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4 Love Stories

『四つの愛の物語』

【4】

福原 哲郎




■目次

第1話 『13歳のカオリ〜私はどうしたらいいの?』
【1】 【2】 【3】 【5】

第2話 『19歳のカオリ〜性を超える』
【6】
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第3話 『25歳のカオリ〜一人さまよう、世界の旅へ』
【7】
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第4話 『31歳のカオリ〜私の夫は天才だった』
【8】
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4 イスタンブール

 カオリを好きになってはいけない。
 たしかに、カオリには驚いた。母に置手紙をして、正式に家出してきたという。キッパリしている。カオリは大胆で、かなり大人の面をもっている。しかし、当然だがまだつよがっているだけだ。新しい事態にどう対処できるかはまったく未知数。不安定で危ない存在だ。誰かが守る必要がある子供のままで、大人ではない。
 それでも、期待した以上に、魅力的で、早熟な子であることは間違いない。早熟であること、しかも意識が特別つよい子でなければ、こんな実験はムリだ。脳ほど、高度であると同時に繊細な器官はない。情報の一大集積基地・発進基地としての脳は、外界や内部のちょっとした変化に敏感に反応するし、すぐに悲鳴をあげる。はかなく脆弱な器官だ。修復能力の高さが最近の脳科学で証明されてきたとはいえ、少なくとも情報に関しては、簡単に混乱する。まだとても未熟だ。リアルと仮想を見分ける情報の真偽に関する判断も、まるで正確ではない。脳は今でも簡単に騙される。だから、この不正確さを当てにして、人間は「夢見る力」として育て、利用してきたわけだ。何のことはない、夢とは脳の情報処理の不正確さを原因とする場合が多いのだ。
 だから、脳が改善されたら、人間は夢を見なくなる可能性も高くなる。もし人間が脳の情報処理の不正確さを改善できるようになると、重大な決断を迫られることになる。夢を見られなくなるとしたら、誰にとっても一大事件になるはすだ。人間の精神生活に根本的変化が起きるに違いないからだ。
 バーチャル・リアリティにしても、夢と同じ原理で、脳の情報処理の未熟さを当てにしている。脳は、実際には存在しないものでも、それに相当する感覚を構成されて与えられると、現実に存在するものと簡単に判断してしまう。現在の脳にとっては、知覚だけが重要で、実際に存在するかどうかはどうでもいいわけだ。しかし、人間にとってはそうはいかない。現実に存在するのか、しないかは、常に決定的な差として重要な意味をもつ。
 こうして、たびたび、人間の生活のあらゆる局面で脳の判断と意識の判断は分裂し、衝突することになる。例えば、脳にとっては、バーチャルなリンゴを食べても、その感覚さえ人工的に構成されれば、満足できる。しかし、意識は、実際に食べていないことを知っているので、満足しない。

 脳の判断と意識の判断は、違うのだ。

 何よりも現実の胃が意識に対して「脳の判断を信用するな」と忠告することになる。そうしなければ、この人間はやがて飢えて死ぬことになるからだ。従って、このような脳の未熟さは、有効な仮想を構成する場合には利用価値があり、そうではない仮想を構成する場合には困った問題であるということになる。
 何が正しく、何が間違っているのか。人間はこれまでケースバイケースで適当に都合のいいように解釈してきた。しかし、これまではそれで遣り繰りしてきたとしても、これからはそうはいかない。人間の技術力がこれ以上進展しないなら同じでもいいだろう。しかし、問題は、技術力がさらに発達し、この脳の未熟さに手をつけ脳改造を実現できる瀬戸際まで来てしまったということだ。容易ならざる大変な事態だ。脳改造をして夢を見なくなった人間たちが登場したら、何を始めるだろうか? どうやってこれまでと同じ日常生活を維持するのか、それでも正気を保つ事で出来るのか、見当もつかない。逆に、夢や仮想の力に圧倒されて意識の力を失う人間たちが登場したら? この場合も、まったく見当がつかない。単に夢や仮想に閉じこもるオタクが増えるだけの比ではない事は、確実だ。夢や仮想を現実と思い込む事から、まったく思いがけない、信じられない事件も、続々と起きるに違いない。
 どうするのか? 僕は、脳科学者のはしくれとして、これらの問題について考えてきた。新しいルールが確立される必要があるのだ。

