持たない暮らし

 「お掃除隊を結成したから、あさって、片付けに行きます」とIさんから電話。その数日前、モノであふれかえる現場を目撃したIさんが、友だちに声をかけて片づけに来るというのです。「違う、違う、ゴミじゃないんだってば。全部資料なんだから捨てられては困る〜」と必死で阻止。わたしはゴミ屋敷の住人と同じセリフをはいていました。

 モノを捨てることが苦手で、なんでもかんでも取っておく習性?のわたしは、当時かかえていたガイドブックの膨大な資料でみるみる部屋は占領され、いつのまにか自分の居場所は畳一畳ぶんほどのスペースだけになっていたのでした。

 モノであふれかえった部屋にいると、頭までごちゃごちゃしてきて、いざ必要というとき、「あれがない、これがない」という事態に。気持ちもイライラ、セカセカしてくるし、つまらなく思え、投げやりな気分になっていました。

 いつか使うかも、と取っておいた資料でしたが、使うかどうかわからないモノのために、自分の気持ちまで占領されて縮こんでしまうのはイヤ。もっと気持ちよく、すがすがしい気持ちで過ごしたい。と、意を決してモノを減らす覚悟をするものの、そうかんたんにはいきませんでした。そんなときに友だちの助言に助けられ、時間をかけながら少しずつモノを減らしました。

 自分のいる空間が広がると、気分もすっきり、気持ちがゆったりとします。いまの自分にとって必要なモノとそうではないものの区別がつき、自分にとって大切なことが、だんだんと見えてくるようになりました。

 いまでも捨てることは得意じゃないので、「モノを増やさない、いまあるモノを使いきる、いまあるもので代用する」ことを心がけています。

 シンプルライフの達人・金子由紀子さんの新刊「お部屋も心もすっきりする持たない暮らし」のあとがきに素敵な言葉を見つけました。

持たない暮らしとは、「今」を大切にする暮らしです。
「モノ」は「時間」の代名詞でもあるので、「持ち続ける」ことは「過去」にしがみつくことかもしれませんし、過剰に「備える」ことは「未来」の心配ばかりして、今を生きることから逃れているのかもしれません。
今だけに着目して、「今」を生ききる暮らしには、モノがあまり必要ではありません。
その代わり、「今」を大切にする人は、「今」何をすべきか知っています。
泣き叫んですがってくる子どもの話は、どんなに「忙しく」ても、「今」聞いてやらなければなりません。
力をなくして途方に暮れている友達がいたら、「今」勇気づけてあげなければいけません。
それ以外に大切なことなんて、いったいあるのでしょうか? 
自分が大切なものを見失わないために。
「今」を生きる自分でいるために。
そのために「持たない暮らし」をはじめましょう。

「お部屋も心もすっきりする持たない暮らし」(金子由紀子著/アスペクト)より


「持たない暮らし」と、心が満ち足りた暮らし・・・って、共通するところが多いと思いませんか。


11月30日





灰谷健次郎さんが亡くなられたことを知りました

 わたしはかつて灰谷健次郎さんの本をたくさん出している子どもの本の出版社で働いていました。このとき、当時出されていた灰谷作品を全部読みました。辞めてから5年後に担当したHさんの出版パーティで偶然お会いし、言葉をかわしたのが最後になります。

 当時、灰谷さんは生まれ育った神戸から淡路島の山村へ移り住み、野菜をつくり、米をつくり、ニワトリやヤギを飼って自給自足を目指しながら執筆されていました。わたしはときどき、子どもたちから届く感想文や読者からの手紙がたまると、淡路島に住む灰谷さんに転送をしていました。読んだ方が励みになったように、これらの手紙が灰谷さんの励みになりますように、と。

 上京されるときにはいつも、各階の扉を開けて顔を突き出し、「来ましたよ〜」と関西弁のイントネーションで社員みんなに声をかけます。「いらっしゃ〜い」「マツタケごちそうさまでした〜」とか、あちこちで声が上がります。

 わたしが入社して3年目のことだったと思います。ご本人は最初は強く辞退されたと聞きましたが、社長の説得?に応じ、灰谷さんのこれまでの作品を集め、全集を出版することになりました。

 一年がかりでさまざまな準備をし終え、いよいよ全集の第1回配本、という直前です。わたしたち社員全員に灰谷さんからの手紙が配られました。その手紙は社員からそれぞれが関わる印刷会社の担当の方へ、製本会社の担当の方へ、そして取次ぎ会社の窓口の方など外部の方へもコピーされ、全集に関わるすべての人へ手渡されました。

温かみのある独特の文字で書かれた200文字原稿用紙3枚の手紙です。

 わたしはむかし印刷工見習いとして、一年半ほど、インクにまみれて働いていたことがあります。出版の仕事は本を書いた人間にのみ光があたり、その本を世に出すために精魂かたむけてくださった多くの人たちの努力がともすれば忘れられがちです。わたしはこれまで生命の畏敬、生命の平等ということを、作品を通して、また保育園で子どもに添うという教育実践を通じて世に訴えてきました。現代の子どもたちの不幸を救うてだてがないものかと模索してまいりました。教育と、それにちょくせつかかわる出版の仕事の中に、その道があると信じます。わたしはわたしの本をみなさんにどうかたくさん売ってくださいとお願いする者ではありません。困難な道を共に歩む同志として、また志を同じくする友人として、どうか手をつないでくださいとお願いをいたしたく存じます。いのりをこめておねがいいたします。ありがとうございました。
灰谷健次郎


 このときの全集は実家にあります。ふと眠っている全集のことが気になり、読んでくださる方がいれば・・・寄贈できれば、と昨日ふと思ったばかりでしたので、この訃報を知って、びっくりしています。

 先の灰谷さんの手紙と数冊の単行本だけ手元に置いてあります。本棚からエッセイ集「島へゆく」と「島で暮らす」を取り出しました。絶望を超えてきた人がもつ明るさと強さとユーモアでもって、歯に衣着せぬものいいで「生きること、いのちのこと」を書き、自然と向き合い生活しながら自分のテーマを追求されていたのだと思います。都市から田舎へ移り、「人間と自然のつながり、そのなかで命というものを考える」ことを課題にされていました。

「自由であることの条件というのは、自立していることやと思う」「・・・ひとつの命は、たくさんの命に囲まれて生きている。周囲のひとつひとつの命を大切にすることが、自分が生きるということでもあるということが、理屈やなしに、生活のなかにあるんやね。」「命が孤立している。特に都会ではね。ひとつの命が成立するためには、その周りに、たくさんの命の悩みや、苦しみや、あるいは死があるんや、ということに、なかなか気がつきにくいんやね。」「自然というのは厳しいもんやなと思うし、反面、やさしいもんやなとも思う。厳しさとやさしさが同居しとるんやね。野菜をつくっていると、そういうことがよくわかる。」「それにつけても世の中は一層悪くなっていく。・・・人が自然の摂理に逆らっていささかも顧みないという傲慢の証としてあるようにわたしには思える。」

79〜81年に書かれたエッセイですが、より強さを増して、いま、胸に響いてきます。
11月25日