何 を 話 そ う か

星空案内(2)


高萩市民文化誌『ゆずりは』第7号 2001年3月1日発行

 月から始めよう
 海から昇ってくる月を見たことがありますか?

 下弦の太った月が水宮を離れて海中を旅し、やっと顔を見せた瞬間です。やがて海面に光芒が走り、一筋の黄金色の道が竜王の住まう宮殿にまで続いているような錯覚におちいります。そして本当にその道をずうっと水平線の果てまで歩いていけそうで、穏やかな海面は私たちの訪いを誘うかのように見えます。竜宮伝説はこのような光景から連想されたのではないのでしょうか。
 異界への扉は案外私たちの身の回りにいくつもあるのかもしれません。耳を澄ませば、目を凝らせば、人界の裏側に潜む不思議の世界に触れることができるのかもしれないですね。
 月は、私たちに一番身近な天体であり、同時に神秘的な魅力に充ちみちています。幸い高萩は太平洋に面しているので、月が海面からまるで浮きあがってくる様子を目の当たりにすることができます。つい数日前までは、昼間の青い空にうす白くまるで病んだ人の顔のように見えた月が、こんなにも美しく温かみを帯びて生まれ変わるなんて。昔の人々には不思議でならなかったことでしょう。この再生のドラマが、月に宿る神秘力の秘密のような気がします。

  たとえば中国の神話で、美しい常蛾が不老不死の仙薬を盗んで月に奔り、その報いのためにヒキガエルに変身して、あの月面のアバタ模様がまさに常蛾の姿なのだなどというのは、この月の再生力を象徴したものではないでしょうか。
 ともかく、星空入門は月から始めようではないですか。星空観望会場で望遠鏡をのぞいて一番歓声が上がるのが月です。望遠鏡で見る月面は、海と呼ばれる平地やクレータで起伏に富み、それが太陽の光のあたり具合(満ち欠け)によってさまざまな表情を見せてくれます。まるで女心のように(おっと、失言)移り気なその表情の変化もまた、月の魅力の一つです。 あまり太った月に夜空で大きな顔をしていられると、明るすぎてほかの星たちが遠慮して姿を現せないために、星見人にとってはあまりありがたくない存在といえなくもないのですが。そんな夜、星見人は「今日は月が出ているから」なんて言い訳をしながら月見酒に浸るのです。そんな星見人たちでさえ、最初に望遠鏡で月を見た時の感動は忘れていません。尾瀬が趣味としての登山の入り口であるように、月は趣味としての天文の入り口なのかもしれません。 月は星空入門に最適な天体であることには間違いありません。
  天文学事始

 人は誰でも、空を見上げるとロマンティストになるものです。しかし、天文学のそもそもの始まりはもっと人間生活に密着したものだったのです。たとえば、古代エジプトではナイル川、バビロニアではチグリス・ユーフラテス川の氾濫を予知するために、また穀物の播種時期決定などのために天文学が発達し、それを元に暦が作られました。それは、遥か紀元前四千年以上にさかのぼるものです。
 彼らは、何世紀にもわたる根気強い天体観測によって得た知識で、日蝕や月蝕を正確に予測することができました。一一八三年の日本で、まさに源平合戦の真最中に突如として太陽が隠れてしまいました。突然の天変地異に驚いた木曾義仲の軍勢は尻をはしょって逃げ出してしまったそうです。六世紀の中頃には中国から暦法が輸入され、六九〇年には公式に暦を採用してはいますが、中世にいたってもいまだ月蝕は一般的には不可解な現象だったようです。
 
 実際に、日蝕や月蝕を正確に予測できるか否かが、その暦の評価の基準でありました。
 新聞やテレビなどで、私たちは星占いにお目にかからない日はありませんが、その起源は古代バビロニアにまでさかのぼることができます。旧約聖書の中にも、「バビロンの処女(おとめ)」が天・星・月などによって占いを行うことが記載されています。(イザヤ書第四十七章)
 
 暦は未来の天文現象予測ときっても切れない関係があることから、政治や社会現象の吉凶を占う卜占などと結びついて、支配階級の独占する知識とされたのです。ですから、エジプトでもバビロニアでも天体観測を行っていたのは神官たちでした。未来を予知する能力をもっている彼らは、民衆にとって神秘的な力を持った畏怖すべき存在だったのです。
 新約聖書マタイ伝で、イエスの誕生を予言してエルサレムを訪れた「東の博士たち」はバビロニアの神官たちに違いありません。今でも、星占いができるなんて人は、異性にもてますものね。でも、神官たちは毎日毎晩数千年にわたって星空を見つめ続けたのです。その苦労を考えたら、女の子の手を握る目的で星占いを使おうなんてのは遠慮してください。
 
 ともかく、古代バビロニア人たちは気の遠くなるほどの粘り強い観測で、現在の天文学の基礎を開拓してくれました。天の太陽の通り道(黄道)を、牡羊座、牡牛座、双子座、蟹座、獅子座などと十二の座に分けたのも彼らです。当時は惑星も五つ知られていましたので、さらに月の動きを組み合わせることによって、実に複雑な占星術の体系が組織されたのです。
 
