
弁天台場 べんてんだいば
1863年(文久3年)に箱館港を守るために幕府が弁天岬に築いた台場。箱館戦争では旧幕府軍がここに陣取り、海と陸から迫る新政府軍と激しい戦闘を繰り広げたが、箱館の町が新政府軍に制圧されると孤立し、1869年(明治2年)に降伏開城した。1896年の港湾工事で台場は解体埋め立てされた。▼遺構や見所
■ 弁天台場跡の標柱 ■
台場は今は埋め立てられて「函館どつく」等の敷地になっているため遺構は見られないが、市電「函館どつく」停留所前から真北に行った場所の突き当りに標柱だけが建てられている。
なお、市電「函館どつく」停留所前の公園には説明板が建てられている。
■ 堤防になった石垣 ■
台場が解体された際、石垣の石材はほぼすべて堤防に再利用されており、台場跡近くの港で今も見ることが出来る。
コンクリートの堤防に見慣れてしまっているせいか、石垣堤防はなかなか印象強いものだった。
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 1854年
(安政元年)箱館奉行となった竹内保徳と堀利煕は、幕府に北方防備のための台場の必要性を上申し、弁天岬への建設許可を得る。- - 1856年
(安政3年)10万両の予算をかけ、武田斐三郎の設計のもと工事が開始される。- - 1864年不等辺六角形の縄張りをもつ弁天台場が完成する。箱館奉行
- 1867年大政奉還により新政府による箱館府が開庁する。箱館府
- 1868年
10月26日旧幕府軍により箱館の町が制圧される。箱館府 - 1869年
5月11日新政府軍の箱館総攻撃により、弁天台場でも激しい砲撃戦が行われる。永井尚志 - 1869年
5月15日台場は海と陸から包囲されて孤立し、砲弾も尽きたため降伏開城した。永井尚志 - 1896年
(明治29年)台場は港湾改良工事のため取り壊されて埋め立てられた。陸軍省
▼詳細情報
最終訪城日 | 2013年10月12日 |
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別名 | 弁天岬台場 |
前身 | - |
普請開始 | 1855年 |
築城完了 | 1863年 |
築城者 (設計者) | 徳川幕府 (武田斐三郎) |
分類 | 台場 |
規模 | 周囲:684m、面積:32340平方メートル |
標高 | 標高:-、比高:- |
文化財指定 | - |
現存建造物 | - |
復元建造物 | - |
模擬建造物 | - |
遺構 | 石垣(転用) |
現状 | 市街地(函館どつく周辺) |
イベント | - |
注意事項 | - |
場所 | 北海道函館市弁天町20 |