判決要旨(平成11年(ワ)第2154号、同14年(ワ)第1717号)
1 事案の概要
本件は、第2次世界大戦中、中国人である原告ら(被害者の相続人の含む。)が、被告ら(日本国及び日本の企業)によって強制的に中国から日本へ連行され、
北海道等にある炭鉱等の作業において、劣悪な生活環境及び労働条件等の下で、採炭等の労働を強制されたとして、原告らが、被告らに対し、謝罪広告の掲載と
慰謝料等の支払いを求めた事案である。
2 請求原因の概要
- 被告国に対する請求
-
国際法等(奴隷条約及び国際慣習法としての奴隷制禁止、人道に対する罪、ILO第29号条約「強制労働二関スル条約」、ヘーグ陸戦条約等)違反を理由とする被害者個人の国家に対する直接請求(焦点1)
- 法令11条1項により準拠上となる中華民国民法に基づく不法行為請求(焦点2)
- 債務不履行責任(安全配慮義務違反)に基づく請求(焦点3)
-
民法709条、715条又は国家賠償法1条1項に基づく請求(予備的請求原因)(焦点3の1・2)
- 被告企業らに対する請求
- 法例11条1項により準拠法となる中華民国法に基づく不法行為請求(焦点2)
- 債務不履行責任(安全配慮義務違反)に基づく請求(焦点4)
- 民法7099条、715条に基づく請求(予備的請求原因)(焦点3の1・2)
3 主な焦点
- 焦点1 国際法に基づく直請求の可否
- 焦点2 中国民国民法に基づく不法行為請求の可否
- 焦点3 民法709条、715条又は国家賠償法1条1項に基づく請求の可否
- 焦点3の1 国家無答責の法理
- 焦点3の2 民法724条後段による請求権の消滅の有無
- 焦点4 安全配慮義務違反に基づく請求の可否
- 焦点4の1 安全配慮義務違反の成否
- 焦点4の2 安全配慮義務違反に基づく損害賠償債権の消滅時効
- 焦点5 国家間の戦後処理による賠償請求権の消滅の有無
4 当裁判所の判断
(1)強制連行に至る事実経過並びに原告らに対する強制連行及び強制労働に関する事実関係について
第2次世界大戦中、日本国内の炭鉱等における労働力の不足を補うため、中国人を我が国の炭鉱等で就労させる施策を国が企画立案し、国及び被告企業を含めた
炭鉱等を経営する我が国の企業がこれを実施して、これにより原告らを含めた多くの中国人が我が国の炭鉱等に強制的に連行され、そこで労働を強いられたこと
が認められる。
原告らに対する強制連行及び強制労働の個別具体的な事実については、その日時場所等の詳細な事実関係に至るまでこれを認めるに足りる十分な証拠があるとは
言い難いものの、少なくとも、原告らが、暴力的にあるいは威嚇等によりその意志を制圧され、又は欺罔されて我が国に連行され、人格の尊厳と健康を保持する
ことが困難となるような劣悪な環境の下で、戦争が終了するまでの間、その意志に反して重労働を共生されたという事実の概要(本件加害行為等)については、
優にこれを認めることができる。
(2)焦点1(国際法に基づく直接請求の可否)について
国際法は国家間の法律関係を起立する方であるから、国家による国際法違反の行為の結果として個人が被害を被ったとしても、曽於被害の回復は、原則として、
当該被害者の属する国家が加害国に対して外交保護権の行使によって損害賠償等を求める方法により間接的に実現することが予定されている。国家による国際法
違反の行為が、同時に、国内法においても違法と評価される場合があり得るとしても、これにより国際法に基づく加害国に対する実体法上の直接請求権が被害者
個人に対して当然認められることにはならないというべきである。これらの直接請求権が認められるためには、国際法において、当事国に対して立法義務を課す
などし、これを受けて立法措置等がとられるなどの国内措置による保管が必要であり、あるいは、当該国際法自体において、個人が当事者として権利を行使でき
ることが特別に規定され、かつ、これを実現するための手続きが当該国際法上定められていることが必要であるが、請求原因で主張されている国際法としての奴
隷条約及び奴隷制禁止の国際慣習法、人道に対する罪、ILO条約並びにヘーグ陸戦条約及び同規約については、いずれもこのような国内措置や規定などが存す
ると認めることは出来ないから、国際法に基づく原告らの直接請求は、いずれも失当である。
(3)焦点2(中華民国民法に基づく不法行為請求の可否)について
本件に中華民国民法が適用されるための前提として、本件加害行為等が法令11条1項にいう不法行為に当たることが必要となるので、その該当生の有無につい
て検討するに、国家賠償法が行為者である公務員に対する求償権を制限し、外国人が被害者である場合に相互保証主義を採用していること、更には、判例によ
り、行為者である公務員は被害者に対して賠償責任を負わないと解されていることなど、同法が、公務員による不法行為を、その権力的作用としての特性をふま
え、民法上の不法行為とは異なる取り扱いをしていることに照らし、また、元来、公務員の不法行為についての準拠法をどのように定めるかは、立法政策に委ね
