絵、なに?(46) 『ハウルの動く城』  12/22
 先週行った河口湖のホテルで、夜
『ハウルの動く城』DVD上映会をやっていました。宿泊客サービスとしてロビーでやっているもので、本格的なものではありません。スクリーンに映し出されるのですが、皺が寄っていてゆがんでいたり、まわりの音が聞こえてきたり。昔のお祭りの映画会みたいなものかな。見てたのはぼくたち家族だけ。ぼくらにしてみればラッキーでした。
 内容はどこを切っても宮崎アニメで、今までの作品に出てきたようなキャラやシチュエーションがあちこちに出てきて、その意味では新鮮さはありませんでした。千と千尋同様、何でも詰め込んでいて、支離滅裂の印象があります。まあ、こんなものなのかなあ、というのが正直な感想。でも結構笑えたし、面白かったです。満足したのは事実。
 この中で驚いたのは、キムタクの声優ぶり。これはちょっと予想外でした。ぼくは去年この人選を聞いた時、宮崎監督が人寄せパンダでキムタクを指名したのかと思っていたのですが(もちろんそれはあるだろう)、彼は変な風に地で演じるのではなく、アニメのキャラになっていました。監督が初めからキムタクを思い描いてハウルを動かしていたのかも知れません。少なくともこの作品においては、彼が声優としての力を十分に持っていることがわかりました。偏見で判断してはいけませんね。反省。

絵、なに?(45) プーシキン美術館展  12/15
 娘が定期試験明けで休みだったから、きのう、一緒に見に行きました。先月の北斎展もめちゃ混みだったけど、こっちもまるっきり同じ。まるで朝のラッシュ時のプラットホーム。
 いつまで経っても絵の前から動かない人がけっこういて、なんでだと思っていたら、みなさんヘッドフォンをつけて、音声ガイドを聞いているんですね。解説がある絵とない絵で人だかりが違っていました。
 内容は良かったですよ。見るべきものがたくさんありました。ルノワールからピカソまで、日本人に人気のある画家の、質の高い作品が展示されていました。
 ぼくにとって新しく画家の名前と作品を覚えられたのも嬉しいことでした。その中でモーリス・ドニ(Maurice Deni) が印象的でした。アンリ・ルソーの絵を見たのもたぶん初めてだったなあ。娘が絵本みたいと言っていましたが、確かにそんな感じです。丁寧に描いてあって、色合いがとてもいい。ぼくは好きになりました。ゴーギャンも色がすてきです。本物を見ることの良さはいろいろありますが、そのひとつは本物の色と筆遣いがわかることですね。図録では絶対無理。
 さて、今回の目玉作品の一つがマチスの「金魚」ですが、小学校の図工の本に載ってたら、児童作品と区別できる人がどれくらいいるのかなあ、とぼくは思いました前知識を持たない人100人にこれを見せて、自分の目で見て、自分の感性で、すばらしいと答える人は何人くらいいるだろう。この絵、値段がいくらだったら買いますか?

絵、なに?(44) (むしし)  12/8
 『蟲師(むしし)』という漫画をご存じですか? 女子美高校生の間で流行っているらしい。深夜枠でアニメの放映もやっています。娘が今はまっている漫画の一つ。ゆうべ、たまたま家にあった最新刊(第6巻)を何気なく読み始めたのですが、これは面白い。ぼくの個人的意見として、今流行りの漫画やアニメは、絵の水準は上がっているけれど、中身がつまらないものが多いと思っていますが、この漫画は絵も中身も上質です
 日本の山奥や海辺を舞台にした一種の綺譚集です。時代は詳しくはわからないけど、明治よりは現代に近い。でも、今のファッションやハイテクはいっさい登場しません。
 子どもたちが録画したアニメを見ているのを横からほんの一部だけ見た時、ぼくは流行りのホラーかと思いました。でも、本を実際に読むと、そういうものではなく、もっと詩のような、味わい深い物語としての佇まいがあるのです。ぼくは去年読んだ
梨木香歩さんの『家守綺譚(いえもりきたん)』を思い出しました。
 単行本の帯にはこう書かれています。「この世はヒト知れぬ生命に溢れている。動物でも植物でもない、生命の源生体――"蟲" それらがもたらす妖しき現象に触れた時、ヒトは初めてその幽玄たる存在を知る。ヒトと"蟲"の世をつなぐ"蟲"ギンコの旅路に果てなどない」
 この漫画の底流にあるものって、女性独特の生命感覚ですね。男はこんなふうに世界を感じることはできない。そこがこの漫画の大きな魅力です。

