エディターの日々

さとあみ
福島県生まれ。6歳まで暮らしていた福島で、東北弁、木登りをマスター。東北弁ペラペラ、聞き取りも得意(笑)。シンプルで心地よい暮らしをつくるべく、レッスン中。


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切実な気持ちから

ベテランの女性編集者Yさんとお話しをする機会がありました。家事や子育てをしながら仕事を続けていらした方。

子どもが小さい頃、仕事と家庭を上手に両立させるか、ということに悩んでいたとき、ふと見た新聞のコラムを読み、この著者なら自分が知りたいことを解決する術を知っているのではないか、と思い、すぐに会いに行った」そうです。

そして、自分が知りたいことはすべて章立てに盛り込んでつくったという本「働く女性のキッチンライフ」(小林カツ代さん著)は、多くの読者を得てロングセラーとなり、25年を経た今もなお新装版となって読み継がれています。

「しあわせな出会いだったわ」とおっしゃいます。
それを物語るように、著者のあとがきにも、「著者と編集者というより、働き続ける女性同士、友として語り合い、生み出した本なのです」とありました。

<家庭を持ち、子どもを持ち、無理をしないで女性が仕事に全力投球出来るといった恵まれた人はごくごくわずか。誰しもが七転八倒し、何という日の短さと嘆き、今日もまた、何かし残したような思いで眠りにつくのではありますまいか…。>「働く女性のキッチンライフ」より

「両立させるためのできる限りのさまざまな工夫をしたわ。そのためにはすべてにおいてぬかりなくやろうなんて思わないこと。時間が限られているので全部は無理。無理は長くは続かない。優先順位をつけながら何はともあれ<食べること>を大切に、食に重点をおいてやっていくことがいいと思ったのよ」とYさん。

第1章は「時間が足りないことをプラスにする」で、はじまります。短時間で料理ができる「30分料理術」も入っています。



切実な気持ちは、本をつくるうえでの大きな力となるように思います。得たい情報が明確だから、わりと容易に必要な情報を収集、蓄積できます。切実だからこそ、それらを魅力あるカタチに構築するポイントもみえてくるし、価値を高めるための工夫もできる、ようです。

わたしたちの日常も一緒で、切実感は現状を変化させるうえでも大きな原動力となって、「ありたい自分、ありたい生活」に向わせてくれる。そっちの方でじたばた試行錯誤を積み重ねているうちに、集めた情報は自分仕様となり、「したいこと」が「できること」に変わっているんじゃないかなぁ、って思います。
1月24日




火の力


<きょうとあす、左義長の火が各地で燃えることだろう。どんど焼き、とも呼ばれる小正月の祭事である。高く組んだ竹や木に木に、松飾りなどを結わえて焼く。火に神秘を見た往古の名残か、その炎を「若火」とあがめる地方もある。>(天声人語、1月14日)
左義長

森の遊学舎の大西琢也さんの名を、朝日新聞の天声人語で見つけました。1月14、15日各地で行なわれる小正月の祭事にちなんだ記事に関連し、火起こしの名人、大西さんが紹介されています。


<古人の畏怖した火に、東京で野外教育のNPOを主宰する大西琢也さん(31)が魅せられて10年になる。マッチやライターを使わない「原始の火」を求め、きりもみ式の火起こし術を磨いてきた。地面に置いた木の板(火錐臼)に鉛筆よりやや太い棒(火錐杵)をあてがい、手のひらではさんで、押しつけるように回す。続けていると煙が出て、熱く焦げた木くずがたまってくる。ケシ粒のようなそれが「火の赤ちゃん」だ。それで成功、ではない。放っておけば種火はすぐに消える。「赤ちゃん」を麻の繊維でくるみ、指でつまんで大きく腕を回す。こうすることで空気を送り込む。すると麻玉はぽっと燃えあがる。炎の誕生である>

かつてわたしも火起こしを試みたことがありますが、一度たりとも成功したことはありません。煙りが出てもなかなか火はつがず、種火をわけてもらってからも一苦労。火が消えてしまわぬようにやさしく小枝をくべながら、そっと扱わないと大きな炎に育たないのだなぁ、とその時知りました。

<力まかせでは火はつかない。大西さんは失敗を重ね、謙虚になった。「木には火が隠れている。人間はそれをいただくだけ」。「起こす」のではなく「いただく」のだと悟ると、不思議に上達した。3年前には空気の薄い富士山頂でも成功した>


もう2年ほど前になるでしょうか。大西さんの火起こしを見たことがあります。 大西さんはいとも簡単に。まるで鍛練を積んだ職人さんみたいに優雅な所作で火をともしました。

                 