現在では、天文学は最も精密な科学の一分野になっています。したがって、非科学的な占星術とはまったく別物なのですが、その起源において両者は実に双子の兄弟だったのです。

 
 南極寿老人のこと
 高萩の市報一月号の「中山氏とその家中」という記事に、木彫りの南極寿老人の名が写真とともに出ていました。この記事からは、南極寿老人なる人物が何者なのか知ることができません。この老人は、他所でも紹介したことがありますが七福神の一人なのです。そして実はこの老人、南天で最も明るい星カノープスの化身とされています。
 
 昨年、君田の松岩寺で開催された星祭りで、講演をしてくれた国立天文台広報普及室長の渡部潤一氏もその著書の中でカノープスについて触れています。(講談社現代新書『星空を歩く』)
 
 カノープスは日本から見ると高度が非常に低い(東京で約二度)ために、その姿を目にすることが極めて困難です。以前、天文仲間が手探りで探し出して双眼鏡に導入してくれたのを一度だけ見たことがあります。今度は、土岳山に登って写真に撮りたいと考えています。真冬の夜に土岳山に登るのは、ちょっと億劫ではあります。
 
 寿の名を冠していることからもわかるように、おめでたい星とされています。なかなか見ることができないこともあって、一度見ると寿命が何年か延びるとされています。中国の思想文化を輸入してきた日本の宮中では、老人星祭りを実施していて、西暦九〇〇年(昌泰三年)にはカノープスが見えたのが大変めでたいと年号を〃延喜〃に改めたほどです。
 
 しかし、この星をおめでたい星としてばかり扱うのは、片手落ちになります。米良、布良、和布、妻良などと表記はさまざまですが日本各地にメラと名のつく地名が散在しています。このメラはめら星、すなわちカノープスを指しています。カノープスは、高度が低いために赤く揺らめいて見える(これは海面近くの月が赤く揺らめいて見えるのと同じ現象)ことは、先ほどもいいました。海難に遭った漁師たちの魂が海上でめらめらと燃えて揺らめいているのだとする所があります。めら星が現れると必ず海が時化るから、船を出してはならないとされています。千葉県安房郡の布良に伝わる言い伝えです。
 

  赤水天体図のこと
 今、私の手元に三枚の天体図があります。一枚は古代中国のもの。もう一つは江戸時代前期(一六七七年)に優れた天文学者だった渋川春海が著わした天文分野之図。そして、高萩市民なら一度は目にしたことがある郷土の碩学長久保赤水の天体図です。
 
 これら3枚を比較してみてわかるのは、後者二枚は中国の天体図を敷衍したものであること。春海のものは、中国の天体図をほぼそのまま模倣したもののようです。一方、赤水のものは中国図に準じてはいるものの、実際に星空を観察しながら書き直しをしたように見えます。三者ともだいたい二等級から三等級あたりの星を記載していますが、赤水は図全体がごちゃごちゃするのを嫌ったのでしょうか、星数を減らしてやや簡略化しています。他に比べてすっきりしたものに仕上がっています。当時にしてみれば実際の観察にはこれで十分だったのではないでしょうか。
 地図の作成に関してもそうなのですが、赤水には実用主義があったのかもしれません。当時の最新の学問を取り入れることよりも、まずは学問の実用化、大衆化ということを優先したのでしょう。彼の作成した「地球万国山海輿地図」には、幻の大陸メガラニカが記載されています。 このころには、ヨーロッパの世界図が輸入されて、赤水が拠ったところの中国の利瑪竇が著わした「坤輿万国図」はすでに時代遅れになっていました。四〇年ほど後に完成した伊能忠敬による実測日本図が、幕府により秘図指定されて(もともと地図そのものが、土地所有が普遍化するに従い、支配者が版図を確立するために要求したものです。その性格上税の収奪と戦争に深くかかわるものです。したがって、戦略上秘図扱いを受けることはその地図が精確であればあるほど当然の帰結でした。)、公開されることがなかったので地図といえば赤水図を指すほどでした。
 
 実際に果たした役割からいって、赤水の地図はそれなりに評価できるものであったことは間違いないでしょう。天体図に関してはどれほどの普及があったのかわからないのですが、赤水の学問の姿勢と情熱を知る最良の資料です。それまで、為政者の占有物だった天文学や地理学を、民衆の側に引き寄せたことは高く評価されるべきだと思います。
  終わりに
 定年退職を迎えた時に、オリジナル名刺を作ってみようと思っています。そこには肩書きなんか一つもない、丸裸の自分の名前があるだけ。その名刺を持って、他の人に自分を紹介するのです。私という存在はカイシャによって付与されたものなんかじゃないのですから。そこから始めたい。そこのところを通過してからなら、次には名刺の横に自分の趣味を大きく書き添えてもいいですよね。
これが今の私なのですと。肩書きはもちろん、天文愛好家としたいですね。