「日常」を味方につける

金子由紀子さんから連続して発行になった3冊の新刊が届きました。

「いつもパッピー! スッキリ朝とゆったり夜」(監修/PHP)、「ちょこっと和のある暮らしがなんだかとてもワクワクする! 〜和のアイテムをさりげなく日常にプラスする方法」(すばる舎)、「暮らしのさじ加減〜ていねいでゆっくりな自分にちょうどいい生活」(リヨン社)。

毎日の暮らしの中で感じたり、発見したり、実践していることを飾らない言葉で書き綴られた等身大のエッセイです。

<決まった時間に起きて、食事を作って片付けて、洗濯をしてそれをたたむ。以前は苦痛だった同じことを繰り返す単調な日々が、このごろいとしくなってきた。基礎練習を積んで心肺能力が上がるみたいに、「日常」を味方につけると、人生そのものがパワーアップする。同じ作業は心を安定させ、単調さは生活のリズムになる。特別な日のために、毎日を犠牲にするのはそろそろやめよう。自分を作ってくれるのは、普段の一日いちにちなのだ>
「暮らしのさじ加減」より

<かつて日本人が実践してきた、つつましいけれど心豊かな暮らしを、今の暮らしに重ねていくためには、上の世代の知恵を、もっと活かしていかなければもったいないと思う>
「ちょこっと和のある暮らしがなんだかとてもワクワクする! 」より

など、そうそう、と共感するところがいっぱいです。日常を大切にする。ゆっくり味わいたいと思います。

9月29日(金)



はじめての天然酵母パンづくり

ホールフードスクールの天然酵母を使ったパンづくり教室に参加しました。

教えてくださったのは「自家製酵母でパンを焼く」の著者、相田百合子さん。専業主婦を楽しんでいたら、いくつもの偶然が重なって教える機会を得たそうです。

今回は白神山地のブナ林の腐葉土から発見されたという白神こだま酵母(ドライ)を使ってのパンづくり。白神こだま酵母は、初心者でも扱いやすいみたいです。国産小麦のハルユタカ7割に外麦3割の配合で、ふっくら焼けるそうです(慣れた人は国産の小麦だけでも、いいとのこと)

地粉200グラム。酵母4グラム(2%)、きび砂糖8グラム(4%)、塩4グラム(2%)


地粉と塩・砂糖を混ぜてコネコネ。ぬるま湯で戻した酵母、こね水(粉の55%前後)を入れ、コネコネ。なめらかになったら5分くらい休ませます。オリーブオイルを大さじ1/2を加えてコネコネ。粘土遊び気分でコネコネ。力を入れてゴネゴネ。コネコネ、コネコネ。ここで30分くらい醗酵させ、生地を30〜32℃になるのを待ちます。温度は、季節や湿度によって違うそうです。

成形をして二次醗酵、40分くらい待ちます。おしゃべりをしたり、テーブルを片付け、パンを気にしながら待つこの時間が、豊かな気分にさせてくれます。もうそろそろかな、と時間を見ながら醗酵の具合を確かめます。

かぼちゃやピーマンをトッピング。刷毛で表面にやさしくオリーブオイルを塗って200℃に熱したオーブンに10分程度。電気オーブンの場合は220℃とか調整する必要があるということでした。


なんやかんので3時間後、こんがり焼き色のついたフォカッチャが出来上がりました。見た目もかわいいし、あつあつでさくさくで、おいしく焼き上がりました。

9月26日(火)
曇りのち雨



心の風景


ピンホールカメラってご存知ですか。密閉した小箱の片面に針の先ほどの小さな穴が開いているだけのカメラです。穴がレンズのかわりです。

エドワード・レビンソンさんの写真集「タイムスケープス・ジャパン〜針穴で撮る日本の原風景」(日本カメラ社)を開くと、小川や滝の水の流れが映った写真には時間が・・・、木の写真には光と影が映り込んでいるように見えます。

ふつうは見えない時間の流れとか影とか気配が映し出されていて、川の流れる音、木漏れが差し込む音・・・都会の雑踏など、聖なる場所の静けさと日常の喧騒のひとこまが1冊に収められています。一緒に音も聞こえてくるようです。

ページをめくっていると、幼年期の記憶〜道路の真ん中に寝転んで見た空や祖母の家までの光景などが原風景となって蘇ってきます。その後も、のちに<心の風景>となる場面に何度か出くわしますが、その澄んだ光景を心に映す時、のびやかで晴れやかな気持ちを取り戻すことができるように思います。その光景に何度も助けてもらっている感じがします。
9月16日(土)


育っていた藍


挿し木にした藍の花を見ていたら、その近くで育っている植物にとてもよく似ていることに気づきました。アレ? これは・・・ひょっとして? 藍? 

