
湯元小屋館 ゆもとこやたて
15~16世紀頃に秋保摂津守(馬場盛義)によって名取川沿いの平地が首のように狭くなる場所の崖の上に築かれた丘城。秋保郷の東端部を抑える役目の城。現在は雑木林で立ち入り禁止。▼遺構や見所
■ 城址の説明板 ■
城址の崖の下の施設内の庭園に城についての説明板がある。城址に登っていく道があるのも確認できたが、残念ながら立ち入り禁止である。
■ 湯元小屋館跡自然庭園 ■
城址の崖の下にある複合レジャー施設。
開館:1月~12月
時間:10:00~16:30
休館日:12-2月の第3金曜日、年末年始
入館料:450円、小学生100円
場所:宮城県仙台市太白区秋保町湯元字源兵衛原10
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 15~16世紀頃秋保盛房の弟の摂津守(馬場盛義)によって湯元村の断崖の上に築かれたと伝わる。馬場盛義
- 1500年長井晴信の急襲を受けて陥落し、長井軍が楯山城を攻める為の本陣として利用した。長井晴信
- 1512年秋保盛房は最上氏の援助と秋保郷の村民の協力を得て秋保郷から長井勢を駆逐し、再びこの地に返り咲いた。湯元小屋館もこの時に奪還したと思われる。馬場盛義
- 1543年「天文の乱」では伊達稙宗の側に味方していたようで、秋保則盛は稙宗党の大崎氏の指揮下で動いている。秋保氏はこの頃から伊達家の家臣に組み込まれていくが、馬場氏も同様に伊達家の家臣扱いになっている。馬場定重
- 1558年秋保摂津守(馬場定重)は馬場村の豊後館を居城としていたが、この頃から湯元小屋館にも居住している。馬場定重
- 1603年伊達政宗の仙台への本拠地移転に伴い、秋保氏の秋保郷は召上げられて刈田郡の各所に秋保氏一族の代替地が与えられる。城はこの時に廃城となった。-
▼詳細情報
最終訪城日 | 2018年4月13日 |
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別名 | - |
前身 | - |
普請開始 | 15~16世紀 |
築城完了 | 15~16世紀 |
築城者 (設計者) | 馬場盛義 |
分類 | 中世丘城 |
規模 | 東西140m×南北45m |
標高 | 標高:180m、比高:約70m |
文化財指定 | - |
現存建造物 | - |
復元建造物 | - |
模擬・復興建造物 | - |
遺構 | 土塁、空堀、水の手、郭跡 |
標柱・説明板 | 「湯元小屋館跡自然庭園」の入口と内部に説明板あり。 |
現状 | 雑木林 |
イベント | - |
注意事項 | 崖の上は立ち入り禁止 |
場所 | 宮城県仙台市太白区秋保町湯元字源兵衛原 |