エディターの日々

さとあみ
福島県生まれ。6歳まで暮らしていた福島で、東北弁、木登りをマスター。東北弁ペラペラ、聞き取りも得意(笑)。シンプルで心地よい暮らしをつくるべく、レッスン中。


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さばさば

2週間ぶりに会ったKさんはヘアースタイルを変えてイメチェン、美女力アップ。正装で、いつもと勝手が違って、照れたことよ。

「人を呼べる部屋にするんじゃなくて、人を呼べる自分になる」 はじめて聞いたとき、どきんとした。じぶん気軽にできないのだ。カッコつけちゃうから。

近頃はそのバリアもずいぶんやわらかになって少しは改善されてきているけれど。もう少し気軽になった方が楽、と思う。

身につけたいスキルは、このあたりにあるみたい。風通しよく、さばさば、さっぱり・・・。

本ができるまでにはその考えを自分の中にもインストールしていたい。

いつもすがすがしいKさんの影響を受け、さばさば、の「さ」の字まではたどりつけた、かな。 さばけた人になるためには、あと、<ばける>をクリアしなきゃ。
2月28日



東方的

南方的なものに惹かれてその暮らしの場に行って感じたのは、熱帯、温暖な風土がもたらす開放的な魅力。一方で、生まれ育った東方的なものとの共通項を感じてもいた。近頃、遠野物語や宮沢賢治を生み出した東北の地が気になる。


「魂は商品として、売り買いすることができません。情報として、蓄積したり、伝達したりすることもできません。魂は贈与されるものです。自然から人へ、人から人へ、魂は見返りを求めることなく、送り与えられ、それを受け取った人は、自分が受け取ったものにもまさるすばらしい贈り物を、他の人々に与えようとするのです。」(「東北の哲学」中沢新一)
2月26日



ふきのとう

ふきのとうの料理法を間違え、まずいもんになった。苦い。ごっくんと飲みこんだ。

やっぱりてんぷらが無難なようだ。今度はカラカラって揚げてサクサクっていただこう。

冬を満喫?しないうちに春が来たみたいだ。
2月25日



芋がら

しばらくの間、姿を見せなかった露店のオジさん(農家)がいたので寄る。

これ、もしかして芋がら? 懐かしい〜! これは八つ頭の芋の茎を乾燥させたものだそうだ。チビの時、よく食べた。大好物。今晩、味噌汁にしてみよう。

ほかに、里芋、にんじん、さつまいも、たくあんを購入。 たくあんのぬか床には柿の皮を入れているそうだ。どうりでぬかの色が灰色というか黒っぽい。おふくろ作、とのこと。

うわさをしていたら、「おふくろ」さんがやって来た。 このお母さんなら、味噌を手作りしているのではと思い聞いてみたが、いまは東金(千葉)の農家に頼んでいるそう。

夜、芋がらを水で戻して、味噌汁にするとふわりと増える。そうそう、このやらわかなとろけるような感触。おいしい。この季節の保存食。
2月24日



かゆっ

朝から雨。ひどく目がかゆい。花粉症は毎年やってくる恒例の季節行事。

目玉を取り出し、水で洗いたい。涙や鼻が止まらず、ぐじゅぐじゅ、かゆかゆで、一日中うろうろ。集中力ゼロで考えがまとまらない。

久しぶりに夜、暖房を入れた。
2月23日



すき焼き

Tさん宅のすき焼きパーティにお呼ばれ。やっぱり東北出身のTさんのお宅も豚肉だ。美味。

福島から千葉へ越してきてまもなく、友だちの家ですき焼きをごちそうになった。帰って母に言ったものだ。「陽子ちゃんちの肉、腐ってたみたい」 牛肉など生まれて一度も食べたことなかったもんで。

「都会では、すき焼きに牛肉なんだど」と知った母は、都会人になろうとすき焼きに牛肉を使ったことがある。が、長続きせず、豚に戻った。

これで思い出したが、こんなことがあった。むかしMちゃんが遊びに来たときデザートに苺を出した。すると「コレ、塩が・・・」とへんな顔つきでいうのだが、何をいいたいのかよくわからない。