 実際、前の女たちの脳も、すぐに悲鳴をあげた。脳は一度狂い出すと取り返しがつかない。大変なことになる。カオリとの実験にも特別な慎重さが要求される。危険な兆候がひとつでも見えたら、実験はすぐに中止だ。精神に病いをきたす恐れのある危険水域には絶対に入らないこと。その点については、僕たちのチームも重大な責任を負っている。
 それは、カオリが心配なことが第一の理由。次に、このような実験での失敗が、人間破壊という犯罪に相当するとか、倫理に反するとかの理由もある。しかし、僕たちのグループにとっての緊急の問題は、それらよりも、僕たちの実験ではひとつの脳が全体の脳ネットワークに繋がっているからだ。僕たちは、脳の改造や発展は単体の脳に対する操作では成功しないと考えている。だから、対象となる脳はつねに他の脳と接続されている。カオリの脳は僕の脳に接続されるし、僕の脳は他の多くの脳に接続されている。つまり、ひとつの脳における失敗が、全体の脳ネットワークに侵入し危害を加える。一度加えられた危害を修復することは難しい。被害がどの脳に、どの程度で出るのか、まだまだ把握が非常に困難だからだ。
 これが最大の理由だ。カオリの脳における失敗が、全体の成長をおびやかしてしまう。ここでは、全体として成長することしか出来ない。犠牲を出しても他で補えばいいという世界ではない。それとは違う構造をもっている。
 だから、前の女たちの場合も、悲鳴をあげた時点で実験をすぐに中止した。多額の慰労金をつけ、真相も知らせず、家に帰ってもらった。ほんとうの理由〜彼女たちの脳が実験に耐えられるだけの意識のつよさを持っていないこと〜は、彼女たちに説明していない。女として嫌いになったとか、他に好きな女ができたとかの理由で、ごまかしている。慰労金は慰謝料名目だ。意識のつよい子を募集するなら、本当は公式ルートを踏んだ方が獲得できる可能性は高い。それは承知している。しかし、違法なことをやるわけだから、そうはいかない。それでは失敗例を闇から闇に葬ることができなくなる。僕たちの脳ネットワークの存在や現在やっている実験も、公になってしまう。だからネットでの募集がちょうどいいのだ。
 それにしても、カオリは早熟だった。からだも、アタマの中も。特にアタマの中が。カオリはそこまで自覚していなかったかも知れない。
 カオリのセックスも、15歳にしてはうまい。風俗で訓練したとしか思えない。男を楽しませるテクニックを知りぬいている。からだも驚くほどキレイで、男をその気にさせる。いまの若い女がみんなこうだとすれば、男たちも大変だ。あんな上品な声を出されたら、どんな男ものめりこむ。男は繊細な可愛さや色気に弱い。それが演技されたものであることがわかっていても、守ってあげたいとか男の方で勝手に思いはじめ、ドライになれない。乱暴に、道具同然に、女を冷たく扱えなくなる。
 だから、僕は注意しないといけない。カオリを好きになったらダメなのだ。カオリはあくまで実験対象だ。必要以上に大切に扱ってはいけない。実験の目的を忘れることはできない。それを忘れたら元も子もなくなる。  しかし、カオリは日に日に魅力を増していく。困ったものだ。カオリ自身が毎日自分に目覚め、急激に変化していくため、僕もその変化に抵抗できない。巻き込まれざるを得ないのだ。そして、僕と話しながら、恐ろしいほど冷静な目で僕を見るようになった。この冷たい目つきは、一体何だ? まるで、神の目をもって僕を観察している感じだ。この目つきがカオリの最大の魅力だ。一方で、セックスの時は男を吸い寄せる甘い目をする。それに対して、この目は冷徹な哲学者の風情だ。ものすごく冷静に、僕のやることのすべてを見下ろしている。にこにこ笑いながら、この目を同時に使っている。誰に学んだのか。カオリは何を見ているのか。とても15歳の小娘には思えない。実験にも平気でついてくる気だ。別の人格になることにも興味があるようだ。

