溝をオサエつつも、これからどんどんドラマティックに友好が深まってゆくだろう、そう信じている。
お互いが常に"EQUALITY"を目指す――その思いさえあれば――この二国は一層豊かな精神性に裏打ちされた、強靭な友好と連帯感を開拓できるはずだ。〕
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© A.Matsu! 2001
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