絵、なに?(43) 画狂人北斎の才気  11/10
 北斎展のチケット売場の前で「ただいま大変混雑しています。ご了承の上、ご入場ください」という看板が掲げられていました。平日で会期半ばなのに何で?と、想定外の状況にちょっとクラッと来たけれど、日本で暮らしている以上、これでめげちゃいけないと思って入りました。
 入ってみると、最初から黒山の人だかり。初期の作品群を、観客は押し合いへし合い、ノロノロと進みながら見ています。ぼくも気合いを入れて丁寧に見始めましたが、彼の膨大な作品点数と自分の体力のなさを十分に計算しておくべきでした。中期以降の重要な作品の前に立った頃にはもうバテ気味になっていて、気力をもう一度奮い起こさなくてはいけませんでした。そばにいた人も、「もう時間がないわ。あとのが見られないから、ここ飛ばそ」と言ってました。よくわかる、その気持。芸術鑑賞も格闘ですよ。
 さて、それでも2時間かけて、ぼくはじっくり北斎の偉業を見て回ったのです。北斎ワールドにどっぷりと浸かったあと、会場の外に出た時、博物館の前にある大きなプラタナスの木(だと思う)が目に留まりました。見上げるほどの大木は枝を四方に広げ、葉が美しく黄色に染まっています。そしてその向こうには暮れかけた空に白い半月が浮かんでいました。その時ぼくの目には、その光景がまぎれもなく北斎の絵となって映ったのです。
 芸術家の作品は、よく作者の生涯と関連づけられて解釈されます。ゴッホやベートーヴェンがいい例ですね。作品にその人の性格や感情が表現されているというわけです。でもすべての芸術がそう言う意味での作者の自己表現手段というわけではありません。生活と作品が直接結びつかないことは、例えばモーツァルトの音楽について、よく言われています。
 その観点から言うと、北斎の絵も、彼個人の心情を表現しているとか、人生とはなんぞやという哲学的考察をしているとか、文学的メッセージを伝えているというものではありませんね。北斎は徹底して視覚表現を追求した人なのだということが、ひしひしと伝わってくるのです。与えられた画面の中で何ができるか、その可能性をとことん追求した人なのだろうと。それは時には息苦しいまでの過剰な描き込みや構成に表れています。縦長なら縦長、横長なら横長で実に面白い画面構成をして絵を作り出しています。
 幽霊の絵を描いても、幽霊の怖さを表すのではなく、幽霊をモチーフにしてどれくらい面白い絵が描けるか、というところに心を砕いているように思えます(で、実際面白い絵になっているのですよ)。冨嶽三十六景しかり。だから、北斎の絵を見て、例えばミレーの絵のように、人生の安らぎを得るとか、感動するといったようなことはない。少なくとも、ぼくは。まだ的確な言葉が見つからないのだけれど、ひたすら視覚的に、そして知的に驚き、魅入られてしまう、北斎の絵はそう言う性格の芸術だと思うのです。
 まあ、とにかく強烈な磁力を放つ画狂老人なのでした。

