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4 Love Stories

『四つの愛の物語』

【7】

福原 哲郎




■目次

第1話 『13歳のカオリ〜私はどうしたらいいの?』
【1】 【2】 【3】 【4】 【5】
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第2話 『19歳のカオリ〜性を超える』
【6】
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第3話 『25歳のカオリ〜一人さまよう、世界の旅へ』

第4話 『31歳のカオリ〜私の夫は天才だった』
【8】
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第3話 『25歳のカオリ〜一人さまよう、世界の旅へ』

1 旅のはて

 私は、帰国以来、いつかは世界をめぐる旅に出てみたいと願っていた。ちょうどいい機会が訪れたわけだ。
 私はパリとベイルートとイスタンブールにヒロシに連れていかれた経験があるだけで、世界について何も知らなかった。何も知らない方がいい。最初は適当にメキシコに行ってみた。そして、そこから下ってコロンビアに行き、ペルーに行き、さらにチリに行った。そしてチリから南アフリカに行き、ウガンダに行き、ケニアに行き、エジプトに行った。どの国でも、首都の周辺の小さな町の安ホテルに泊まり、特に目立ったことは何もせず、ボーっとしてすごした。
 もちろん、仕事なんてない。もってきたお金を使い果たしたら旅もお終い。言葉はまったくわからないから、友だちもできない。ずっと孤独でいたかったから、それでよかった。どんな縁もつくりたくなく、同じ土地に長居することは避ける必要があると本能的に感じていたので、どの町も長くて1ヶ月の滞在だった。観光もしないので、新しく得た知識もほとんどない。基本的に安ホテルの周辺での行動だけで、近くのレストランで食事を適当にすませ、カフェに坐って通行する人びとを眺め、何もせず、心のなかではずっとひとつのつながりを考えていた。私の二度の奇妙な男体験が意味するものは何だろう。一体、私のお父さんは、家を出て、異国の地で何を考えていたのか。何をしていたかも不明のままだからそれも知りたかったけど、何を考えていたのかについてはほんとうに知りたかった。そして、私はこれから何をしたらいいのだろう。
 私は、ほぼ一年間、こうしてまったく孤独で非生産的な生活を何の縁もない外国の町ですごした。母には以前と同じように1ヶ月に一度だけ無事でいるとハガキを出した。それ以外には誰にも連絡せず、誰とも親しくならず、完全な異邦人になった。もう私は立ち上がれなくなるかも知れないという恐怖にも襲われたが、旅をやめなかった。この旅が私をどこに連れていくことになるのか。まったく無駄に終るのか、何もわからなかったけど、こんな感じのままどこかにたどり着くことを漠然と期待していた。
 エジプトからイタリアに行き、スペインに行き、そしてフランスに行ったとき、ヒロシに連れて行ってもらったパリの美術館に何となく立ち寄った。そして、美術館のブックショップで、あの時ヒロシがこれは面白い本だと勧めていたトルコ人のオルハン・パムクの小説と、面白そうな洞窟の本を見つけた。もちろんどっちも日本語訳。オルハンの小説はお父さんの愛読書で、旅の最後の地はイスタンブールと決めていたので、思い切って『イスタンブール』というタイトルの本を買った。洞窟の本は、イスタンブールから離れたバファ湖の近くに広がる洞窟についてのガイドブックで、最近世界中で話題になっていると本の帯に書いてあった。手に取って開いて見てみると、学校の教科書にのっているおなじみの動物たちの絵とは様子が違い、何だか古代の人間が描いた絵とは思えないものがたくさんあった。描かれているのは動物だけではなく、線で描かれた人間の絵も多かった。筆致がポップな感じで、洗練されている。現代のイラストレーターが描いたといっても信用されそうなセンスだ。なぜか私は惹かれた。もともと洞窟の暗闇には興味があった。だからこの本も買った。イスタンブールに行ったついでに、私もこの洞窟に行ってみようと思った。
 そして、私が「三番目の男」に出会ったのも、その時に泊まったバファ湖の夜のホテルだった。男はトルコ人のようで、ホテルのなかの小さなレストランの私の隣のテーブルに坐り、そこから見える湖を見たり、いまでも落ちてきそうな星々に満たされた空を見上げたり、なぜか私を見てじっと見つめたり、一人で食事をしていた。私を誘う気なのかとも一瞬思ったが、沈黙のままだった。男は、美しい顔をしているのに、目の周囲だけは黒ずみ、何ともいえず悲しそうな目をしていた。一体何を見てきたというのか。その目つきが、私の記憶に残った。もちろん、その時はその男について何も知らないし、何の関係もなかったので、私もただチラチラと見返していただけだ。ただつよく印象に残っていたので、イスタンブールで再会した時にはものすごく驚いた。バファ湖のホテルで見かけた男だと、すぐにわかった。人間は、こんな風に、ひと目見ただけで何かしら強烈な印象をもつ相手にめぐり合ったりするものなのだ。