葉の形はそっくり、質感も、茎の節の薄皮の様子も同じです。葉をちぎって匂いを確かめてみました。やっぱり同じ。藍! 5月に種を蒔いてうまく発芽しなかったと思いこんでいたあの藍が、ここに矢車草と一緒に育っていたこの植物でした・・・。ヤッホー!
 9月13日(水)


藍の花

居間には、たいてい近所で見つけた野花が一輪、ガラスのビンに飾られています。今、特別な花。ふわんといい香りが漂います。

花を持って集まった(フラワーチルドレンと呼ばれたそうです)1967年当時のBe-inギャザリングに因んで、八ヶ岳のふもとで暮らすおおえまさのりさんがBe-inのために庭から摘んでらした愛=藍の花です。

藍ってどんな花なのかを知らずにいたのですが、この花―見たことがあります。穂先にピンク色の小さい粒々が連なっている可愛いらしい素朴な花です。

ちょうど今の時期に咲く花なんですね。水に浸かっている茎のところから根がたくさん伸びてきたので、試しに3本、挿し木にしました。
 9月11日(土)5年目の秋

                    


Be-in

Be-inは、ベトナム反戦のムーブメントから米国で生まれた平和イベント。日本では9.11を契機にその翌年から毎年行なわれています。

トークゲストのなかでも、他のかたとは別の視点から語られたおおえまさのりさんのお話しに惹かれました。当時セントラルパークを埋め尽くすほどの人々が集まったその場所に居合わせ、「体制を変えるためには、自分自身が変わること。わたしが変わることによってのみ世界は変わる」と捉えた意識の変容サイケデリックレボリューションを肌で感じ、リアルタイムでBe-inを体験したおひとり。当時CBSテレビの依頼で撮影した映像作品を、数年前に神戸で再上映した時、そのときの新しい潮流は社会を変える力になり得たのか、という問いが生まれたそうです。

本来、すべての中にいのちの夢見を持っている。そのいのちの夢見が宿っている大地や生き物を破壊し、奪ったことで、夢見の力を養ってくれる素地を失ってしまった。霊性が失われ、大いなる世界に息づく<いのちの夢見>を私たちは自ら葬ってしまったのではないかと。

おおえまさのりさんの新刊「夢見る力」のテーマでもあります。

オーストラリアの先住民アボリジニの思想に、「大地には種子が宿り、種子はその後に形成される植物の夢見を宿し、その夢見を形にして植物はこの世界に立ち現れる」というものがあるそうです。同じように、生きとし生けるすべてのものが、想像する力、そしてそれを創り出す力を宿しているのだと。

夢見を見ることで大地や宇宙に聖性が宿り、霊性が息づき、豊かな生命力があふれ出してくる。いのちの息づく大地とのつながりを取り戻すためには、わたしたち自身の破壊をくい止め、わたしたち自身の霊性(スピリチュアリティ)を取り戻していくこと。それが希望や未来への<いのちの夢見>を紡ぎ出すことにつながるのだと。

<ドリームタイム(夢見―大いなる神秘)は、アボリジニにとって、天国や神殿といったこの世界のどこか外にあるものではない。大地そのもの、宇宙そのもの、人そのものの中にある><今、世界に問われているのは、夢見る力を持つことである。ドリームタイムの場には、人類の希望と未来に向けての「夢想する思想」があり、そこから、汲めども尽きない人類の、いのちの夢見を紡ぎ出すことができる。そしてわたしたちに求められているのは、夢見と自然界が同時に存在し、それぞれがもう一方のイメージであるような生き方を立ち現すことである。>「夢見る力〜スピリチャリティと平和」(作品社)より。9月9日(土)


収穫物

書名候補の中からみんなの投票により、名前(書名)がついた本が今月下旬に出ます。

誕生の背景には、何食わぬ顔をしてそっと種を蒔き、お世話をしてくれた人がいて。つながりのある人たちの協力、温かな眼差しに見守られたこの幸福な本の校了に立ち会い、うれしいような、心配なような、わくわくするような、どきどきするような・・・・気分です。

予期せぬハプニングを乗り越えられたのも、この本の持つ力と感じます。

わたしたちの食べ物が、大地・雨・太陽が育んでくれた収穫物なら・・・この本は安曇野の大地に育まれた収穫物・・・のような気がします。「パーマカルチャーしよう! 〜愉しく心地よい暮らしのつくり方」(安曇野パーマカルチャー塾 編/自然食通信社 刊/¥1500/9月下旬)
  パーマカルチャーに出会い、人が変わっていく物語です。9月8日(金)


職人


デザインソフトに初挑戦です。ページソフトを開いてみると、文字の打ち込みや挿入については、なんとか自力で操作できそうです。が、そこにリンクされている図版づくりのアプリケーションは、勝手がわからずお手上げでした。

