やっぱり気になる・・・

IN&OUT 自分以外は・・・ 認識の差 滑り込み 右折ストレス 据え切り上等

IN&OUT

例えば駐車場から出る時、自分より先に出ようとしているクルマがいた場合、A・Bどちらに進むか。

先にいるクルマが左右どちらのウィンカーを出しているか。そして自分がどちらに行くのかによって違うという見方もあるけれど、やはり普通はAの場所に進んで、前のクルマが出てから後に続いて出て行くべきだろう。

理由は、その駐車場の出入り口がここ一ヶ所しかないのだから、あくまでBの位置は「入り口」として、そこに入ってくるクルマの為に空けておかなければならないスペースだからだ。

でも実際には、Bの位置に進んで少しでも早く道路に出ようとするクルマは多い。
驚くのは、先にいたクルマが右ウィンカーを出して止まっているのに、その右隣りに並んで左ウィンカーを出すクルマもいるという事。
先にいたクルマが、意地でも自分の方が先に出ようと無理な発進をする事も十分考えられ、余計なテンションを生み出す行為と言えるだろう。
そして、たとえ2台とも右に出る場合であっても、両方向のクルマの流れが途切れる一瞬の隙を突いて同時に飛び出した場合、互いに殆ど同じ走行ラインを奪い合う形になるのでやはり危険である事に変わりはない(片側2車線とかだったらなおさらである)。

同じ出口に2台並んで待機していて良いのは、出入り口がちゃんと二つあり、それぞれ入口と出口とにきちんと分けられている場合だろう。

そして、この場合今度は逆に、図の一番左のクルマの位置で右ウィンカーを出して止まるような事が、ある意味迷惑な行為であるとも言え、その事に気づいていない人が実はけっこう多かったりもするのである。

関連日記

自分以外は・・・

運転中の自分の身の安全を守る為に、「自分以外はみんなバカだと思って運転する」という考え方(方法)があります。

こういった考え方に対しては様々な意見があると思います。自分もそういう気持ちで毎日ハンドルを握っているという人もいれば、非常に思い上がった考え方でとても不愉快だ、と感じる人もいるでしょう。

感じ方は人それぞれだと思いますが、「クルマで一歩外に出れば、自分の常識とはかけ離れた走り方をするクルマや、とんでもない判断ミスをしているのにその事に気づいていないクルマが突然目の前に現れるかもしれないから、そういうクルマに出会った時でも、最悪、事故にならない(巻き込まれない)ように、自分だけは常に余裕を持った運転を心がけよう」という、外に向かってではなく、あくまで「自分自身に対する戒めの言葉」であると受け取れば、必ずしも間違った(傲慢な)考え方ではないような気がします。

人それぞれ程度の違いはあれど、いくらかでも自分の頭の中にそのような考え方を「置いて」運転した方が良いのではないかと思うような場面を経験した人は少なくないのではないでしょうか。


私の住む街に、中央の1車線だけが時間帯によって進行方向が変わる全3車線の道路があり、正午を境に、午前中は右から左、そして午後からは左から右に向かう方向が2車線になります。 ここは、道路の下に電車が走っており、その上の道路が坂道になっています。

いわゆる跨線橋ですね

私(青)が午後2時過ぎにこの道路を左から右に走っている時、この坂を下って間もなくの所にある脇道を右折しなければならなかったので(自分の側がこの時間帯は2車線)、この坂を登りきる前に中央車線に移動しようと思ったのですが、万一勘違いか何かで中央の車線を対向車がこちらに向かって走って来たら鉢合わせになってしまうと思い(まさかそんなクルマが実際にいる訳ないと考えながらも)、一応見通しの良くなる所まで行ってから車線変更をしようと思ってそのまま左車線を走っていました。

その直後、真ん中の車線を赤い軽自動車が堂々とこちらに向かって走って来るのが見えました。中では若い女の子二人が楽しそうにおしゃべりしています。ぎょっとして見ていると、なんとそのすぐ後ろに続いてもう一台、今度は2tトラックがやはり中央車線をこちらに向かって走って来ました。

