澤口俊之著 『したたかな脳』パンドラ文庫(日本文芸社) 戻る

第7章抜粋 「節約的安定化原理」「思いこみの形成」

◎なるべく労力を割かずして答えを出したい「省エネ志向」の脳

 ひと口に「脳」といっても、その中で起きていることはじつにさまざまです。これまでいくつかの切り口で多様な脳のドラマをお話してきましたが、それも、いよいよ最終幕に入ります。

 いろいろな脳内ドラマをご紹介したうえで最後にいえること、それは、なんだかんだあつても、脳はひじょうに「したたか」だということです。たとえば、数ある脳の原理の一つに「節約的安定化原理」というものがあります。なるべく少ない情報で、わかりやすくて都合のよい、安心できる結論を出す、いわば低エネルギーで気持ちよくすごす「省エネエアコン型」ともいえる性質です。

 この原理を裏づける、ある実験をご紹介します。

今から五〇年ほど前までは、てんかん治療のために、脳梁を切断する手術が行なわれていました。てんかんの場合、左右脳のどちらかであらわれた発作が脳全体に広がる危険性があるので、脳梁を切断することで、発作を軽減したり治癒したりしていたのです。ただし、脳梁を切断すると左右の脳が別個に準止して働いてしまい、さらに、たとえば右脳で行なったことが左脳ではわからない(またはその逆)ことが頻繁にありました。まず、実験者が、患者の右脳だけに何かをさせます。視野の左側は右脳に、右側は左脳にそれぞれ情報を送るので、視野のどちらか側だけに情報を与えることで、左右脳のどちらか一方だけに情報を与えることができるのです。

 たとえば、左視野だけに「目の前のライターを取ってください」という文を見せると、右脳だけがその情報を受け取り、患者は左手でライターを手に取ります。右脳は左手を、左脳は右手を支配しているからです。
 その後、今度は右視野に「なぜライターを取ったのですか」という文を見せると、その情報を受け取った左脳には「先ほど指示が出されたから」という理由がわかりません。面白いのは、ここからです。そこで左脳がどうするかというと、なんと、「タバコが吸いたかったから」などと、適当につじつまが合う返答をするのです。あるいは、右脳だけに女性のヌード写真を見せ、患者が思わず照れ笑いをしたとします。

次に左脳に「なぜ笑ったのか」と聞くと、やはり本当の理由がわからない左脳は、「先生がおかしなことをしたから」などと答えるのです。 つまり、自分ではわからないことでも、「自分がライターを取った」「自分が笑った」という断片的な情報をもとに、適当な理由を繕って、もっともらしい結論を導くのです。

 これらの実験で明らかになったのは、「脳は、断片的な情報から、自分が安心できる、またはもっともらしい結論を出したがる」ということです。結論を導くのに必要な情報が十分にある場合はよいのですが、不十分で断片的な情報しかない場合、脳は、なんとかつじつまが合う結論を導き出そうとします。しかも、その際、なるべく少ない情報で結論を出そうとします。脳は、脳内モジュール群の活動をなるべく早く統合して安定させたいからです。脳は、不安定な状態を極力排除しょうと働くものなのです。

 これは、特に左脳の言語システムにおいて顕著です。なぜなら、言語の大きな役割は、雑多な情報からなるべく簡単で安心できる結論を導き出すことなので、言語システムは、さまざまな情報が処理される多数のモジュールを統合して、適当な結論を導き出す役割を持つといえるからです。そして、脳内モジュールを統合したつもりになって安心するのです。

 この 「省エネ志向」 の脳の働きには、じつは、進化的な意味が隠れています。たとえば、敵に遭遇した場合、その状況に関する多数の情報をいちいち処理していては時間がかかり、故に襲われてしまいかねません。また、食べ物を探すときにも、「これは食べられるものだ」と結論を出すのに何十時間もかかっていては、餓死してしまいます。つまり、「極力少ない情報で的確な結論を出す」ことは、命に関わる問題だったのです。

 もちろん、本来は 「的確な結論を出す」 ことに意味があるのですが、すべてのことに的確な結論が出るわけではありません。それに関する情報を全部集めて分析し、統合すれば、的確な結論が出る確率は高いでしょうが、すべての物事においてそんなことをするには、時間も足りないし、脳の処理能力も追いつきません。
 
このような進化的な要請により、「節約安定化原理」 「省エネ志向」という、したたかな脳の基本的な性質は生まれたのです。

◎なぜ、思い込んでしまうのか

 唐突ですが、私は思い込みが激しい性格です。しかし誰でも、多かれ少なかれ、思い込みを持っているのではないでしょうか。

 ここでいう思い込みとは、真実・事実とは違う思いや考え、また、将来に対する一面的で勝手な希望的観測のことです。そういう思いや気持ちは、誰もが持っているはずです。むしろ、世の中のほとんどのことが思い込みで成り立っているといってもいいのかもしれません。