絵、なに?(42) 尾形光琳の燕子花図  11/5
 尾形光琳(おがたこうりん)
といえば、日本が誇る元禄時代のグラフィックデザイナー。その燕子花(かきつばた)図屏風は、誰もが美術の教科書などで見たことあるでしょう。あ、そういえば五千円札の裏に出てますね。実物の方は、4年半の修復を終えて、ようやく一般に公開されました。
  山下裕二さんと赤瀬川源平さんは『日本美術応援団』の中で、日本美術は西洋美術よりも印刷と実物のギャップが大きい、と言ってますが、確かにそのとおりです。まあ、何でも実物を見なければ本当の良さはわからないのだけれど、日本美術の場合、肌触り(と言っても実際には触れられませんが)というか、支持体(キャンバスとか紙とか)や顔料の質感が、印刷ではほとんど伝わらないわけです。絵巻物なんかは特にそう。
 根津美術館で開かれた今回の展覧会の目玉である、燕子花図静謐な感じはオランジュリー美術館にあるモネの「睡蓮」に似ているのだけれど、こちらの方はより色も形も徹底的にシンプルにデザイン化されたもの。筆のタッチ、たとえば、細部は決してビッチリと描き上げているのではなく、結構おおらかに描いているんだなあ、ということがわかります。金箔の上に描いた花の図は、基本的にたった3色で描かれています。深い青、明るい青、そして緑。そんなにシンプルな色使いだけで、これだけの画面(150cm×339cmが1双)に不思議な広がりと重みを与えていて、息を呑むばかり。しばらくは屏風の前にたたずんで、ひたすら美を味わう、という感じでした。
 展覧会ではもうひとつの国宝、「八橋蒔絵螺鈿(らでん)硯箱」を見ることができました。これについては2年ほど前にNHKで、CGを駆使してその魅力を解説してましたね。光琳は燕子花をいろんなもののモチーフにしていて、この作品でも見事な使い方をしています。色、素材、レイアウト、何をとってもため息が出るばかりですよ。
 そしてぼくがこういう展覧会でいつも楽しみなのは、作家のデッサンや下図を見ることができることです。作家たちが実在感を持って迫ってくるからです。こんな風に制作していたのか、とわかるから。 国宝を2つも見られたのも良かったし、あれこれと収穫の多い展覧会でした。
 ところで、根津美術館は庭園がすごい。これはぜひ訪れて散策してみて下さい。心安らぐ空間です。都会の中の別世界です。美術館を出て、いつもの喧噪に戻ったとき、夢から醒めたような
不思議な感覚に陥りました。

絵、なに?(41) 金沢21世紀美術館で腕組みをする  8/20/05
 お盆休みに福井に帰省した際、足を延ばして
金沢へ行きました。目的の一つは金沢21世紀美術館。2月にNHK「クローズアップ現代」で取り上げられていて、興味を持ったのです。番組では、多くの自治体の美術館が入場者減で苦しむ中、去年の秋に開館したこの美術館は高い入場者数を保っている要因を伝えていました。
 ぼくたちが行ったときも、嵐にもかかわらず大盛況でした。いくつかの企画展が開催されていて、そのうちマシュー・バーニーという現代美術家の「拘束のドローイング」展を見ました。
 現代美術ですから、通常の美術と同じものを期待してはいけない。それはわかっているのですが、結論としては期待はずれでした。小学生の男の子と来ていた母親らしき女性が、こんなことを言ってました。「何でもありやね」。ぼくもそのとおりだと思いました。驚きも感動もまったくないのです。こんなのって、作者が「これは芸術だ」と言っちゃえば、それで通るってことなんだろうか。
 美術作品を鑑賞するのにある程度の背景を知っている方が面白いことは確かですが、初めからくどくどとした解説がなければ鑑賞できない作品というのは、あまりいいものではないとぼくは思います。ま、ぼくが保守的なだけだと言われたらそれまでだけど、ぼくだけでなく、家族みんなが同じように「何も伝わってこない」という感想でした。

 でも、もちろんこの企画展だけで美術館すべてを判断してはいけません。コレクションの展示には面白いものがありました。「滝」という題のクスノキで作った彫刻とか、まるでプールの底にいるように思える作品とか。にもかかわらず、やはり全体としてはうーん、これって大丈夫?と腕組みをして考え込んでしまうようなものだったのです。会場の構造がわかりにくいことや、売店に購買意欲をそそるようなものがほとんどないことや(たいしたデザインじゃないのに6千円もするビニール傘って何なんだ?)、美術とは直接関係のない企画展をやっていることなど、いろんな点でほころびが見えて、
どうもマイナスの印象だけが残ってしまいました。
 まあ、ここは発展途上の美術館だと思っていましょう。いろんな試みをしようとしている姿勢はうかがえるし、これからどう成長するかを見守りたいものです。ただ、今のままだとちょっと危ないような気もするのですけどね。

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