2 女の原理

 私が、旅のなかでわかったことがひとつある。私はキヨシを傷けたことがひどく苦しかったが、これで少しは解放されるだろうか。
 どう考えてみても、女が、一般的に、恋人以外に他の男とも寝るのは、作戦上、やはり当たり前に思える。それが、恋人を嫉妬させ、恋人の前でいつまでも自分の魅力を維持するための最良の方法のひとつだからだ。メスとしての本能だ。その証拠に、うまく男に騙されて、この作戦をやめて男の言いなりになった時、何と多くの女が惨めにも男に捨てられてきたことか。男はずるい。というか、男ほど単純な原理に支配されている動物もない。女の方がはるかに複雑だ。男は、自分の力が及ばない未知な女に惹かれる。そして、一度支配してしまうと、ウソのように興味をなくし、また新しい未知を匂わせる女を追いかける。女との関係で、子どもができ、うまく父になれた男だけが、男を貫くこんな単純な性の本能から解放される。それまでは、どんなに女が泣こうが後悔することもなく、男は新しい獲物にむかって突っ走る。
 女は、こんな男の行動原理をよく知っているから、対抗手段として、恋人が出来ても、原則的に他の男から声がかかれば反応するし、秘密が保たれる限り、平気で男と寝るのだ。もちろん、単純に男と寝たいだけのときもある。この女の男に対する行動原理が消えてなくなるのは、ほんとうに女が男を愛した時か、自分の子供が生まれて母性原理にめざめた時だけだ。幸いにというべきか、或いは不幸にもというべきか、女が真実の愛に目覚めることも真の母性に目覚めることもそれほど多くはないので、世間では絶えることなく男女の愛憎劇が氾濫していることになる。ゴシップの種は尽きない。
 ただ、男がもうひとつ注意して知っておくべきは、いわゆる世間でよくいうところの「悪女的女」についてだ。「悪女的女」とは、日光を浴びた途端に焼け焦げ灰と化してしまう吸血鬼と同じで、はかなくもろい存在であるという事実を男たちはあまりにも知らない。或いは、知っていても、知らないふりをして過度に「悪女的女」を神秘的存在として祭り上げる。しかし、「悪女的女」には、男が期待するような「神秘」などはないのだ。
 したがって、女が「悪女的女」として振る舞い、男がそれに引き摺られている内は、幼く、ただ二人の関係は性的関係に主導されているだけだ。しかし、性的魅力以上のものがあることを人間は知っている。その魅力が、お互いの心と高めお互いの仕事に霊感を与えることができる「創造性の魅力」だ。
 「創造性の魅力」に目覚めた途端に、吸血鬼が一瞬して消え去るように、「悪女的女」も一瞬で消え去る。当の女にしても、引き摺られていた男も、一瞬にして目覚め、二人ともばかばかしくてやっていられなくなるからだ。創造的な男と女の関係では、この事実が互いに理解されてきた。性の衝動は、どれほど強烈でも、創造の衝動にとらわれた途端、退潮するか、「創造性の魅力」の下位に身を隠す。だから、歴史上でも、性的にも魅力があり、同時に創造的な女は、男たちの前では、こだわりのない、明るいミニ太陽」として振舞ってきた。こういう女だけが人生において大きなお母さん」になれるからである。「悪女的女」とは、以上の対極であり、結局はスケールが小さいだけ。「悪女的女」も将来大きな母になる女の一部に含まれており、賢い女は自分の性的魅力を「悪の力」として使用しない。わざわざ自分を小さな存在に落とす必要がどこにもないからだ。すべての「悪女的女」は、倒錯であり、「創造的な女」から威嚇される存在で、小さい。
 したがって、いつまでも男が、つねに嫉妬を誘い、性的に惹き付ける女に神秘を感じてしまい、囚われの身でそこから脱出できない場合とは、単に男が少年であるに過ぎない。

