亀ヶ崎城 かめがさきじょう

遊佐氏もしくは武藤氏によって最上川右岸に築かれた平城で、最初は東禅寺城と呼ばれていた。庄内地方を巡る様々な勢力の戦いで度々戦場となる。最上義光が庄内を制圧した後に城主となった志村光安の頃、酒田湊に上がった大亀に因んで亀ヶ崎城と改称した。江戸時代には庄内藩の支城として存続した。現在は中心部が学校になり周囲は住宅地となる。

▼遺構や見所

■ 二の丸土塁 ■

本丸と二の丸は今は酒田東高校の敷地となって消滅したが、二の丸の西側の土塁の一部だけが唯一残されている。


■ 亀ヶ崎八幡神社(内堀跡) ■

二の丸土塁の外側にはかつて内堀があったが、今は完全に埋め立てられており、北西部の内堀跡には今は亀ヶ崎八幡神社が鎮座している。恐らく江戸時代に二の丸北側に鎮座していた八幡神社を堀を埋め立てた後に遷宮させたものと思われる。


■ 三の丸跡 ■

本丸と二の丸の外側には堀を挟んで三の丸が輪郭式に展開していたが、今は堀は全て埋め立てられ、三の丸跡は大半が住宅地と化している。三の丸跡の碑は現在亀ヶ崎小学校に建てられている。


■ 酒田町奉行所跡 ■

元は志駄義秀が増設した西側の出丸があった場所で、最上氏が庄内を治めた頃は奉行の高橋伊賀守の屋敷となった。その後、庄内藩が出来ると町奉行所として利用された。かつて周囲は川と水堀で囲まれていたが、現在は堀は全て埋め立てられてしまっている。

▼歴史

▼詳細情報

最終訪城日 2016年11月6日
別名 酒田城、東禅寺城
前身 -
前身の築城年代 -
築城・普請開始 1478年
築城完了 1478年
築城者 (設計者) 遊佐繁元
分類 近世平城
規模 -
標高 標高:3.2m、比高:-
文化財指定 -
現存建造物 搦手門(移築)
復元建造物 -
模擬・復興建造物 -
遺構 土塁
標柱・説明板 酒田東高校(二の丸跡)に説明板あり
現状 酒田東高校、市街地
イベント -
注意事項 -
場所 山形県酒田市亀ヶ崎

▼アクセス

 酒田駅からバスで

JR羽越線「酒田駅」から庄内交通の市内巡りバスに乗り、「亀ヶ崎小学校」で下車。降りてすぐの場所に三の丸跡の説明板。徒歩5分で二の丸跡の土塁。

 駐車場

なし。

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