何 を 話 そ う か

星空に魅せられて


高萩市民文化誌『ゆずりは』第8号 2000年3月1日発行


しし座流星群

 しし座流星群を見ましたか?流れ星がまるでシャワーのように降る、あの感動は一生忘れることができないですね。私は北茨城の水沼にある廃校跡で、仲間たちと一晩中歓声を上げていました。流星群の観望には、望遠鏡や双眼鏡などの器材は必要ありません。ひたすら夜空を見上げていればよろしい。ただし、すぐに首が痛くなりますので本当は寝転がった方がいい。

 最初のころは流れる星の数を数えながら歓声を上げていましたが、一刻に十数個も出現することが度々で、数えることは断念。そしてただただ流れ星のシャワーからあふれる光に心を浸していました。夜明けまで飽くことなく流れ星たちを眺めていました。あの奇跡のような光景を目の当たりにできた私たちはなんて幸せなのでしょう。まさに自然の贈り物に感謝です。

 今年も大出現が予想されますが、あいにくほぼ満月に近い月明かりに邪魔されて、よい条件で見ることはできません。天文ファンの中には、条件のよい北米まで足を伸ばす人もいるようです。

 そういえば、流れ星ではちょっとした笑い話があります。流れ星が消えない間に三回願い事を繰り返すと、それがかなうといいますよね。ある人が、「金・金・金」と叫んだところ、闇の中から「誰だ!おれんちのバアちゃんの名前を呼ぶのは」との応酬。爆笑の渦になりました。


土星食

 今年(西暦二〇〇二年)の大きな天文現象としては、昨年に引き続き土星食(土星が月の裏側に隠れてしまう現象)があります。三月二〇日午後七時半頃に、土星が月の影に潜入し、十時を過ぎたあたりに再びその姿をあらわします。翌日は春分の日で休日ですから遅くまでおきていても大丈夫。望遠鏡や双眼鏡で幻想的なシーンを堪能してください。

 昨年十月のときはあいにく天候がよくありませんでした。私たちは福島県のあぶくま洞のすぐわきにある滝根天文台の星祭に参加したあとで、十人ほどがバンガローに宿泊していていました。時折雨が混じる分厚い雲に半ばあきらめていました。しかし、夜半に空の様子を見に出た人が、「天の川が見える!」と叫びました。その声に全員表に飛び出しました。それからは大騒ぎ。実際に食が見られるのは、もっと北のはず。大慌てで地図を拡げて良好な観望地の目当てをつけ、山形県との県境に近い浄土平へ移動することに決定。五台の車に分乗して早速出発。

 ところが、浄土平につくとそこは霧が発生していて、条件がよくないと判断。それからさらに好観望地を求めて、五台の車は闇の中を疾走しました。ヘアピンカーブの続くスカイラインを爆走し、幾つもトンネルや山を越えて三時間は走り続けたでしょうか。グズグズしていては食が始まってしまう。携帯電話でのやり取りに焦りが滲み出してきました。時間がない。ここで勝負しよう。手近な広い駐車場に大急ぎで機材をセッティング。上空に風はある。全員祈るような気持ちで分厚い雲を睨んでいました。すると、どうでしょう!雲に切れ間が生じ、月が見え隠れを始めたのです。みんなはやる気持ちを抑えてそれぞれに双眼鏡や望遠鏡を操作し始め、「オッケー、捕まえてぞ」の叫び声。残念ながら潜入する瞬間は雲に阻まれて見ることはできなかったのですが、月縁にある陰影の濃いクレーターの背後から土星が姿をあらわす幻想的な光景は圧巻でした。それまで何時間も車を疾駆した疲れも一瞬に吹っ飛び、みんなで交互に望遠鏡や双眼鏡を覗きあい、うめくようなため息を漏らしていました。とてもスリリングな体験でした。

 

星空の魅力

 星の好きな人がみんな、「星空ハンター」や「星の狩人」になる必要はありません。ただ星空を眺めて楽しむだけでもいい。星座や星の名前を知らなくてもいいじゃないですか。寝る前にちょっと外に出て「ああ、今夜は星がとてもきれいだ」って、それだけでも十分です。

 私は障子を開けたまま、ガラス戸越しに毎晩星を眺めながら眠りにつきます。東向きの窓からは桂の木が見え、夏から秋には木の葉の間で星たちがかくれんぼをしています。本当にクスクス笑いながらかくれんぼをしているのです。また枯葉が散った後では、まるで宝石のイルミネーションが梢に輝いているようです。そして不思議な光で一晩中、何億光年にもわたるいろいろな物語をささやいてくれます。 その人それぞれにあった楽しみ方ができる、それもまた星空の魅力の一つでしょう。


最後に

 二十一世紀は、米国での同時多発テロ事件で悲惨な幕開けをしました。国際的にも国内的にも大きく揺れ動いた大変な二〇〇一年でした。卑劣なテロは絶対に許されるべきことではありません。同時に愚劣な軍事報復も認めてはいけないことです。まして日本が平和憲法の理念をかなぐり捨てて、その軍事行動に加担するなどということは絶対にしてはならないことです。

 日本こそが、価値や正義の一元化という狂気に満ちた幻想に捕われることなく、本当に調停役をつとめることが可能な国だと信じています。現在世界で最も優れた憲法を有しているのだから。

 まず私たちは「殺すな!」と叫ばなければならない。

 今年は全世界が愚かな争いをやめて、平和な方向に向かっていくことを祈ります。子供たちが恐怖で空を見上げるのでなく、夢と希望をもって星空を見上げられるように。涙の瞳では、星がにじんでしまって見えないのですから。