 だから、男と女は、このような男と女の本質を見抜いた上で、必要に応じて、複数の恋人とも同時につき合うべきだ。その時に、よく見ていれば、抗争関係が中心に働く関係と、お互いに配慮し合える関係の、二つの関係に集約されてくることがわかる。選択すべきは、配慮し合える関係であり、それを可能にする相手である。
 キヨシの場合も、私が彼に対する配慮を欠いていたことは悪かったけど、私が彼をまだ愛せていなかったので仕方ない面があり、以上の意味においてまだ「少年」だったのだ。
 キヨシは、私となら性をきわめることができる気がするといって、彼の方から私に近づいてきた。そして、結婚し、カナコが生まれてからは、自分の創造性についても目覚め、私とカナコを対象にした研究をはじめたがった。でも、始める前に、彼が倒れてしまった。キヨシは私が愛する人にはならなかった。
 キヨシは、私とカナコを対象にした実験を成功させ、その成果を他にも適用できるようにしたかった。そして、 性の拡張のための道筋を開拓し、人体はどこまで改造可能か、その境界について知りたかった。でも、まだ彼の精神が弱かったから、途中で失踪してしまった。彼がやりたかった研究は、いま世界中のいらんな場所でやられているに違いない。いまは彼もどこかで、私よりももっと彼に相応しい女をつかまえて、実験を再開できているかも知れない。私はそう思うことにした。キヨシの職業が脳科学者ではなく、宇宙生物学という変な学問の研究者であると共に産婦人科医であったことを、彼が病院に出した彼の資料ではじめて知った。

3 作家

 それにしても、私という人間の運命は何かしら必然の糸によって導かれていると、つくづく思う。偶然の連続なことはわかっているが、どうにも何か因果がありそうだ。
 私は、最後にイスタンブールに行き、ヒロシと泊まったタクシム広場の裏にあった安ホテルを探し出した。そして、そのホテルに居を定めた後、毎日、お昼になると、これもヒロシに連れて行かれたカフェ・イスタンブールという喫茶店に通った。他に何もすることがないので、私はこの間のことを整理しておこうと思いつき、喫茶店の小さなテーブルの上で、お父さんの思い出と、ヒロシのことと、キヨシのことと、メキシコから始まった旅について、そして私のアタマのなかに住んでいた恐竜のその後゛うなったかについて、思いつくままに書き始めた。書くのは私にははじめての体験だった。面白かった。持参していた小さなパソコンで一日10時間ほど、全部で一週間、座り続けて痛くなった腰やお尻をさすりつつ、一心に書きつづけた。書くことがこんなに面白いなんて、このときはじめて知った。
 それで、自分で書いたものが自分をこんなに楽しませることができるという事実に驚いたのが一番の動機だったけど、他人は私の書いたものにどう反応するのかということにも関心が湧いてきて、日本の懸賞小説の募集についてネットで調べ、締め切りが近かった東京の某雑誌に思い切って送ってみた。それが何ということか、「新人賞」を受賞した。そして、私の本がすぐに出版され、驚くほど売れた。私は「遍歴の若手有望女流作家」というレッテルをもつ存在に突然なった。これはまったく予想もしなかった展開だ。思いがけず作家になったのだ。
 どうやら、私が書くものも世間では面白いらしい。私はただ自分の体験を記録しただけなのに。でも、これで印税という収入がささやかとはいえ毎月入ることになり、私は望むだけイスタンブールに滞在できるようになった。どうやら私は自立できたのだ。