 カオリと知り合ってから1ヶ月後、夏の初めに僕はカオリを連れて、成田からパリ経由でイスタンブールに旅立った。最初にパリに2週間滞在し、同じメンバーの友人の家に泊めてもらい、カオリを美術館や最新のブティックや繁華街やいろんなところに連れて行った。友人にカオリを見せておく必要があったし、カオリには出来るだけ新旧の多くのものを見せておきたかった。カオリにはいろいろ学んでもらう必要がある。それも実験を支える素養として必要だったからだ。しかし、カオリはパリを特別喜ばなかった。
 「面白くないの?」と聞くと、「面白いわ。でも興奮しない」と答えた。
 「なぜだろう? カオリくらいの年の女の子たちはパリに夢中になるけど」
 「わからない。何だかもう知っていて、飽きている気がする」
 「飽きている・・・。面白いね。それが判断のすべての基準みたいだね。君の特徴だ」
 「だって、興奮しないわけだから、退屈よ」
 それが、イスタンブールに行った途端、カオリの表情が変わった。イスタンブールは面白いと言う。なぜだろう?
 「イスタンブールのどこが面白いの?」
 「わからないけど、パリとはまるで雰囲気が違う」
 「どう違うの?」
 「一番違うのは若い子たちの目つきね。乾いてない。飢えた目。好奇心と欲望でではち切れそうな目だわ。皆、私と同じ感じがする。好きになれそう。なんだか懐かしい街だわ」
 「懐かしい? イスタンブールを知ってるの?」
 「もちろん知らないけど」
 イスタンブールは、昔もいまも観光と金融と文化で栄える中東の大都市だ。トルコはいま、EU統合問題で大揺れする一方で、国際資本の流入で大きな活性化の時を迎えている。そのせいもあり、東西文明の合流地点として昔から有名な大都市・イスタンブールはいま、首都アンカラとは別に特別に人びとの活気にあふれている。人口も一時1300万人と言われていたが、イスタンブールの友人の建築家によればもっと増えて現在では1500万人を超えているという。
 しかし、この街の魅力は表面的な活気だけではない。ここは過去の記憶が現在もそのまま生きている珍しい土地だ。トプカプ宮殿、ブルーモスク、アヤソフィアなどがある観光地をはずれ、ヨーロッパサイドとアジアサイドの古い町並みを一日ゆっくり歩いてみればよくわかる。ここでは過去と現在の時間が、整理されないまま、多様に錯綜している。古い家屋と超モダンのビルが同居し、古代につくられた道と最新の道が街中のいたるところで平行して走っている。イスタンブールでは過去が生きているという点で、世界でも際立った街であることは間違いない。その点が、過去が遺跡としてきれいに整理されているローマとは違う。また同じ文明の大合流地点と言っても、洗練されて華やぐパリとも違う。

 一人でホスポラス海峡を渡るボートに乗ったり、
 街中をあてどなくさまよっていると、
 ほんとうに自分が中世の街に暮しているような錯覚に襲われる。
 僕は中世のトルコ伝統の細密画の絵師で、旅でしばらく家を空けた後、
 古ぼけた鉄の玄関を静かに開けて自分の家に戻ると、
 そこに懐かしい妻が子供を連れて現れ、「お帰りなさい!」と笑顔で出迎えてくれる気がする。