NPO法人 森の遊学舎http://www.ugaku.com
ブログ「野人魂」http://yajin.jugem.jp/


パチパチいう音を聞きながら焚き火を囲み、ゆらめく炎を見ていると、気持ちが和んでどこか深い記憶につながる懐かしさ、親しみを感じます。それは静かな時間のようでもあるし、気持ちが高揚する時間でもあるような・・・。なんというか厳かな時間が流れているような気がします。

火には何が隠れているのでしょう。
1月14日




井戸端会議


主婦の人たちが、昨今の事件についてあれこれ話しています。

兄弟を殺害した痛ましい事件。事態に至るまでの気持ち。発見した時の母親の気持ち。ワイドショーで仕入れたネタを披露しながら好奇心のおもむくままにあれこれと推察しています。

なかなか井戸端の場に居合わす機会がないので、母としての視点から語る生活実践者の言葉は、新鮮に感じます。

井戸端で交わされる話はいつまでも尽きないようです。
では、では、と早めに失礼しました。
1月12日




お年玉

10月にわずかな豆を収穫し、豆プランターも片付けるはずでしたが、そのプランターに何やら発芽して大きく葉を広げています。あまり見たこともないような植物(調査中)…ギザギザした葉ですが、12月に入ると蕾をつけ、年末に黄色い花を咲かせました。

おととい鉢に植え替え、プランターを片付けてきれいにしました。細い根が張り巡らされていて、切れないように周りの土ごとごそっと移すはずでしたが、方々の根が切れてしまいました。

翌日、葉も花もぐったり萎えてしまいましたが、今日は元気にしゃんと立ち直っていました。これで一安心。さすが野草の生命力。

この植え替えのときに、プランターの中から山芋が出てきました。思いがけないお年玉をもらったみたいです。げんこつのような物体、一瞬何かと思いましたが、たしか・・・春先に食べた残りを面白がって植えてみた長イモ。だったはずが・・・。発芽し、つるが伸び、花を咲かせ、観賞できたことで満足し、土中で育っていることは頭からすっぽり抜けていました。

晩ごはんに、さっそくすりおろしてかつおぶしをかけたとろろの一品が加わり、ベランダでの<なんちゃってファーム>の成果を堪能しました。

今日は新年初の野菜が届きました。無肥料ものは赤芯大根とはっさく。有機は、玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、ブロッコリー、カリフラワーです。外側はふつうの大根の色なのに中はその名の通り赤紫で仰天。甘いのでそのままサラダでいただき、あとは甘酢漬けにしました。

Sくんがつくる野菜たちは近所のスーパーの野菜と比べ、包丁を入れたときの切れ味がしゃきっと切れる感じがします。月に2回、野菜の届く日が待ち遠しいです。
1月6日




竹馬


千葉駅近くの路上でのことです。
あれ、何だろ? 
遠く前方から竹馬に乗って歩いて来る人がいます。

すれ違う直前
「ずっと竹馬で歩いていらっしゃるんですか」と聞いてみました。
すると、
「初乗りですよ」といいます。
「ハツノリ、ですか。どちらからいらしたんですか」
「四街道です」

話しかけている間、左右の竹馬を交互について止まっています。
「お話しをうかがってもよろしいですか」
「ええ、構いませんよ」

「いつから歩いているんですか」
「正午に出発しました。今、千葉ポートタワーに向かっています」
ということは2時間、歩き続けていることになります。

「休まずに歩いているんですか」
「いいえ、無理しないでやっていますよ。昨年は房総半島を竹馬で歩いたんです」
「どのくらいの距離ですか」
「550キロぐらいでしょうか」
「それはすごいですね」

新しい竹で作ったと思われる青々とした竹馬に乗り、藍色の作務衣を着て、背中にはリック、首にはタオル、右の腰にペットボトルを携えています。足は地上から50センチほどの高さがあったかと思います。高く感じられました。

もう少し話しを聞いてみたいとも思いましたが、話の間中、バランスをとりながら足踏みしています。
「お引止めしてすみませんでした」
わずか1分も満たないやりとりでしたが、さわやかな風のような清涼感を感じました。

家に戻り、「四街道、竹馬」とネットで検索してみると、その方は、竹馬や竹とんぼを子どもたちに伝える活動をしている飯塚進さん(70)で、佐倉市(千葉)の元・中学の校長先生だとわかりました。昨年の「竹馬行脚」は、「古希を前にした自分への挑戦」でもあったようです。

教員時代から竹馬や竹とんぼなど伝統的な遊びの魅力を伝え、現在も、四街道市の小中学校など子どもたちに教えているそうです。

わたしも小学生の頃、夢中になって竹馬で遊んだ記憶があります。きっと周囲に飯塚さんのような大人がいたのだと思います。竹馬に乗って視線がちょっと高くなることで心が躍り出すんですよ。

年が明けました。

みなさんにとって、健やかで笑顔の一年となりますことを、お祈り申し上げま す。
1月1日