音は脳で聴く 2005.9.1 一部改訂     オーディオの科学へ戻る

 このサイトの随所で触れているが、オーディオシステムの良し悪しを議論する場合、普通はその物理的・電気的特性を問題にするが、本当は、耳に入った音をそのまま聴いているわけでなく、他の情報、過去の経験などと照らし合わせるなどの脳内処理を経た後、最終的に音として認識する。このページでは耳に入った後、どの様な要素が音質評価に影響するかを考えてみる。 始めに、最近目にした、この議論の参考になる3つの記事を引用しておく。

1. 脳が作る「聞こえない音」 朝日新聞(2004.5.19 朝刊)科学欄 五感(5) 聴覚

前半(人口内耳についての記事)省略

 同志社大工学部の力丸裕教授の研究室で、断続的に無音区間を入れた音楽を聴いた。途切れ途切れで、とでも音楽とは思えない。無音部分を、シヤーという雑音に置き換えると・・・・・・音がつながって音楽に。「脳が前後の音の情報をもとに後から補っているんです」とカ丸さん。

 文を読む声を雑音に変えると何を言っているかわからない。だが、元の文を読んでからだとそう聞こえるから不思議だ。

雑踏の中でも特定の人の言葉が聞き取れるのもこうした仕組みと通ずる。「人が聞く音には脳で作られた音もある。脳が時間の変化をもとにどう認識しているかが研究の焦点です」 

 2千Hzから200Hzおきに2600Hzまでの音を同時に聴くと、実際にはない200Hzの音が「聞こえる」。昔から知られるこの現象も脳の仕業だ。

 コウモリとはいかないまでも、人も音で空間を認識できる。訓練次第で目を閉じても数m先の壁がわかるようになる。
 
「視覚障害者で経験的に知られていたことが、音響技術の発達で科学的に解明されてきた」 こう話す産業技術総合研究所の関喜一主任研究員らは、視覚障害者向けに、現実の音を再現した仮想現実の中での歩行訓練を研究している。
 
こうした仕組みを応用すれば、背で障害物を避けるロボットや車ができるかも知れない。

(佐々木英輔)


2. 万物流転、情報不変 養老孟司著 「バカの壁」第四章 抜粋

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一般に、情報は日々刻々変化しつづけ、それを受け止める人間の方は変化しない、と思われがちです。情報は日替わりだが、自分は変わらない、自分にはいつも「個性」がある、という考え方です。しかし、これもまた、実はあべこべの話です。

 少し考えてみればわかりますが、私たちは日々変化しています。ヘラクレイトスは「万物は流転する」と言いました。人間は寝ている間も含めて成長なり老化なりをしているのですから、変化しっづけています。
 昨日の寝る前の「私」と起きた後の「私」は明らかに別人ですし、去年の「私」と今年の「私」も別人のはずです。しかし、朝起きるたびに、生まれ変わった、という実感は湧きません。これは脳の働きによるものです。

 脳は社会生活を普通に営むために、「個性」ではなく、「共通性」を追求することは既に述べました。これと同様に、「自己同一性」を追求するという作業が、私たちそれぞれの脳の中でも毎日行われている。それが、「私は私」と思い込むことです。こうしないと、毎朝毎朝別人になっていては誰も社会生活を営めない。

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この部分の引用だけではわかりにくいが、オーディオ・ファンなら『情報』を『スピーカーから出る音』と置き換えてみると分かりやすい。

3.  「したたかな脳」 澤口俊之著

このサイトではオーディオ装置の音質評価に思いこみが大きく影響することを色々なところで強調しているが、思いこみが如何にして形成され人間の認知、ひいては価値観に影響するかについて、最先端の脳科学者である筆者が、脳内の「ワーキングメモリ」をキーワードにしてわかりやすく説明している。すこし長くなるので、別ページに関連部分の抜粋(new)を掲載しておく。

以下、スピーカーから出た音が耳に入り、聴覚器官を刺激し、神経索の電気信号として脳に送られ、脳が音として認識する過程での問題を論じる。

耳に入るまで

 普通オーディオ装置の特性については各装置の物理的特性、リスニングルームの音響特性とスピーカーのセッティングまでが論じられる。 しかし、別項で示したように耳に入る音の周波数特性は、低音では定在波の位置による強度差、高音では左右スピーカーから出る音の干渉によって、聴く位置で大きく変化することを問題にする人は少ない。このことは、低周波発振器を持っている人は、色々な周波数のサイン波を出し、頭の位置を動かしたり、部屋の中を動き回るとはっきりと認識できる。また、低周波発振器が無くても、信号発生ソフトで色々な周波数のサイン波を作り CD-R に音楽CDとして焼き付けると、CDプレーヤーで任意の低周波信号を再生することが出来る。ちなみに、私は WaveGene というソフトを使っている。 http://efu.jp.net/soft/wg/wg.html からダウンロードできる。オーディオを科学的に楽しみたい方は是非試みてください。

