
宇須岸館 うすけしだて
1454年(享徳3年)に河野政通によって函館山の麓に築かれた城館。1457年と1512年に蜂起したアイヌによって攻め落とされた。後に五稜郭に移転するまでの間、箱館奉行所が置かれた。函館の地名はこの館が方形の箱のような縄張りだったことに由来する。道南十二館の一つ。▼遺構や見所
■ 箱館跡 ■
箱館奉行所の絵図を見る限りでは斜面に3段の郭を設けているため、元町公園近くの画像のあたりにあったと思われる。遺構は公園ができる前の開発で消滅したという。
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 1454年
(享徳3年)河野政通は安東政季に従い蝦夷地に渡り、アイヌがウショロケシと呼んでいた陸繋島の山の麓に館を築いた。河野政通 - 1457年コシャマインの乱により、宇須岸館はアイヌによって攻め落とされた。河野政通は捕縛されたが救出されたというが、討死したという説もある。河野政通
- 1512年ショヤ・コウジの乱により、宇須岸館は再びアイヌによって攻め落とされた。河野季通が討死し、河野政通と娘が松前に逃れたという。娘以外が討死した説もある。河野季通
- 1802年宇須岸館跡に箱館奉行所が設置される。箱館奉行
- 1864年箱館奉行所が五稜郭に移されたため廃城となる。-
▼詳細情報
最終訪城日 | 2013年10月12日 |
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別名 | 河野館、箱館 |
前身 | - |
普請開始 | 1454年 |
築城完了 | 1454年 |
築城者 (設計者) | 河野政通 |
分類 | 丘城 |
規模 | - |
標高 | 標高:約25m、比高:約20m |
文化財指定 | - |
現存建造物 | - |
復元建造物 | - |
模擬建造物 | - |
遺構 | 標柱と説明板のみ |
現状 | 公園、市街地(元町公園付近) |
イベント | - |
注意事項 | - |
場所 | 北海道函館市元町 |