4 世界に残された希望

 僕の名前はエルダム・イトイ・ウイサル。24歳。
 顔つきはトルコ人だが、僕はハーフで、父はトルコ人で母は日本人。外交官だった父は赴任先の東京で母と出会い、そこで結婚し、僕は東京で生まれた。しかし、父は変わり者で、3年間の東京赴任が終った後、母だけイスタンブールの実家に残し、僕だけはいつも赴任先の大使館に同行させ、大使館の近くの父の家に父と一緒に住まわせた。父は一人息子の僕を政治家にすると決めていたようで、世界の政治の現状を教えるには一緒に連れまわすのが一番手っ取り早い方法と考えたのだ。
 何もわからない子どもの僕にはいい迷惑だった。政治家になりたいとは、一度も自分では思ったことはなかった。しかし、どんな職業にせよ、いまから思えば、たしかに世界の政治の現状について、特にその悲惨さについて、直接体験できたことは有益だった。また、トルコ語以外に、日本語・中国語・アラブ語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・イタリア語・スワヒリ語の8ヶ国語は大体話せるようになった。友だちも世界中にできた。そして、母の影響で、日本文化をことさらに愛した。
 しかし、子どもに過ぎなかった僕に世界の貧困や紛争や憎しみの現場を体験させたことが、ほんとうにいい事だったのかどうか。将来どう思うかはわからないけど、いまの時点で判断するなら完全に失敗だったと思う。肝心の僕が、心の底では、生きることは悲しいことだと感じてしまったからだ。表面ではいつも快活な男を演技しているが、最近はその演技にとても疲れるようになっている。今後次第でまだわからないとしても、僕としては限りなくイヤな気分だ。近く、その答えが出るのではないか。自己防衛のために一つの地域に執着しないという感覚ももってしまったので、それも一体どんな結果をもたらすことになるのか。最近は、不安で、うまく眠れない日が続いている。
 カオリにイスタンブールの喫茶店で会った時、通訳をしながら、カオリになら人に言えないことも話せる気がした。いや、話したいと思った。それは、カオリが日本人で美しい女だったから母を思い出したせいもある。しかし、それよりも、カオリの本を読み、深く共感するものがあったからだ。僕の話しは、絶望した経験のない者にはわからない。私は、早くから世界中の悲惨を見すぎたせいで、心はそれらの記憶に占領され、その色に完全に染められている。喜びが浸透する余地が残されていないのだ。だから、僕はほとんど笑わない。笑っても、その経験は僕の脳には記録されず、蓄積されないに違いないのだ。
 一体、世界はどうなるのだろう。愛の精神は健在なのか? 僕は、カオリに、世界の三大苦悩として、科学者の苦悩・政治家の苦悩・母の苦悩について語りたい。それを語ることで、それらの苦悩を全部外に吐き出してしまいたい。カオリなら、黙って僕の話しを聞いてくれ、僕を受け入れてくれるだろう。
 僕はある夜の夢のなかで、世界は滅ぶと確信した日に大切な人間に出会うとという予言をうけた。カオリがその大切な人間なのだと僕は思いたい。そうすれば、僕にも奇蹟が起きるのだ。僕の苦悩は心から跡形もなく消えてしまい、世界は大丈夫なのだと思えるに違いない。

5 出会い

 ある日、東京から私の担当だという日本人の編集者が私に会いにやってきた。そして、その時に同席したのが二人のトルコ人で、そのうちの一人がバファ湖のホテルで見かけたあの男だったのだ。
 最初はなぜ二人もトルコ人が来るのといぶかしかったが、編集者の説明でわかった。一人はトルコの出版社の男で、例のあの男は何と日本語も喋れるそうで、通訳としての同席だった。つまり、編集者は、私に次の作品を書かせるつもりと、もうひとつはトルコの出版社から私の最初の本も出版したいという二つの目的をもっていた。私にはスーパースターとして憧れの対象になっていたあのオルハン・パムクとも、機会を見て対談させたいとのこと。そして、私がそれこそイスから落ちそうになるほど驚いたのは、あの男はトルコ人の父親と日本人の母親のハーフで、私のお父さんにも子どもの頃に会ったことがあるとのこと。何ということだ。
 バファ湖のホテルで私を見ていたのは、私が日本人の女だったからだ。彼のお母さんに似ていたのかしら。そして、あの男は私のお父さんも知っている。一体、あの男の両親とお父さんとの関係は何だったのか。一挙にお父さんの秘密に近づける気がした。さらに、あの男の通訳でもう一度驚いたのは、なぜ私の本などをトルコの出版社が出したいのかの理由についての説明だった。出版社の男によれば、多分私が脳改造の実験についても書いたせいだと思うが、私の本はいまどきの性的テーマの本としてだけではなく、政治的テーマをもつ本としても読めること、それが女の視点から書かれているので面白いとのこと。私としては政治のことなど考えたこともなかったから、「はー、そうなんですか」と、ただ感心するしかなかった。その後にあの男に会った時に聞いたら、彼が通訳を引き受けたのも私の本が政治的だったからで、オルハン・パムクと私を対談させたいと思ったのも彼の発案だったそうだ。オルハンも政治的作家としても有名だったからなるほどと納得したが、この男は一体オルハンとも知り合いなのか。思いがけない出会いから、思いがけない仕事が始まろうとしている。それも、このイスタンブールという地から。

