
花沢館 はなざわだて
15世紀頃に和人によって築かれた城館で、蠣崎氏の居城とされている。1457年の「コシャマインの乱」では他の館が次々陥落する中でも最後まで陥落しなかった。小山隆政の城とも伝わる。道南十二館のひとつ。▼遺構や見所
■ 中腹の郭 ■
恐らく居住施設があったと思われる城内で一番広い郭。城の説明板もここにある。ここより上は腰郭サイズの郭が雛壇状に連なっている。
■ 主郭 ■
城内で一番高い場所にある郭。平場があまり広くないが、発掘調査で柵列が出てきたそうなので、籠城時にはここに立て籠って指揮をとったのだろう。ただ、ここから銭が大量に出土しているため蔵のようなものがあったのかもしれない。
■ 堀切 ■
主郭の背後の山と繋がっている箇所は堀切で切られているが、思ったよりも浅いため、背後から攻められたらひとたまりもないのではないだろうか。
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 15世紀頃上之国(松前より北部の日本海側)を治める守護の居館として築かれたとされる。安東氏代官
- 1457年
5月和人の横暴に耐えかねたアイヌが蜂起し、「コシャマインの戦い」が勃発。この戦いで和人の城館が多数陥落するが、花沢館は陥落しなかった。蛎崎季繁 - 1458年前年に続き2度目のアイヌの蜂起が発生するが、花沢館の蠣崎氏の客将の武田信広が七重浜でコシャマイン親子を討ち取ったため、アイヌ勢は敗走したという。蛎崎季繁
- 1462年蛎崎季繁が亡くなり、この時に花沢館も廃されたと考えられている。蛎崎季繁
- 1945年頂上部が耕作された際、銭2000枚が出土した。-
- 1977年国指定史跡に指定される。-
▼詳細情報
最終訪城日 | 2013年10月14日 |
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別名 | - |
前身 | - |
普請開始 | 15世紀頃 |
築城完了 | 15世紀頃 |
築城者 (設計者) | 渡党の和人、安東氏被官 |
分類 | 丘城 |
規模 | 面積:約3万平方メートル |
標高 | 標高:58m、比高:50m |
文化財指定 | 国指定史跡 |
現存建造物 | - |
復元建造物 | - |
模擬建造物 | - |
遺構 | 郭跡、土塁、空堀 |
現状 | 雑木林※山道有り |
イベント | - |
注意事項 | - |
場所 | 北海道檜山郡上ノ国町勝山 |