
山家城 やんべじょう
築城年代は不明だが、山家氏代々の居城と伝わる。現在は山林。▼遺構や見所
■ 本丸櫓台 ■
館山(別名:野伏山、高原山)の山頂が本丸跡で、本丸西端部に櫓台が1つがある。画像はその櫓台の上で、ここに三角点がある。
■ 腰曲輪 ■
本丸と物見曲輪との間の鞍部にも比較的広い曲輪があり、腰曲輪だと思われるが、内部は画像の通り笹薮で一杯だった。画像の先のピークに物見曲輪があるのだが、そこに行くには藪を突破するしかないため確認していない。
■ 帯曲輪 ■
この山は全体が広葉樹で覆われている為、植林ではなく自然林である。この為、画像の帯曲輪も植林で造られたものではなく、当時の遺構だというのが判りやすくていい。
■ 二の丸上段 ■
二の丸は上段と下段に別れており、単体では広さは全くない。北側に土塁が設けてあり、上段と下段の間は石垣(石積み)で補強されている。
■ 石垣(石積み) ■
二の丸上段と下段の間の切岸を補強するように石垣が組まれている。穴太積が東北地方に伝来する前の古いタイプの野面積みで、南奥では石積みとも呼ばれる。
■ 見晴らし台 ■
城跡は山林になっているため山頂からの眺めはあまり良くないが、登城経路の途中にある見晴らし台からは山形市街が一望出来て文字通り見晴らしが良い。親切にもベンチが設置してあるが、ベンチの先は断崖の為にちょっと落ち着かない。
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 南北朝時代山家氏は南朝に属して出羽国の山家郷を治めていた。山家氏
- 1356年出羽按察使として北朝の斯波兼頼が山形へと入り、山家氏は最初抵抗するが、その後斯波氏の傘下に降った。山家氏
- 1614年最上義光の時代は三千石の重臣であった山家河内守が居城としており、義光が亡くなった際には殉死している。山家河内守
▼詳細情報
最終訪城日 | 2018年11月4日 |
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別名 | 高原城 |
前身 | - |
前身の築城年代 | - |
築城・普請開始 | 不明 |
築城完了 | 不明 |
築城者 (設計者) | 山家氏 |
分類 | 中世山城 |
規模 | 東西600m×南北350m |
標高 | 標高:234m、比高:約100m |
文化財指定 | - |
現存建造物 | - |
復元建造物 | - |
模擬・復興建造物 | - |
遺構 | 土塁、石垣、郭跡 |
標柱・説明板 | 南の登山口に標柱と説明板あり |
現状 | 山林(本丸・二の丸まで山道あり) |
イベント | - |
注意事項 | - |
場所 | 山形県山形市山家町 |