驚くと同時に、一瞬、勘違いしているのは自分の方なのかとあせったのですが、坂を下った先に見える電動式の車線表示板は、確かにその時間、自分の進行方向が2車線である事を表示していました。

日常の生活の中で「人を信用する」という事と、クルマの運転中に「人を信用しない」という事は、全く違う次元においてのそれぞれの「必要な姿勢」なのかもしれません。

自分以外はどんな人だと思ってハンドルを握っていますか?

関連日記→

認識の差

自転車とクルマとでありがちな事故のパターン。
対向車線側の駐車場に入ろうとしたクルマが、接近してくる対向車に気を取られて右側通行の自転車を見落としてぶつかってしまう。

右側通行の自転車も悪いが、実際にぶつかってしまってはどうしようもない。

自転車乗りは二種類に分けられる。それは、普段クルマの運転もしている人と、そうでない人(クルマの免許を持っていない人)。
普段クルマを運転している人であれば、ドライバーがいつもどれだけ自転車に対して気を使いながらハンドルを握っているかが十分わかっているので、なるべく右側通行はしないようになるだろうし、見通しの悪い場所ではちゃんと左右を確認してから横断するだろう。

それに対して高校生など、まだクルマの運転をした事のない人達は、クルマから見て自転車がどれだけ発見しづらい存在かがまだよく分かっていないので、どうしても安全確認がその分甘くなりがちになる(近頃ではケータイ片手に話しに夢中になりながら自転車に乗っている人も多く、本当に危ないと思う)。
そして、これはあくまでかつての私自身の気持ちを元にした推測なのだが、クルマに対しての優先意識が強く、絶対クルマは自分の行く手を遮らないという、実際には全く根拠のない確信をもって自転車に乗っている人がとても多いように思える。

「轢いたら絶対あんたが悪い」。自転車乗りがこう思いながら走っていたら、もう敵無しである。

自転車は止まらない。譲らない。そして突然目の前に現れる。自転車に対する敵意としてではなく(そしてもちろん自転車が皆そうではない事は十分承知の上で)、あくまで自分が加害者にならないように、自分の為に、常にそういうものだと思いながら、毎日運転しています。

滑り込み

滑り込みセーフ 中央分離帯のある道路で交差点を右折する時は、分離帯の幅の延長線上のライン内に自分のクルマを平行に滑り込ませる事によって、後続車に車線変更をさせる事なく脇を通す事ができる場合があります。
水平待ち」の応用です。

赤のクルマのように斜めになって対向車が途切れるのを待つ事が悪いとは思いませんが、自分の前面に車体を水平に立て直すだけのスペースがあるのならば、私は迷わずこのようにします。

こうして待機していれば、普通車だけでなく大型のトラックなども無理なく脇をすり抜けて行くことができ、その分追突の危険も少なくなります。


右折待ちで止まった時は後ろのクルマが待つのは当たり前。それは仕方のない事。事実その通りだと思います。でも、自分が後続車の立場だった時に、前のクルマが右ウィンカーを出して止まった際に「あともう30cm右に寄って止まってくれたら通れるのに」とか「もうちょっと真っ直ぐになってくれたらいいのに」というように思った経験は誰でもあると思います。

できるだけ自分が原因でその「場」にストレスを生じさせない。できるだけ交通の流れを停滞させないようにしよう。
そう考えながらハンドルを握っている事が、それがそのまま自分自身の身を守る事にも繋がっていくのです。


実際にこの滑り込みをする時は、普通の右折と同様早目にウィンカーを出して手前から十分な減速をする事が大切です。そうしないと分離帯の終りの所で幾分クイックに右にハンドルを切った際に(どうしてもハンドル操作はそうなります)そのまま一気に右折を完了させてしまうものと後続車が勘違いをしてしまい、後続車の減速のタイミングが遅れることがあるからです。