 しかし、なぜ私たちは思い込んでしまうのでしょうか。

 前項で、脳はなるべく少ない労力で「的確な結論」を出したいという「節約的安定化原理(省エネ志向)」を持つという話をしました。この原理がまともに働いていれば問題はないのですが、情報量が多すぎたりすると、「的確な結論」は必ずしも出ません。本来は、あらん限りの情報を集め、それらに基づいて結論を出すべきところ、脳は早く安定したいがために、一部の断片的な情報に頼ってしまいます。その断片的な情報が適切なものならまだしも、一面的な情報だった場合、事実とは違う結論に落ち着くことは頻繁に起こり得ます。これが、「思い込みの第一段階」です。もちろん、別の適切な情報によって結論を修正すればよいのですが、やっかいなことに、いったん安定化したらなかなか変わらないというのが、脳の「節約的安定化原理」の性質でもあります。

私たち人間は、不安の中では生きていけず、不可解なことだらけでは脳は変調をきたしてしまいます。いつも不安を感じていたり、つねに悩みつづけたりしていたら、脳は、不安神経症やうつ病などの病気になってしまうのです。

 そこで脳は、とりあえず適当な答えを出して、とにかく安定してしまおうとするのです。そして、その出した答えは、たいてい、長期記憶に移されます。「ああだ、こうだ」と考えるのは前頭連合野のワーキングメモリの働きで、ワーキングメモリ(注1)は言語システムを駆使して結論・答えを導こうとします。
 
しかし、いったん結論・答えが導かれれば、その内容は、海馬を介して、側頭葉に長期記憶として固定されます。これが、「思い込みの第二段階」です。ただ、その記憶を引き出しつつ、新しい情報によって、より的確な結論を導いてもう一度記憶させれば、長期記憶に固定されても修正の余地はあります。しかし、「節約・省エネ」を原理とする脳は、ここでも、よほどのことがない限り、一度安定化させた結論・記憶をわざわざ修正することなどしないのです。

 しかも、長期記憶は神経回路のハードウェアの変化としてつくられるので、この点でも長期記憶の修正は容易ではありません。こうして思い込みは、より強固な思い込みとして定着してしまうのです。

 こうなると、思い込みはさらに強化されていくことになります。脳は記憶をベースにして情報処理するので、記憶としての思い込みをベースにして情報処理するようになるからです。

 しかも、思い込みによる情報処理には、すでにバイアスがかかっているし、処理に関係する記憶情報も思い込みという「事実とは異なった情報」です。ということは、思い込みは修正されるどころか、ますます強化される運命にあるといえます。これが思い込みの最終段階、つまり、「頑固な思い込み」です。

 ここまでくると、その思い込みは、その人(脳)にとって、もはや思い込みではなく、「事実」となります。それは、「世界」とも「人生」ともいえるでしょう。


 その思い込みは、圧倒的な真実・事実を前に崩れ去るまで、思い込みは、人生も世界観をも左右します。いえ、圧倒的事実を前にしてもなお、「これは偶然」「そんなはずはない」などと、認知的バイアスをかけて、自分の思い込みを守ろうとさえします。安心感や安定を崩したくないからです。
 
卑近な例では、阪神が優勝しても、「今年はたまたま運がよかったのだ」と思い込んだり、恋人にデートを断られても、「今回は気が向かなかったのだ」と信じて疑わなかったり・・・。

 強固な思い込みに左右される言動はあぶないともいえますが、思い込みは、脳の本質から出てくるものである以上、常に自分 (脳) と共にあるのだということです。

注1 この本の第1章に詳しく説明してあるが、人間が外界を見たり、聞いたりした情報は一旦側頭葉の視覚野や聴覚野などに整理記録され、以前の記憶情報などとともに、「前頭連合野」に集められ処理されます。この過程をコンピュータの言葉を使って、ワーキングメモリと呼び人間の「意識」あるいは「自我」そのものといっていいようである。ここでまとまった情報は「海馬」という脳内の部分で交通整理され色々な記録野に長期記録情報として記憶される。記憶としてすぐ思い出せるのはこのようにワーキングメモリーで整理された後記録された情報(長期記録情報)のみだそうである。ただ、不要と判断された情報は全て消え去るわけでなく、未整理のまま記録され、別の機会にワーキングメモリに送られる情報として利用されることもあるそうである。つまり、全く同じ光景や音イメージが別の意味を持つこともあり得るわけである。