デザイナーのノさんに聞きに行きます。ノさんは手書きの時代からDTPデザインに移行していく中ですべて独学で覚えた職人気質のベテランのデザイナーさんです。

ノさんには、単刀直入、知りたいことのみ質問します。

「グラフの作りかたを教えてください」
「表に入れるの」
「表はどうしたら出るのですか」 
返事がないと思ったら、黙って自分のパソコンでやってみせてくれていました。
説明は一切ありません。

見ながら手順を覚えなければなりません。忘れないうちに早く実行に移さなければ。

できたと思いきや、なんだか形が崩れているようです。なぜだ、とあれこれいじってみるけれど埒があかず、再びノさんの元へ。

ノさんには「こうしたいから、こうしてみたのだけれど、こうなってしまうんです」とできない理由や推測は無用です。ノさんは無駄話は発しないかわりに、そういうことを聞かされることを好みません。どんなにまわりが入稿作業で慌てていようとも、いつも黙々と自分の仕事だけに集中しています。

甘い質問には、「やり方が間違っているんじゃない」だけで応じません。戻って自分なりにやってみるけれど、どうも手順は間違いなさそうだし、他に問題があるのではないかと、ノさんのところへ。

結局、何度も行ったり来たり。ノさんの作業を真似ながらの一日仕事になりました。デザインソフトに触れられたこともよかったですが、いちばんよかったのは、手助けせずに、聞かれなければ答えない、を通すノさんの姿勢に触れられたことです。
 9月6日(水)


幸水


叔母から実家に届いた幸水梨を、母がおすそ分けだと郵送してくれました。ちょうど今日は入稿でアさんと会うので、彼女におすそ分けしよう! 
9月5日(火)


植え替え


今日はユリオプスデージーという名の多年草のキク科の花を、新調した鉢に植え替えます。若葉の成長がピタリと止まり、葉も黒ずんでしまっていました。取り出してみると、鉢がきゅうくつで根詰まりを起こしています。

3年前の冬に近所の花屋で買った鉢植えで、植え替えはこれで2回目。買った時には20センチくらいでしたが、今は60センチくらいで、緑色の茎は、木のようになってきました。生長が頼もしいです。ふたまわりも大きな鉢ですから、当分のびのびできるでしょう。

ユリオプスデージーの前の鉢に、今度はゼラニウムを植え替えました。お姉ちゃんのおさがりの服をもらった妹、みたいな感じです。

ゼラニウムは自然に種が落ちたらしく、豆と混ざって2つの芽が育っています。ひとつずつ小さな鉢に植え替えました。

茎がぐ〜んと伸びるためには、下にもこんなに長く長く根っこを伸ばしているんですね。強風が吹いても豪雨でも根っこを張っていれば多少のことがあっても大丈夫でいられる。植物を育てはじめて根の存在を意識するようになりました。
 9月3日(日)


近所に住む野菜づくりのプロ

自転車での通りすがりに野菜の露店を見つけました。駐車場の片隅でベニヤを台にして。じゃがいも、なす、とうがんが並んでいますです。なすには傷がついています。

話しを聞いてみると、成田(千葉)に畑があり、車で40分かけて通っているそうです。おじさんの家はこの近所にあり、どうやらこの辺の地主さんのようです。昔はこの広い駐車場もおじさんの畑だったらしいです。

「食べた後のかぼちゃやトマトの種を蒔いたら、芽がたくさん出てきてぐんぐん育っているんですよ」と話したら、「ダメ、ダメ。芽は出るけど実はならないよ」とのこと。

「捨てるな、うまいタネ」(藤田雅矢/WAVE出版)という本に触発されて、食べた野菜や果物からの種をプランターに蒔いてみました。これがまたこでらんねー(標準語にすると、たまらなくよい!)んです。やってみると、食べ物にいのちがあるっていうか、生きているっていうか・・・当たり前のことなんだけれども、実感できるというか・・・。

かぼちゃなんて、新芽が出たかと思うと、太い茎がたくましく伸び、見るたびに笑わせてくれます。

そんな素人のヘッポコ話におじさんはつきあってくれ、さらにその友だちとおぼしき近所のおじさんが加わり、いつの間にか孫やおばさんまで来ていて、「あーだ、こーだ」と畑の話しになります。

「昨日食べたにがうりの種、真っ赤だったんです。熟してしまうとあんなに赤くなるんですか? どうしたらちゃんと育ちますか」
 
「にがうりはやってないからよくわからないなあー。でも、種は表面のぬるぬるをとって乾燥させておくんだよ。あんた、すぐ蒔くんじゃないよ。蒔くのは来年5月頃だよ」

帰って、さっそく種を洗ってみると、ギザギザ模様のついた種の本体が表れました。ゴーヤって種の時からこんな姿をしているなんて。今夜一晩乾かした後、使い古しの封筒に「ゴーヤ」と書いて来年の連休までしまっておくことにします。

今日は、とうがんのスープ、茄子味噌炒め、じゃがバターにポテトフライのおやつ、おじさんの野菜が食卓に並びました。

うろこ雲の空。9月2日(土)