右折ストレス

こんな感じで右折待ちしているクルマを時々見かけます。
どう見てもあと1台分は前に進んで待っていられる止まり方です。

道路がかなり混んでいたとしても大概一回の青信号で少なくとも2〜3台は右折して行ける交差点であっても、このクルマが信号が黄色になるまでずっとこの位置で待ち続けていた為、結局この一台だけしか右折できなかったりします。

このクルマのドライバーにとってはこのような待ち方が普通で、自分なりに安全を考えての止まり方なのかもしれません。

でも、後ろのクルマは、このままだとこの青で自分が行けるかどうか分からないので不安になります。

特にすぐ後ろのクルマは、(特別渋滞している訳でもなく、当然自分も一緒に右折できるだろうと思って前に出てきているので)中途半端に交差点内に残ってしまう可能性を感じて気が気でありません。

そしてその結果、ほぼ赤と同時ぐらいに右折を始めた先頭のクルマに続いてその後ろの何台かのクルマが無理な突込みをしてしまう事にもなりかねず、実際かなり危険です。

最終的に突っ込むかどうかの判断をするのはそのドライバー自身なのだから、何かあっても先頭のクルマに責任を問うことはできません。でも、先頭のクルマの停止位置が、一つのきっかけになったとは言えると思います。


「場のストレス」を感じ取る事ができないと、自分自身が全く気付かぬうちに事故のきっかけになっていたりするかもしれません。

据え切り上等

イメージ 私自身の事なのですが、その昔クルマが完全に停止している状態でハンドルを切るいわゆる「据え切り」は、運転技術の未熟な人がやるカッコ悪い事だと思っていて、人前では決してそれをやらない時期がありました。

しかし、ある日2tトラックを運転中、見通しの悪い狭い場所にバックで入ろうとして物凄く難儀していた時、助手席の同僚から据え切りをするよう言われて(正直、カッコ悪いなぁとか思いながら)その通りにしたところ、嘘みたいにスムーズに入ることができ、それ以来、私は全く抵抗なく据え切りをするようになりました。

タイヤが早く減るからやめた方が良いと言う人も多くいますが私は別に気にしません。常日頃から急発進、急ブレーキをしない運転を心がけていれば元が取れてお釣りもきます。
勿論基本はなるべく車体を動かしながらハンドルを切る事。でも、必要な時には躊躇なく据え切りができる方が結局より早く希望の場所に自分のクルマを誘導できます。

駐車場の出入りで周りのクルマを延々待たせてまでも「据え切りはしない」と呪文のように唱え続けてハンドル操作を続ける事にいったいどれだけの意味があるでしょう。

砂利の上でこれをやるとパンクする?
そうでしょうか。何度も山道でこれをやってます。これやらないとUターンもできない場所でしたから。

ガラスの破片なんかがあれば一発(でパンク)だよ。
そんなところでやらなきゃいいんです。

長い間に足回りに歪みが出るよと言う人もいます。
でも、より荒い操作、より多くの負担のかかる運転は他にいくらだってあるじゃないですか。据え切りだけを特別視する理由は現在のクルマでは最早殆どないのではないでしょうか。

私が乗っているクルマは新車で買ってもうじき10年。いろんな事はあったけど、全然気にせず据え切りかましてまだまだ元気。ちゃんと真っ直ぐ走ります。

繰り返し書きますが、基本はあくまで「動かしながらハンドルを切る」です(パワステに相当の負担がかかるのは事実ですから)。でも、初心者がベテランドライバーから教えられた「呪文」に縛られて身動きできなくなるなんて、やっぱり意味がないと思うんです。

注※ この文章は、あくまで「国産の年式的にそれほど旧くないクルマ」を対象としたものですので「外車」や「旧車」に同じようにそのまま当てはまるものではありません。

そこまでやるかの危険回避予告できる事