何 を 話 そ う か

星空通信


高萩市民文化誌『ゆずりは』第4号 1998年3月1日発行

 天界はいまとても賑やかです。ひょっとすると、あの花果山の山猿が如意棒を振りまわして大暴れした時以来の騒がしさではないでしょうか。
 その主役は、次々と現れては話題を呼んだ彗星たちです。一昨年、天文史に残る"百武彗星"が、夜空いっぱい(最長百度)に長大な尾をなびかせて、世界中の人々の度肝をぬきまし。九四年に、数個の核に分裂して次々と木星に衝突していった"シューメーカ・レビー彗星"興奮もいまだ冷めやらぬうちでした。
 そして昨年は、今世紀最大の巨大彗星"へール・ポップ彗星"が、期待にたがわぬ雄姿を現わしました。長期間の観察が可能だったこともあって、全国的に夜空への関心がたかまり、ライトダウンのキャンペーンがまきおこるなど一種の社会現象となりました。『光害』という概念がクローズアップされ、夜空=闇を文化として考えるキッカケになりました。
 他にも、NASA(アメリカ航空宇宙局)が打上げた火星探査機"マーズパスファインダー"の目覚しい活躍は、まだ記憶に新しいところです。火星には、初めて生命の痕跡が発見されたと報じられたばかりでした。また、土井さんによる日本人初の宇宙遊泳も、子どもたちに宇宙への憧れを強く抱かせてくれました。
 かように昨今の宇宙はとてもかまびすしくて、神々たちもおちおち昼寝もしていられないくらいです。
 それでも、さらに今年はもっと素晴らしい夜空の贈りものがあるかも知れません。十一月中旬の星空にご注目いただきたい。流れ星が空いっぱいに現われるかも。これは、約三三年毎に大出現する"しし座流星群"と呼ばれるものです。流星群という現象は、地球が彗星の軌道上を通過する時などにおきます。彗星がまき散らしたチリがその軌道上にのこっていて、地球の大気圏に侵入するとたくさんの流れ星になるのです。とくに大量に出現すると流星雨と呼ばれますが、今年は大いに期待できます。
 他にも今年は流れ星が多いはずですから、なるべく夜空を暗くして、ロマンチックな流れ星に皆さんの素敵な祈りを托してみてください。
 流れ星にであうと、普段から夜空に親しんでいる星見人たちでも喚声をあげます。たまたま他所を向いて見逃した仲間がいたりしたら、鬼の首をとったように自慢します。話の中で、その流れ星は何倍も明るく大きくなって・・・・・・
 そんな星見人たちは面白い。悪い人はいませんが、変った人がたしかに多いようです。しばし、星見人列伝におつきあいください。
 星の好きな小学四年生の女の子が、飼いはじめたばかりの子犬の散歩にお父さんと出かけました。木枯しが吹く夜のことです。
 前を歩いていたお父さんは、「ギャッ」という突然の悲鳴に振りかえり、闇を透かして少女の姿をさがしました。すると、道ばたの側溝から逆さに足がはえて宙をバタバタと蹴っているのです。
 少女は、冬空を飾るオリオンの雄大な姿にみとれながら歩いていて側溝にはまってしまったのです。濡れねずみになって震えながら家路につきました。
 そうです。この少女が今は大学生になる私の娘だったのです。
 さらに変った人もいます。ある日、私たちが運営する天文同好会に入会を希望する男性と市内の喫茶店でおちあい話をしました。彼は初対面の私に、何と二時間半にわたり哲学講義を授けてくれました。人生観・世界観をとうとうとまくしたてたのです。
 「宇宙は私の人生そのもの!」と彼は言います。その彼が、毎年恒例の天文同好会の合宿に初めて参加した時、片手に一升瓶、もう片手に紙コップを携え望遠鏡の群れの間をさまよっていました。その日以来、彼は「酔っ払い」で通っています。
 でも、彼の名誉のために言っておきますが、ただの「酔っ払い」ではありません。東京にある天文グループと私たちを結びつけてくれたり、昨年秋に高萩郵便局ギャラリーをお借りして開催した「へール・ポップ彗星写真展」をとりまとめるなど、今では私たちの星見活動の中心メンバーになっています。
 他にも、"百武彗星"出現の際に家の中から物干しごしに写真撮影をした横着な人の話しや、対空双眼鏡を買おうと資金を車にいれておいて車上荒らしにあい、ヘソクリがばれてしまったという人の間の抜けた話しなどたくさんありますが、それらはまた別の機会にしましょう。
 前号でもお話しましたが、近頃は星空観望に通した場所が次第に失くなっています。このままでは、次の世代に美しい星空を残すことができなくなります。
 昨年、富士山頂でたまたま一緒になった老婦人に、夏の星空を案内してさしあげた際、彼女がしみじみと言いました。
「天の河を見るのは子どもの頃以来です。」
 彼女の住む大阪では、もう天の河が見えないそうです。この高萩であと何年天の河を見ることができるでしょうか。
 強烈に夜空を照らすデバートの不気味な照明や賑やかな遊戯場のネオン。結局は、環境に対する無神経さが星空という文化を破壊しているのです。責任の一端は私たち自身の無頓着にもあるのかも知れません。
それでなければ、企業が排水をたれ流して海も河も色が変るほど汚したり、煙や異臭、低周波騒音をまき散らしても行政が手をこまねいているばかりか、むしろかばいだてするなどということが許されるはずもありません。
 そのうえ、隣接都市では貴重な海浜に火力発電所を建設しようとしています。環境に及ぼす重大な影響など一顧だにされていません。
 私たち星見人は、これ以上周囲の自然が失くならないことを祈ります。少しだけ生活の快適さをガマンすれば、次の世代にこの地域の恵まれた自然を残すことができるはずです。
 昔はガキ大将がいました。ガキ大将がいるということは、子どもたちの共同体があるということです。子どもたちの共同体は、大人たちの(村落)共同体のひな型です。ガキ大将は、小さな子らを従えて遊びまわります。遊びの中で共同体のルールやしきたりを下の者たちに伝えていきます。また、他人との接し方などもその従属関係や、時にはケンカを通して教えていたのです。つまり、ガキ大将は文化の伝承者としての重要な一部を担っていたのです。しかも、彼らは伝承事項を自分たちの環境や体質に合うように創意工夫を加えて。
 しかし、いまはガキ大将の姿が見当りません。子どもたちの共同体というべきものが消えています。子どもたちは、次第に他人との交り方が下手になってきています。ケンカの仕方もわからなく、加減ができずに相手に大きなケガを負わせてしまいます。
 原因は大人の共同体が崩壊してしまっているせいです。古い共同体の在り様がよいものだったということではないのですが、そのせいで子どもたちの間で伝承事項が伝わりにくくなっているのは事実です。この状況は子ども文化の危機といえます。
 私たち星見人に、子ども文化の創造や発展ということに寄与できる力はありませんが、せめて美しい星空を彼らに残してあげたい。それは私たちの責務です。星空観望会などを通して、彼らを神秘の世界へ誘い、星にまつわる神話や伝説に夢をはぱたかせてあげたい。