
仙台城 せんだいじょう
1601年に伊達政宗が青葉山の千代城を大改築して築いた城で、忠宗の代には青葉山の麓に二の丸、三の丸が拡張整備された。以後は幕末まで仙台藩の藩庁となった。現在は本丸は護国神社と青葉山公園、二の丸は大学のキャンパス、三の丸は博物館となる。『日本100名城』の一つ。▼遺構や見所
■ 本丸御殿跡 ■
仙台城の本丸は青葉山東端部の断崖の上にあり、ここにはかつて城主の居所である本丸御殿があった。現在この本丸御殿の大広間部分が平面復元されており、大広間の間取りを感じることが出来る。
■ 本丸詰門跡 ■
本丸の北側にあった正門の跡で、かつては二階建ての櫓門が建っていた。なお、門の脇の石垣の上にはかつては三重の脇櫓が建っていた。
■ 本丸埋門跡 ■
本丸の南側にあった裏門の跡で、両脇を高い土塁で囲まれており、喰違いの構造になっている。ただ、土塁を盛ったというよりは、山の地形をくり貫いて造ったように見える。
■ 本丸巽櫓跡 ■
本丸南東部の崖の上にあった櫓の跡で、今は土台石垣と礎石の一部だけが残る。断崖の際にあったことが災いし、跡地の一部は崩れ落ちて失われている。
■ 本丸石垣 ■
本丸の北側から西側にかけての部分には石垣が構築されており、北側は切り込み接ぎの高石垣、西側は野面積みの石垣となっている。北側は過去の地震で崩れた後に築かれた石垣で、石垣修理の際の発掘で内側から伊達政宗の時代頃とされる初期の石垣が発見されている。
■ 竜ノ口渓谷 ■
本丸の南側にある断崖絶壁の渓谷で、実質的な仙台城の外堀。今は大橋が架かっているが、高所恐怖症なら足がすくむ高さである。
■ 本丸からの城下を望む ■
本丸からは仙台の城下が一望でき、今は市街地のビル群が良く見える。当時は高い建物は無かったので、もっと遠くまで見えていたと思われる。
■ 中ノ門跡 ■
山の上の本丸と麓の二の丸の間に位置する城門跡で今は石垣が残っているが、南北で石の積み方が異なっている。現在の車道は当時と同じように喰違いを通るためここで一旦折れ曲がっている。
■ 大手門脇櫓(外観復元) ■
仙台城の大手門の脇にあった二階建ての櫓で、昭和までは残っていたが、戦時中の空襲で焼失してしまった。焼失前の写真を元に、1967年に外観だけを復元してコンクリート製で再建された。
■ 二の丸土塀 ■
仙台城内で唯一、当時と同じ場所に現存する建造物とされる。2011年の「東日本大震災」で被害を受けたが修復された。
■ 二の丸扇坂 ■
仙台藩士が城に出勤する時に利用していた通用口で、二の丸跡がキャンパスになってからは閉鎖されていたが、地下鉄国際センター駅が出来た際に整備されて通れるようになった。扇型の坂が特徴だが、現在は坂に盛り土をして階段を設けた為、その特徴が判り辛くなった。
■ 清水門跡 ■
三の丸から本丸へ向かう位置にある城門で、野面積みの石垣が残っている。門跡の脇には今も名前の由来となった清水が沸いている。当時はこの水で酒も造ったため、門の近くには酒造場の跡地もある。
■ 五色沼 ■
三の丸の北側にある水堀で、三の丸東側の長沼と合わせて城の外堀を形成している。明治時代に冬に凍ったこの沼で外国人がスケートを教えたのが日本のフィギュアスケートの発祥とされている。
■ 三の丸子ノ門跡 ■
三の丸はかつて蔵などがあった場所で周囲は土塁で囲まれている。北側の子ノ門と南側の巽門付近にだけ石垣が使用されており、2つの門跡のサイズは全く違うため、巽門が正門で、子ノ門が裏門と思われる。
■ 青葉城資料展示館 ■
仙台城の歴史資料の展示や3DCGシアターがある資料館。
開館:1月~12月
時間:9:00~16:30(4~10月)
時間:9:00~15:30(11~3月)
休館日:年中無休
入館料:700円、中高生500円、小学生300円