 私はこの男と急速に親しくなった。名前はエルダム・イトイ・ウイサル。24歳と彼は言った。私より一つ年下で、年下の男と付き合うなんて、私にははじめての体験だった。
 エルダムは、トルコの有名な外交官の一人息子で、その当時はパレスチナの政治家の秘書をつとめていた。そのため、パレスチナとトルコの間をしょっちゅう往復していて、バファ湖はその通路にあり、たまたま一人で休暇を取っていた。通訳としてエルダムがあの日来たのも、私をオルハン・パムクに会わせたいという目的があり、彼の仕事と関連していたそうだ。
 エルダムは、まだ若いのに、善と悪の歴史の全てを知っているようだ。彼は私に、政治家の苦悩・科学者の苦悩・母の苦悩という3種類の絶望について語った。私は、そんな彼を通じて、男たちが何を考えてきたのか、何をしてきたのか、何が出来るのか、何ができないか、を理解できた。こんなにアタマの切れる男との出会いは、私にははじめてだった。それで、私も、女の新しい仕事について考えることができるようになった。
 エルダムとのセックスで、私は燃えた。彼も燃えていた。でも、二人とも性には囚われていなかったから、私たちの関係は明るいものだった。そして、セックスが終った時、エルダムはよく少しだけ泣いていた。幸福になったことが不思議で仕方ないと私に言った。私はそれを聞いて、はじめて心のなかにこの男を守りたいという気持ちが芽生えた。その感情が母性本能なのか。この男は私が守る。この男は、私を必要としている。私ははじめて母性本能に目覚めたようだ。

6 政治家の苦悩

 父を見ていて、政治家とは何と欲張りで、また何と苦悩を増幅させるだけの職業で、何とも気の毒に思う。父の希望には添えないことになるが、僕は政治家にだけはなりたくないと心に誓った。いまは父の手配で父の友人のパレスチナの政治家の秘書をつとめているが、近くやめるつもりでいる。

7 街のなかで

 一人でカフェに坐り、ティーを飲み、一人で考え事をしている時、ときどき若い女を連れている年寄りの男を見かける。私は、そういうカップにすごく敏感だ。だから、その様子をじっと見てしまう。見ていて、飽きない。なぜだろう。ひとつは、お父さんと若い女の組み合せを想像して、楽しい気分になるからだ。私も、同じような経験をして、一時は48歳のヒロシと1年間もここに住んでいた。もう一つは、単純に、若い男と若い女の組み合せは何だか平凡な気がして、見ていてもすぐに飽きるからだ。彼らには、「味」がない。何を考え、何ををしているかなんて、聞くまでも無く簡単に想像がつきそうだ。わかったところで、私が「へー」って興味をもつとは思えない。彼らの生そのものが退屈に見えてしまう。 もちろん、これは私の勝手な想像で、友だちになったらすごいことをしている人たちもたくさんいるに違いないけど。
 いずれにしても、私の経歴からして、若い女と年寄りの男の組合わせは興味深い。こんな組み合せが不自然であることは当然だ。でも、こんな不自然なことをやっている以上、女にも、男にも、人には言えない理由がありそうだ。要するに、その秘密の匂いが私を惹きつけ、私の空想をたくましくしてくれる。それに、そういう年寄りの男にかぎって、皆が皆がかっこいい。もちろん、金で女を釣っている場合にはすぐにわかるし、私には興味はない。そうではなく、金ではなく、別の理由で女をひきつけていると思われるような男を見ると、俄然、私の好奇心のアンテナが全開になる。
 そういえば、格好いいおばあさんが若い男と一緒にいるのはめったに見ない。というか、私は見たことがない。なぜだろう。いまはそれだけの魅力を備えたおばあさんが少ないということか。或いは、おばあさんにはもうそんな事は必要ないのか。でも、日本でも、昔なら宇野千代みたいな派手な例もあったよ。老人ホームを覗いてみるとわかるけど、老人ホームで生き延びているのは孤独で淋しそうにしているお婆さんが圧倒的に多い。少なくても私は、不幸でもいいからこんなお婆さんにはなりたくないよ。どんなに若い頃に家庭にも仕事にもに成功した感じで生き生きとしていても、リタイアした途端にたった一人で淋しい余生を強いられるなら、一体何のための人生かと思う。そうなてしまう人とならない人の差は、一体何か。私も年を取れば取るほど生きるのが面白くなり、自分の周囲が賑やかになるような人生を設計しないとね。そうなってはじめて、お父さんも私を褒めてくれるのかも知れない。