られていると解されることなどを総合考慮すると、公務員の不法行為は、判例11条1項の不法行為には当たらないと解するのが相当である。
なお、仮に本件加害行為等が判例11条1項に当たり、中華民国民法が準拠法になり得るとしても、法例11条2項、3項により、日本法の要件を満たさなけれ
ば不法行為は成立せず、また、被害者は、日本法が認める損害賠償等でなければ加害者にこれを請求できないところ、後述の通り、国会賠償法附則6項により、
同法施行前の本件加害行為等については国の賠償責任は否定されていたし(国家無答責の法理)、仮に成立していたとしても、原告らの請求権は、行為の時から
20年が経過したことにより、民法724条後段の適用により適用により消滅しているから、いずれにしても、中華民国民法に基づく請求は、理由がない。
(4)焦点3の1(国家無答責の法理)について
本件加害行為等は、国家賠償法施行前にされたものであり、同法付則6項によれば、同法施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例によると規定され
ている。本件加害行為等が行われた当時の我が国の実定法制度を見ると、本件加害行為等のような権力的な作用に属する行為についての国の損害賠償責任を直接
定めた実体法の規定はなく、また、明治憲法下においては、司法裁判所又は行政裁判所のいずれかにおいてこのような損害賠償請求訴訟の裁判権を認める余地が
あったと解されるが、法律において、いずれの裁判所についてもこのような裁判権を認めなかった。これは、権力的な作用に属する行為についての国に対する実
体法上の請求権を否定する立法政策が採られていたと解され、これがいわゆる国家無答責の法理に相当する。そして、民法の不法行為に関する規定を、このよう
な立法政策と整合するように解釈すると、本件加害行為等のような権力的な作用に属する行為については、民法上の不法行為の規定の適用はないと解される。こ
のような解釈は、民法をはじめとする当時の関係実定法の制定過程から窺われる立法者の意志とも整合し、大審院及び最高裁判所の判例の趣旨にも適合する。ま
た、国家賠償法附則6項によって、本件加害行為等のような現行憲法施行前の行為について損害賠償責任が否定されたとしても、これが現行憲法17条に違反す
るということはできない。したがって、原告らの被告国に対する不法行為請求は失当である。
(5)焦点3の2(民法724条後段)について
本件加害行為等から20年が経過したから、本件加害行為等により生じるべき損害賠償等の債務は、民法724条後段により消滅したというべきである。
民法724条後段は、消滅時効ではなく、除斥期間を定めたものと解されるから、消滅時効を前提にその援用が権利の乱用に当たるなどの主張は主張自体失当と
なる。しかしながら除斥期間であるとしても、最高裁平成10年判決が指摘するように、20年の経過により権利を消滅させることが同判例にいう時効の停止等
の実体法に規定の趣旨とするところに反する結果となり、しかも、その状況が加害者の行為に起因するようなきわめて例外的な場合において、同条後段の効果を
生じさせることが著しく正義・公平の理念に反する場合には、「特段の事情」があるものとして、同規定の適用が排除される場合があると解されるが、原告らが
主張するように、被害者側や加害者側の事情などを広く勘案し、正義・公平の理念に則って民法724条後段の効果を生じさせないとすることは、不法行為を巡
る法律関係の速やかな確定のため除斥期間を定めた同規定の趣旨に沿わないというべきである。
本件では、訴訟の提起が困難であったとの原告らの主張の事情の概要が認められるものの、これらの事情が、時効の停止等権利の消滅を否定する実定法の規定が
想定するような状況に当てはまるということはできず、また、被告らの行為に起因して生じた状況であるということもできないから、これらの事情は、上記の
「特段の事情」にあたるということはできない。
したがって、原告らの不法行為請求は理由がない。
(6)焦点4の1(安全配慮義務違反の成否)について
安全配慮義務が発生する前提となるべき法律関係に基づく当事者間の特別な社会的接触の関係とは、少なくとも、安全配慮義務を負うべき当事者が、相手方に対
し、その法律関係の実態に即して、何らかの労務等の提供を受けることができる関係を意味すると解されるところ、本件加害行為等は、原告らの意志を制圧する
などして原告らを強制的に我が国に連行して労働を強制したというものであって、加害者、直ちに原告らに対する労働の強制等を止めるべき義務を負っていたと
いうべきであり、原告らから労働の提供等を受けるべき何らかの法的根拠も有しないから、本件加害行為等について、安全配慮義務の前提となるべき当事者間の
特別な社会的接触の関係があったということはできない。したがってm安全配慮義務違反に基づく請求は、焦点3の2(消滅時効)について判断するまでもな
く、理由がない。
(7)以上によれば、焦点5を含め、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求は、いずれも理由がない