ついでに、もしマイクがあるならホワイトノイズを作り発生させ、コンピュータに取り込めば、解析ソフトを使って簡単にマイクの位置での周波数特性の測定が可能である。 解析には、WaveSpectra というソフトが良い。http://efu.jp.net/soft/ws/ws.html からダウンロード出来る。いずれもフリーソフトである。

耳の特性

 人間の耳の感度はかなり良く耳管の共鳴周波数である3000Hz 付近の音に最も敏感で、低音・高音では感度が落ちていく。さらに、耳介や頭部での回折・干渉により耳の感度は複雑な周波数依存性を示す。これを頭部伝達関数といい音源の方向探知に使われる。ここに頭部伝達関数の例として、正面方向にある音源を上方に移動していった場合の感度の変化を示す。データは示さないが、音源を左右に移動させた場合も周波数特性は大きく変化する。このことは逆に、耳が感じる周波数特性は首を動かしただけでも大きく変化することを意味する。

一方、歪についてはどうか? これは測定するのが難しそうだが、最初の記事にある、2000Hz 以上 200Hz おきの音を聞くと源音に含まれていない、200Hz の音が聴こえるという事実は、耳をマイクと見做した場合、非直線性による相互変調歪があることを示しているのではなかろうか?

つまり、人間の耳は非常に感度はいいけれども周波数特性や歪率に関してはおよそ高忠実度から程遠いものと言えそうである。もちろん、これは人間の生存に適した特性として進化した結果であると思うが。

脳による処理  参考書 F.E..ブルーム 脳の探検(上)・(下) 講談社 Blue Backs

 耳に入った音は鼓膜を振動させ、その振動が内耳の蝸牛に伝わり、ここで神経電気信号に変換される。それが、神経索を伝わり、最終的には側頭葉にある聴覚皮質で音として認識されるそうである。ただこの時、音の信号は、色々なパスや中継点に分かれて伝わり、視覚情報や、過去の音の記録、言語野、知識野などにある情報と相互作用しながら聴覚皮質で統合され音のイメージの形成や言語の認識が行なわれる。この間、約0.1秒の時間を要するらしい。

なお、このような過程は脳波などを観測することにより、実験的にも検証可能であり、その一例を『脳波で見る空耳』というページに紹介しておく。(2004.11.29 Up)

また、視覚が聴覚に与える影響として「マガーク効果」という以下のような現象が知られている。(2006.9.16 Up)

イギリスの心理学者、ハリー・マガークとマクドナルドは、つぎのような実験を行った。まず、スクリーン上の人に「が、が・・・」と発音させる。そのフィルムを上映するときに画像の音声を消し、陰の声で「ば、ば・・・」という音声をスピーカから流す。この実験で被検者は「だ、だ・・・」と聞こえたと報告する。被検者に目を閉じるように指示すると、こんどは「ば、ば・・・」と聞こえたと報告する。この実験結果は、くちびるの動きという目で見た映像にだまされて、耳から入った音声が実際とは違った音声に聞こえたことを示した。


 はじめに挙げた、無音区間をノイズで補ってやると音が繋がり音楽として認識されることや、頭部伝達関数による周波数特性の凹凸が音質差として認識されず、音源の方向を知る手段として使われるのもこのようなメカニズムによる。つまり、脳は耳に入った物理的な音をそのまま認識するのではなく、色々な材料を加え料理した後賞味するわけである。

このように考えると、心理効果とブラインドテストの項で述べているように物理的には変わるはずの無い、純度の違うケーブルで音に違いがあるという印象が持たれることは不思議なことではない。このよう場合いわゆるブラインドテストでは誤った知識の影響を受けないので純度による有意差は検知できない。(差が検知出来ないのではなく、、ケーブルの違いと相関した有意な差が検知で出来ないという意味!)

