何 を 話 そ う か

星空への招待


高萩市民文化誌『ゆずりは』第3号 1997年2月1日発行

 数年前に見た十一月下旬の尾瀬の星空は大変な感動でした。平地に比べて星の数が圧倒的に多く、普段星空を見慣れている眼でさえ、星座を判別できない程でした。まさにうるさい程の満天の星なのです。しかも、星々は実に生き生きと鋭く輝いていました。
 高萩の街中でも、月明りさえなければ三等星くらいまでは見えるでしょう。星には見た目の明るさで等級がつけられています。等級が大きい程暗い星になります。街灯を避ければ、四等星くらいまで見ることができます。
 星の世界は、暗い場所で空を仰ぐだけで、その神秘的な美しさを十分楽しめます。また、双眼鏡や望遠鏡があれば、肉眼では見ることのできない不可思議で感動的な姿も見られます。
 気軽に星空の散歩とシャレこむのなら双眼鏡がいい。倍率は七〜二十倍程度。口径は五cmくらいで、三脚に固定できるものにします。七倍というと倍率としては低いのですが、例の『すばる』を観るのには最適なのです。『すばる』は、散開星団と呼ばれるまばらな星々の集団で、低倍率で視野の広い双眼鏡でなければ、その全体を眺めることができません。多くの散開星団は双眼鏡で楽しむのに適しています。
 本格的に『天文』に挑戦したいという向きには、やはり望遠鏡をお奨めします。それもできる限り大口径のものを。口径が大きい程光をたくさん集められるので、遠い星や暗い天体までも観られます。更に望遠鏡を動かす架台は、赤道儀といって星を追いかけやすいもの。しかも、自動で星を追尾できる装置……。そう、お金をかけるとキリがないのです。単に星空を眺めて、何万光年、何億光年彼方の世界に思いをはせるか、手頃な双眼鏡の中の神秘の世界に心をさまよわせるか、はたまた他人の望遠鏡をのぞかせてもらって歓声をあげるか、その辺が一番よいのかも知れません。そして、星の魅力にとりつかれた仲間が、そばにいて一緒に騒いでくれたら最高の幸せです。
 星には、私たちが棲む地球や、木星、土星などの惑星と、太陽のように自ら光を出している恒星とがあります。また、星の集団には、先程の『すばる』のように数十個程度のまばらな散開集団と、数千から数十万個の星がぎっしりと密集している球状星団があります。他に銀河や星雲というものもあります。それぞれが、星または宇宙の一生の各段階の姿といえます。
 星の魅力は、とても文章にできません。実際にその世界に触れてみるほかないのです。『すばる』は、昏い虚空に無造作にばらまいたダイヤモンドのようですが、これも夜空の状態によって見えかたがまるで違います。天文イベントや観望会に参加して、ぜひ夜空の散策を楽しんでみてください。
 最近は、星を見るのに適した場所がしだいに少なくなっています。デパート、遊戯場、企業の照明が夜空を明るくしているために、星が見えにくくなっています。夜になると煙の量が多くなる煙突もあって、ますます空が狭くなります。
 私たちの周囲から闇が失われていく過程は、同時に『自然』が奪われていく指標でもあります。これらの新しい環境は、私たちの生活や精神に深い部分で大きな影響を及ぼしています。環境庁では『光害』問題の調査、検討にのりだしました。氾濫する光が、人間心理、都市計画、生態、住環境などの各分野で惹起する諸問題を調査し、今後の対策を考えようということです。
 かつて、闇は異界でした。魑魅魍魎が跋扈する非日常の世界でした。子どもたちには、戸口の外に広がる闇はとても恐ろしく、何か得体の知れないものたちが潜んでいるように感じられたものです。
 しかし今は、街は一晩中明るく、子どもたちは遅くまで街灯の下で活動しています。もう、妖怪や魔物たちの棲む場所は失くなってしまいました。
 呑気な星見人にすれば、次のような疑問がわいてきます。
「人口の増加や開発が、果して本当に地域の発展なのか。」更にいえば、地域に住む人々にとって『発展』そのものが幸せにつながるのか。
 闇を文化として捉える豊かな感性が、行政にも、私たち自身にも必要な時期にきているのではないでしょうか。