
五稜郭 ごりょうかく
1864年(文久4年)に箱館奉行所を移転するために幕府が築いた稜堡式城郭。箱館戦争では旧幕府軍の本拠地となり、新政府軍と箱館市街地で激しい戦闘を繰り広げたが、新政府軍の艦砲射撃を一方的に受けて被害を出し、1869年(明治2年)に降伏開城した。▼遺構や見所
■ 箱館奉行所 ■
箱館奉行所は1871年に解体されていたが、当時の写真や資料が残り、発掘遺構も良好だったため、2010年に主要部分が復元された。資料が足りなかった部分は画像の手前のように平面復元されている。建物の上に突き出た太鼓櫓が特徴的だが、箱館戦争では皮肉にもこれが絶好の標的になってしまった。
■ 半月堡の石垣 ■
石垣は半月堡と内部の城門付近に使用されており、石垣の上部に武者返しを設けたり、石垣の真下を掘り下げたりと工夫が見られる。
■ 土蔵 ■
五稜郭で唯一の現存建造物。
■ 板蔵 ■
城内には板蔵が3か所ほど復元されており、画像の板蔵は売店等に利用されていた。
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 1854年
(安政元年)箱館奉行となった竹内保徳と堀利煕は、幕府に奉行所の内陸部への移転を上申し、亀田への建設許可を得る。- - 1855年
(安政3年)フランス人から学んだ武田斐三郎により星型の縄張りの五稜郭が設計され、約15万両の予算が組まれる。- - 1857年
7月五稜郭の普請が始まる。- - 1864年
6月五稜郭が竣工し、箱館奉行の小出秀実が箱館から移動して役所の機能が五稜郭に移される。小出秀実 - 1866年五稜郭の全ての工事が完了する。小出秀実
- 1867年大政奉還により新政府による箱館府が開庁する。杉浦誠
- 1868年
4月箱館奉行の杉浦誠から、箱館府知事の清水谷公考へ五稜郭が引き渡される。清水谷公考 - 1868年
10月26日旧幕府軍により五稜郭が制圧されるが、清水谷公考は青森へ退去していたため無人だった。箱館府 - 1869年
3月旧幕府軍により五稜郭が修築され、大砲が設置される。榎本武揚 - 1869年
5月11日新政府軍の箱館総攻撃により、海と陸から砲撃が行われ、新政府軍の軍艦甲鉄からの砲撃が奉行所に命中している。榎本武揚 - 1869年
5月18日各地の拠点を失った旧幕府軍は衆議により戦闘継続困難と判断。降伏して五稜郭を開城した。榎本武揚 - 1871年奉行所を始めとする城内の建物が解体され、以後は練兵所となる。兵部省
- 1913年軍から函館区に貸し出されて公園として整備される。陸軍省
- 1925年史蹟に指定される。内務省
- 1952年特別史跡に指定される。文部省
▼詳細情報
最終訪城日 | 2016年5月1日 |
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別名 | 亀田御役所土塁 |
前身 | - |
普請開始 | 1857年 |
築城完了 | 1866年 |
築城者 (設計者) | 徳川幕府 (武田斐三郎) |
分類 | 稜堡式平城 |
規模 | 面積:12万平方メートル |
標高 | 標高:-、比高:- |
文化財指定 | 特別史跡 |
現存建造物 | 土蔵 |
復元建造物 | 奉行所、板蔵 |
模擬建造物 | - |
遺構 | 石垣、土塁、水堀、空堀 |
現状 | 公園(五稜郭公園) |
イベント | - |
注意事項 | - |
場所 | 北海道函館市五稜郭町44-3 |