1歳半で阪神大震災で天国へ旅立った息子と生きていてくれた娘のために
 

【 阪神大震災 】

1月17日の想い
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震災の時のこと

ママのせいで
岩国から西宮へ
新神戸についてから
実家での時間
将君の最後の日

パパとのさようなら
最後の夜
阪神大震災
生き埋め

救出
将君を外に
連れ出すまで
将君発見
将くんとの対面
病院に行くまで
心臓マッサージ
パパ、早く来て
将君の死
みんなが病院へ
電話
駐車場で死者50人
避難先へ
避難先に着いて
パパとの連絡
検死/パパが来るまで
パパとの対面
関東の地から
避難先での生活
お風呂・納棺
お通夜・お葬式

10はじめに

お通夜
ゆうちゃんしみ
お葬式
喪主パパの言葉
出棺
火葬場で
それぞれの想い
31 2004年遺族代表の言葉
きょうだいを亡くした方の思い
NPO法人「1.17希望の灯り」
(HANDS)のこと
震災モニュメントマップ
大震災こども追悼コンサート
震災関連情報&リンク
新聞掲載記事の紹介
心のケア関係
(サポートグループなど)

震災遺児のためのケアハウス
「レインポーハウス」

 
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★本・資料・リンク
阪神大震災関連図書

 

 

2002年1月17日の想い

この7年間の間に、私は随分前を向いて歩けるようになりました。

この7年間の事を振り返った時に、友達の存在を語らずに
私の今の生活を書くことができないと思います。

今までに たくさんの友達に出会ってきました。
私が結婚するまでに出会った友達、結婚して出会った友達、
しょうくんに会った事がある友達も、そうでない友達も・・・・

そのとき、そのときの私に必要だった友達の出会いによって、
私は一歩一歩、階段を上ってきた気がします。

悲しみだけの日々の私といっしょに泣いてくれた友達、
泣いてばかりの私を無理のないように、外へひっぱって行ってくれた友達・・・。
元気になってきた自分にストレスを感じていたときインターネットで
知り合った同じ子供を亡くすという体験を持った友達・・・。
外に出るようになったときに、しょうくんを受け入れてくれて、
悲しみを理解してくれようとしたそばにいてくれた友達・・・。

それぞれの時期にあったそれぞれの友達のおかげで、
今の私がいるのだと思っています。

そして今、元気になることを拒んできた私の大きな気持ちの壁を
無理なく取り壊してくれて私が元気になることを
素直に認められるようにしてくれた友達に出会いました。

その友達のおかげで、私はきちんと前を向いて歩いていけそうな気がしています。
今までの私は、元気になることをずっと拒んできました。
そして、その気持ちを一生持ち続けるんだと思っていました。
でも、人間って本当にふしぎな力を持っているのだなって思うほど、
あるときに突然その気持ちが、薄れてきました。
自分でも、びっくりするほど無理することなく自然と・・・。

その人は、私にとって、とってもふしぎな存在で
会って話をするたびに元気をたくさんくれました。
今まで、閉じていた心が自然と開いてくるのです。
そして、今まで、しょうくんが天国へ旅立った日から、
終わってしまったと思うようにしていた私の人生を、
また歩いてみようかなって思えるようになったのです。

決して、しょうくんの事を忘れたわけでは、ありません。
もっと違う形でしょうくんの事を思い続けていこうと思うようになったのです。
悲しんでいるだけがしょうくんを想い続ける方法ではない 
ということを教えられたような気がします。
元気になっていく自分を素直に認めることができるようになって、
随分心が軽くなりました。

そうなることによって、
私は、「ママの人生が、僕が死んでしまったことで、
悲しい暗いものに変わってしまった」という事を知って
一番悲しい思いをするのは、しょうくんじゃないかなって、
思えるようになりました。

今まで私は、
「しょうくんが旅立ってしまったから○○ができなくなった」って言ってきたけれど、
それは、しょうくんに『僕のせいで、ママは人生を楽しめなくなったんだ』って
思わせているような気がしてきました。
今は、大切な息子にそう思わせるこる自分がいることが
すごくつらいと思うようになりました。
だから、私は、元気になっていこうと思いました。

そして、悲しみつづけるという形ではなくて、
もっと違う形でしょうくんの事を思い続けていこうと思いました。
そばにいてくれる娘が、泣いているママよりも、
笑っているママのほうが大好きなんだなと感じるようになって、
そう思えるようになってきたのかもしれません。

私は、みんなにずっと子供を亡くした私の悲しみを
わかってほしい理解してほしいと思って、がんばってきました。

でも、今は、違います。
理解できなくてあたりまえ、同じ子供を亡くしても、
みんな同じ思いではありません。
亡くなった子供のことも、それまで生きてきた人生も、
考え方も生きていく方向も、みんなそれぞれなんですよね。

だからこそ、すべてをお互いに理解し合うのは
無理だと思えるようになりました。それで普通なんです。
そう思うようになったら自分を理解してほしいと人に望まなくなりました。

そう思うことによって、友達のさりげない心遣いが
すごくうれしく思えるようになりました。

自分の悲しみしか見えなかったあの頃とは違って私のことを
心配してくれている友だちの気持ちを理解しようと思える心の余裕もできました。
そして、私のそばに寄り添ってくれていることに
感謝できるようになりました。

まだまだ、悲しみに押しつぶされることもあるだろうけれど、
それでもそこから這い上がる手立ても見つけました。
そして、その悲しみが、繰り返しやってくることも
受け入れられるようにもなりました。


しょうくんは、震災の前の日、おやすみをして眠りにつきました。
そして、しょうくんには明日が来ないまま天国へ旅立ってしまいました。
だから、私は毎日、明日が来ないでしょうくんのところに行けるようにと
お願いして眠りについていました。

明日(未来)が来ることを拒んでいたあの頃に、
今という未来を考える余裕はありませんでした。

私は今、あの頃、来ることを拒んでいた未来にいます。
そして、あの頃、来ないでほしいと祈っていた夜空の向こうには、
明日があるんだということを受け入れることができるようになりました。

そして、そのずっとずっと向こうには、
天国にいるしょうくんが待っているとも思えるようになりました。


しょうくんが旅立ってしまったこと
あきらめることも仕方ないとも思うことができないし
しょうくんやゆうちゃんへの思いもすごく強いです。

だからこそ、しょうくんとの再会(=ゆうちゃんとの別れ)、
そこにたどりつくまでの道のりを大切にして、少しでも多くの何かを見つけて、
ゆうちゃんとしょうくんと一緒に笑って楽しく悔いが残らない人生を
過ごしてたいと思っています。

そんな私の人生がしょうくんへのお土産であり、
ゆうちゃんへの最高のプレゼントになることを祈って・・・


最後に、今までなかなか口に出して伝えることができなかったけれど、
今ここで伝えたいと思います。

今まで、出会って私を支えてくれた友人
そしてこれから出会って私を支えてくれるであろう人たち
ゆうちゃんしょうくんに会うために一番大切な出会いになった主人・・・
そしてその主人や私を生んでくれた二人の両親に感謝しています。

特に、しょうくんを失ったあと
今まで影で心配しながら支えてきてくれた主人と
私の生きる希望であるゆうちゃんに
心から感謝の気持ちを伝えたいです。

ありがとう・・・・

これからの人生、もう一度主人とゆうちゃんとしょうくんと私の4人家族で
たくさん笑って人生を楽しんで行きたいと思います。

2002年1月17日

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