場所:宮城県仙台市青葉区天守台青葉城址
■ 仙台城見聞館 ■
仙台城の歴史を解説するガイダンス施設。
開館:1月~12月
時間:9:00~17:00
休館日:年中無休
入館料:無料
場所:宮城県仙台市青葉区川内1-11
■ 仙台市博物館 ■
仙台市の歴史について展示した博物館。
開館:4月~12月
時間:9:00~16:15
休館日:月曜日、祝日の翌日
入館料:460円、中高生230円、小学生110円
場所:宮城県仙台市青葉区川内26
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 鎌倉時代この山には寺社があり、そのうちの虚空蔵堂を城として利用したのが始まりとされる。-
- 1351年「観応の擾乱」にて尊氏派の岩切城は直義派の吉良貞家によって攻め落とされ、畠山直泰と留守家次は残党を率いて虚空蔵城に立て篭もるが、ここも攻め落とされて壊滅した。畠山直泰
- 16世紀国分能登守は虚空蔵城に居城を移し、この場所にあった千躰仏像にちなんで名を千躰城と改めた。国分能登守
- 1537年国分家の内訌に介入した伊達稙宗は千代城に懸田義宗を送り、松森城の国分家中の乱を鎮圧しようとしたが、国分氏に敵対する留守氏の介入もあって泥沼となった。懸田義宗
- 1566年国分盛氏は盛顕に家督を譲って隠居すると、千代城から小泉城へ移り住んだ。だが、盛顕は病弱だったため、弟の盛廉に家督を譲って松森城へと隠遁した。国分盛廉
- 1601年伊達政宗は千代城跡へ新城を築城する許可を幕府より貰い、自ら陣頭指揮をとって築城工事を開始した。千躰仏があった寺社はこの時に青葉山から経ヶ峰に移された。また、「千代」の名も「仙臺」(簡略にした字が仙台)に改められた。伊達政宗
- 1610年伊達政宗は仙台城築城工事中は北目城を一時的な居城としていたが、大広間などの主要部分が完成したため正式に居城を仙台城へと移した。伊達政宗
- 1638年仙台藩2代目藩主の伊達忠宗は青葉山の上では不便なため、麓に新たに二の丸、三の丸を造営し、二の丸御殿にて政務を執り行なった。伊達忠宗
- 1871年廃城となって本丸は取り壊されて東北鎮台が置かれたが、二の丸と三の丸の建物は残されてそのまま利用されたという。兵部省
- 1882年二の丸で火災が発生し、大手門付近を除く全ての建物を焼失してしまった。兵部省
- 1945年第二次世界大戦中の仙台空襲により国宝の大手門なども焼失し、城内に残る建造物は三の丸の巽門だけとなった。だが、この門も後にアメリカの駐屯軍により取り壊された。陸軍省
- 2003年
8月22日国指定史跡となる。仙台市など - 2011年
3月11日「東日本大震災」により城内各所の石垣が崩れ、大手脇櫓や土塀等も被害を受ける。(※約4年後に全て修復された)仙台市など
▼詳細情報
最終訪城日 | 2018年1月5日 |
---|---|
別名 | 青葉城 |
前身 | 千代城(千躰城) |
普請開始 | 1601年 |
築城完了 | 1638年 |
築城者 (設計者) | 伊達政宗、伊達忠宗 |
分類 | 近世平山城 |
規模 | 東西1km×南北600m、約100万㎡ |
標高 | 標高:132m、比高:約65m |
文化財指定 | 国指定史跡 |
現存建造物 | 土塀 |
復元建造物 | 大手門脇櫓(外観復元) |
模擬・復興建造物 | - |
遺構 | 石垣、土塁、水堀、空堀、水の手 |
標柱・説明板 | 本丸内及び三の丸長沼付近に城址碑と説明板あり |
現状 | 青葉山公園、護国神社、仙台市博物館、東北大学川内キャンパス |
イベント | 伊達武将隊演武(不定期) |
注意事項 | スズメバチの巣に注意(2011年注意書き確認) |
場所 | 宮城県仙台市青葉区川内 |