ゼンマイ織り

1年ぶりにミさんに再会。ミさんの故郷秋田の伝統工芸「ゼンマイ織り」の話になりました。自生するゼンマイの新芽を守る外側のふわふわした毛の部分を集め、羽毛や真綿などと一緒に紡いで織り上げられるそうです。

あの短い茶色の綿毛、しかも5月初めと期間も限定され集めるのも大変そう!ですが、あるものを無駄なく有効に利用する知恵ですね。町にはかつては織物工場もあったそうです。その知恵と技術を伝承しようと2期前の町長さん時代に、郷土の伝統工芸館が作られ、ミさんの友人のお母さんがそこで実演をしているそうです。

上京するまで、電気も水道もない自給自足の暮らしを体験したというミさんの話はつきず、いつも彩り鮮やかなおとぎ話を聞かせてもらっているみたいです。

10月20日



アリシア・ベイ・ローレルさん来日


手作り生活の手引書「地球の上に生きる」(草思社)をご存知ですか。野外料理や洗濯の仕方、楽器やロウソク、カゴの作り方、裁縫や農作業などの自給自足の生活の知恵・・・が、著者アリシアベイローレルさんのシンプルなイラストと共に手書き文字(日本語も)で紹介されている本です。このアリシアさんの話を聞きに行ってきました。

実際のアリシアさんは物腰のやわらかな女性。弾き語りで歌いながら、自分の半生をたどり、本が出版されたいきさつについても語りました。

アリシアさんはロス生まれ。幼い頃は9人の母親たちのサポートグループによる自主保育で、毎日違う家に通ったそうです。11歳の時には「WボヘミアンWの母親の影響で、ものを書いたり、歌ったり・・・自分はアーティストになるのだ、と思っていたと言います。

卒業後はオルタナティブ新聞のレイアウトの仕事をしていたそうです。そこで出会った人のすすめでサンフランシスコのヒッピーの町ヘイト・アシュベリーへ行き、州立大学に3週間滞在します。その後、ヒッチハイクで北部のウイラーズランチへ向かう車に同乗します。その地はひとりの人が所有する広大な土地で「来る者拒まず、去る者追わず」で受け入れをしていたコミューンです。

車の乗り入れも禁止、電気も水道も通っていないところで、大都会ロスから来たアシリアさんにとっては見るものすべてが新鮮でわくわくしたといいます。

「これまで経験したことのないワイルドな体験でした。子どもの世話をしたり、古着で服を作ったり、薪割や家を建てたり。特に野菜づくりにはまりました。これまでロスで食べていた野菜は冷凍食品で、好きではありませんでしたが、ここで初めて野菜がおいしいことを知りました。もぎたてのとうもろこし、トマトって、子どもの頃に食べたどんなお菓子よりもおいしかった!」

そして、「薪を使ったストーブの火のつけ方、お手洗いをつくる方法、しらみの退治の仕方・・・など、どんな経験も忘れないようにしよう」と、得意のイラストと文章にして記録していきました。その地に住む「住人から役立つ情報を仕入れるため、ひとりひとりを訪ね、話しを聞きました。それを新しく来た住人にコピーして渡します。それがウイラーズランチへの私の奉仕でした」

こうして自然のなかで生きるためのノウハウを集めたアシリアさんは、聞き取りをはじめてから1年後には200ページになり、コピーして人に渡すことが困難になります。住人のひとりに相談すると、ある人を紹介されました。それがホールアースカタログのスチュアート・ブランドです。ホールアースカタログの当時の発行元で、新しくできたばかりの小さな出版社を紹介され、そのオーナーからお金を借りて1万部を出版したそうです。出版と同時に「ホールアースカタログにブックレビューが掲載されたおかげで最初の一週間で1万部が売れた」そうです。

2版をつくるにあたっては、ホールアースカタログの新しい発行元になるランダムハウスが1万ドルで版権を買い取り、アシリアさんは大金を手にします。そのお金で友人・仲間を集めてのパーテイを開いたそうです。

日本では1975年に新版が発行されています。日本でのプロモーションの帰りに立ち寄ったハワイが気に入り、音楽の勉強のためにハワイへ移住。音楽活動をしながらヨガやメディテーションを教えていたそうです。「自分の生活だけではない広い視点が必要だと思いました。空気とか水とか私たちの共有の資産、その最大の共有物コモンズは地球です。この15〜20年は環境保護の活動にも取り組んでいます」

現在は母親の介護のため、ロスで暮らしているそうです。「今の自分は巡り巡って一巡したと感じています。近所には保育園の時の幼なじみもいて、それぞれ難しい親の介護をしながら助け合っています。そのことが幸せだし、そういう暮らしを楽しんでいます」