8 科学者の苦悩

 科学者とは、古代より独特な栄光と挫折を体験してきた稀に見る種族だと僕は思う。

9 お父さん

 いまになり、私はお父さんに頼りすぎていたことをよく理解できる。お父さんの影響は私には決定的で、お父さんが私には死ぬほど大切だった。でも頼りすぎたらダメ。なぜなら、お父さんも知らないことで、私一人にしかできないこと、私一人でやらないとできないことがあるからだ。お父さんは、「門」まで私を案内してくれた。それがお父さんの力。「門」を開けるのは私の力。それがわからなかった。バランスが重要なのだ。  エルダムを愛することで、私はやっとお父さんから卒業できそうだ。お父さんも世界の悲惨さを知って傷ついたのかも知れないけど、エルダムも同じだ。そして、出来るかどうかはやってみないとわからないけれど、私だけがエルダムを助けることができる。エルダムが私にそう言っている。私はそれを信じる。

10 母の苦悩

 僕がパレスチナに行き、パレスチナの政治家の秘書としてイスラエルへの抵抗運動のひとつに参加していた時のことだ。僕はトルコ人としては、政治的にはパレスチナの味方でもないし、イスラエルの味方でもない。ただ、二つの国を比べたら明白にパレスチナの方が弱いわけだから、弱い側についだけだった。そこである家族と共に暮らすようになり、「母の苦悩」というものを間近に知った。

11 愛

 そして、愛についても考えた。  人びとはよく言うよね。「愛なんて幻想よ。そんなものは存在しない。現実は厳しくて、そんな甘いものじゃない。人間は、男も、女も、孤独に生きて、孤独に死ぬ。それでいいじゃないか。だから、後はどう楽しむかってことだけ」。  私は、それはバカな哲学だと思う。だって、厳しい現実が存在するは当たり前。そんなことは最初から知っておく必要があるイロハのイだよ。厳しい現実なんてないと思い、はじめてそれにぶち当たった者が、現実は厳しいなんて弱音を吐く。でも、絶望から出発した者にとっては、それこそうまく料理すべき食材なのだ。つまり、料理の腕次第で、何とかなる。愛が見えてくる。愛は幻想」はなく、愛こそ厳しい現実という土地から生まれる果実で、これこそが真実の現実なのだ。そうだよ、奇跡的な愛を実現する男と女なんて世界にいくらでもいたし、いまもいるし、これからもいる。ならば、私だってそれに挑戦したいと思う。  愛の試みは、何度でも繰り返すことができる。失敗するたびに、弱音を吐かなければ、愛に対する強度が鍛えられる。失敗を繰り返すことで、得られる喜びも倍増される。絶望が大きいほど、反転して得られた喜びも大きいというシンプルな原理だ。愛こそ、この世に生を受け誕生した者に与えられた最大のチャンスであり、絶対的な喜びであり、絶対的な楽しみなのだ。

12 幸福

 僕は、カオリと愛し合えてよかった。自分の内部に溜まってしまった絶望はもうどんな喜びを体験しても消し去ることはできないと諦めていたのに、カオリの出現がそんな僕をあっけなく変えてしまった。

13 別れ

 私はエルダムと愛し合うことで、生まれてはじめて幸福になった。お父さんの影が占めていた位置も、私の心のなかで移動した。

 でも、予想していなかったわけではないけれど、エルダムが死んだ。失踪ではなく、テロによる死。エルダムはパレスチナの地に倒れた。彼にはこの死が必然だったのかも知れない。私にとっては、運が悪かっただけ。正直、「またか・・・」と思った。私の遍歴の旅はまだまだ続くというお知らせなのだ。これで、私の心のなかには、お父さんと、ヒロシと、キヨシと、エルダムの、四つのお墓ができてしまった。お墓がこんなに懐かしいなんて、私はこれまで一度も体験したことがなかった。
 でも、私もつよくなったものだ。いまは、そう思える。彼を失っても、それは一時はほんとうに悲しくて、毎日泣き明かしていたけれど、私は乱れてはいなかった。私の心は平和で、能動的な精神をちゃんと宿していた。逞しい女になったものだと、自分の成長を嬉しく思った。


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