 だから、実験の成果を検証するために、イスタンブールほど相応しい場所はないのだ。必要な手術はベイルートで行う。実験の成果検証のために滞在する都市はイスタンブール。それが僕のチームが計画した旅のコースだ。
 イスタンブールでは、僕の過去の記憶も、現在として鮮明に蘇ってくる。ここでは過去と現在が混在できる。ナミコが僕の記憶から抜け出して、街の中を一人で歩き出す。僕も17歳の少年に戻ってナミコを追いかけ、一緒に道を歩いていく。ナミコと僕は、ボスポラス海峡近くの現代美術館の裏庭で波しぶきを浴びながら抱き合い、ラバントの最新設備のショッピングモールの中を子猫のオスとメスのように走り回り、朝から晩まで街の中でじゃれ合っている。一日はそれを曖昧にして楽しんでいるのがいい。次の日はそれを明確に区別するように努力する。これほど、僕の実験と意識の訓練にふさわしい土地はない。手術後の僕とカオリの生活の場所として、イスタンブールは最適の土地なのだ。
 それに、ここの女たちは、長年の東西文明衝突の象徴として、たぶん世界で一番美しい。ヨーロッパ系・アラブ系・アジア系・ロシア系と、血は複雑に混じり合い、4通りの美しい女たちが、大学キャンパスから街中をうろうろしている。食べ物も、トルコ料理が世界三大料理の一つに数えられているように、かぎりなくうまい。友人も、貿易商の肩書きで毎年ここに来るせいで、たくさんできた。誰も僕の本当の職業は知らないが。僕は今回はアジアサイドのウシュキュダにある最新ホテルにカオリと泊まった。
 それにしても、カオリもここでは美しい女なのだ。カオリが街を歩くと、男たちが振り返る。男たちはカオリのからだに熱い視線を注ぐ。カオリもその時ばかりは妖艶な笑みを浮かべる。そして、そんなカオリを連れて歩く私を、男たちが羨ましそうに見るのだ。


5 ベイルート大学付属脳化学研究センター医療研究室

 3ヶ月後。
 カオリがイスタンブールの生活に馴れたのを確認してから、二人でレバノンの首都ベイルートに向かった。飛行機でたった2時間。ベイルートも、小さなパリの真珠と呼ばれ、イスタンブールとはまたタイプの違う東西文化交流の地で、観光と金融の都市だ。ここで、メンバーの一人である友人の産婦人科医が僕たちの実験のために準備を進めてくれている。
 ベイルート大学付属脳科学研究センター医療研究室。ベイルートの中心街を抜けた海岸通りの一角に、この大きなセンターは緑に囲まれて聳えるように立っている。アメリカをはじめEU圏からの予算上の支援を受けており、充分すぎるほどの資金をもつ豊かなセンターだ。この友人の話しでは、むろん公には秘密ということになっているが、ベイルートのある政府系医療研究室ではすでに1990年代後半からヒトを対象としたクローン開発実験が行われるようになったという。彼の話しでは「その病院で誕生したクローン人間の何人かが、少なくとも1万人程度は、いまでは世界各地で活躍している」という。僕が「成功したのは君の病院ではないのか?」と聞くと、友人は曖昧に笑って答えなかったが。いずれにしても、この病院は脳科学系としてはいまでは世界でも最も有名な医療機関の一つになり、脳の最先端医療が毎日行われていることは周知の事実だ。人間だけではなく、多様なクローン動物の開発も行われているらしい。僕の脳科学者としての仕事には、この病院と私が籍をおくアメリカの某研究所との情報交換も含まれている。私の本当の仕事が「ポスト人間の脳」を開発することであることは、私の一部の友人以外は誰も知らない。