のびやかでナチュラルな歌声で、愉しく生きる知恵を伝えてくれているようでした。
10月18日



アブラムシ退治


ようやく花が咲き始めた藍の葉に、みるみるアブラムシが増え出し、この数日で葉の裏にびっしりです。

アブラムシが発生するとそれを食べるてんとう虫がきて自然とバランスをとってくれると聞いていましたが、ここはベランダのプランター。若葉が黄色くなったり、葉が縮んだりしてきたので、葉の一枚一枚を払って退治することにしました。

が、夕方にはまた同じ状態です。あっちからこっちへ場所を移動したり、高さを変えてみたり、ガムテープで取り除いたりを、毎朝繰り返しています。

HP「天敵ガイド」によると、アブラムシは脱皮を繰り返し成長。(その脱け殻が葉やプランターにいっぱいです)。アブラムシの排泄物・甘露はすすとなって葉に付着すると葉が汚れて光合成能力が低下するそうです。このため野菜などがやられてしまうのですね。

「アブラムシは単性世代と両性世代の二つのタイプがあり、暖かいうちは単性世代で単為生殖を行い、交尾をしなくても次々に増えていきます。両性世代では卵を生み、卵で越冬します。日本の平野部では冬でも単性世代のものがおり、不完全生活環と呼ばれています。ちなみに夏と冬で単性世代と両性世代を切りかえる生活環を完全生活環と呼びます。アブラムシは寄生して増えていきコロニーを形成し、世代を継承させます。へぇ〜の連続です。

夏にアリがたくさん発生したのも、このアブラムシのせいみたいです。アブラムシから出る甘露をもらうため、アブラムシを守る役目をするそうです。アブラムシ退治をしていると何かの幼虫がいることに気づきました。あれは何だろう。3つ見つけました。

10月17日




フリーマーケット楽市楽座

「アースガーデン」さんから楽市楽座の募集要項のファックスが入りました。わたしたちが楽市楽座に出店していたのはかれこれ10年くらい前になります。当時の会場は御茶ノ水の湯島聖堂でした。

楽市に参加したのは、映画ガイアシンフォニーの自主上映会で、赤字が出たことがきっかけでした。「実行委員で割り勘にするよりも、フリーマーケットで穴埋めしましょう。そうすればこれからも顔を合わせられます」というオさんの提案に、「それはいいアイデア!」「愉しそう!」「ならば楽市楽座だ!」と即、出店を申し込んだのでした。

楽市楽座はその名の通り、ものを売る市と、見世物の座が一緒になったユニークな場。楽座で踊るリちゃんや楽市に出店しているマさんのふたりから話を聞いていたのです。

わたしたちはそれぞれ家にあるものを寄せ集め、リサイクルの店として出店しました。赤字分は半年足らずで取り戻すことができましたが、その場のムードに惹かれて、結局その期の最後(冬はお休み)まで出店しました。

次回の楽市楽座は、10月22日(日曜日)江東区文化センターで行なわれるそうです。楽座には、アーティストのライブやパフォーマンスのほか、上々颱風が登場(こちらは有料)するそうですよ。10月16日



うれしいお土産

ユちゃんからいただいた天然酵母のパン。きめの詰まったどっしりした手作りの風味漂う美味なパン。今朝はたくさんの胡桃にレーズン、ライ麦パンを、軽くトーストしていただきました。

このパン、ユちゃんの故郷、隣町の陶器市に出店していた折に出会ったというパン屋さんのパン。その名も「ざ・ぱん」で、太鼓叩きでもある女性がひとりでつくっているそうです。道具を大事にしていて、パンに愛情がいっぱい注がれ、告知の「行商に出まぁ〜す」という感じが好きです。

おいしいとうれしくなって、つくった人の気持ちがわかると愉しくなっちゃいます。
10月14日



マイクロクレジット

2006年のノーベル平和賞は、「マイクロクレジット」(無担保小口融資)で、貧困層救済に尽力したバングラデシュの経済学者ムハマド・ユヌス氏(66)と、同氏が創設したグラミン(村落)銀行に授与されることが発表されました。

60カ国以上でその手法が取り入れられ、起業を支援して経済的に自立させたり、貧困の撲滅に向けて大きな成果を上げています。日本では未来バンクやapバンクなど各地の市民バンクがその手法を取り入れた融資を行なっています。

書籍「パーマカルチャーしよう!愉しく心地よい暮らしのつくり方」は、このマイクロクレジットを用いた支援による出資を募っています。2万円の出資で、返済はお金の代わりに17冊の本(2万5000円相当、27.5%の利息)で返済します、という試みです。
10月13日



問題は解決の糸口


パーマカルチャー仲間でもあるミさん宅をユちゃんと一緒に訪問しました。バルコニーで摘んだハーブのお茶を飲みながら、パーマカルチャーとの出会いや長野の畑の話などをお聞きしました。現在、平日は仕事の関係で東京(渋谷)暮らしをし、週末に長野の家に戻ります。

