
弁天島台場 べんてんじまだいば
江戸時代後期に海防のために幕府が弁天島(今の鴎島)に築いた台場。箱館戦争では旧幕府軍がここを占領し、1869年4月に新政府軍の軍艦に砲撃を加えたという。▼遺構や見所
■ キネツカ台場跡 ■
台場跡は島の南端にあり、窪地と防塁状の地形が残っている。現状を見る限りでは台座は一基だったようだ。
■ テカエシ台場跡 ■
台場跡は島の北西部にあり、キネツカ台場と違って遺構が残っておらず、かすかに防塁のような痕跡が確認できるだけだった。
■ 厳島神社 ■
1615年に回船問屋が合同で弁財天を祀ったのが始まりで、弁天島の名の由来となる。
1868年の明治の神仏分離令により厳島神社に改称した。
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 江戸時代後期諸外国の船が日本近海に現れるようになったため、幕府によって弁天島の南北に台場が築かれた。-
- 1868年
11月15日旧幕府軍の松岡四郎次郎の部隊により江差の町が制圧される。この時、旧幕府軍の軍艦開陽によって弁天島台場に砲撃が加えられたが、新政府軍の松前藩兵は既に撤退していたため戦闘にならなかった。松前藩 - 1869年
4月9日新政府軍が乙部に上陸して江差に進軍し、江差奉行の松岡四郎次郎の部隊と戦闘となる。この時、台場からも砲撃を行ったが新政府軍の軍艦に届かなかったという。旧幕府軍
▼詳細情報
最終訪城日 | 2013年10月13日 |
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別名 | キネツカ台場、テカエシ台場 |
前身 | - |
普請開始 | 江戸時代後期 |
築城完了 | 江戸時代後期 |
築城者 (設計者) | 徳川幕府 |
分類 | 台場 |
規模 | - |
標高 | 標高:-、比高:- |
文化財指定 | 町指定史跡 |
現存建造物 | - |
復元建造物 | - |
模擬建造物 | - |
遺構 | 土塁 |
現状 | 自然公園(鴎島) |
イベント | - |
注意事項 | 転落注意 |
場所 | 北海道檜山郡江差町鴎島 |