 カオリの第1回目の手術は、それほど簡単ではなかった。15才の脳にしては構造的に未発達の部分があったと担当医は言った。この担当医の役割は、カオリの脳に対し非侵襲式を補う形で侵襲式のBMI-Xシステムと呼ばれる最新のブレーン・マシーン・インターフェイを装着することだ。非侵襲式も侵襲式も最近はどちらも以前より格段に進歩していて、一般的には非侵襲式が安全のため人気があるが、僕たちの実験ではかなり込み入ったことをやるため、侵襲式をメインに使用し、非侵襲式をサブで使用している。ネットワーク構築とその後のプログラム設定は僕の友人の担当で、ここからが秘密になっている。カオリには、僕が知っているナミコの記憶と共に、僕の某研究機関が収集したナミコの幼少時からのすべての記憶も挿入するからだ。
 しかし、カオリの手術も、やっと3回目でうまく行った。その後、今度は二人揃って1週間入院し、僕の脳にすでに埋め込んであるBMI-Xシステムを調整し、カオリのBMI-Xシステムとの同期を図る手術を行った。この手術が重要だった。しかし、これも無事に成功したので、いよいよカオリの脳に、ナミコの記憶を挿入する作業をはじめた。そして、両者をうまく融合させるために、僕たちは毎日、通常の会話の他にBMI-Xシステムを通しても会話するようになった。カオリは慣れていないので、日常会話とこのシステムによる会話の差が最初はなかなかわからなかった。通常の会話における心の過程と、BMI-Xシステムが引き起こす心の過程との差を判別することは、最初は誰にも難しいからだ。
 僕が、自分の意識を意図的に朦朧にして、僕の脳に残されたナミコの記憶の中にもぐりこみ、死んだナミコを一度も死んだことがないと本気で感覚するようになると、その影響がBMI-Xシステムを通じてカオリにも現れ、カオリの脳に挿入されたナミコの記憶とカオリ自身の記憶が接触をはじめる。私の見え透いたウソの演技はフミカの無意識の門を通過できないが、私が錯覚であれ何であれ本気でそのように思いはじめると、フミカの無意識はその影響を受け、次第に私からの仕掛けを防御できなくなり、二つの記憶がもともと一つの記憶だったかのように融合を開始するはず、という仮説だ。
 その時カオリは、最初は私が演技しているのか、本当にそう思っているのか、類推しながら対応することになる。そして、カオリにその気がない時は大した効果は持たないが、少しでもカオリの方でも私に同情したり、或いは自分も積極的にナミコでありたいと思ったりすると、カオリの脳にも大きな変化があらわれる。つまり、私の侵入に対する厳しい審査をカオリが自分でやめてしまうという変化だ。この変化が重要なのだ。その結果、その場合に限り、私の努力も、カオリによって拒絶される行為だったものが、歓迎される行為に変化する。カオリが、抵抗しつつも、ナミコへの同化作業をはじめてしまうというわけだ。
 こうして、僕とカオリによる実験は、「愛」の力も巧みに利用することで、一定の成果を上げる可能性が出てくる。ある日、突然、カオリが、「私はナミコよ。何か変?」と自信をもって言い出すことも不可能とはいえない。僕の期待はそこにある。その時、カオリの脳は一体どうなっているのか? 脳は僕たちの仮説の通りに改造され、僕たちは新しい人格形成に成功したことになるのか? これが僕の最大の関心だ。
 そして、一旦そうなってしまえば、ナミコが23才で死んでいるせいもあり、まだ若いカオリが23才以後のナミコも演じきり、ナミコ以上のナミコになる可能性は無いとはいえない。カオリがそうなれば、僕にその過程がリアルと感じられる限り、僕は17才で中断したナミコとの関係を大切に育てていけるのではないか? カオリがナミコの代わりをやってくれるのだ。さらに、僕が別の手術でナミコが23才で死んだという記憶を消してしまうなら、僕がめざす実験は完璧なものに仕上がるのではないか?
 カオリはそれで混乱することになるのか。或いは混乱しないのか。
 僕の脳とカオリの脳は常時接続されている。 意図的なハッキングと、無意識のハッキング。僕とカオリは、毎日、それをお互いに対して繰り返していく。たぶん、カオリにも、僕にも、新しい記憶がつくられることになる。だからこそ問題は、そこに至るための具体的な方法と、その成果を判断する能力だ。甘い評価はダメだ。正確無比なものでなければ意味はない。真相がわからないからだ。


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