また、「エージング効果と劣化」の頁で述べたように、ケーブルではいわゆるエージング効果は期待できない。それにもかかわらず、ケーブルの評価はエージングを経た後でないと正しく出来ないという説が流布しているが、これも上に引用した「万物流転、情報(音質)不変」の原理によって、脳の方の状態が変化していると解釈すべきである。高価なケーブルを買って変化が感じられなくとも、時間をかければ本領を発揮する(してほしい)という思い込みがなせる業であろう。

訓練による聴覚の向上

 上の記事の最後に書いてあるように聴覚(他の感覚でも)は訓練により感度や識別能力が向上するのは事実のようである。特に他の感覚に障害がある場合、それを補うために発揮される能力は驚くべきものがあるらしい。

 オーディオの世界でも私などではとても分からない(或いは気にしない)僅かな音質の差を聴き分けるマニアが存在することは事実であり、私も否定しない。『黄金の耳』の持ち主である。いつも、装置の音の差を聴き取ろうと神経を研ぎ澄ますことにより得られた能力であろう。しかし、このような人の場合でも、確かに差を聴き取ることが出来ても、それが原因と正しく相関した差であるかどうかは別問題である。例えば、高純度のケーブルに変えたとき、『ケーブルを変える』という行為に伴い色々な条件が変化する。思い込みしかり、聴く位置の違いしかり、等々。音質の差を原因と相関して正しく聴き取っているかどうかは、いわゆるブラインドテストでなければわからない。ブラインドテストで有意差が出るのはスピーカーの音質、真空管アンプと半導体アンプの差などごく限られたコンポーネントのみである。(部屋と装置や家具のセッティングもそうだがブラインドテストが難しいので報告はみあたらない)

固有の特性はあっても固有の音質は無い!

 普通、オーディオファンは装置にはそれぞれ固有の音があると信じて物選びをしていると思う。確かに、装置の特性は測定も可能で固有の値を示すが、その音質となると、上の考察から明らかなように聴く人の脳内のイメージで決まり、人によって違うだろうし、同じ人でもその時の気分や聴く場所によっても異なる。つまり、端的に言えば、装置(やアクセサリー)に固有の音というのは幻想に過ぎない。この点について、あるオーディオ掲示板上で議論した内容を「そもそも客観的事実とは?」というページにまとめておいた。少し哲学めいた内容を含むが参考にして考えてみて下さい。

 それでも、スピーカーシステムの音質に関しては、オーケストラに向く音とかヴォーカルに向く音といった傾向はあり、オーディオ・ファンの共通認識としてある程度成り立つ。それに対し、ケーブルの音質となると、メーカーの宣伝文句や雑誌の評価などで共通の先入観を刷り込まれた小グループの中でのみ固有の音として認められるに過ぎない。このような場合は当然ブラインドテストでは有意な差は検出されない。ケーブルだけではなく、ある程度の基準を満たしておればアンプやCDプレーヤー等もまた然りである。

 では一体何を信じて選べばいいのか? 我田引水といわれるかも知れないが、まず科学の語るところから始めるべきであろう。科学というのは、誰がやっても同じ結果が得られるという再現性ある実験データを基礎に成り立っている。しかし、現状ではスピーカーの音などは残念ながら理屈通りには行かず、自分の耳で聴いて判断するしかない。あるいは、『黄金の耳』の持ち主の意見なども参考にするのもいいだろう。ただし、物理学や電気工学の原理と矛盾することを平気で語る人の言うことは信じない方が無難である。

『人は自分の見たい物しか見ない』 ユリウス・カエサル(BC100−BC44)

 カエサルはいうまでもなく、ローマ帝国の基礎を築いた百戦百勝の軍指揮官で稀代の政治家である。数多くの格言、名言を残しているが、これもその一つである。戦況や政治状況を判断する際、凡人は目に入る状況の全て、或いは耳に入る情報の全てが見えている(聞こえる)わけでなく、自分に都合のいい状況、或いはその人の経験や知識と論理的整合のとれた情報しか見えない(聞かない)という格言である。彼とて例外ではないが、そのことをよく認識しているかどうかで、その後の判断が大きく異なり成功と失敗の帰趨を分けることになるというわけである。しかし、そのカエサルも、自分が目をかけ信頼していたブルータスが自分を裏切る兆候を見ることが出来なかった。見たくなかったのであろうか?

* 上に挙げた3の記事(したたかな脳)によれば、2000年以上前にカエサルが喝破したことが最近の脳科学によって科学的に証明されつつあるのは興味深い。