屋上緑化を推進する渋谷区役所の人の話しを聞いたことを機に、4年前に菜園を造ったそうです。2匹の黄色の蝶が花のまわりをひらひらと飛んでいました。青虫をくわえたメジロが柿の木に止まったり、トンボがカリンの木の上を通り過ぎたり、萩の葉がゆらーりゆれて風が吹いたのがわかったり・・・・。

ミさんは、主婦として、お母さんとして、おばあちゃんとしての顔を時折のぞかせながら、ご自身の体験や新居の畑の様子などを語ってくださいました。都会から田舎に嫁いだ当初、田舎暮らしは「からだを使う」ことを知り、草むしりや薪割りは、「やり続けたらいつかは終わる」という自分の自信になっているそうです。

主婦であったミさんが突如、親の仕事を継がなければならなくなり、それは同時に「困難」に直面することでもありました。「あまりの(問題の)大きさに途方にくれたこともあるけれど、現実を受け入れ、小舟のようにそこに寄り添っていたら、解決法が用意されていたのよ。その時、その障害を憎んだり恨んだり、取り除いていたら、決して解決には向かわなかった。その障害があったからこそ、解決に向うことができたのだと思うの」

ミさんのようなお母さんになれたらいいなあ、と思わせる優しく素敵なミさんですが、大きな困難を背負うなかで紡ぎ出された言葉は、胸に響きました。そして、その捉え方がパーマカルチャーともリンクしているのではないかと思いました。

酒勾徹さんの文章を引用します。 
<パーマカルチャーを実践していく際のキーワードがいくつかありますが、そのひとつが「問題は解決の糸口」です。何か不都合な問題に直面した時にも、それをただ「あ〜あ」と嘆いてしまうのでなく、その「問題」を逆手にとって利用するとか、あるいは視点を変えて何かしら前向きに関わっていける方向性を見出そうということです。>
「パーマカルチャーしよう!」所収

都会のど真ん中ということを忘れてしまうようなのどかな、すがすがしいひとときでした。

10月11日



緑に触れるって大事。わたしはそれがないと干からびてしまうような、腐ってしまうような、にんげんがダメになってきてしまうような気がします。実際、我が家の小さなベランダのほんの少しの鉢の緑でさえ、気持ちを和ませてくれます。緑の中に入るだけでカラダが踊り出してしまいます。10月9日



自然時間

安曇野の宿シャロムヒュッテをはじめて訪れたのは2004年春になります。あの年、あの場に触れたことを機に、自分自身や暮らしが変化しているように思います。


「行ったことで変わったことってありますか?」と尋ねられ、「・・・・植物を育て出したのも、それを料理に使ったり、友だちの作った野菜や、知人が作った玄米、味噌を食べたりすることもそれまでにはなかったことでした」
そのことは思いがけず、喜びや楽しみをもたらしてくれるものでした。

「それから・・・食べることや、素材ということに意識が向いて、醗酵や保存という食の知恵ってすごいなぁと、改めて実感したり・・・。四季の移り変わりとか畑で生態系の<自然時間>を見たり、あらゆるものが関わり影響し合って生きている場面を見たり・・・体験する中で、自然界の循環の様子やつながりとか、人もその<自然時間>を生きていていることとか・・・どれも当たり前のことなんだけれど、それを自分の生活で感じられるようにしよう、って思うようになったこと、でしょうか」

など、答えながら、小さな変化はたくさんあるのだけれど、そのどれもが当たり前すぎて、言葉にするのをためらってしまいました。暮らしをおろそかにしていた恥ずかしさがあります。

祖母の時代にしていた〜季節の食べ物を食べ、保存し、残飯も排泄物も肥料として利用する。そして、近所同志で助け合うこと〜が当たり前の暮らしをわたし自身も小さい頃に見ていました。時代が変わって、それをしなくてもいい環境が作られ、便利で効率的で快適な生活になったはずなのに、どこかギスギスして窮屈で閉塞感や不安を抱えててる・・・現代のわたしたち。

安曇野のシャロムヒュッテで感じたのは、豊かさとか喜びとか、確かさとかユーモアーです。さまざまな工夫が暮らしの中〜建物に、料理に、畑や庭〜に実現しています。

このシャロムヒュッテの臼井健二さんにスポットを当てたドキュメント番組が、10月15日(日)18:30〜19:00 TBSテレビ「夢の扉」で放送になります。タイトルは「究極の循環型生活」だそうです。
10月8日



ベランダー

昨日の暴風雨とうって変わって、青空に真っ白な雲がふわんと浮かんで気持ちがいいです。夏の間に活躍したダンボールプランターを片づけ、パセリを鉢に植え替え、コリアンダーの種を蒔きました。春の楽しみのため、花の球根を植えました。夜は、ウサギまで見えるようなくっきりした満月です。
10月7日