「何?」
「塩と砂糖、間違えてない?」
「間違えないよ、塩だもん」と答えたら、ポカンと口があいた。
「どちらかっていったら、ふつう砂糖とかコンデンスミルクとか」
我が家では苺に塩をかけて食べていたのだ。
「ほら、スイカにだって塩かけるでしょ。甘味が出ておいしいよ。試してみ」

この手の話はつきないので、また、おいおいと。
2月22日



講習

都心で開かれたDTP講習会へ参加する。講師の「親は子に受け継がれ」という言葉に妙に反応してしまう。

親ページをデザインすれば、さまざまな条件がそのまま子ページに反映するという話。 「子ページを直接加工しようとしてもできない、親に戻って親を変更したとき、それが親から子へ受け継がれる」のだと。うんうん。

「しかし、子ページが親から独立するための方法もある・・・」ふんふん。

デザインは親子関係(にんげんのしくみ)で語れるのだな。

帰りに都心の本屋に寄ってみると、<がばいばあちゃん>で大賑わい。その周辺には・・・・おばあちゃんの知恵なる本がたくさん。

映画や本もそうだけれど、昭和30年代に焦点があたっている。30年代まではいろいろなことが有機的につながっていた時代だったんじゃないかな。。

サザエさんドラマ版のワカメ役の子が可愛すぎて、泣けてくるのワシだけじゃないのかも。
2月20日



消化

ぜんぜん知らない人なら平気で読めるのに。友だちの日記を見るの、覗き見しているような気分があった。

ほら、日記って他人が見ちゃいけないような意識、あったじゃない。見るときはこっそり娘に隠れて見る、みたいな。 いまの時代、そういうのがないから、それはそれでいい時代。

友だちが日々、いろいろなことを体験し、考え、葛藤し、喜んだり悲んだり、怒ったり・・・そんな懸命な姿がとてもいとおしく、そして励まされた。

カッコいいなあ、とリスペクトすることも多々。 面と向かって直接話をする機会があっても、そこまで深い内面を理解できていたかどうか、と思う。ブログによって距離がぐんと近くなる。

一方、わたし。じぶんの感情をさらすことに慣れていないの。ひとがすんなりやれることがやれない。とくべつなことがないし。それでもやってみると、じつにおかしな、アンバランスな日々を過ごしていることがわかった。

外的要因に対してわいた感情を閉じ込めていると、片づかない部屋みたいになってくる。感情があふれだして収拾がつかなくなる、みたいな。 外的世界と接触多いときにはもっと上手に消化できていたと思うけど、さいきん消化能力が衰えているみたいだ。

書くことは頭を整理してバランスを保つために有効。ちょっと続けてみる。3日坊主禁止、ただいま更新中。
2月19日



市場

新聞の折込の中に近頃、真っ赤な八百屋のチラシが入ってくる。写真はいっさいないの。白抜きの野菜の値段で埋め尽くされている。しかも非常に安い。

八百屋のある隣町までチラシの地図を頼りにサイクリング。 チラシのイメージに反してでっかいスーパーだった。というより、市場みたいな感じ。 たくさんの人、人。で、かなりのにぎわい。

