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争点の解説

1 事実認定と共同不法行為

 中国人強制連行・強制労働の事実を司法が認定するかどうかはこの裁判の最も基本的な試金石です。何故なら、従来の戦後補償裁判は、個人請求権の有無、国家無答責、時効、除斥期間等の厚い法律上の壁に阻まれて、事実認定さえ行わなかった判決が多く見られたからです。また、国は一切事実認否をせず、企業はむしろ積極的に事実を争う態度を取っており、裁判所に事実認定をさせることはそれ自体意味があります。また、国がこのような態度を取るのも,歴史的事実の存否が今わが国の歴史上の論争になっているからで、さらに、裁判所がその法的責任の有無を判断するに当たっては,事実の存否を問わざるを得ないという構図をもっている点からも、事実認定は第一の大きな争点です。
 この点についての司法判断は、劉連仁東京地裁判決以後、僅かの例外を除いてしっかりと事実認定を行うようになり、その内容も新しい判決が出るたびに詳細になっています。
 そして、事実認定を踏まえ、国と企業の違法行為を共同不法行為と捉える流れが定着しつつあるといってもいいと思います。 中国人強制連行・強制労働は、強制連行と強制労働の二つの場面を考えることができます。判決は、強制連行は国の不法行為、強制労働は国と企業の共同不法行為とするのが一般でしたが,福岡高裁判決は、詳細な事実認定を行ってそのどちらも「共同不法行為」と認定しています。

 

企業の陳情

 中国人強制連行・強制労働政策は、一九四二年(昭和一七年)の閣議決定に基づくものですが,企業の責任も免れることはできません。石炭鉱業連合会と金属鉱業連合会は、一九四一(昭和一六)年八月一四日に両連合会会長の連名で、「鉱山労務根本対策意見書」を企画院総裁、商工大臣、厚生大臣に提出し、その中で、「朝鮮農村に於ける農耕技術の改良農業集約化等を計り之に依り生ずる半島人労働力の内地移入に一層の努力を為すこと」というそれまでの主張に加え、「更に支那苦力の移入に付ても積極的に促進することを要すること。但し苦力の使用は社会上保安上其の他の見地より鉱山以外の産業を先にするものとす」「右苦力に対しては各種労働立法に拘泥せず特殊管理を断行するの要あり」という要求を国に行なっています。
 この「右苦力に対しては各種労働立法に拘泥せず特殊管理を断行するの要あり」との考えは、法に基づいた「募集と使役」ではなく、違法な「強制連行と強制労働」を行うことを最初から想定しています。
 すでに一九三九(昭和一四)年七月には北海道土木工業連合会が同種の陳情を内務大臣宛てに行ない、翌一九四〇(昭和一五)年三月には商工省の燃料局内に華人労務者移入に関する官民合同協議会が設置されていましたが、石炭、金属両連合会の陳情を受けて国も動き出すこととなりました。
 

共同実行意思の確認…「閣議決定」と官民合同の現地調査

 一九四二(昭和一七)年一一月二七日、政府は「華人労務者内地移入ニ関スル件」を閣議決定しました。そして、一九四四年の「次官会議決定」は、「供出又ハ其ノ斡旋ハ大使館現地軍竝ニ国民政府(華北ヨリノ場合ハ華北政務委員会)指導ノ下ニ現地労務統制機関(華北ヨリノ場合ハ華北労工協会)ヲシテ之ニ当ラシムルコト」と指示しています。
 「閣議決定」の三週間後、政府は官民合同の「華北労働事情視察団」を河北へ派遣しました。企画院担当官が責任者で、内務省、大東亜省、商工省、運輸省の官側関係者と、石炭、鉱山、土建、港運の各統制団体の担当者が一九四二(昭和一七)年一二月末に北京へ赴き、大使館の指揮の下、北支に於ける労働事情と労務者の素質について,現地視察しました。こうした周到な「官民合同の準備」「官民合同の計画」の結果として翌一九四三(昭和一八)年四月からは「試験移入」が、さらに一九四四(昭和一九)年以降は「本格移入」が始まりました。
 国家総動員法の二四条は、総動員業務たる事業の事業主(企業)に総動員業務に関する計画を立てさせることとしており、総動員業務の中核を担っていた企業は、鉱業、荷役業、国防土木建築業等の産業目標達成に必要な計画人員を国に届け出ています。
 国家総動員法に基づいて企業が届け出た計画人員や、厚生省に対する「華人労務者移入雇用願」によって「中央の計画」が決まり、これによって中国人に対する「強制連行」が行なわれたわけで、強制連行は、国と企業が共同の計画に基づいて実施したものです。
 

強制労働

 強制労働の共同不法行為はいうまでもありません。苛酷な労働の強制、虐待、非人間的取り扱い、長期にわたる自由の剥奪、拘束、すべてこれらはILO強制労働禁止条約に違反します。国は、中国人の企業への配置と国策目標量生産の指揮、監督、督励を行い、企業に対する「国家総動員法」上の地位に基いて、企業に国の定める目標量の生産を命ずるとともに、各事業場の管理に当たり、また、そこで働く労働者の労働に関し企業に命じて従業規則を作成させ、労務管理官による生産確保のための指揮、命令をこれらの事業所に対して行ないました。また、国は軍需会社法を制定し、軍需会社に指定された企業では、公法上の指揮権をもつ「生産責任者」「生産担当者」の指揮権に従って職員その他の従業員は就労します。そして、主務大臣は軍需会社に対して具体的な労務管理に関して命令を発したり、政府が従業員の懲戒処分を生産責任者や生産担当者によって行うことができました。国は、労働者の使用や解雇、給与、懲戒などの具体的な労務管理を自ら行うことができました。したがって、国は、軍需会社法によって軍需会社に指定された企業で就労した中国人に対してはまさに雇用主体として、またそうでない企業で就労した者に対しても、国策として立てた生産目標量確保を企業に行わせることを介して、労働を督励し、強制したのです。以上に述べた加害行為は、国と企業との共同意思の下に行なわれたものです。
 

加害企業に対する戦後の補償

 中国人被害者は、そのほとんどが賃金その他の手当て補償金を受け取っていません。しかし、他方で,国は強制労働を行った加害企業に対して手厚い補償をなしました。企業の側も戦後直後から国に対して国家による補償金を獲得するべく働きかけを行っていました。 
 日本建設工業会華鮮労務対策委員会が発行した「華鮮労務対策委員会活動記録」の一九四五(昭和二〇)年八月一六日の項によれば、「戦時中の華人及び朝鮮人に対する統計資料、訓令其他の重要書類の焼毀を軍需省より被命、直に課員をして整理し、会計経理に関するものを除き私物と雖も一物をも残さず桜田国民学校裏地にて焼き3日間を要した」といいながら、巧妙に,「会計経理に関するもの」だけは焼却せず残しました。
 この華鮮労務対策委員会の活動により連行企業側は全体で総額五六七二万円余りの補償金を獲得しています。ちなみにこの額は、現在の時価に換算すれば、少なく見ても六〇〇億円という膨大な額に相当するものです。こうして国は、被害者らに対しては強制連行・強制労働の事実そのものを覆い隠そうとし、逆に加害者である企業らに対しては手厚い補償を行っています。

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