輸入野菜も表示してあるけれど、主に国産中心の野菜たち。こんなに安くでは、農家の人困らないかな。流通はどうなっているのだろ。しかし、我が家にとっては朗報。助かる。

魚売り場も活気がある。水槽で魚を鑑賞できるし、さばいてもくれる。「へえ〜い、いらっしゃい、いらっしゃい」の威勢のいい声聞くの、しばらくぶり。


きょうは春節。旧暦のお正月。 上海のGちゃんへ連絡をしてみるが不在。
2月18日



八つ当たり


Fさんからの電話。 ダダダダだーと止まらない。 あっとうされて黙っていると、「もしもし?」。

あっけらかんで悪気もないから、カワイイと思うこともある。けれど、この手の話には弱いのだ。

「この話、話したっけ?」と言う。えっ、ほんとに覚えてないの? 「この前、聞いたばかりです」。そんなに深刻ではなさそう。

「過ぎたことですもん。いい勉強って思った方がいいと思います。来る運も逃げちゃいますから」おこがましいのだけれど、そう言って暴走を止める。


あんのじょう、受話器を置いた後、ミーに八つ当たり。ごめん、ごめん。
2月17日



理解不足

昨日じぶんが書いたミクシイ、すごく傲慢。

「テーマを理解していないんじゃないの、と思った。 」
だなんて、なんて偉そうな。

ひとの気持ち無視した言い方。

理解していないのは、じぶん。 理解できないのはじぶんのせい。
なのに。 2月16日



関係を築く

これだけは譲れないという確固としたものは、じぶんにはない。
守るものもない。 なにも持っていない。

そんな暮らしの中で、考えてみた。

なくて困るもの。ほんとうに困るもの。
人との関係、かもしれない。


都市では関係をなくしても生きていける。
関係をつくらなくても生活できる。
しょうゆ切れてもコンビニ行けばいつでも買える。
そういう暮らしに慣れすぎている。
2月14日



都会へ

前日からあれこれ想像しながら、準備を整えて寝る。

余裕をもって、都会へ出発。
最寄の駅には予定時間の30分前に着く。

余裕、余裕。と思いきや、袋小路に入ってしまう。

地図を手に、界隈をぐるぐる回っている。

約束の時間になり、慌てて先方へ電話。

もういちど駅に戻ってやり直してみる。
駅から目的地までは話では5分もかからないというのだが。

遅刻。

到着して言った言い訳。
「この(市販の)地図、なんだか違っていたようで」
2月19日



ゴミ箱

都立J高校は、教室にゴミ箱がなかった。この学校の方針だという。

にんげん生きている以上は、ゴミは出る。 ゴミをゴミ箱に捨てる習慣が持てなければ、町でもポイ捨てする子が多いんじゃないかなあ。
2月10日



銀行カード

「あなた、カード忘れなかった?」

銀行を出たところで、向こうの出口から出てきた婦人に声をかけられる。

「いいえ、持っています」と手に持っていたカードを見せた。

「あなたかと思ったわ。機械のところにカードが置き忘れてあったから」

「ありがとうございます」


気にかかり、ATMに戻ってみると、それらしいカードが画面の左側に置いてあった。ATMは人が利用している最中で、後ろにも人が並んでいる。

窓口の行員に告げ、ATM機のカードを保管してもらう。 東北のオバちゃんぽい、と自覚。2月9日



フリーズ

「死ねっ!」

と、言われたとたん、カラダが硬直した。
動けなくなった。頭がまっしろだ。

ちまたにあふれかえっている言葉かもしれない。ドラマのセリフでも耳にする。しかし、じぶんに向けて発信された言葉を浴びるのははじめての体験。

その声は、10代だろうか。女の子。受話器を通して、直接耳から入ってきた。

電話番号を確認したら、その番号に間違いがないのだけれど、その子は「知らない」と言った。 「いつからこの携帯をお使いですか?」の問いに、少しだけ間があり「死ね」と答えた。そしてガチャリ。

きっと、その言葉は「うざい」とイコールなんだと思う。 母親や教師にも日常的に言っているのかもしれない。母親は、その言葉に何も感じなくなっているんだろう。そうやって、みんな鈍感にならざるを得ない。

その子もきっと同じ。傷ついている。


顔が見えないから言いやすい、ということもあるかもしれない。
こちらは顔が見えていないだけに、まともに言葉を受けてしまった。聞いてしまったその言葉を抱え、午前中いっぱいうろうろしてしまった。

溜め込んでしまうクセがあるので、なるべく人に話す。

お昼。「死ね、だって言われちゃった」
「そういう子、いるのよねー。やーね」
その一言を聞いて、まとわりついてた言葉が離れた。
2月8日(木)